﻿全国地方公共団体コード,ID,地方公共団体名,名称,名称_カナ,名称_通称,名称_英語,文化財分類,種類,場所名称,所在地_全国地方公共団体コード,町字ID,所在地_連結表記,所在地_都道府県,所在地_市区町村,所在地_町字,所在地_番地以下,建物名等(方書),緯度,経度,高度の種別,高度の値,電話番号,内線番号,連絡先メールアドレス,連絡先FormURL,連絡先備考（その他、SNSなど）,郵便番号,員数（数）,員数（単位）,法人番号,所有者等,文化財指定日,利用可能曜日,開始時間,終了時間,利用可能日時特記事項,画像,画像_ライセンス,概要,概要_英語,説明,説明_英語,URL,備考
310000,TP3100000010,鳥取県,絹本著色普賢菩薩像,ケンポンチャクショクフゲンボサツゾウ,,kenpontyakusyokufugenbosatuzou,国宝,国指定の絵画,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町新見,鳥取県,八頭郡智頭町,新見,,,,,,,,,,,,,,,,,1952/11/22,,,,,,,,,豊乗寺は寺伝に嘉祥年間（848～851）開基とされる。本図は、象の背に置かれた五重蓮華座に結跏趺坐して合掌しながら行者の前に近づく普賢菩薩の姿が、優美な技法で描かれている。藤原時代三普賢の一つとされ、描法、色彩、加飾のいずれも出色のもので、我が国を代表する仏画である。縦102.4cm、横52.1cm。平安時代後期の作と推定される。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100000020,鳥取県,伯耆一宮経塚出土品,ホウキイチノミヤキョウヅカシュツドヒン,,houkiitinomiyakyoudukasyutudohin,国宝,国指定の考古資料,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,宮内,,,,,,,,,,,,,,,,,1953/3/31,,,,,,,,,大正4年（1915）、伯耆一宮経塚から銅経筒、金銅仏、銅鏡、檜扇、短刀、刀子、玉類、銅銭、漆器などが出土した。このうち、経筒の筒身の全面に、15行236文字にわたり願文が刻まれており、康和5年（1103）の銘がある。金銅観音菩薩立像（全高21.5cm）も優品である。これらから、経塚がこの時期極楽往生、現世利益の祈願を目的としていたことがよくうかがわれ、平安後期の埋納供養を考察する上で貴重である。,,,
310000,TP3100000030,鳥取県,絹本著色普賢十羅刹女像,ケンポンチャクショクフゲンジュウラセツニョゾウ,,kenpontyakusyokufugenzyurasetsunyozou,重要文化財,国指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市行徳,鳥取県,鳥取市,行徳,,,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,本図は、合掌の普賢菩薩を乗せた白象が、仏法擁護の四天王２人の先導で、後を振返りつつ歩く姿を描いている。中央後ろと最後尾には菩薩が従い、その間に10人の唐装束の羅刹女が立つ賑やかな構図となっている。図が写実的で、普賢と十羅刹女が一図に配されていること、着衣、装身具などに七宝、雷文など切金文様が多用されていることから、鎌倉時代後期の作と推定される。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000040,鳥取県,絹本著色楊柳観音像,ケンポンチャクショクヨウリュウカンノンゾウ,,kenpontyakusyokuyouryuukannonzou,重要文化財,国指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,縦106cm、横54.6cm。楊柳観音は病苦を救う三十三観音の第一に数えられるもので、右手に楊枝を持つのが普通だが、本図の観音は岩によりかかり両手で膝を抱え、楊柳は左端の宝瓶に小さく描かれるなどの特徴がある。また、金彩色を多く使用し、流麗豊満で全体に人間味を持つのも特色である。遺品の少ない元代仏画の作例として注目される一幅である。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100000050,鳥取県,梵鐘,ボンショウ,,bonsyou,重要文化財,国指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市上町,鳥取県,鳥取市,上町,,,,,,,,,,,,,,,,,1982/6/5,,,,,,,,,総高125.1cm、口径75.5cmの鋳銅製。鐘身はゆるやかな曲線で広がり、中帯からはほぼ垂直に下っている。丈が高く、スマートで優美な名鍾である。撞座の位置が高く、太いたてがみを立てた龍頭の意匠などに奈良時代の様式を伝えているが、乳の間に内郭を設けていることと、大らかな姿をしていることから、平安時代前期の作と推定され、本県所在の梵鐘としては最古のものである。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000060,鳥取県,短刀銘　備州長船住兼光　附　金熨斗付合口拵,タントウ,,tantou,重要文化財,国指定の工芸品,,31202,,鳥取県米子市尾高,鳥取県,米子市,尾高,,,,,,,,,,,,,,,,,1912/9/3,,,,,,,,,津和野藩主亀井茲政の寄進。長さ24.8cm、幅2.3cm。備州長船住兼光の銘がある。鎌倉時代末期か南北朝時代の作と推定される。また、金熨斗造（柄、鞘とも金の延金の合口。鍔のない作り）の外装は美しく、柄の目貫きは法輪二つの彫刻物で、刀の品格にふさわしい。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100000070,鳥取県,楽焼黒茶碗［東陽坊］長次郎作,ラクヤキクロチャワン［トウヨウボウ］チョウジロウサク,,rakuyakikurozyawan〔touyoubou〕tyouzirousaku,重要文化財,国指定の工芸品,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三朝,鳥取県,東伯郡三朝町,三朝,,,,,,,,,,,,,,,,,1962/6/21,,,,,,,,,楽焼茶碗の名工初代長次郎の作品から、千利休が名作と思われるもの７個を選んだとされる長次郎茶碗７種の一つで、茶道界では古来有名な茶碗である。利休の弟子で、黒谷の僧、東陽坊が愛用した。口径12.3cm、高さ8.5cm。見込は、大変素朴で懐が広く、茶溜りは古典的な形である。作行から天正13年（1585）以前の作といわれる。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000080,鳥取県,銅鏡　長徳三年九月二十日云々の文あり,ドウキョウ,,doukyou,重要文化財,国指定の工芸品,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳1010番地三徳山宝物殿,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,1010番地,三徳山宝物殿,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,本鏡は、直径27.8cm、厚さ0.6cmの白銅製。裏面に流麗豊満な２羽のオウムが花をくわえて中央の紐を回転している姿が鋳出されている鸚鵡華文鏡（鸚鵡華綬鏡）である。さらに、鏡面に非常に精緻な胎蔵界の曼荼羅と長徳３年（997）の紀年銘をもつ銘文が毛彫されていることが特徴で、工芸的価値が高い。鏡自体は、奈良時代か中国唐末期の作と考えられており、伝世の後、曼荼羅と銘文を彫って奉納したものと推定される。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000090,鳥取県,鉄製厨子附祈願文鏤刻ノ鉄板三枚、鉄造地蔵菩薩ノ頭部,テツセイズシ,,tetuseizushi,重要文化財,国指定の工芸品,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山9番地宝物館霊宝閣,鳥取県,西伯郡大山町,大山,9番地,宝物館霊宝閣,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,大山寺に伝わる鉄製の厨子。もと4枚あった鉄板は、数度の火災により３枚が残るだけである。鉄板に鏤刻された祈願文に、承安元年（1171）7月28日大山寺が火災に遭い、翌年、紀成盛が地蔵尊と厨子を鋳造し、宝殿を建立寄進したとあり、史料的価値も高い。厨子は高さ72.7cm、胴の径41cm、円筒形で傘状屋根の上に火炎付宝珠がつく。,,,
310000,TP3100000100,鳥取県,子持勾玉,コモチマガタマ,,komotimagatama,重要文化財,国指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1963/2/14,,,,,,,,,子持勾玉とは、大型の勾玉の背や腹に数個の小さな勾玉を付けたもので、祭器と推定される古墳時代中期の遺物。明治41年（1908）、湯梨浜町高辻で畑地開墾中に発見された。高さ6.6cm、長さ10.6cm、幅9.2cm。滑石製で２つの子持勾玉を重ね合わせた特異な形をしており、背・側面・腹に合計16個の子を持っている。極めて精巧でよく研磨されており、古墳時代の祭祀の形態を考える上で貴重である。,,,
310000,TP3100000110,鳥取県,伯耆国分寺古墳出土品,ホウキコクブンジコフンシュツドヒン,,houkikokubunzikofunsyutudohin,重要文化財,国指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市国府,鳥取県,倉吉市,国府,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/27,,,,,,,,,前方後円墳と推定される古墳の後円部中央が大正11年（1922）に掘り返された際に、粘土槨の主体部が発見され、中からき鳳鏡・三角縁神獣鏡・二神二獣鏡の３面の中国鏡と鉄器類が出土した。出土品と埋葬施設から、本古墳が東伯耆における前方後円墳出現期の古墳の埋葬形態及び被葬者の政治的背景を考える上で貴重な資料である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#02,
310000,TP3100000120,鳥取県,子持壷形須恵器、脚付子持壷形須恵器,コモチツボガタスエキ、アシツキコモチツボガタスエキ,,komotitubogatasueki、ashitukikomotitubogatasueki,重要文化財,国指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1985/6/6,,,,,,,,,国府川と北谷川にはさまれた丘陵の先端部に位置し、昭和57年（1982）に行われた発掘調査などで、土壙内から５列に整然と並べられ、樹立した状態で出土した。６世紀後半の所産と考えられ、信仰に関連して用いられた祭器、儀器としての様相を伝えるとともに、地域性の強い特徴をもった特異な土器群の一括として学術的価値が高い。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4315.htm#00,
310000,TP3100000130,鳥取県,鳥取県野口１号墳出土須恵器,トットリケンノグチ１ゴウフンシュツドスエキ,,tottorikennoguti1goufunsyutudosueki,重要文化財,国指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1994/6/28,,,,,,,,,前方後円墳の周溝、周溝内土壙からの出土品で、３個の装飾須恵器を中心とする一括品。器台の形を残したまま壷と合体した装飾須恵器１個は、類例が少なく、描かれる狩猟と相撲の場面は、この時代の風俗を具体的に示している。胎土・形態などから装飾須恵器の３個は、セットとして製作、供献されたものと考えられる。須恵器を用いた古墳の墓前祭祀の様子を知る上で極めて良好な資料である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4315.htm#01,
310000,TP3100000140,鳥取県,鳥取県栗谷遺跡出土品,トットリケンクリタニイセキシュツドヒン,,tottorikenkuritaniisekisyutudohin,重要文化財,国指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市上町88番地鳥取市歴史博物館,鳥取県,鳥取市,上町,88番地,鳥取市歴史博物館,,,,,,,,,,,,,,,1994/6/28,,,,,,,,,福部砂丘の後背地に立地する栗谷遺跡から、平成元年（1989）と翌２年（1990）の発掘調査により出土した、縄文時代後期の木工品である杓子を含む一括資料。縄文時代の木製杓子は全国的に類例が少なく、植物繊維を使った編物類などとともに、縄文時代における木工技術の水準の高さを知ることのできる良好な一括資料として価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000150,鳥取県,伯耆長瀬高浜遺跡出土埴輪,ホウキナガセタカハマイセキシュツドハニワ,,houkinagasetakahamaisekisyutudohaniwa,重要文化財,国指定の考古資料,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町はわい長瀬（長瀬高浜遺跡出土埴輪収蔵庫）,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,はわい長瀬（長瀬高浜遺跡出土埴輪収蔵庫）,,,,,,,,,,,,,,,,,1986/6/6,,,,,,,,,"昭和55年（1980）、長瀬高浜遺跡の北西隅の土壙中から出土した古墳時代中期（５世紀頃）の埴輪群。甲冑、家、盾、蓋、鞆などの形象埴輪、円筒埴輪、朝顔形埴輪約7,000点を数え、出土状況から、集落内の祭祀に関わるものか、製作した埴輪が貯蔵されたものと推定されている。山陰地方の埴輪群で最もまとまった一括資料で、つくりに地域的な特徴をよく示しており、古墳文化の究明に欠かせない資料である。",,,
310000,TP3100000160,鳥取県,三角縁神獣鏡　鳥取県西伯郡会見町普段寺１号墳出土,サンカクブチシンジュウキョウ,,sankakubutishinzyuukyou,重要文化財,国指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1987/6/6,,,,,,,,,普段寺１号墳は全長23ｍの前方後方墳。直径23.5cmのこの鏡は、中国製とされる三角縁神獣鏡で、内区に神仙思想を表現する二神二獣が表現され、その外側の銘帯に21文字の銘文、さらにその外側に唐草文が鋳出されている。同笵の鏡が島根県大成古墳など３ヶ所でみつかっている。三角縁神獣鏡の一基本形で、古墳文化の実態を見る上で欠かせない貴重な資料として学術的価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000170,鳥取県,石製鴟尾,セキセイシビ,,sekiseishibi,重要文化財,国指定の考古資料,,31390,,鳥取県西伯郡伯耆町大殿,鳥取県,西伯郡伯耆町,大殿,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/12/18,,,,,,,,,鴟尾は、古代の瓦葺宮殿・仏殿の屋根の両端に取り付けた飾りであり、この石製鴟尾は、白鳳時代創建と推定される大寺廃寺のものと考えられている。高さ約１ｍ、幅45cmで、鰭が10段に刻まれている。鴟尾は瓦質製のものが一般的で、石製のものは、このほかに群馬県山王廃寺のものが知られるのみである。,,http://www.houki-town.jp/new2/5/3/4/,
310000,TP3100000180,鳥取県,石馬,イシウマ,,ishiuma,重要文化財,国指定の考古資料,,31202,,鳥取県米子市淀江町福岡1016番地天神垣神社,鳥取県,米子市,淀江町福岡,1016番地,天神垣神社,,,,,,,,,,,,,,,1959/12/18,,,,,,,,,体長約150cm、高さ90cm。大山から産出される角閃安山岩の丸彫りによる馬の像である。制作は古墳時代後期と考えられる。前脚は失われているが、後脚は補修された。鞍、手綱など馬具の着装状態が明瞭である上、たてがみ、顔ともに馬の特徴をよくとらえている。また、一部には赤色顔料が残り、当初は彩色されていた可能性がある。近世には、「石馬大明神」として祀られ、現在は天神垣神社境内の収蔵庫に展示されるが、古くは近くの石馬谷古墳（６世紀後半の前方後円墳）そばに立てられていた。石人、石馬は北西九州の古墳から多く出土する。この石馬は、本州では唯一のもので、古墳時代の九州と当地域の交流を考える上で貴重な資料とされる。,,https://www.city.yonago.lg.jp/16703.htm,
310000,TP3100000190,鳥取県,紙本金字法華経巻第二、第四,シホンキンジホケキョウカンダイニ、ダイヨン,,shihonkinzihokekyoukandaini、daiyon,重要文化財,国指定の書跡,,31201,,鳥取県鳥取市立川町,鳥取県,鳥取市,立川町,,,,,,,,,,,,,,,,,1942/6/26,,,,,,,,,大雲院は慶安３年（1650）に鳥取東照宮別当寺院として創建され、藩士、藩民から寄進された寺宝が多い。本品も日野郡の豪農緒形四郎兵衛の寄進と伝わる。巻第四に表紙を残し、紺紙に金泥で蓮華を線描し、見返しに銀切箔・砂子を散らす。巻第二とともに軸頭に円筒金具をかぶせ、一行17字の美しい金字で筆写されている。伏見天皇の消息（正和年間）がある料紙を用いた反古経で、資料的価値も高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000200,鳥取県,木造阿弥陀如来坐像,モクゾウアミダニョライザゾウ,,mokuzouamidanyoraizazou,重要文化財,国指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市桜,鳥取県,倉吉市,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,1922/4/13,,,,,,,,,大日寺は寺伝に承和８年（841）円仁の開基とされる。本像は、像高1.15ｍの漆箔像で、面、耳たぶにかすかに金箔が残る。檜材の寄木造りで、頭部前面と胸部を共木としている。この像が貴重なのは、嘉禄２年（1226）の胎内銘があることで、その作風から、中央の仏師の作と推定されている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4315.htm#03,
310000,TP3100000210,鳥取県,木造持国天立像　木造増長天立像,モクゾウジコクテンリュウゾウモクゾウゾウチョウテンリュウゾウ,,mokuzouzikokutenryuuzou　mokuzouzoutyoutenryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市長谷,鳥取県,倉吉市,長谷,,,,,,,,,,,,,,,,,1923/3/28,,,,,,,,,本寺はもと観音堂といい、周辺字名からかつては広い寺域をもっていたものと推定される。両像とも約106cm。一木造り、彫眼の像で、持国天は口を結び左手を高くかかげ、右手を腰に当て、増長天は口を開いて右手を上げ、左手を腰に取るが、ともに両手先を欠いている。刀法は鋭くて深く、甲の作りもよい。２像とも藤原末期の作と考えられる佳作だが、盗難にあい、現在、所在不明となっている。,,,
310000,TP3100000220,鳥取県,木造薬師如来及び両脇侍坐像,モクゾウヤクシニョライオヨビリョウワキジザゾウ,,mokuzouyakushinyoraioyobiryouwakizizazou,重要文化財,国指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市国府町松尾,鳥取県,鳥取市,国府町松尾,,,,,,,,,,,,,,,,,1912/9/3,,,,,,,,,薬師如来は像高122cm。頭と体部を檜の一木で彫っており、漆箔像で蓮弁裏などに金箔が多く残る。脇侍日光菩薩は像高99cm。漆箔像で本尊とも膝が深いことが特色である。本尊、両脇侍とともに平安時代後期の作だが、地方作のためか古風な趣きのある仏像である。特に、流麗な八重蓮華座を完備した薬師三尊像として著名である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000230,鳥取県,木造吉祥天立像,モクゾウキッショウテンリュウゾウ,,mokuzoukissyoutenryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市国府町松尾,鳥取県,鳥取市,国府町松尾,,,,,,,,,,,,,,,,,1912/9/3,,,,,,,,,像高120cm。桂の一木造りだが、左手首先などは後補による別材。製作は薬師三尊と同じく平安時代後期とされる。面相は豊満、流麗だがやや量感に欠ける。衣文の作りは簡素である。部分的に白土が残ることから、もとは彩色像だったと考えられる。,,,
310000,TP3100000240,鳥取県,木造持国天立像一［胎内に正安三年正月廿五日の銘あり］木造多聞天立像一,モクゾウジコクテンリュウゾウイチモクゾウタモンテンリュウゾウイチ,,mokuzouzikokutenryuuzouiti　mokuzoutamontenryuuzouiti,重要文化財,国指定の彫刻,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町下門尾,鳥取県,八頭郡八頭町,下門尾,,,,,,,,,,,,,,,,,1923/3/28,,,,,,,,,青龍寺は城光寺（古くは淨光寺）ともよばれ、旧寺域は現在地の西北山中とされる。両像とも台座を含め100cm、寄木造りの彩色像である。技法は荒いが、地方作として素朴である。持国天には、正安３年（1301）辛丑正月25日仏師隆円の胎内銘があり、鎌倉時代末の作。多聞天は右手を下げ掌を上にして宝塔（亡失）を捧げる特異な形である。,,,
310000,TP3100000250,鳥取県,木造毘沙門天立像,モクゾウビシャモンテンリュウゾウ,,mokuzoubizyamontenryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町新見,鳥取県,八頭郡智頭町,新見,,,,,,,,,,,,,,,,,1920/8/16,,,,,,,,,本像は、像高66cm、桧材の寄木造り。両肩、両手首を矧ぎつけ、頭部、両足は作りだし、体幹部は頭、体部を通じて前後に矧ぎつけ、内刳をつくっている。髪は垂髪、毛筋はまばら彫り、彫眼で、唐様甲をつける。左腕をまげて宝塔を捧げているが、塔は亡失している。全体としてまとまっており、唐様甲などの刀法も深くあざやかである。平安時代後期の作と推定される。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100000260,鳥取県,木造聖観音立像［観音堂安置］,モクゾウショウカンノンリュウゾウ,,mokuzoushoukannonryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳1010番地三徳山宝物殿,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,1010番地,三徳山宝物殿,,,,,,,,,,,,,,,1920/4/15,,,,,,,,,観音堂の本尊で、像高167cｍ。檜の一木造りで、彩色などを施さない素木造りのようである。左右の手は後補。繊細な表現で平安時代末期の作と推定されている。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000270,鳥取県,木造蔵王権現立像　七躯,モクゾウザオウゴンゲンリュウゾウ,,mokuzouzaougongenryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳1010番地三徳山宝物殿,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,1010番地,三徳山宝物殿,,,,,,,,,,,,,,,1920/4/15,,,,,,,,,桧の一木造りである。もと彩色像で、部分的に白地や赤色の模様が残っている像もある。総じて太づくりで、一般の蔵王権現が動的であるのに対し静的で、地方色の素朴さをもつ。一堂に多くの蔵王権現があるのは珍しく、平安時代末期の作と推定される。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000280,鳥取県,木造蔵王権現立像［奥之院安置］附紙本墨書仁安三年造立願文一巻,モクゾウザオウゴンゲンリュウゾウ,,mokuzouzaougongenryuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳1010番地三徳山宝物殿,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,1010番地,三徳山宝物殿,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,蔵王権現は平安時代、悪魔降伏の神として大いに尊崇された密教の神で、修験道の祖役行者が吉野金峰山で感得したとされることから、三仏寺の投入堂の本尊にふさわしい。像高115cｍ、桧材の寄木造。左手剣印、右手三鈷は失われている。神秘的なうちにも、動勢の誇張がなく、刀法もおだやかで平安時代（藤原文化）の特徴をもつ。日本の蔵王権現の中でも最古に近い優秀な作品である。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000290,鳥取県,木造地蔵菩薩半跏像,モクゾウジゾウボサツハンカゾウ,,mokuzouzizoubosatuhankazou,重要文化財,国指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市関金町関金宿,鳥取県,倉吉市,関金町関金宿,,,,,,,,,,,,,,,,,1979/6/6,,,,,,,,,この地蔵菩薩は「関の地蔵さん」と呼ばれて広く庶民の信仰を集めたもので、像内墨書に、建久３年（1192）、源頼朝の家人佐々木四郎高綱が奉行となり造立したことを伝える。像高344.4cm。寄木造りで材は桧。体部を覆う衲衣の彫りや、胸から腹にかけての筋肉の表現に鎌倉時代の特色がよく示されている。地方に残る中央の作風をもつ地蔵菩薩像としては屈指の大きさである。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4317.htm#00,
310000,TP3100000300,鳥取県,木造千手観音立像、木造十一面観音立像,モクゾウセンジュカンノンリュウゾウ、モクゾウジュウイチメンカンノンリュウゾウ,,mokuzousenzyukannonryuuzou、mokuzouzyuuitimenkannonryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31372,,鳥取県東伯郡北栄町東高尾,鳥取県,東伯郡北栄町,東高尾,,,,,,,,,,,,,,,,,1942/12/22,,,,,,,,,両像とも桧の一木造りで、内刳なく、もとは漆箔像と推定される。地方色の中に中央的な洗練された刀法をもつ仏師の作と考えられ、平安期の特徴をよく示す。千手観音立像は像高190cｍ。細めの長身で衣文も柔らかく、翻波式の名残をとどめる刀法は優秀である。また、この十一面観音立像は当寺に４体ある十一面観音のうち最も保存がよい。像高約160cｍ。面相は円満優美、胸部の肉つきも豊満艶麗である。,,https://www.e-hokuei.net/5303.htm,
310000,TP3100000310,鳥取県,銅造観世音菩薩立像［一躯］,ドウゾウカンゼオンボサツリュウゾウ［イック］,,douzoukanzeonbosaturyuuzou〔ikku〕,重要文化財,国指定の彫刻,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山9番地宝物館霊宝閣,鳥取県,西伯郡大山町,大山,9番地,宝物館霊宝閣,,,,,,,,,,,,,,,1903/4/15,,,,,,,,,像高27.3cm。丸吹きで三面の宝冠を戴き、垂下させた左手に宝珠を持つ。装飾に乏しいが、胸飾りの瓔珞や花文の彫りが美しい。面相は頬ぶくれのした豊満なもので、口がやや大きいなど特徴のある表情である。像全体からすれば頭部がやや大きい。百済金銅像に似ているが、白鳳仏と考えられている。,,,
310000,TP3100000320,鳥取県,木造阿弥陀如来及び両脇侍像,モクゾウアミダニョライオヨビリョウワキジゾウ,,mokuzouamidanyoraioyobiryouwakizizou,重要文化財,国指定の彫刻,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山69番地大山寺阿弥陀堂,鳥取県,西伯郡大山町,大山,69番地,大山寺阿弥陀堂,,,,,,,,,,,,,,,1903/4/15,,,,,,,,,阿弥陀堂の本尊として祀られている丈六の阿弥陀三尊像。中尊阿弥陀如来は像高279cm、膝張215cm。脇侍の観音菩薩は像高270cm、勢至菩薩は像高263cm。いずれの像も桧材を用い、内刳りがしてある。中尊阿弥陀如来の胎内に墨書銘があり、天承元年（1131）３月から６月にかけての仏師良円の作であることがわかる。山陰地方を代表する平安時代後期のいわゆる定朝様式の優れた作品である。,,,
310000,TP3100000330,鳥取県,銅造十一面観音立像,ドウゾウジュウイチメンカンノンリュウゾウ,,douzouzyuuitimenkannonryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山9番地宝物館霊宝閣,鳥取県,西伯郡大山町,大山,9番地,宝物館霊宝閣,,,,,,,,,,,,,,,1903/4/15,,,,,,,,,大山寺には奈良時代前期の金銅仏３体があり、その創建の古さをうかがわせる。本像は像高22.7cm、台座も含めて28.6cmの丸吹き（全体をあわせて一度に鋳造した仏像）である。度重なる火災で損傷が著しく、天衣の下半の文様、両手の形などが明瞭でないが、面相などに素朴な美しさをもつ。,,,
310000,TP3100000340,鳥取県,銅造観世音菩薩立像［二躯］,ドウゾウカンゼオンボサツリュウゾウ［ニク］,,douzoukanzeonbosaturyuuzou〔niku〕,重要文化財,国指定の彫刻,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山9番地宝物館霊宝閣,鳥取県,西伯郡大山町,大山,9番地,宝物館霊宝閣,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,大山寺に伝わる銅造観世音菩薩立像３体のうちの２体。一方は像高32cm、数度の火災で顔面が損傷し、両手を欠損している。その様式等から奈良時代の作と推定される。他方は像高37.1cm、損傷は少なく、精巧で豊かな装飾が施されており、様式等から北宋代の渡来仏とみられている。,,,
310000,TP3100000350,鳥取県,木造不動明王立像,モクゾウフドウミョウオウリュウゾウ,,mokuzoufudoumyououryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31402,,鳥取県日野郡日野町下榎,鳥取県,日野郡日野町,下榎,,,,,,,,,,,,,,,,,1942/12/22,,,,,,,,,本像は、内刳りをもつ桧材の寄木造りで、像高161cｍの彩色像。光背、台座はない。技法では、巻髪が大つぶで派手なこと、花冠の花飾りが美しいことなどの特徴があり、全体として豊満にでき、量感に富んでおり、平安時代後期の作と推定されている。,,,
310000,TP3100000360,鳥取県,木造薬師如来及び両脇侍像,モクゾウヤクシニョライオヨビリョウワキジゾウ,,mokuzouyakushinyoraioyobiryouwakizizou,重要文化財,国指定の彫刻,,31402,,鳥取県日野郡日野町下榎,鳥取県,日野郡日野町,下榎,,,,,,,,,,,,,,,,,1920/4/15,,,,,,,,,長楽寺は、寺伝に平安時代創建とされ、文治年間（1185～90）に配流された長谷部信連が現在地の近くに再興した。本例は、薬師如来（像高130cｍ）の左右に日光菩薩、月光菩薩（ともに像高170cｍ）を配した薬師三尊像で、内刳りのある桧材の寄木造りである。漆箔はほぼ剥離しているが、像自体の保存はよい。三尊とも肉身は豊満、天衣は流麗で、三尊の姿態の調和が美しく、平安時代後期の作と推定される。,,,
310000,TP3100000370,鳥取県,木造毘沙門天立像,モクゾウビシャモンテンリュウゾウ,,mokuzoubisyamontenryuuzou,重要文化財,国指定の彫刻,,31402,,鳥取県日野郡日野町下榎,鳥取県,日野郡日野町,下榎,,,,,,,,,,,,,,,,,1920/4/15,,,,,,,,,本像は、像高135cｍの彩色像で、内刳りされた桧材の寄木造りである。頭に別材で作った兜をかぶり、腹部に獅噛をつけ、甲を着る。左手に宝塔をささげ、全体の重心をやや左にかけ気味に夜叉を踏まえる姿は堂々とした迫力を示す。また、細部の彫刻技法も精巧を極めており、平安時代後期に位置付けられる毘沙門天像の傑作とされる。,,,
310000,TP3100000380,鳥取県,三仏寺奥院［投入堂］,サンブツジオクノイン［ナゲイレドウ］,,sanbutuzi　okunoin〔nageiredou〕,国宝,国指定の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,,,,,,,,,,,,,,,,,1952/3/29,,,,,,,,,慶雲３年（706）、役行者が白雲に乗じてこの峰に来り、神窟を開き、法力を持ってこの堂宇を投げ入れたと伝えられる。山岳仏教の代表的な建造物である。堂の主屋は、桁行２間、梁間１間の切妻桧皮葺きの木造建築。千尋の断崖に臨む岩窟内の懸造と床下の大胆な工法で天下の奇構といわれる。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000390,鳥取県,樗谿神社,オウチダニジンジャ,,outidanizinzya,重要文化財,国指定の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市上町,鳥取県,鳥取市,上町,,,,,,,,,,,,,,,,,1952/7/19,,,,,,,,,鳥取藩主池田光仲が日光東照宮の分霊を勧請し、慶安３年（1650）に完成。大工は日光東照宮を手がけた幕府お抱えの棟梁藤原義久ら。本殿は、桁行３間、梁間２間の入母屋造、檜皮葺きで、周囲に石玉垣をめぐらしている。本殿前には、平唐門の中門を設け、拝殿と幣殿は凸形につながり、入母屋造、柿葺きとなっている、総けやき造。桃山期の手法をよく示し、江戸時代前期の代表的な神社建築として価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000400,鳥取県,仁風閣,ジンプウカク,,zinpuukaku,重要文化財,国指定の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市東町,鳥取県,鳥取市,東町,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/6/2,,,,,,,,,仁風閣は、明治40年（1907）、皇太子の山陰道行啓の宿舎として、旧鳥取藩主池田仲博によって建築された。設計は片山東熊、監督は橋本平蔵である。行啓に随行した東郷平八郎によって仁風閣と命名された。ルネッサンス様式を基調とした均整の取れた風格ある白亜の洋風建築で、全体の意匠が優れている。山陰地方における数少ない明治洋風建築として貴重なものである。昭和49～51年にわたって復原修理された。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000410,鳥取県,福田家住宅,フクタケジュウタク,,fukutake　zyuutaku,重要文化財,国指定の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市紙子谷,鳥取県,鳥取市,紙子谷,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/2/5,,,,,,,,,福田家は、中世の土豪を祖とすると伝わり、江戸時代には代々津ノ井村の庄屋や法美郡の宗旨庄屋を勤めた旧家である。主屋は、16世紀末～17世紀前半に建築されたと推定される県内最古の住宅建築である。現在は改変されているが、建築当初は桁行７間半、梁間４間の三間取り広間型となる。屋根は入母屋造、茅葺き。柱は荒い手斧仕上げの曲り材を用いている。構造に忠実な柱配りや、構架材に比べて柱が太く安定している点に特徴がある。宅地内には、主屋の他にも文政年間に建築された上の蔵、下の蔵、石垣・塀などが良好に残され、主屋と一体となって趣のある屋敷構えを形成しており、江戸時代の上層農家の歴史を伝える遺構として重要である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000420,鳥取県,後藤家住宅,ゴトウケジュウタク,,gotoukezyuutaku,重要文化財,国指定の建造物,,31202,,鳥取県米子市内町,鳥取県,米子市,内町,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/2/5,,,,,,,,,後藤家は廻船問屋を営んでいた商家。旧加茂川に北面して二番蔵、味噌蔵、主屋を土塀でつなぎ、二番蔵の南には一番蔵が並び建つなど、江戸時代の大規模な商家の構えをよく残し、価値が高い。建物の配置は附指定の家相図とも一致する。このうち、主屋は宝暦３年（1753）の建築で、間口12間、奥行９間。６室の見世部分「表構」と、居住部分「勝手構」、公的な「座敷構」に分けられる。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100000430,鳥取県,長谷寺本堂内厨子,ハセデラホンドウナイズシ,,hasedera　hondounai　zushi,重要文化財,国指定の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,,,,,,,,,,,,,,,,,1988/12/19,,,,,,,,,長谷寺は打吹山の中腹にある天台宗の寺。厨子は本尊十一面観世音菩薩を奉り、桁行１間、梁間１間、入母屋造、柿葺きの大型の禅宗様厨子である。扉構えまぐさ材の裏板に天正４年（1576）の墨書を有するが、各部に室町時代後期の様式を示している。屋根葺材など主要部分に当初材を残し、山陰地方における室町時代後期に属する数少ない建築遺構として貴重である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#00,
310000,TP3100000440,鳥取県,矢部家住宅,ヤベケジュウタク,,yabeke　zyuutaku,重要文化財,国指定の建造物,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町用呂,鳥取県,八頭郡八頭町,用呂,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/2/5,,,,,,,,,矢部家は、江戸時代に大庄屋を勤めた旧家。17世紀初期に建てられたものと推定され、古式を残す県下を代表する民家建築である。主屋は桁行11間、梁間５間で、規模も大きく格調高い。また、宅地も江戸時代の大庄屋にふさわしい規模をもち、家相図ともよく一致し、主屋とともに一体的な価値を形成している。全体として、当時の上層農家の住宅を理解する上で貴重である。,,,
310000,TP3100000450,鳥取県,不動院岩屋堂,フドウインイワヤドウ,,fudouin　iwayadou,重要文化財,国指定の建造物,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町岩屋堂,鳥取県,八頭郡若桜町　,屋堂,,,,,,,,,,,,,,,,,1953/11/14,,,,,,,,,地元所有の書上帳では、天正９年（1581）羽柴秀吉の鳥取城攻略の際に兵火をうけ、岩屋堂だけが残ったと伝えられる。八東川の支流吉川川に臨む岩窟内に建てられた懸造りの建物で、柱、舟肘木、正面の花頭窓、須弥壇周りなどの形式から、南北朝時代の建立と推定される。桁行３間、梁間３間で正面入母屋造、背面切妻造、妻入とち葺きである。,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100000460,鳥取県,三仏寺納経堂,サンブツジノウキョウドウ,,sanbutuzi　noukyoudou,重要文化財,国指定の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,,,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,正面１間、側面１間の小さな祠で、もとは鎮守の小社であったものと思われる。春日造、柿板葺きの神社建築で、妻入りと平入りが合致して春日造となった初期を偲ばせる。堂の背面は岩壁に接しており、切妻となっている。鎌倉時代前期の建築と推定されている。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000470,鳥取県,三仏寺地蔵堂,サンブツジジゾウドウ,,sanbutuzi　zizoudou,重要文化財,国指定の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,,,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,本尊は子守延命地蔵菩薩。正面３間、側面４間で、屋根は入母屋造、柿板葺き、背面に軒唐破風をつけている。建物規模は、桁行３間、梁間４間、懸造で、柱の下から軒高14ｍ50cm、棟高16ｍ40cm余、周囲に勾欄のない濡縁がめぐる等、規模構造は文殊堂とほとんど変らない。平安時代の寝殿造を踏襲した手法とも考えられ、室町時代末期の建築と推定される。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000480,鳥取県,三仏寺文殊堂,サンブツジモンジュドウ,,sanbutuzi monzyudou,重要文化財,国指定の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,,,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,文殊菩薩を本尊とし、正面３間、側面４間で、桁行７ｍ90cm、梁間６ｍ21cm、舞台造の柱下から軒高14ｍ50cm、棟高16ｍ40cm余、屋根は入母屋造、柿板葺き。一方を岩角に寄せた舞台造の建築である。寺伝によると地蔵堂とも嘉祥２年（849）慈覚大師の創建と伝えられるが、現在の建築は、内陣須弥壇の扉金具や勾欄宝珠柱の金具にある天正８年（1580）の陰刻から、天正前後のものと推定される。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000490,鳥取県,門脇家住宅主屋,カドワキケジュウタク,,kadowakike　zyutaku,重要文化財,国指定の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町所子,鳥取県,西伯郡大山町,所子,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/2/5,,,,,,,,,門脇家は、江戸時代に大庄屋を勤めた旧家である。主屋は明和６年（1769）の建築で、桁行22.2ｍ、梁間16.5ｍ。伯耆特有の寄棟造で、太い梁を縦横に高く組み上げた構えは、他に類をみない豪壮なものである。客間近くの湯殿、雪隠と茶室は、庭園と調和して大庄屋の風格を偲ばせる。保存もよく、本県の大型民家を代表するものである。また普請の記録は、建築史の考証上大変貴重なもの。,,,
310000,TP3100000500,鳥取県,大神山神社奥宮,オオガミヤマジンジャオクミヤ,,oogamiyamazinzya　okumiya,重要文化財,国指定の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山,鳥取県,西伯郡大山町,大山,,,,,,,,,,,,,,,,,1988/12/19,,,,,,,,,平安時代後期の創建と伝えられるが、その後火災焼失、移転を繰り返し、文化２年（1805）に現在地で復興した。現在の建物は江戸時代後期を代表する神社建築。壮大な権現造で、拝殿と本殿を幣殿で結び、拝殿の左右には長い長廊がとりつく。内部は美しく彩色され、幣殿の格天井には華麗な華鳥人物が描かれている。北側少し下った所に、末社下山神社があり、これも奥宮同様、権現造となっている。,,,
310000,TP3100000510,鳥取県,大山寺阿弥陀堂,ダイセンジアミダドウ,,daisenzi　amidadou,重要文化財,国指定の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山,鳥取県,西伯郡大山町,大山,,,,,,,,,,,,,,,,,1904/2/18,,,,,,,,,寺伝に貞観７年（865）慈覚大師の創建といわれる。現在の建物は16世紀中頃、大洪水の後再建されたものだが、その際古材が使用されており、建築様式に鎌倉時代の様相をとどめている。西面しており、正面５間、側面５間、屋根は宝形造、こけら葺きの建築である。,,,
310000,TP3100000520,鳥取県,斎尾廃寺跡,サイノオハイジアト,,sainoohaiziato,特別史跡,国指定の社寺跡,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町槻下,鳥取県,東伯郡琴浦町,槻下,,,,,,,,,,,,,,,,,1952/3/29,,,,,,,,,中心伽藍のうち西に塔、東に金堂を配する法隆寺式の伽藍配置をとる廃寺跡で、塔、金堂の基壇、講堂の礎石が良好に残っているほか、中門や築地（回廊）と推定される高まりも一部で観察できる。指定地周辺の発掘調査で、東西160ｍ、南北200ｍの区画溝が発見され、寺域もほぼ確定している。遺物には、瓦、瓦製鴟尾、せん仏、塑像などがあり、白鳳時代創建の山陰を代表する寺跡である。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100000530,鳥取県,船上山行宮跡,センジョウザンアングウアト,,senzyouzananguuato,史跡,国指定の宮跡,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町山川,鳥取県,東伯郡琴浦町,山川,,,,,,,,,,,,,,,,,1932/5/3,,,,,,,,,船上山は古期大山の火山活動で誕生した山で、比高差100ｍ以上、延長600ｍに及ぶ溶岩流による断崖絶壁が形成されている。隠岐を脱出した後醍醐天皇を奉じる名和長年と幕府側の合戦の際には、この絶壁が天然の要害となった。船上山は平安時代以来の山岳仏教の聖地で、今も約20の寺坊跡が比較的良好に残るが、元弘３年（1333）閏２月～５月に置かれた天皇の行宮所の特定はできていない。,,,
310000,TP3100000540,鳥取県,伯耆一宮経塚,ホウキイチノミヤキョウヅカ,,houkiitinomiyakyoduka,史跡,国指定の経塚,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,宮内,,,,,,,,,,,,,,,,,1935/12/24,,,,,,,,,東郷池東岸、倭文神社の東南尾根上に位置する。塚は直径16ｍ、高さ約1.6ｍで、大正４年（1915）に塚の中央部から石槨が発見された。石槨は、輝石安山岩の平石で囲み、蓋石で覆った長さ1.2ｍ、幅0.9ｍ、高さ0.5ｍのもので、槨内に荒砂を敷き詰めていた。出土品（国宝）のうち、経筒の銘文から、僧京尊が慈尊の出現に備え、自他共の成仏を祈願して、康和５年（1103）に築いたものであることがわかる。,,,
310000,TP3100000550,鳥取県,布勢古墳,フセコフン,,fusekofun,史跡,国指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市布勢,鳥取県,鳥取市,布勢,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/12/23,,,,,,,,,湖山池東岸の丘陵上に立地する全長約60mの前方後円墳。後円部の直径30m、高さ5m、前方部の幅20m、高さ5mで原形をよく保っている。前方部周辺から埴輪片、土器片（須恵器）が採集されており、6世紀代築造と推定され、周辺の大熊段1号墳等とともに、古墳時代後期における因幡地方の有力首長墓の系列を形成する古墳として重要である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000560,鳥取県,三明寺古墳,サンミョウジコフン,,sanmyouzikofun,史跡,国指定の古墳,,31203,,鳥取県倉吉市巌城,鳥取県,倉吉市,巌城,,,,,,,,,,,,,,,,,1931/11/26,,,,,,,,,向山丘陵の南側中腹に立地する６世紀末ないし７世紀初め頃の古墳。直径18ｍ、高さ６ｍの円墳で、山陰地方最大級の横穴式石室をもつ。石室は切石造りの両袖式で、石室全長8.3ｍ、玄室長3.7ｍ、玄室高3.1ｍを測り、奥壁には巨大な一枚石を立てる。また、玄室の奥壁に接して、板石を組み合わせた石囲いがあり、熊本県等に類例の多い「石屋形」の蓋石の失われたものと考えられている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage9,
310000,TP3100000570,鳥取県,阿弥大寺古墳群,アミダイジコフングン,,amidaizikofungun,史跡,国指定の古墳,,31203,,鳥取県倉吉市下福田,鳥取県,倉吉市,下福田,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/5/11,,,,,,,,,高城山北麓の丘陵先端にある四隅突出型弥生墳丘墓群。１号墳は突出部を含めた一辺約18ｍ、２号墳、３号墳は一辺約８～９ｍで、丘陵斜面に並列している。出土した土器から、３基は弥生時代後期前葉に相次いで築造されたものと考えられる。山陰地方を中心として分布する四隅突出型弥生墳丘墓の中では、古い段階に位置付けられ、当時の墓制を考える上で重要な資料である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#00,
310000,TP3100000580,鳥取県,梶山古墳,カジヤマコフン,,kaziyamakofun,史跡,国指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市国府町岡益,鳥取県,鳥取市,国府町岡益,,,,,,,,,,,,,,,,,1979/4/21,,,,,,,,,切石積の整美な横穴式石室を特徴とする古墳時代後期（7世紀中葉）の古墳。石室は凝灰岩製で、玄室、玄関、前室、羨道からなり、全長約9.2m、前失の天井は玄室、羨道より一段高い、千代川右岸に特徴的な「中高式」。石室の奥壁に魚、同心円文、三角文等の赤黄色の彩色壁画が描いてある。発掘調査で、変形八角形墳で、前庭に石垣状の段をもつことが判明した。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000590,鳥取県,橋津古墳群,ハシヅコフングン,,hashidukofungun,史跡,国指定の古墳,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町橋津,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,橋津,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/6/3,,,,,,,,,日本海と東郷湖の間の丘陵上に、５基の前方後円墳と19基の円墳が築造されており、馬ノ山古墳群とも呼ばれる。５基の前方後円墳のうち最大のものは古墳時代前期（４世紀中頃）に築かれた４号墳で、全長約100ｍ、竪穴式石槨、円筒埴輪棺等の埋葬施設をもつ。竪穴式石槨からは三角縁神獣鏡、車輪石、石釧等副葬品が多数出土し、２号墳とともに、東伯耆最初期の前方後円墳と考えられている。,,,
310000,TP3100000600,鳥取県,北山古墳,キタヤマコフン,,kitayamakofun,史跡,国指定の古墳,,31370,,"鳥取県東伯郡湯梨浜町野花,長和田",鳥取県,東伯郡湯梨浜町,,,,,,,,,,,,,,,,,,1980/6/3,,,,,,,,,東郷湖の南岸に延びる北山丘陵の先端近くに立地。全長110m、後円部径70mで、山陰地方最大の前方後円墳。発掘調査で、後円部に竪穴式石槨(推定）と箱式石棺が確認され、石棺からは、人骨のほか龍虎鏡、刀、玉類等の副葬品が多数出土した。また、墳丘からは古墳時代中期前葉の各種埴輪片が多数採取されている。前期に橋津古墳群に始まった東伯耆の大型古墳の系列は、北山古墳で途絶える。,,,
310000,TP3100000610,鳥取県,向山古墳群,ムコウヤマコフングン,,mukouyamakofun,史跡,国指定の古墳,,31202,,鳥取県米子市淀江町福岡,鳥取県,米子市,淀江町福岡,,,,,,,,,,,,,,,,,1932/7/23,,,,,,,,,向山古墳群は、淀江平野南東端の独立丘陵を中心に築造された14基の古墳群で、５世紀後葉～６世紀後葉に順次築造された。中でも向山３号墳、同４号墳、石馬谷古墳、岩屋古墳は、それぞれの時期における西伯耆の代表的前方後円墳で、当地域の首長墓の系譜を辿ることができる。また、石馬谷古墳出土と伝える石馬（国重要文化財）から北部九州と、岩屋古墳の石室構造（石棺式）から出雲地方との交流を窺うことができる。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100000620,鳥取県,因幡国庁跡,イナバコクチョウアト,,inabakokutyouato,史跡,国指定の国庁跡,,31201,,鳥取県鳥取市国府町中郷,鳥取県,鳥取市,国府町中郷,,,,,,,,,,,,,,,,,1978/7/21,,,,,,,,,"因幡国庁跡は袋川中流域にひらけた国府平野中に立地する。発掘調査により5間×4間の両面庇付掘立柱建物や5間×2間の切妻型掘立柱建物等の遺構が発見された。中心的な遺構の年代は、出土した仁和2年（886）の墨書のある題簽,木簡などから、平安時代以降のものと考えられる。この他、石帯、硯、墨書土器等の遺物も出土している。史跡指定後、中心部分の公有地化、環境整備事業が行われた。",,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000630,鳥取県,伯耆国府跡　国庁跡・法華寺畑遺跡・不入岡遺跡,ホウキコクフアトコクチョウアト・ホッケジバタイセキ・フニオカイセキ,,houkikokutyouato houkikokutyouato・hokkebataiseki・funiokaiseki,史跡,国指定の国庁跡他,,31203,,鳥取県倉吉市国府,鳥取県,倉吉市,国府,,,,,,,,,,,,,,,,,1985/5/14,,,,,,,,,倉吉市西郊の丘陵上に立地し、伯耆国分寺が近接する。発掘調査で、溝により区画された外郭と、外郭域の中央部に位置する内郭（国衙政庁域）が確認された。内郭には正殿、後殿、脇殿等の建物をコの字形に配するが、８世紀後半～10世紀に４期の変遷が認められる。一方、法華寺畑遺跡では、溝で区画された中央に並列する３棟の東西建物等を確認し、国庁に付属する役所か国分尼寺か議論がある。また、不入岡遺跡は官衙から倉庫群へ転換したものとみられ、伯耆の国直轄の税の集積施設と考えられている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#00,
310000,TP3100000640,鳥取県,大原廃寺塔跡,オオハラハイジトウアト,,ooharahaizidouato,史跡,国指定の社寺跡,,31203,,鳥取県倉吉市大原,鳥取県,倉吉市,大原,,,,,,,,,,,,,,,,,1935/12/24,,,,,,,,,竹田川右岸の丘陵上にある白鳳時代創建の寺院跡。出土した瓦から８世紀後半まで営まれたものと推定される。大正９年（1934）、開墾中に塔心礎が発見された。塔心礎は、長径2.9ｍ、短径2.8ｍで、中央に直径65cmの孔があり、山陰最大級。近年の発掘調査で、塔基壇の一部（石列）が確認され、塔基壇は一辺約10ｍと考えられる。創建時の軒丸瓦と軒平瓦の文様は、奈良県川原寺の系統を引くもの。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4284.htm#00,
310000,TP3100000650,鳥取県,伯耆国分寺跡,ホウキコクブンジアト,,houkikokubunziato,史跡,国指定の社寺跡,,31203,,"鳥取県倉吉市国府,国分寺",鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/3/12,,,,,,,,,国府川左岸の丘陵上に立地する奈良時代創建の伯耆国の国分僧寺跡。寺域は東西約182m、南北約160mで、溝と土塁（南側は溝と築地塀）で画される。南門、金堂、講堂の伽藍中軸線があり、塔は東南隅に位置する。天暦2年(948)焼失。出土遺物は、多量の瓦のほか、風鐸、杖頭などで、創建時の軒丸・軒平瓦は伯耆国分寺特有の文様をもつほか、塔跡付近出土の風鐸はほぼ完形の稀な例である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#01,
310000,TP3100000660,鳥取県,栃本廃寺跡,トチモトハイジアト,,totimotohaiziato,史跡,国指定の社寺跡,,31201,,鳥取県鳥取市国府町栃本,鳥取県,鳥取市,国府町栃本,,,,,,,,,,,,,,,,,1935/12/24,,,,,,,,,袋川の支流大石川の右岸段丘上に立地する白鳳時代に創建された古代寺院。柱孔、舎利孔をもつ塔心礎2基が約27.4m離れてあり、2塔を造立する古代寺院は山陰地方では珍しい。発掘調査により南塔・金堂が南北に並び、その北に講堂がややずれて配され、さらに金堂の東側にも東塔を配するという全国でも例のない伽藍配置が明らかになった。山間部の多雪地域であるためか堂塔は瓦を使用しない礎石建物であったと推測される。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000670,鳥取県,岩井廃寺塔跡,イワイハイジトウアト,,iwaihaizitouato,史跡,国指定の社寺跡,,31302,,鳥取県岩美郡岩美町岩井,鳥取県,岩美郡岩美町,岩井,,,,,,,,,,,,,,,,,1931/11/26,,,,,,,,,蒲生川右岸の山裾に立地する白鳳期創建の廃寺塔跡。岩井小学校の玄関前に凝灰岩製の心礎が残っており、地元では「鬼の腕」と呼ばれている。心礎は、長径3.64ｍ、上面に一辺1.4ｍの正方形の柱座が造りだされ、その中央に直径77.5cmの柱孔がある。さらに、柱孔の底には直径20cmの舎利孔が穿たれている。平安時代に当寺から遷座したとされる木造薬師如来立像（国重要文化財）が、岐阜県延算寺にある。,,,
310000,TP3100000680,鳥取県,土師百井廃寺跡,ハジモモイハイジアト,,hazimomoihaiziato,史跡,国指定の社寺跡,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町土師百井,鳥取県,八頭郡八頭町,土師百井,,,,,,,,,,,,,,,,,1931/11/26,,,,,,,,,霊石山から南東に延びる丘陵上に立地する。以前から一辺16ｍの塔基壇が知られていたが、昭和53、54年の発掘調査で、金堂、講堂、回廊、中門等の中心伽藍が確認され、白鳳期創建の寺院跡であることが判明した。東に塔、西に金堂を配する法起寺式の伽藍配置をとる。特に、塔跡は心礎のほか礎石16個が原位置を保つなど、地方における白鳳期の寺院様式をみる上で重要とされる。,,,
310000,TP3100000690,鳥取県,福市遺跡,フクイチイセキ,,fukuitiiseki,史跡,国指定の住居跡,,31202,,鳥取県米子市福市,鳥取県,米子市,福市,,,,,,,,,,,,,,,,,1970/10/17,,,,,,,,,米子市南郊の丘陵地帯にある古墳時代の集落跡と墳墓群。宅地造成等が計画されたことから熱心な遺跡保存運動が行われ、一部が国指定史跡として保存された。史跡指定地内では、発掘調査によって竪穴住居跡90棟、土擴墓26基等の遺構を確認した。現在は、遺構は埋めもどされて史跡公園となり、市民の憩いの場となっているほか、多数の出土品は、福市考古資料館に保管展示されている。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100000700,鳥取県,青木遺跡,アオキイセキ,,aokiiseki,史跡,国指定の住居跡・古墳,,31202,,"鳥取県米子市青木,永江",鳥取県,米子市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1978/3/22,,,,,,,,,日野川左岸の長者原台地に営まれた弥生時代中期～奈良時代の集落跡を中心とする複合遺跡。発掘調査で竪穴住居跡約130棟、掘立柱建物跡約240棟のほか、古墳、方形周溝墓、縄文時代の落し穴などの遺構が多数発見された。特に集落跡は、隣接の福市遺跡とともに山陰地方を代表するもので、出土した土器は西伯耆の土器編年の指標となっている。一部が公有化され史跡公園として整備されている。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100000710,鳥取県,鳥取城跡附太閤ヶ平,トットリジョウアトツケタリタイコウガナル,,tottorizyouatotuketaritaikouganaru,史跡,国指定の城跡,,31201,,"鳥取県鳥取市東町,栗谷町,百谷,円護寺",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/12/18,,,,,,,,,鳥取城は、久松山を利用した典型的な山城で、１６世紀中頃の築城と伝えられる。頂上の山上の丸を本丸とし、山麓に山下の丸を設けた古い山城の形式を近世大名の居城として江戸時代を通じて維持しており、日本の城郭史上注目すべき遺構である。太閤ヶ平は、久松山の北東にあり、本陣山とも呼ばれる。羽柴秀吉が鳥取城を攻めたときに、ここに本陣を置いたためで、土塁や空堀がほぼ完存する。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000720,鳥取県,鳥取藩主池田家墓所,トットリハンシュイケダケボショ,,tottorihansyuikedakebosho,史跡,国指定の墳墓,,31201,,"鳥取県鳥取市国府町奥谷,宮下",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/10/13,,,,,,,,,鳥取藩主池田家の初代光仲から11代慶栄に至る歴代藩主と妻子らの墓所。大小各種75基の墓と多数の石灯篭が整然と配されている。藩主の墓は、凝灰岩の玉垣を巡らした中に3段の台石を置き、さらに、亀趺と呼ぶ亀形の台石に円頭偏平な墓碑をのせた壮大なもの。台石、墓碑とも御影石で、墓碑には原則として号のみを刻む。近世大名家の葬制及び墓制の階層制を知ることができる貴重な遺跡である。,,https://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=82398,
310000,TP3100000730,鳥取県,伊福吉部徳足比売墓跡,イフキベトコタリヒメハカアト,,ifukibetokotarihimehakaato,史跡,国指定の墳墓,,31201,,鳥取県鳥取市国府町宮下,鳥取県,鳥取市,国府町宮下,,,,,,,,,,,,,,,,,1924/12/9,,,,,,,,,岩常山から国府平野に延びる標高約100ｍの尾根上に立地する。墓は、２枚の凝灰岩製切石（円孔のある方が蓋石）と、その中に納められていた青銅製の骨蔵器からなる。安永３年（1774）に発見され、骨蔵器は東京国立博物館に収蔵、重要文化財となっている。骨蔵器の蓋に徳足比売が文武天皇に仕え、和銅３年（710）に火葬された旨の墓誌銘が陰刻されており、８世紀代の墓制を考える上で重要である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000740,鳥取県,小鹿渓,オジカケイ,,ozikakei,名勝,国指定の渓谷・渓流,,31364,,"鳥取県東伯郡三朝町神倉,中津",鳥取県,東伯郡三朝町,,,,,,,,,,,,,,,,,,1937/12/8,,,,,,,,,標高360ｍの丹戸付近から標高540ｍの中津ダム付近まで延長約３kmの渓谷。滝や渕、巨岩等の奇勝21景中、「男渕」、「女渕」等は好景勝地。形成は、氷期の海退に伴う浸食力の復活で、黒雲母花崗岩や岩脈の閃緑岩等が選択的浸食をうけた結果で、地学的に貴重。また植層では、夏季でも冷気塊が滞留するほか深雪地のため、特に低温帯渓谷林が発達し、三徳山自然林とも連続して、オオサンショウウオの生息と共に学術的にも貴重である。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000750,鳥取県,観音院庭園,カンノンインテイエン,,kannoninteien,名勝,国指定の庭園,,31201,,鳥取県鳥取市上町,鳥取県,鳥取市,上町,,,,,,,,,,,,,,,,,1937/12/21,,,,,,,,,観音院はもと市内栗谷にあったが、藩主池田光仲の備前岡山からの転封に際し、元禄の末年にこの地に移った。庭園はそのころ築造されたと考えられている。書院の東から西へ下降する自然の傾斜地を築山として利用した池泉観賞式で、庭の半分を池に、半分を大きく築山とし、池中に楕円形の低い中ノ島を浮かべた庭園である。地元自生の植物を上手に利用しており、京都風庭園の地方化したものの適例とされている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000760,鳥取県,尾崎氏庭園,オサキシテイエン,,osakishiteien,名勝,国指定の庭園,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町宇野,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,宇野,,,,,,,,,,,,,,,,,1937/12/21,,,,,,,,,尾崎氏はこの地方の旧家。作庭に関する史料はないが、手法から江戸時代中期末葉の作庭と推定される。小池泉観賞式の庭園で、向かって左手の入り込みに枯滝石組として三尊形式配石を用い、江戸中期の特徴をしめす。また、右手前角に自然石の手水鉢を配し、これを景観の主体としている。植栽は、クロマツやソテツの古木が顕著で、サツキ、モッコク等30種類近くあり、茅葺き主屋の書院と調和して美しい景観を形成している。この庭園を保護するために、住宅敷地の全体と、庭園の南及び東を限る築地塀越しに眺望可能な山の範囲が併せて追加指定され、一体とした保護が図られている。,,,
310000,TP3100000770,鳥取県,三徳山,ミトクサン,,mitokusan,"名勝,史跡",国指定の山岳仏教遺跡,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,,,,,,,,,,,,,,,,,1934/7/7,,,,,,,,,三徳山は、標高約900ｍで、上部は安山岩溶岩、下部は凝灰角礫岩からなる。後者では、選択浸食の結果、洞窟や奇岩、絶壁、滝などの奇勝を形成。山麓から山頂部まで連続する大自然林は、イヌワシやブッポウソウの生息と相まって、名勝地を構成。一方、投入堂を中心に、峻険な尾根に納経堂、地蔵堂、文殊堂等が並び、山麓に三仏寺本堂等が建つ。以上は、収蔵の仏像群とともに、平安時代以来栄えた修験道の史跡として貴重である。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100000780,鳥取県,浦富海岸,ウラドメカイガン,,uradomekaigan,"名勝,天然記念物",国指定の海浜・海食,,31302,,"鳥取県岩美郡岩美町浦富,牧谷,田後,網代,大羽尾,小羽尾,陸上",鳥取県,岩美郡岩美町,,,,,,,,,,,,,,,,,,1928/3/27,,,,,,,,,東は県境から西は網代に至る海岸の総称で、山陰海岸国立公園の一部。リアス式沈水海岸で、海食地形と砂浜海岸が交互し、変化に富んだ海岸美を形成。主に花崗岩からなるが、東部の羽尾や陸上の岬の凝灰角礫岩層は、断層により花崗岩と接する。西部では花崗岩の節理や断層にそって海食が進み、波食窪、洞窟、洞門、離島群等の典型的な海食地形が発達し、優れた景勝を展開しており、学術的にも貴重である。,,,
310000,TP3100000790,鳥取県,大山のダイセンキャラボク純林,ダイセンノダイセンキャラボクジュンリン,,daisennodaisenkyarabokuzyunrin,特別天然記念物,国指定の植物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山（大山山頂付近）,鳥取県,西伯郡大山町,大山（大山山頂付近）,,,,,,,,,,,,,,,,,1952/3/29,,,,,,,,,大山の９合目から頂上の間にある北西側の約８haの緩斜面に、約3.5haの大群落が自生する。キャラボクの群落としては日本最大で、学術的に貴重なものである。キャラボクは、イチイ科の１～２ｍ位の低木で、幹は斜面に沿って地面を這い、枝張りは10ｍ以上に及ぶ扇状を呈する。樹齢は400～500年になるものもあると推定される。周辺斜面の自然崩落に伴う群落の保護が課題となっている。,,,
310000,TP3100000800,鳥取県,オオサンショウウオ,オオサンショウウオ,,oosanshouuo,特別天然記念物,国指定の動物,,,,地域を定めず,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,1952/3/29,,,,,,,,,岐阜県以西の西日本に分布する世界最大級の両生類。終生を水中で過ごし、主にサワガニ、カエル、魚などの他、時にはヘビなども食べる。繁殖期（夏）には、ふだんの生息場所より上流に移動し、そこに産卵巣をつくる。体長60cm内外のものが多いが、ときに１ｍを超えるものもある。寿命は長く、100年以上に及ぶものもいる。県内では日野川、天神川水系を中心に広く生息しており、生息環境を保全していくことが大切である。,,,
310000,TP3100000810,鳥取県,倉田八幡宮社叢,クラタハチマングウシャソウ,,kuratahatimanguusyasou,天然記念物,国指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市馬場,鳥取県,鳥取市,馬場,,,,,,,,,,,,,,,,,1934/5/1,,,,,,,,,千代川右岸、鳥取平野の中ほどに位置するタブノキを中心とする約1haの照葉樹林。タブノキが7～8割を占めるが、他にエノキ、ムクノキ、スダジイ等の巨木も多い。特に、社殿東方のイチョウの大木は、6個体が融合して胸高直径は3.5mに達し、根元周囲約10mもある。山陰地方平野部の低湿地を代表する自然林を残す森として学術的に貴重である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000820,鳥取県,大野見宿禰命神社社叢,オオノミノスクネノミコトジンジャシャソウ,,oonominosukunenomikotozinzyasyasou,天然記念物,国指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市徳尾,鳥取県,鳥取市,徳尾,,,,,,,,,,,,,,,,,1934/8/9,,,,,,,,,大野見宿禰命神社は千代川左岸の独立丘陵上に立地する。社叢は「徳尾の森」とも呼ばれ、スダジイ、モチノキ、タブノキ等からなる。このうち、モチノキが全体の3分の2を占め、比較的大きなものだけでも500本に達する。モチノキが多い社叢はあまり例がない上、鳥取平野に残された典型的な照葉樹林として学術的な価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000830,鳥取県,白兎神社樹叢,ハクトジンジャジュソウ,,hakutozinzyazyusou,天然記念物,国指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市白兎,鳥取県,鳥取市,白兎,,,,,,,,,,,,,,,,,1937/12/8,,,,,,,,,「因幡の白兎」の伝説で有名な白兎海岸沿いの小丘上にある。海風の直接の影響を受ける北側斜面にクロマツ林、その他の高地にクロキのかなり混じるスダジイ・モチノキ林、不増不滅の池周辺の低地にタブノキ林などの暖地性樹木が群生しており、日本海海岸部の植物分布を示す点で貴重である。また、スダジイやモチノキには幼樹や稚樹も多く見られ、自然の状態がよく保全されていることがうかがわれる。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000840,鳥取県,松上神社のサカキ樹林,マツガミジンジャノサカキジュリン,,matugamizinzyanosakakizyurin,天然記念物,国指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市松上,鳥取県,鳥取市,松上,,,,,,,,,,,,,,,,,1944/3/7,,,,,,,,,松上集落の南側の尾根にある神社社叢の一部。社叢の周辺や尾根筋にスダジイ・モチノキ林、谷部にウラジロガシ・サカキ林が分布している。サカキが多いことを特徴とするが、社叢全体としても自然性が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000850,鳥取県,波波伎神社社叢,ハハキジンジャシャソウ,,hahakizinzyasyasou,天然記念物,国指定の植物,,31203,,鳥取県倉吉市福庭,鳥取県,倉吉市,福庭,,,,,,,,,,,,,,,,,1934/5/1,,,,,,,,,天神川左岸の丘陵上に位置する。高木ではスダジイが8割以上を占め、胸高直径1.5m、高さ20m以上に及ぶものが密生している。タブノキ、クロキも混生する常緑広葉樹林で、スダジイ、タブノキには幼樹、稚樹も多くみられ、よく保全された極盛相を呈している。境内には県指定の福庭古墳がある。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4284.htm#01,
310000,TP3100000860,鳥取県,唐川のカキツバタ群落,カラカワノカキツバタグンラク,,karakawanokakitubatagunraku,天然記念物,国指定の植物,,31302,,鳥取県岩美郡岩美町唐川,鳥取県,岩美郡岩美町,唐川,,,,,,,,,,,,,,,,,1944/3/7,,,,,,,,,稲葉山（宇倍野山）の東側に連なる高原の中の標高約380mに位置するおよそ1haの湿原には、野生のカキツバタを中心にしてさまざまな湿原植生が発達しており、地元唐川の人々によく保護されてきた。初春のサワオグルマの黄色、初夏のカキツバタ、秋のサワギキョウの紫色と、四季に移り変わる景観は美しい。また、湿原にはモウセンゴケなどの食虫植物や多様な湿原植物も多く、学術的にも貴重である。,,,
310000,TP3100000870,鳥取県,伯耆の大シイ,ホウキノオオシイ,,houkinoooshii,天然記念物,国指定の植物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町宮場,鳥取県,東伯郡琴浦町,宮場,,,,,,,,,,,,,,,,,1937/4/17,,,,,,,,,春日神社境内の高台から斜面にかかる位置に繁茂しており、樹高約15ｍ、目通り約9.7ｍ、胸高直径約３ｍ、枝張りは東西27.5ｍ、南北21.6ｍで、枝張りの総面積は約660平方メートルにもなる。スダジイは主に暖地の常緑高木で、県内でも寺社の樹叢を構成する主要木となっている。このため、老木が多いが、この大シイは樹勢もよい。巨樹として全国でも代表的なもので、「日本の巨樹名木百選」にも選ばれている。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100000880,鳥取県,船通山のイチイ,センツウザンノイチイ,,sentuuzannoitii,天然記念物,国指定の植物,,31401,,鳥取県日野郡日南町上萩山（船通山）,鳥取県,日野郡日南町,上萩山（船通山）,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/7/27,,,,,,,,,"船通山は島根県との県境に位置する標高1,142.5mの山で、イチイは鳥取県側の9合目（1,000m付近）の斜面にある。幹の径は約4.3m、斜面をはって伸びる枝は20m以上ある。積雪と強風のためか、扇状に地表を覆って繁茂している。イチイは、柔らかい針葉をもち、常緑・雌雄異株で、本例は雌木。近くに雄木もある。老樹巨木として有数であり、学術上価値が高い。",,https://www.town.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuka/bunkazai/380.html,
310000,TP3100000890,鳥取県,鳥取砂丘,トットリサキュウ,,tottorisakyuu,天然記念物,国指定の地質・植物,,31201,,"鳥取県鳥取市浜坂,福部町湯山",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1955/2/3,,,,,,,,,鳥取市の北方に発達した東西16km、南北２kmの海岸砂丘の一部で、大きな起伏と「スリバチ」と呼ばれる凹地地形など全国の海岸砂丘に例のない雄大な景観を見せる。また、風の吹いた直後、砂丘の表面には、さざなみ状の模様「風紋」が現れる。飛砂や堆砂等の変化に適応して生育するコウボウムギ、ハマゴウなどの砂丘植物の群落もみられるが、近年、外来植物の侵入による砂丘の草原化が問題となっている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000900,鳥取県,キマダラルリツバメチョウ生息地,キマダラルリツバメチョウセイソクチ,,kimadararuritubametyouseisokuti,天然記念物,国指定の動物,,31201,,"鳥取県鳥取市東町長田神社,栗谷町,興禅寺,上町,樗谿公園",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1934/5/1,,,,,,,,,シジミチョウ科の小型の蝶。県内では、明治30年代に鳥取市久松山麓の樗谿で採集、発見された。キマダラは羽の裏の模様、ルリは羽の表の色を指し、ツバメは尾状の突起が２本あるため、この名がある。日本（本州）、朝鮮半島南部に生息し、６月下旬～７月に見られる。幼虫の時期、ハリブトシリアゲアリから餌をもらいながら過ごすことを特徴とする。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100000910,鳥取県,柴犬,シバイヌ,,shibainu,天然記念物,国指定の動物,,,,地域を定めず,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,1936/12/16,,,,,,,,,　日本に広く飼育されている小型日本犬。体高35～41cm、赤色硬毛で、古くから兎、鳥などの狩猟犬として、また番犬として利用されてきた。長野、山梨、岐阜、福井の諸県から山陰の山地帯に多い。　主産地の名をとり、信州柴犬、美濃柴犬、山陰柴犬などと呼ばれる。　鳥取県内でも、山陰柴犬育成会などにより保護されており、年に２回ほど鑑賞会等が開催されている。 ,,,
310000,TP3100000920,鳥取県,イヌワシ,イヌワシ,,inuwashi,天然記念物,国指定の動物,,,,地域を定めず,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,1965/5/12,,,,,,,,,日本国内に生息する陸鳥中、最大最強の猛禽である。頭部と後頚の羽毛は黄赤色で、柳の葉に似た形をしている。顔は褐色、背面は紫の光沢のある濃褐色で、羽の縁は淡い。翼と尾は黒褐色で尾羽には２、３個の灰色帯がある。腹面は黒褐色で、腿は赤みを帯びる。広い範囲の餌場が必要なため、県内では鳥取市佐治町、若桜町、大山などにわずかな数の生息が確認されているのみである。（写真は、生後75日頃の幼鳥）,,,
310000,TP3100000930,鳥取県,マガン,マガン,,magan,天然記念物,国指定の動物,,,,地域を定めず,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,1971/6/28,,,,,,,,,マガンは北極圏で繁殖し、冬季には温帯南部に渡って越冬する渡り鳥。かつて日本各地に数多く渡来していたが、狩猟と生息地の減少により、個体数が急減した。県内の湖沼にもごく少数が飛来していたが、最近は、米子市彦名での越冬個体が大幅に増加した。つがいまたは家族群が単位で行動し、外敵に対する警戒心が強いことで知られる。「カハハン、カハハン」という鳴き声を聞いたり、雁行で飛ぶ姿を見る機会も復活してきた。,,,
310000,TP3100000940,鳥取県,ヒシクイ,ヒシクイ,,hishikui,天然記念物,国指定の動物,,,,地域を定めず,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,1971/6/28,,,,,,,,,ユーラシア大陸北部及びグリーンランドで繁殖し、冬季はヨーロッパ中・南部や東アジアに渡る。東アジアでは日本列島、朝鮮半島、中国大陸東南部で越冬する。かつては、日本には数多く渡来し、各地で越冬していたが、狩猟と生息地の減少のため個体数が激減した。県内では、米子市彦名干拓地や気高町水尻池周辺で観察される。ヒシクイの名は、ヒシの実をよく食べることから付けられたという。,,,
310000,TP3100000950,鳥取県,ヤマネ,ヤマネ,,yamane,天然記念物,国指定の動物,,,,地域を定めず,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,1975/6/26,,,,,,,,,日本固有種で、体長８cm前後の樹上生活性の小獣である。一見リスに似ているがリスよりもはるかに小さく、四肢が短い。大きさではハツカネズミに近い。体毛は非常になめらかで、背面は淡い褐色であるが、頭頂から尾の基部にかけてあざやかな太い黒縦帯が通る。腹面は淡いねずみ色である。おもに森林に棲み、冬季には冬眠する。夜行性で昼間は樹の洞穴などで眠る。県内では大山町、若桜町、八頭町などで確認されている。,,,
310000,TP3100000960,鳥取県,オジロワシ,オジロワシ,,ozirowashi,天然記念物,国指定の動物,,,,地域を定めず,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,1970/1/23,,,,,,,,,ユーラシア大陸の北部に広く分布し、極北部のものは南下して越冬する。日本では、北海道で少数が繁殖する。樹上に営巣し、３～4月に産卵する。冬に日本列島の各地で見られ、まれに九州、沖縄に南下することもある。全長80～95cm、翼開長180～230cm。体は褐色、尾は白色で短いくさび形。海岸や大きな湖沼の近くに棲み、魚やカモなどの鳥を捕食する。県内では、米子水鳥公園の他、水尻池、湖山池、千代川などで冬季に見られる。,,,
310000,TP3100000970,鳥取県,倉吉の鋳物師［斎江家］用具及び製品,クラヨシノイモジ［サイゴウケ］ヨウグオヨビセイヒン,,kurayoshi no imozi〔saigouke〕yougu oyobi seihin,重要有形民俗文化財,国指定の生産・生業,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1985/4/19,,,,,,,,,"斎江家は、寛永3年（1626）創業と伝えられる山陰きっての鋳物師で、昭和10年代まで伝統的な鋳造法を長く守ってきた。現存するのは、鋳造のための材料調整用具、型づくり用具、鋳込み用具、仕上げ用具、製品、販売関係資料、信仰・儀礼用具、鋳物師職許状、鋳物師座法之掟などの関係文書で、計1,624点を数える。これらの資料は、鋳物製作用具と製品の資料として質・量ともに極めて優れている。",,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4313.htm#00,
310000,TP3100000980,鳥取県,鳥取県谷畑遺跡出土祭祀遺物,トットリケンタニハタイセキシュツドサイシイブツ,,tottorikentanihataisekisyutudosaishiibutu,重要文化財,国指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1996/6/27,,,,,,,,,鳥取県倉吉市の谷畑遺跡から出土した古墳時代後期の集落内祭祀の祭祀遺物である。谷畑遺跡は国府川近辺の丘陵に挟まれた谷地形に立地しており、出土した祭祀遺物は総数４４１点にものぼる。この祭祀遺物は、大きく土製模造品・小形土器類・玉類（石製・土製）に分けられ、この内特徴的なものは「人形」「動物形」「鏡形」「竃形」などで多様な形態が見られる。祭祀関係遺物は、偶然の機会に発見されることが多い中、谷畑遺跡では発掘調査中に出土しており、その量の多さ、種類の多様さ等から資料的価値は高い。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#03,
310000,TP3100000990,鳥取県,上淀廃寺跡,カミヨドハイジアト,,kamiyodohaiziato,史跡,国指定の社寺跡,,31202,,鳥取県米子市淀江町福岡,鳥取県,米子市,淀江町福岡,,,,,,,,,,,,,,,,,1996/3/29,,,,,,,,,７世紀末～１１世紀の寺院跡で、１１世紀頃に火災で焼け落ちたと考えられている。発掘調査の結果、金堂跡・塔跡等が見つかっており、特に金堂跡からは、法隆寺と並ぶ国内最古の仏教壁画が見つかっている。また、金堂の東側に３塔が南北に並ぶ伽藍配置は、他に例を見ない。本尊を安置する建物である金堂は、寺院の中心的な建物で、その規模は、南北１２．４ｍ、東西１４．６ｍである。出土した塑像の破片や壁画の破片等から堂内には、多数の仏像が安置され、壁に仏教壁画が描かれていたことが推測される。塔の基壇の規模は、１０ｍ四方で、瓦積みの外側に石列を巡らし、その規模から三重塔だったと考えられている。また、背後の丘陵上には、寺院を建立したと考えられる大型建物が発見されている。,,https://www.city.yonago.lg.jp/11895.htm,
310000,TP3100001000,鳥取県,妻木晩田遺跡,ムキバンダイセキ,,mukibandaiseki,史跡,国指定の集落跡,,,,"鳥取県米子市淀江町福岡,西伯郡大山町妻木,長田,富岡",鳥取県,"米子市,西伯郡大山町",,,,,,,,,,,,,,,,,,1999/12/22,,,,,,,,,鳥取県西部、西伯郡大山町・米子市淀江町に所在する国史跡妻木晩田遺跡は、弥生時代後半（１～３世紀）に営まれた大規模な集落跡である。ここには約300年間の人々の生活の痕跡が残されており、竪穴住居跡約400棟、高床倉庫などの掘立柱建物跡約500棟の他、当時、村を治めていたと考えられる首長層の墓などが発見されている。また、一度に16haにおよぶ広範囲が発掘されたことで、当時の集落の広がりや、村の構造、さらに自然科学的な分析によって、当時の植生等、周囲の景観をうかがうことも可能になった。妻木晩田遺跡が最盛期を迎える２世紀は、中国の歴史書『魏志倭人伝』が記す倭人の時代である。雄大な日本海に面した丘の上に集落が広がる情景は、『倭人伝』の冒頭に描かれた「倭人は帯方東南の大海の中にあり、山島によりて国邑をなす」という一文を彷彿とさせる。,,https://www.mukibanda.jp/,
310000,TP3100001010,鳥取県,大御堂廃寺跡,オオミドウハイジアト,,oomidouhaiziato,史跡,国指定の社寺跡,,31203,,鳥取県倉吉市駄経寺町,鳥取県,倉吉市,駄経寺町,,,,,,,,,,,,,,,,,2001/1/29,,,,,,,,,小鴨川中流域近辺の倉吉市街地に立地する山陰最大級の寺院跡であり、７世紀中頃の創建と考えられている。出土した墨書土器から寺名は「久米寺」と推定され、伯耆国府の所在する久米郡を代表する寺院であったことがうかがえる。発掘調査の結果、大規模な僧坊跡（建物規模　21.3ｍ×8.8ｍが２棟）、木樋（木製の樋）・溜枡を使った上水道施設を完備していたこと、伽藍配置が「川原寺式」であることが分かっている。また、出土品には多数の墨書土器以外に「銅製獣頭」「佐波理匙」「木製祭祀具」等がある。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage7,
310000,TP3100001020,鳥取県,深田氏庭園,フカダシテイエン,,fukadashiteien,名勝,国指定の庭園,,31202,,鳥取県米子市車尾,鳥取県,米子市,車尾,,,,,,,,,,,,,,,,,2000/12/20,,,,,,,,,旧家深田家の庭園。池泉観賞式の小庭園で、蓬莱庭園の傾向も見られる。西南角に築山を設け、ここに後醍醐天皇を祀る祠がある。築山の前には、三尊手法に枯滝石組を表現し、池泉中に右手から鶴島、亀島の二島を配し、さらにその左手（東北角）に集団石組を設けている。写実的な鶴島・亀島の配置は絶妙で、江戸時代の定型化した庭園様式の中にも独創性が認められる。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100001030,鳥取県,倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区,クラヨシシウツブキタマガワデントウテキケンゾウブツグンホゾンチク,,kurayoshishi　utubukitamagawa　dentoutekikenzoubutugun　hozontiku,重要伝統的建造物群保存地区,国選定の建造物群,,31203,,"鳥取県倉吉市魚町,研屋町,東仲町,西仲町,西町の全域,堺町1丁目,新町1丁目,幸ヶ町2丁目,幸町3丁目の各一部",鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1998/12/25,,,,,,,,,保存地区の町家は、主屋、土蔵、離れ、付属屋、裏門倉等の伝統的建造物で構成されている。その建物構造は、つし二階建もしくは二階建の主屋で、切妻造・平入を基本としており、建築年代は、江戸時代末期が数棟、明治時代中後期が約３割、大正期が約２割、昭和前期が約２割という構成になっている。保存地区中央を流れる玉川沿いには、白壁の土蔵群があり、この他にも近代の倉吉を象徴する建物である土蔵造・二階建の国登録有形文化財「倉吉大店会」もある。江戸時代から明治・大正時代にかけて商工業都市として栄えた倉吉の街並みの歴史的景観をよく伝えている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage10,
310000,TP3100001040,鳥取県,絹本著色群鯉図,ケンポンチャクショクグンリズ,,kenpontyakushokugunrizu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,黒田稲皐（1787～1846）筆。稲皐は名を文祥といい、幼時から画を好み、土方稲嶺について学んだ。家に鷹と鯉を飼って生態を観察写生し、鯉を描いては師を抜きんでたといわれる。本図は、群れ泳ぐ大小の鯉の姿を、墨のグラデーションを駆使して精巧、写実的に描く。一匹一匹を、異なる角度からとらえることで、水中の空間の広がりや浮遊感までもがよく表されている。稲皐の鯉図を代表する作品と評価できる。天保７年（1836年）仲夏（陰暦５月）の作と記す。,,,
310000,TP3100001050,鳥取県,紙本墨画雲竜図,シホンボクガウンリュウズ,,shihonbokugaunryuuzu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,土方稲嶺（1741～1807）筆。初めの名は廣邦、鳥取藩絵師となってから廣輔と改めた。稲嶺を号としたが、はじめ臥虎軒、虎睡軒の号を用いた。生来絵を好み、沈南蘋の画風を慕って江戸を出て、宋紫石の門に入って画技をみがき、門中にその右に出るものはなかった。のち、京都の粟田宮家に仕え、画名大いにあがった。寛政10年（1798）、召されて藩絵師になった。人物、山水、花鳥など、いずれを描いても写実の妙を極めた。,,,
310000,TP3100001060,鳥取県,紙本墨画群鯉游泳図六曲屏風,シホンボクガグンリユウエイズロッキョクビョウブ,,shihonbokuga　gunriyuueizu　rokkyokubyobu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,作者の黒田稲皐（1741～1807）は藩士林家に生まれたが、支封池田家の家臣黒田家を継ぎ、池田仲雅の近習となった。名は、文祥という。はじめ稲葉、のち稲皐と号した。幼少の頃から画を好み、藩絵師土方稲嶺について写生を学んだ。武芸全般に長じ、落款には「弓馬余興」の印を用いたが、仲雅没後は、致仕して画業に専念したという。文政７年（1824）作の本屏風は、広々とした葦辺に群泳する鯉たちを墨と淡彩により表現する。画面下方に水平的に配置された魚群が葦の葉越しに見え隠れする様は池の水面をのぞくように自然である。鯉図という主題は師の土方稲嶺から受け継いだものだが、稲嶺が一匹ないし数匹の鯉を描くことが多かったのに対し、稲皐は鯉一匹の形態はもちろん、それが群れをなしたときの複雑な動きの再現により強い関心を抱いていたといえる。池に鯉を泳がせてその生態を観察写生したというエピソードもうなづける。同じく県保護文化財の絹本著色群鯉図 （県立博物館）とともに稲皐の鯉図を代表する優品である。,,,
310000,TP3100001070,鳥取県,絹本著色猛虎図,ケンポンチャクショクモウコズ,,kenpontyakushokumoukozu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,片山楊谷（1760～1801）筆。名は貞雄、楊谷あるいは洞観、画禅窟などを号した。また、落款に「瓊浦」をよく用いた。長崎の医師洞雄敬の子に生まれ、長じて諸国を巡遊し、17歳の時に鳥取に来た。支封池田冠山に認められ、寛政4年（1792）茶道片山宗把の養子となって、片山姓を称した。画風は新鮮、精緻巧麗で、花鳥人物を得意とし、長崎画派の流れを汲んでいる。一時京都に上り、皇兄妙法院真親王に召され、名声を大いに上げた。,,,
310000,TP3100001080,鳥取県,絹本著色富士見西行図,ケンポンチャクショクフジミサイギョウズ,,kenpontyakushokufujimisaigyouzu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,沖探容筆。名は守素、鳥取藩江戸定詰絵師沖家の6代。文政5年（1822）、父探高の跡を継いだ。のち探沖と改名した。沖家は狩野の名字を許された名門で、父のほか鍛冶橋狩野探信守道にも師事した。狩野派の伝統の上に山水画を描き、宋元院体風の草花図、あるいは日本的情趣豊かな大和絵風の作品も描いた。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001090,鳥取県,紙本淡彩老樹図,シホンタンサイロウジュズ,,shihontansairoujyuzu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市立川町,鳥取県,鳥取市,立川町,,,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,建部僕斎（1769～1838）筆。名は憲、のち嘉といい、僕斎のほか、黙斎、黙処、狄肉、散人などの8つの号を称していた。24歳で家督を継ぎ、自ら経学を修め、詩文を尊び、書は中村元儀の流れに学んで力強い書をかいた。支藩若桜の第5代の主で学者だった池田冠山に厚遇せられた。40歳で退役し、晩年に至るまで詩書画に専念し、風格のある南画をよくした。因伯の文人画は、彼に始まるとも言われている。,,,
310000,TP3100001100,鳥取県,絹本著色東方朔図,ケンポンチャクショクトウホウサクズ,,kenpontyakushokutouhousakuzu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,土方稲嶺筆(1741～1807）筆。初めの名は廣邦、鳥取藩絵師となってから廣輔と改めた。稲嶺を号としたが、はじめ臥虎軒、虎睡軒の号を用いた。生来絵を好み、沈南蘋の画風を慕って江戸を出て、宋紫石の門に入って画技をみがき、門中にその右に出るものはなかった。のち、京都の栗田宮家に仕え、画名が大いにあがった。寛政10年（1798）、召されて藩絵師になった。人物、山水、花鳥など、いずれを描いても写実の妙を極めた。,,,
310000,TP3100001110,鳥取県,絹本著色釈迦十六善神像,ケンポンチャクショクシャカジュウロクゼンシンゾウ,,kenpontyakushokusyakajyuurokuzenshinzou,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1980/12/23,,,,,,,,,釈迦十六善神像は、「大般若経」とその誦持者を守護するとされ、大般若会の時仏前に掲げて「大般若経」の転読を行った。像容は、中央に二重円光を背に結跏趺坐した釈迦如来像を大きく描き、その左右に文殊、普賢の両菩薩立像、前下に女装の菩薩像、護法神など、一番下に玄奬三蔵と深沙大将を配する。技法や像容から鎌倉時代後期の作と推定され、真言宗の古刹大安興寺の繁栄を偲ぶ遺品である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/page/6243.html,
310000,TP3100001120,鳥取県,絹本著色花鳥図,ケンポンチャクショクカチョウズ,,kenpontyakushokukatyouzu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭,,,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,島田元旦（1778～1840）筆。元旦は、初めの名は、季允、のち寛輔といった。香雲軒などの号がある。江戸の画家として高名な谷文晁の実弟で、13歳の時、京都に上り、円山応挙の門に入り、応挙没後は、南蘋の画法を自らきわめて江戸に帰った。寛政11年（1799）には幕府の蝦夷地調査に加わり、「図取り」を行い、その地の風俗、動植物などを写生記録した。その後、鳥取藩江戸留守居役島田図書の養子となった。　本作は、岩根に生える花々と花木、その枝にとまる小禽を精密かつ鮮やかに描き出す。左幅は、海棠やタンポポ、牡丹等を構成して春から夏を、右幅は、梅や菊、水仙等を構成して秋から冬を表す。両幅とも、縦１３４㎝、横７０㎝。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100001130,鳥取県,絹本著色不動明王像,ケンポンチャクショクフドウミョウオウゾウ,,kenpontyakushokufudoumyououzou,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1980/12/23,,,,,,,,,不動明王は、如来の命を受けて行者に仕え、悪を断じて善を修めるとされる仏で、広く庶民の信仰を集めてきた。図様は、猛火を背負い、頭頂に花冠を乗せて弁髪を肩まで垂らし、右手に剣を構えて、海上の巌の上に立つという通形の不動明王を描いている。金泥が使われた極彩色だったと想像されるが、現状では黒く褪色している。鎌倉時代の作と推定される。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100001140,鳥取県,絹本著色両界曼荼羅図,ケンポンチャクショクリョウカイマンダラズ,,kenpontyakushokuryoukaimandarazu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1980/12/23,,,,,,,,,「両界曼荼羅」は、「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」をあわせた呼称で、平安初期に入唐僧により日本に伝えられた。図様は、大日如来が無限の力を示すもの（「金剛界曼荼羅）」と、大日如来が諸仏、諸菩薩の中心であることを示すもの（「胎蔵界曼荼羅」）。いずれも真言密教の教義が図式化された通形のものだが、図様の確かな県下最大の図で、金泥や朱、群青、緑青、白などの色彩もよく残っている。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100001150,鳥取県,山名氏、尼子氏文書附尼子経久肖像画一幅,ヤマナシアマコシモンジョ,,yamanashiamakoshimonzyo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31203,,鳥取県倉吉市和田,鳥取県,倉吉市,和田,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,文書は、応永24年（1417）9月22日付けの寄進状と書下から永禄12年（1569）10月6日付けの尼子勝久在銘の安堵状まで、山名氏や尼子氏が定光寺へ寺領を寄進したり、寺領を安堵した内容の10通の中世文書。本県に関する中世文書は多く散逸しており、本文書は、三朝町曹源寺所蔵文書、米子市瑞泉寺所蔵文書とともに、県内の中世史研究上の貴重な史料である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#05,
310000,TP3100001160,鳥取県,吉川元春祈願状、寄進状,キッカワモトハルキガンジョウキシンジョウ,,kikkawamotoharukiganzyoukishinzyou,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1957/12/25,,,,,,,,,祈願状は、吉川元春が気多郡母木（現在の鳥取市気高町宝木）の宮吉城攻略の勝利に際して、感謝と以後の戦勝を祈念したもので、2月9日の日付がある。天正年間のものと推定される。一方、寄進状は、天正8年（1580）、元春が戦勝の機会に勝宿大明神に社領10石を寄進したことが記されている。,,,
310000,TP3100001170,鳥取県,塩文書,シオモンジョ,,shiomonzyo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1957/12/25,,,,,,,,,慶長13年（1608、推定）4月14日の日付で、鹿野城主亀井茲矩が家臣塩五郎太夫にあてた自筆の書状。茲矩は朱印船貿易に熱心で、慶長年間、明国やシャム等に3回渡航した。この書状では、五郎太夫に対し、造船に際して、三浦按針らの指導を受けることや船材確保の方途、また来春（慶長14年）のルソン渡航に必要な朱印状下付の見込みなどを記しており、朱印船貿易を知る上で貴重な史料である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001180,鳥取県,太刀銘［表］信濃大掾藤原忠国玉纏太刀式の太刀拵,タチメイシナノダイジョウフジハラタダクニ,,tatimeishinanodaizyoufuziharatadakuni,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1975/3/28,,,,,,,,,慶安2年（1649）、因幡東照宮造宮に当たり、鳥取藩主池田光仲が奉納した神剣3振りのうちの1振り。伊勢神宮の宝剣を模した外装がある。藩工信濃大掾忠国の作。刃長82.6cm、反り1.3cm、重量1.2kgの豪壮な太刀姿で、忠国の傑作刀の一つとされる。目釘穴は1個。また、太刀拵は全長121.4cm。柄に三葉葵の金目貫、柄頭から唐鍔元に勾金を環状に掛け、金鈴8個をつける等の装飾が施してある。,,,
310000,TP3100001190,鳥取県,太刀銘［表］信濃大掾藤原忠国第一太刀式の太刀拵,タチメイシナノダイジョウフジハラタダクニ,,tatimeishinanodaizyoufuziharatadakuni,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1975/3/28,,,,,,,,,慶安2年（1649）、因幡東照の宮造宮に当たり、藩主池田光仲が奉納した神剣3振りのうちの1振り。藩工信濃大掾藤原忠国の作で、長さ95.8cm、反り2cm、重量1.6kgの豪壮な太刀姿である。目釘穴1個。鍛は板目がよく詰み、わずかに流れごころの小肌がある。銘文は他の2作と同文。また、刀装は全長136.6cm。柄頭から半環状の勾金具を架け、金鈴6個をつけるなどの装飾を施してある。,,,
310000,TP3100001200,鳥取県,太刀銘［表］信濃大掾藤原忠国錺剣［飾太刀］拵,タチメイシナノダイジョウフジハラタダクニ,,tatimeishinanodaizyoufuziharatadakuni,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1975/3/28,,,,,,,,,慶安2年（1649）、鳥取藩主池田光仲が因幡東照宮造営に当たり、玉纏太刀等とともに奉納した神剣で、藩工信濃大掾藤原忠国の鍛造である。長さ85.3cm、反り2.5cm、重さ1.3kg、目釘穴1個。鍛は板目がよく詰み、わずかに流れごころの小肌がある。銘文は他の2作と同文。柄には三葉葵の金目貫、鞘には漆塗金梨地に麒麟4頭の金蒔絵の装飾が施してある。,,,
310000,TP3100001210,鳥取県,太刀銘［表］伯耆国倉吉住人播磨大掾藤原正綱,タチメイホウキノクニクラヨシジュウニンハリマダイジョウフジハラマサツナ,,tatimeihoukinokunikurayoshizyuuninharimadaizyoufuziharamasatuna,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1975/3/28,,,,,,,,,藩主池田光仲の因幡東照宮造営に当たり、藩工信濃大掾藤原忠国鍛造による神剣3振りの奉納に続き、倉吉の刀工播磨大掾正綱が鍛造して、慶安3年（1650）に奉納された。刃長105.3cm、反り1.6cm、重量2.3kg、目釘穴1個。全長140cmを超える豪壮な太刀姿で、刃文の流麗さは古作吉岡一文字が偲ばれる。また、地鉄は小鴨鉄山の良鋼をよく鍛錬してあり、江戸時代以降希有の傑作の評がある。,,,
310000,TP3100001220,鳥取県,刀無銘古伯耆物附銀造糸巻太刀拵,カタナムメイコホウキモノギンゾウシマキタチコシラエ,,katanamumeikohoukimonoginzoushimakitatikoshirae,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31202,,鳥取県米子市中町12番地米子市美術館,鳥取県,米子市,中町,12番地,米子市美術館,,,,,,,,,,,,,,,1987/12/25,,,,,,,,,大神山神社に宝物として伝わる太刀一振。無銘であるが、その作風から平安時代末期の伯耆鍛冶の作（古伯耆物）と推定され、制作及び保存状態が優れている。刀長69.9cm、反り2.5cm、鍛は板目肌、刃文は小のたれ小乱れ。拵などから、津和野亀井家が奉納した短刀（重要文化財）と対になるものと思われ、目貫の彫技が酷似している。制作年代は、桃山・江戸初期と推定される。,,https://www.city.yonago.lg.jp/33102.htm,
310000,TP3100001230,鳥取県,三彩稜花刻花文盤,サンサイリョカコッカモンバン,,sansairyokakokkamonban,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31203,,鳥取県倉吉市東町,鳥取県,倉吉市,東町,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,この盤は、もと房総の大守里見氏の宝物だったが、10代里見忠義が慶長19年（1614）に倉吉に左遷され、当地（関金）で死去したため忠義の墓所でもある大岳院に寄贈されたと伝えられている。口径27.5cm、底径18cm、高さ2.6cm、深さ4cmを測る。口縁は平面稜花形を呈し、皿内に彫りの鋭い刻花文が見られる。緑を主体に黄色、褐紫色の釉薬で塗彩されている。明代の作と推定される。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#12,
310000,TP3100001240,鳥取県,梵鐘,ボンショウ,,bonsyou,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,　倉吉市の古刹天台宗長谷寺に伝来する青銅製の梵鐘である。明徳４年（１３９３）に美作国布施庄（現岡山県真庭市）内の長田村住人が牛頭天王社に奉納したむねの銘文がある。京都の祇園社（現八坂神社）が布施庄の荘園領主となり勧請された牛頭天王社は今の長田神社（真庭市蒜山下長田）とされる。　　総高85.1cm、鐘身高64.8cm、笠形高5.7cm、竜頭高14.6cm、口径49.8cm、撞座径9cm。　乳は4段4列64個中27個が剥落している。縦帯にある銘文は備考欄のとおりである。　なお、鳥取市国英神社には、長谷寺から移された県指定保護文化財の梵鐘が伝わる（県立博物館寄託）。これは正安３年（１３０１）に製作された鐘で、銘文を有する。長谷寺から国英神社への移動の経緯は不明だが、一寺院を軸に２点の梵鐘が流出と転入した事実は、梵鐘という什物の性質を考えるうえで興味深い。寺運の隆盛と衰退、社会の混乱や人々の交流等、様々な事情により、梵鐘は移動するものであったと考えられる。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#13,
310000,TP3100001250,鳥取県,和蘭陀写水指,オランダウツシミズサシ,,orandautushimizusashi,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市河原町河原,鳥取県,鳥取市,河原町河原,,,,,,,,,,,,,,,,,1954/9/21,,,,,,,,,江戸時代、たばこの葉を入れて日本に将来したと伝えられるオランダの壷を、茶人が水指として珍重した。この水指は、そのオランダの壷の姿をよく模して造り、色彩を写すにも白化粧の土をかけ、その上に鉄と呉須でたばこの葉の模様を描いている。因久山窯の杉本勘助（1789～1870）の作で、普通の因久山焼が模様がないのに対し、たばこの葉の模様があり、旅枕の形を写しているのが特徴である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001260,鳥取県,梵鐘,ボンショウ,,bonsyou,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1984/2/21,,,,,,,,,　鳥取市河原町の国英神社に伝来した鎌倉時代の梵鐘である。総高74.5cm、竜頭高12.0cm、身高58.2cm、口径44.0cm、4段4列の乳を配し、池の間は4区。このうちの1区に6行の銘が刻まれており、紀年銘をもつ梵鐘として県内最古（1301年鋳造）のもの。銘文に「伯州久米郡　長谷寺鐘以青鳬　参拾三貫文鋳之　正安参季維夏五日　大工氷友末　勧進小比丘智元」とある。ここから、もとは倉吉の長谷寺の梵鐘であり、青鳬（せいふ：銭の異称）３３貫文を要して鋳造されたことが分かる。形姿がよく整い、鋳造技術にも優れている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001270,鳥取県,伝　亀井茲矩将来品,デンカメイコレノリショウライヒン,,denkameikorenorishouraihin,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1957/12/25,,,,,,,,,譲伝寺には、鹿野城主亀井武蔵守茲矩が寄進したとされる織物が3点保存されている。茲矩は、干拓、用水路新設事業などを行い、領内の産業振興を図ったことで知られているが、一方、幕府から朱印状をもらい、慶長年間、3度にわたって東南アジアの国々と貿易を行ったことも有名である。この織物は、朱印船貿易による輸入品、又は文祿の役（1592）の際の捕獲品とみられる。,,,
310000,TP3100001280,鳥取県,宋青磁香炉,ソウセイジコウロ,,souseizikouro,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1954/9/2,,,,,,,,,昭和16年（1941）春、関金温泉街の道路工事で出土した擬宝珠の中に納められていた。出土の状況から、擬宝珠中に法華経を埋納した経塚と推定されている。香炉は、中国宋代に浙江省竜泉窯で焼成されたもので、直径13.5cm、高さ9.0cmを測る。円形で胴下方が次第に細くなっており、3脚をもつ。表面にはやや荒い貫入がみられる。青磁香炉の優品として価値が高い。,,,
310000,TP3100001290,鳥取県,鉄茶釜,テツチャガマ,,tetutyagama,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31202,,鳥取県米子市淀江町中間,鳥取県,米子市,淀江町中間,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/2/6,,,,,,,,,鉄製で、高さ14.2cm、口径16.3cm、胴廻り83.6cm、重さ6.15kg。背が低く、厚手で口径の大きいことが特色とされる。地肌は鯰肌、肩には小丸の「あられ」が5段鋳出されているが、下段のものはやや不揃いである。地紋としては陽鋳で線がきの十弁の菊花文が3ヶ所あり、ほかに2ヶ所に花弁様のものがある。出自は明らかでないが、古い型式の釜と考えられ、色調もよく、工芸的価値が高い。,,https://www.city.yonago.lg.jp/33071.htm,
310000,TP3100001300,鳥取県,梵鐘,ボンショウ,,bonsyou,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山9番地宝物館霊宝閣,鳥取県,西伯郡大山町,大山,9番地,宝物館霊宝閣,,,,,,,,,,,,,,,1985/6/25,,,,,,,,,総高117cm、口径73.2cm、平安時代後期の様相を伝える鎌倉時代の梵鐘として知られる。撞座の位置、厚さの口径に対する比率、龍頭の型式等から鎌倉時代のものと考察されており、県内に所在する梵鐘では、重要文化財の本願寺（鳥取市）の梵鐘に次いで古いものである。また、この鐘には「阿弥陀川河口の海中から発見され、その中に阿弥陀の古像があった」との伝説が伝わっている。,,,
310000,TP3100001310,鳥取県,擬宝珠,ギボシ,,giboshi,県指定保護文化財,県指定の工芸品・考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1954/9/21,,,,,,,,,昭和16年（1941）春、関金温泉街の道路工事の際、丘陵先端部から、両者を合せ口にした状態で出土した。中に青磁香炉（県指定保護文化財）が納めてあったことから、経塚埋納品と推定されている。青銅製、2個一対同形で、高さ24.5cm、直径21.5cm、重さ7.123kg。1個に「伯州滝山寺願主聖舜至徳二年…」との紀年（1385年）銘がある。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4317.htm#03,
310000,TP3100001320,鳥取県,梵鐘,ボンショウ,,bonsyou,県指定保護文化財,県指定の工芸品・考古資料,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町竹内,鳥取県,東伯郡琴浦町,竹内,,,,,,,,,,,,,,,,,1958/11/17,,,,,,,,,智積寺は、もと船上山上にあったが、相次ぐ戦乱などにより、約400年前に現在地に移ったと伝えられる。梵鐘は明治初期に船上山から降ろされた。総高90.1cm、笠形高5.4cm、竜頭高11.7cm、口径58.2cmを測り、4列4段あった乳はすべて欠損している。貞和3年（1347）の鐘銘があり、南北朝時代初期の製作とわかる。鐘銘にみえる西祖寺から智積寺に鐘が移動した経緯は不明である。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100001330,鳥取県,木造麒麟獅子頭,モクゾウキリンジシカシラ,,mokuzoukirinzishikashira,県指定保護文化財,県指定の工芸品・考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市国府町町屋,鳥取県,鳥取市,国府町町屋,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/2/6,,,,,,,,,稲荷神社に奉納される獅子舞に使用されるもので、室町時代の制作と推定され、現存する県内最古の麒麟獅子頭。材は杉で、長さ53cm、幅35cmの大型で、朱漆塗り。大きな眼と丸みを帯びた大きな鼻など素朴で大らかな造りである。獅子舞は、明治初年頃までは稲荷神社の例祭に盛んに行われたが、その後すたれ、昭和38年に再興された。頭が重いことから、基本動作のみの素朴な獅子舞である。,,,
310000,TP3100001340,鳥取県,廃阿代寺正平在銘鐘,ハイアジロジショウヘイザイメイカネ,,haiazirozishouheizaimeikane,県指定保護文化財,県指定の工芸品・考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1958/11/17,,,,,,,,,　明治初年頃の雨上がりの朝、現岩美町網代の畑の松の根本から発見されたという。　青銅製で、総高79.5cm、竜頭高17.2cm、笠形高3.3cm、鐘身高59.0cm、口径49.2cm。乳は4段4列で1個剥落している。銘文に、大願主僧行快が、国土泰平、庄内安穏と寺の繁栄を願い、正平15年（1360）11月に「因州巨野郡岩井庄阿代寺」に寄進したと記されている。「正平」は南朝の年号だが、県内の在銘鐘で南朝の年号があるのは本鐘のみ。　昭和１９年に軍に供出されることになるも、翌昭和２０年に返還された。,,,
310000,TP3100001350,鳥取県,流水文銅鐸,リュウスイモンドウタク,,ryuusuimondoutaku,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1980/3/4,,,,,,,,,昭和35年、鳥取市越路の果樹園の斜面から発見されたもの。損傷が著しく、半面の2/3と鈕の頂部などを欠損している。(伝）吉野川沿岸出土鐸、香川県観音寺市古川町南下出土鐸と同じ鋳型で造られており、畿内を含む他地域との関わりを示す資料といえる。流水文という文様と、外縁鈕式であることから、銅鐸としては古式のもので、弥生時代中期前葉のものと推定される。現存高43.5cm、重量3.1kg。,,,
310000,TP3100001360,鳥取県,埴輪人物,ハニワジンブツ,,haniwazinbutu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,大正初年ごろ、倉吉市小鴨で用水溝掘削中に発見された2体の武人埴輪のうちの一つ。他の1体は行方不明。それぞれ土壙からの出土と伝えられる。胴部から下と左腕の半ばを失っており、現在高38cm。鉄鋲をつけた兜、みずら、首に玉飾り、胴部には鎧を表現しており、顔面と胴部には赤色と緑色の彩色が施されている。なお、失われた1体は頭部を欠き、腰に刀が表現されていた。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4313.htm#09,
310000,TP3100001370,鳥取県,埴輪鹿,ハニワシカ,,haniwashika,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1980/3/4,,,,,,,,,倉吉市の向山山麓、山名寺東方にあった円墳、向山142号墳から、昭和28年（1953）頃、鶏形埴輪などとともに出土した。右斜め前方を向いて小首をかしげたような姿勢である。復元高56cm、復元長54cm。馬、鹿などの動物埴輪が登場するのは古墳時代中期後半のことであり、このうち鹿形埴輪は全国的にも出土例が少ない。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#15,
310000,TP3100001380,鳥取県,袈裟襷文銅鐸,ケサタスキモンドウタク,,kesatasukimondoutaku,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1992/4/14,,,,,,,,,天神川左岸、通称小田山の北端で、昭和22年（1947）、軍人墓地造成中に発見された。1号鐸は外縁付鈕二式四区袈裟襷文銅鐸で、弥生時代中期前葉～中葉の製作、2号鐸は扁平鈕式六区袈裟襷文銅鐸で、弥生時代中期中葉～後期前葉の製作と推定される。県内で出土位置の特定できる銅鐸は少ない上、唯一の複数埋納例であることから、銅鐸の機能、用途及び社会的背景を考察する上で貴重な資料である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4284.htm#10,
310000,TP3100001390,鳥取県,阿弥大寺弥生墳丘墓群出土遺物一括,アミタイジヤヨイフンキュウボグンシュツドイブツイッカツ,,amitaiziyayoifunkyuubogunsyutudoibutuikkatu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1992/4/14,,,,,,,,,四隅突出型弥生墳丘墓3基（国史跡）の突出部周辺や周溝内の土壙墓直上などから供献された状態で出土した弥生土器の一括。壷や甕の底部を焼成後穿孔してある上、壷、高杯、器台に表面を赤色顔料で塗彩したものがあり、埋葬に伴う祭祀に使用されたことを示している。山陰地方の土器編年の基礎資料として貴重であるとともに、四隅突出型弥生墳丘墓の祭祀形態を考える上で重要な一括資料である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4315.htm#08,
310000,TP3100001400,鳥取県,銅鰐口,ドウワニグチ,,douwaniguti,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市国府町町屋,鳥取県,鳥取市,国府町町屋,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/2/6,,,,,,,,,大正年間、鳥取市国府町町屋字寺前田の桑畑を開墾中に発見された。銅製で経21.5cm、厚さ6.5cm。七曜文風の撞座をめぐる二重の二条線の外区に、「因州法美郡広西郷五日町屋地福寺」とともに明徳4年（1393）6月24日の銘文が陰刻されている。銘文により、鰐口の制作時期とともに、現「町屋」が室町初期には「五日町屋」と呼ばれ、地福寺の門前市町だったことがうかがえ、中世史料としても価値が高い。因幡万葉歴史館に寄託。,,,
310000,TP3100001410,鳥取県,栗谷遺跡縄文時代出土遺物一括,クリタニイセキジョウモンジダイシュツドイブツイッカツ,,kuritaniisekijyoumonzidaisyutudoibutuikkatu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市福部町細川668番地福部町総合支所,鳥取県,鳥取市,福部町細川,668番地,福部町総合支所,,,,,,,,,,,,,,,1991/3/26,,,,,,,,,栗谷遺跡は、福部砂丘の後背地に立地し、近年の発掘調査で、縄文時代前期～古墳時代の遺構と遺物が確認された。特に、縄文時代の後期を中心とする土器、石器、木製品などの多量かつ多様な遺物は、当時の生業や文化の内容を復元する上で重要で、総体として山陰を代表する当該期の好資料である。このうち、資料の中心となる木製杓子、編物製品などは国の重要文化財に指定されている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001420,鳥取県,小札鋲留眉庇付冑,コザネビョウトメビサシツキカブト,,kozanebyoutomebisashitukikabuto,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市上町88番地鳥取市歴史博物館,鳥取県,鳥取市,上町,88番地,鳥取市歴史博物館,,,,,,,,,,,,,,,1991/3/26,,,,,,,,,国道9号線改良工事に伴う調査で、湯山6号墳から出土した遺物のうち一点。冑の鉢部分を構成する小札の形態に特色があり、柊の葉に似た曲線と突起状の加工が施されている。これらを同一方向に重ねて配列し、美しい模様を描きだしており、古墳時代の高度な冑製作技術を知ることができる。5世紀前半に製作されたものと推測され、類例として、東大阪市六方寺往生院所蔵の冑がある。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001430,鳥取県,新興寺至徳宝篋印塔,シンゴウジシトクホウキョウイントウ,,shingouzishitokuhoukyouintou,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町新興寺,鳥取県,八頭郡八頭町,新興寺,,,,,,,,,,,,,,,,,1983/4/26,,,,,,,,,　宝篋印塔は、そもそも宝篋印陀羅尼経を納めることを趣旨に造られ、下から方形台座、方形塔身、屋蓋、相輪を重ねた塔。この塔は、相輪の伏鉢を欠き、推定高約130cm。台座の一面に近江文様の開花蓮華を飾り、左側側面に「至徳二乙丑」の銘をもつ。　至徳2年（1385）は南北朝時代の北朝の年号で、当時の因幡における南朝と北朝の勢力動向と当時の関係をうかがわせる貴重な資料となっている。,,,
310000,TP3100001440,鳥取県,新興寺金峯山経塚出土遺物一括,シンキョウジキンポウザンキョウヅカシュツドイブツイッカツ,,shinkyouzikinpouzankyoudukasyutudoibutuikkatu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1992/4/14,,,,,,,,,大正6年（1917）、新興寺横の山腹斜面で土取り中に発見されたと伝えられる。出土した遺物は、銅経筒、経筒外容器、和鏡、白磁の合子と皿、銅鈴、金銅製金具、経軸残片、檜扇残片、刀残欠で、平安時代末か鎌倉時代初めに築かれた経塚と考えられる。県内の経塚出土品では、点数、種類で国宝「伯耆一宮経塚出土品」に次ぎ、中世初期の信仰形態を知る上で貴重な資料である。,,,
310000,TP3100001450,鳥取県,長瀬高浜遺跡玉作関係資料一括,ナガセタカハマイセキタマツクリカンケイシリョウイッカツ,,nagasetakahamaisekitamatukurikankeishiryouikkatu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町久留19-1番地湯梨浜町羽合歴史民俗資料館,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,久留,19-1番地,湯梨浜町羽合歴史民俗資料館,,,,,,,,,,,,,,,1992/4/14,,,,,,,,,長瀬高浜遺跡は天神川右岸の砂丘地に立地する。このうち、弥生時代前期の竪穴住居4棟から、管玉など玉作りに関する遺物が大量に出土したもので、弥生時代の玉作り関係資料としては、我が国最古の段階に位置付けられる。本遺跡の管玉製作技法は、従来知られた弥生時代中期以降の技法とは大きく異なっており、弥生時代の玉作技法の展開、及びその社会的背景を考える上で貴重な資料である。,,,
310000,TP3100001460,鳥取県,助沢正平五輪塔,スケサワノショウヘイゴリントウ,,sukesawanoshouheigorintou,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31403,,鳥取県日野郡江府町助沢,鳥取県,日野郡江府町,助沢,,,,,,,,,,,,,,,,,1983/4/26,,,,,,,,,助沢の集落に入る手前の南側山地に所在する。現在は、五輪が揃った完全な形だが、水輪は、付近に散乱する石造物部材の中から形態的に合うものを探して復元されている。地輪に、南朝年号の正平15年（1360）の紀年が刻銘されており、五輪塔の編年資料として貴重であるとともに、当時伯耆が南朝方の山名時氏の支配下にあったこととの関係をうかがわせる資料としても価値が高い。,,https://www.town-kofu.jp/p/2/1/11/5/1/3/,
310000,TP3100001470,鳥取県,木造麒麟獅子頭,モクゾウキリンシシカシラ,,mokuzoukirinzishikashira,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市中砂見大湯棚,鳥取県,鳥取市,中砂見大湯棚,,,,,,,,,,,,,,,,,1954/9/21,,,,,,,,,この麒麟獅子頭は、上砂見地区に鎮座する大和佐美命神社に奉仕する獅子舞に使用されるものである。製作年代は不明だが、江戸時代に鳥取で製作されたと伝えられる。桐を材とした、面長な麒麟型である。額に角を1本はやし、両耳を直立させるほか、両眼は巨大なほどに見開き、大きな鼻の穴は天を向いている。全体として男性的な作風で、江戸時代の代表的な作品として価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001480,鳥取県,木造毘沙門天立像,モクゾウビシャモンテンリュウゾウ,,mokuzoubisyamontenryuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市正蓮寺,鳥取県,鳥取市,正蓮寺,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/5,,,,,,,,,本像は、杉の一木造りで、像高約120cm。右手が欠失し、左手は肩から剥離している。腐朽と後補の塗装がみられ、当初の色調は不明。全体としては、量感と充実感をもっているが、技法的には粗雑な面もみられ、地方仏師の作と考えられている。製作年代は平安時代後期と推定されているが、他説もある。正蓮寺に伝わるものとされ、鳥取市正蓮寺の通称毘沙門堂に安置されている。,,,
310000,TP3100001490,鳥取県,木造吉祥天立像,モクゾウキッショウテンリュウゾウ,,mokuzoukissyoutenryuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市正蓮寺,鳥取県,鳥取市,正蓮寺,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/5,,,,,,,,,木造毘沙門天立像と同じく、鳥取市正蓮寺の通称毘沙門堂に安置されている。杉の一木造りで、像高約130cm。もとは彩色が施されていたようだが、かなり剥落している。腐朽が進んでおり、鼻先や左手首より先、宝珠、両足先を欠損しているが、全体的に豊かな量感に富み、面相は童顔に似て微笑をたたえているかのようである。平安時代後期の地方作と推定されている。,,,
310000,TP3100001500,鳥取県,木造薬師如来坐像,モクゾウヤクシニョライザゾウ,,mokuzouyakushinyoraizazou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市古郡家,鳥取県,鳥取市,古郡家,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/5,,,,,,,,,面相や衣文から平安時代後期（藤原期）の作と推定される。像高は80.4cm、桧材の一木造り。もとは彩色の漆箔像と思われるが、ほとんど剥落している。右ひじを曲げ、左手に薬壷をもち、右足を上に結跏趺坐する通形のものだが、像の主要部分である頭、体部以外は、製作からあまり下らない時期と推定される後補である。,,,
310000,TP3100001510,鳥取県,十一面観音坐像,ジュウイチメンカンノンザゾウ,,zyuuitimenkannonzazou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31202,,鳥取県米子市観音寺,鳥取県,米子市,観音寺,,,,,,,,,,,,,,,,,1953/8/8,,,,,,,,,観音寺は、寺伝に室町時代、伯耆守護山名時氏らの庇護による繁栄が伝えられる。本像は、桧材寄木造りの漆箔像で、総高110cm。頭上の化仏、台座、水瓶、左手すべて後補で、台座裏に「内け仏十二　花まき□共に　かず五本　惣かず覚」の墨銘がある。面相は端厳で、手法も洗練されており、室町時代初期の制作と推定される。,,https://www.city.yonago.lg.jp/36273.htm,
310000,TP3100001520,鳥取県,秋葉大権現,アキバダイゴンゲン,,akibadaigongen,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市八屋,鳥取県,倉吉市,八屋,,,,,,,,,,,,,,,,,1954/6/9,,,,,,,,,木喰上人作。木喰上人は、江戸時代後期の遊行僧で、修行しながら全国を歩き、各地に堂や仏像を勧進した。寛政10年（1798）の春から夏にかけて、因幡、伯耆を歩いており、8月初旬には八屋観音堂に5日間滞在している。像は、ケヤキ材の一木彫りで像高約100cm。火の神である秋葉権現が、足元から燃え上がる猛火を背負い、巨岩に立つ姿を彫り出している。像の背面には上人による墨銘がある。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4284.htm#03,
310000,TP3100001530,鳥取県,木造稲荷像,モクゾウイナリゾウ,,mokuzouinarizou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市下田中,鳥取県,倉吉市,下田中,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,木喰上人作。木喰上人は甲斐国生まれの江戸時代後期の遊行僧で、全国を修行しながら歩き、各地に堂や仏像を勧進した。本像は、背面の墨銘から、寛政10年（1798）8月初旬、現在の倉吉市八屋に滞在中に制作されたものらしい。像高57.5cm。左手に宝珠を持ち、狐にまたがった姿で、満面に微笑をたたえた表情は、木喰作の仏像の特徴をよく表している。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage22,
310000,TP3100001540,鳥取県,木造稲荷像,モクゾウイナリゾウ,,mokuzouinarizou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市円谷,鳥取県,倉吉市,円谷,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,江戸時代後期、全国を遊行し、各地に堂や仏像を勧進した木喰上人の作。本像は、像高65.0cm。左手に宝珠をもち、狐にまたがった姿で、満面に微笑をたたえてた木喰仏特有の表情である。倉吉市下田中勝宿称神社の木喰作稲荷像とは、頭の冠に違いがある程度でよく似ている。背銘は摩滅して判然としないが、両像はほぼ同時に制作されたものと推定されている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#11,
310000,TP3100001550,鳥取県,不入岡の石仏,フニオカノセキブツ,,funiokanosekibutu,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市不入岡,鳥取県,倉吉市,不入岡,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,不入岡の集落の南、中世墓と推定される墳丘上に立っている。古代の大規模倉庫群跡などで知られる不入岡遺跡地内でもある。安山岩の自然石をわずかに加工し、ごく浅い舟形光背内面に上下2体の仏像が半肉彫りされている。上像は舟形光背をもつ阿弥陀如来座像で、下像は合掌した僧形の仏像である。像の両側に、「永和元乙卯年（1375）十一月□日」、「願主道意」の銘文が刻まれている。永和は北朝年号。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#06,
310000,TP3100001560,鳥取県,伯耆国分寺石仏,ホウキコクブンジセキブツ,,houkikokubunzisekibutu,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市国分寺,鳥取県,倉吉市,国分寺,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,伯耆国分寺跡境内で明治末年頃発見され、転々とした後現在地に移された。いずれも安山岩を加工したもので、像高は76cmから36cm。四肢は動的で、表情は特異であり、薬師如来像や菩薩像らしくみえるものもあるが、制作時期も含めて判然としない点が多い。2体の裏面には幅8cm、深さ4cm程度の溝があり、これらの像は、国分寺の塔基壇地覆石と階段石を転用したものと考えられている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#04,
310000,TP3100001570,鳥取県,木造日光菩薩立像、月光菩薩立像,モクゾウニッコウボサツリュウゾウガッコウボサツリュウゾウ,,mokuzounikkoubosaturyuuzougakkoubosaturyuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市八屋,鳥取県,倉吉市,八屋,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/2/6,,,,,,,,,極楽寺は、もと倉吉市下古川にあった古寺を現在地に移したものと伝えられる。両像とも像高93cm、彫眼の一木造りで、日光菩薩は右手を上げ、左手を下げて日輪をとり、月光菩薩は対称的に左手を上げ、右手を下げて月輪をとっている。全体に損傷が進み、後補の箇所も多いが、像形、面相とも温雅で、形のなだらかなこと、衣文の浅く優雅な彫刻様などから、平安時代後期の制作と推定される。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4284.htm#04,
310000,TP3100001580,鳥取県,木造狛犬,モクゾウコマイヌ,,mokuzoukomainu,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市大宮,鳥取県,倉吉市,大宮,,,,,,,,,,,,,,,,,1987/12/25,,,,,,,,,倉吉市の南東郊外、大宮の小鴨神社に伝わるもの。阿吽形の2躯で構成される。阿形が像高36.5cm、吽形が像高37.5cm。造法は、阿吽形ともヒノキ材を用いて、像前部、像後部をそれぞれ一材で造り、胴中央部やや後で埋木を使ってつなぎ、それに尾部、鼻先等を矧いでいる。制作年代は室町時代から江戸時代初期とされている。造形的にも優れており、彫刻史上特に意義ある資料と言える。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4313.htm#02,
310000,TP3100001590,鳥取県,木造薬師如来立像,モクゾウヤクシニョライリュウゾウ,,mokuzouyakushinyorairyuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市桜,鳥取県,倉吉市,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,1994/4/19,,,,,,,,,大日寺は寺伝に承和8年（841）慈覚大師円仁の開基、永延2年（988）恵心僧都の再興とされる。本像は、桧又は榧の一木造りで、像高152.0cm。肉身部は黄土彩、着身部はベンガラ彩の朱衣金体を呈し、両膝に見られる同心円状の衣文にも特徴がある。丸みを帯びた大らかな作風で、平安中期～後期の造像とみられる。一木造りの、県内に残る数少ない平安時代の仏像として、価値が高い。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4315.htm#05,
310000,TP3100001600,鳥取県,勢至菩薩立像,セイシボサツリュウゾウ,,seishibosaturyuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市河原町北村,鳥取県,鳥取市,河原町北村,,,,,,,,,,,,,,,,,1955/9/6,,,,,,,,,勢至菩薩は、阿弥陀如来の脇侍で、宝冠の中に宝瓶をつけている。蓮華を持ったり、手印だけのものもあるが、合掌しているものも多い。しかし、本像は、手足を欠損し、全体が摩滅しており、容姿はほとんど不明である。僅かに、衣文に、技法は拙いが、翻波式の名残を残しており、全体的にも量感があることから、平安時代後期の作と推定される。像高79cm。桧材の一木造りで内刳はない。,,,
310000,TP3100001610,鳥取県,木造大日如来坐像金剛界胎蔵界,モクゾウダイニチニョライザゾウコンゴウカイタイゾウカイ,,mokuzoudainitinyoraizazoukongoukaitaizoukai,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/5,,,,,,,,,真言密教の本尊である金剛界の大日如来（総高110cm）と胎蔵界の大日如来（総高107cm）。いずれも結跏趺坐する寄木造り、彫眼の漆箔像である。前者は、美しい臂釧、腕釧を刻出しているが、衣文にやや鈍重な感じがするのに対し、後者は、臂釧や衣文の刻出が前者に比べて入念、流麗である。平安時代後期の作と推定され、2体揃って保存状態も良好なことから、価値が高い。,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100001620,鳥取県,木造薬師如来坐像,モクゾウヤクシニョライザゾウ,,mokuzouyakushinyoraizazou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市気高町常松,鳥取県,鳥取市,気高町常松,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/12/25,,,,,,,,,常松集落内の薬師堂に安置してあり、行基作の因幡七薬師仏の一つとする伝承がある。彫眼の一木造りで、もと漆箔像だったと推定される。結跏趺坐は通有の形で、右手、左手薬壷及び台座は後補。膝と胴部が分れる構造となっている。胸や腹に豊かなふくらみがあり、衣文はやや鈍重な感じである。全体に腐朽、虫くいが進んで、保存状態はよくないが、平安時代後期の作と推定される。,,https://www.city.tottori.lg.jp/page/6243.html,
310000,TP3100001630,鳥取県,木造十一面観音立像,モクゾウジュウイチメンカンノンリュウゾウ,,mokuzouzyuuitimenkannonryuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市気高町飯里,鳥取県,鳥取市,気高町飯里,,,,,,,,,,,,,,,,,1983/9/27,,,,,,,,,江戸時代中後期の造像遊行聖として知られる木喰上人（1718～1810）が文化四年（1807）に制作した観音像である。　光背から台座にいたる全てを檜の一木で刻んだもので、両手で腹前に水瓶を持ち、柔和な微笑をたたえて荷葉座に立つ。頭部には、三段にわたって、化仏1、頭上面4、頭上面5が彫出される。総高（光背―台座）76.6㎝。　また、光背裏面には光明真言（梵字）、本体と台座の背面には墨書がある。これにより、文化四年二月、木喰数え年で90歳の作と判明する。　木喰は寛政十年（1798）の夏から秋にかけ、伯耆・因幡を遊行し（一度は若狭まで巡錫し引き返している）、各地で神仏像をものした。発見された7躯は、現湯梨浜町及び倉吉市内に点在し、県保護文化財に指定されている。　一方で、本像は、木喰が記した『南無阿弥陀仏国々御宿帳』によれば、木喰が丹波清源寺（現京都府南丹市）に滞在していた時期の作ということになる。木喰は同寺において一千体の像を造る誓願を果たしたとされ、残る二十二躯の像は円熟期の傑作であるとし、木喰を見出した思想家で民藝運動の指導者柳宗悦らにより高く評価されている。　清源寺の一躯であった本像が、この延命庵に伝来する由緒は詳らかでないが、木喰最晩年の作として大変貴重な文化財といえる。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001640,鳥取県,木造薬師如来立像,モクゾウヤクシニョライリュウゾウ,,mokuzouyakushinyorairyuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町鹿野,鳥取県,鳥取市,鹿野町鹿野,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/12/25,,,,,,,,,一木造りで、彫眼、螺髪は刻出している。像高150cm。衣は両肩から股間にいたってＹ字形に流れている。全体に量感に富み、両膝の同心円的な衣文などに平安時代前期の様式をみせてはいるが形式化しており、平安時代後期の作と考えられている。,,,
310000,TP3100001650,鳥取県,弘法大師坐像,コウボウダイシザゾウ,,kouboudaishizazou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町石脇,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,石脇,,,,,,,,,,,,,,,,,1954/6/9,,,,,,,,,江戸時代後期の遊行造像僧、木喰上人の作。木喰は、寛政10年（1798）春から夏にかけて因幡、伯耆を歩いており、7月1日から8日まで石脇に滞在している。像の後背裏の墨書に7月3日の銘があり、石脇滞在中の造像である。像高62cm、桜材と考えられる。目を閉じた思惟の相で、右手に独鈷、左手に太めの数珠をもっている弘法像通有の姿で、後背は外縁に青海波を、内側に梵字をめぐらしている。,,,
310000,TP3100001660,鳥取県,大日如来坐像,ダイニチニョライザゾウ,,dainitinyoraizazou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町高辻,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,高辻,,,,,,,,,,,,,,,,,1954/6/9,,,,,,,,,江戸時代後期の遊行造像僧、木喰上人の作。木喰は寛政10年（1798）に因幡、伯耆を遊行しており、現在県内では他所からの移動仏も含めて9体の木喰仏が知られる。本像は、像高82cm、桜材を用いている。宝冠をいただき智挙印を結んでいる金剛界の大日如来。柔和な丸顔と丸鼻で、目を閉じた思惟の相である。彫りの深い刀法で量感に富む仕上りとなっており、木喰仏の特徴をよく表している。,,,
310000,TP3100001670,鳥取県,木造狛犬,モクゾウコマイヌ,,mokuzoukomainu,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳1010番地三徳山宝物殿,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,1010番地,三徳山宝物殿,,,,,,,,,,,,,,,1987/12/25,,,,,,,,,三仏寺奥院（投入堂）の内陣に安置されていたもの。阿形は雌形、吽形は雄形を表している。どちらも両前足をしっかりと踏んで胸を張り出した、量感あふれる堂々とした姿で、鎌倉時代の作と推定される。カヤ材を用いて、頭部・前足を含めた像前部と、胴部・足部を含めた像後部をそれぞれ一材で造り、像の中央でカスガイで繋ぎ、それに尾部を矧ぐ造りである。阿形は像高81cm、吽形は像高82cm。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100001680,鳥取県,木造狛犬,モクゾウコマイヌ,,mokuzoukomainu,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1987/12/25,,,,,,,,,三朝町湯谷に伝わった県内で数少ない木造狛犬である（県立博物館に寄託）。墨書から南北朝時代の明徳3年（1392）の制作が知られる。阿形は像高36.5cm、吽形は37.5cm、造法は両方とも、頭部から胴部まで一木でとり、それに頭後部、尾部、足部等を矧いでいる。現在ほとんど素地をみせているが、もとは彩色が施されていたことが細部に残る断片からうかがわれる。造形的にも優れており、本県の彫刻史上特に意義ある資料と言える。,,,
310000,TP3100001690,鳥取県,木造十一面千手観音立像,モクゾウジュウイチメンセンジュカンノンリュウゾウ,,mokuzouzyuuitimensenzyukannonryuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31372,,鳥取県東伯郡北栄町瀬戸,鳥取県,東伯郡北栄町,瀬戸,,,,,,,,,,,,,,,,,1958/11/17,,,,,,,,,北栄町瀬戸の大成山観音寺の観音堂に安置される十一面千手観音立像である。像高157cm、頭部と胴部を一本の材で造り、両腕を矧ぎ付けてある。　腰高で足が長く、華奢な印象を与える。脇手、胸部の天衣などは後補とする。裳の下部にみられる翻波式の衣文や両膝間の衣文がつくる渦巻き文様に特徴があるが、いずれも形式化しており、平安時代後期の作と推定される。本像は、もと北栄町東高尾の観音寺にあったが、正徳3年（1713）に瀬戸の大庄屋竹信左五右衛門ら七名によって現在地に勧請された。平成2年には京都の美術院により大規模な修理を受けた。,,,
310000,TP3100001700,鳥取県,観音寺古仏群,カンノンジコブツグン,,kannonzikobutugun,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31372,,鳥取県東伯郡北栄町東高尾,鳥取県,東伯郡北栄町,東高尾,,,,,,,,,,,,,,,,,1986/4/18,,,,,,,,,北栄町東高尾の観音寺には、重要文化財の千手観音立像、十一面観音立像など計43体の古仏が伝えられている。このうち、重要美術品の9体と他の2体の計11体を「観音寺古仏群」として指定している。内訳は、十一面観音立像2体、地蔵菩薩立像、不動明王立像、吉祥天立像、兜拔毘沙門天立像、四天王立像5体で、いずれも一木造り。平安後期の地方仏がまとまって伝承されており、貴重である。,,,
310000,TP3100001710,鳥取県,木造空也上人像,モクゾウクウヤショウニンゾウ,,mokuzoukuuyashouninzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町別宮,鳥取県,東伯郡琴浦町,別宮,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,空也上人の修行中の姿で、墨染の衣をつけ、胸に鰐口をかけ、玉眼を入れている。像高は91cm。左手で杖をつき、前かがみとなり、面相はやや上をむいて童顔的である。右手には撞木を持っていたものと推定される。胸にあてた胸板裏面に、「慶安五年（1652）九月吉日　仏師□□杢阿　願主理正坊　南無阿彌陀仏」とあり、江戸時代前期の作と考えられる。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100001720,鳥取県,木造四天王立像,モクゾウシテンノウリュウゾウ,,mokuzoushitennouryuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町矢下,鳥取県,東伯郡琴浦町,矢下,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,もとは矢下の畠中の仁王堂に指定の2体のほか阿弥陀如来坐像など計4体が安置されていた。いずれの像も傷みが大きい。指定の四天王立像は、1体が像高157cm、右足を上げて立ち、両腕、両足先を欠損、他の1体は、像高140cm、両腕、両足を欠損している。様式は通有のもので、面相の忿怒相は穏やかで優雅だが、迫力もある。甲冑も美しく鮮やかな仕上りとなっている。平安後期の作と推定される。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100001730,鳥取県,木造随身立像,モクゾウズイシンリュウゾウ,,mokuzouzuishinryuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町上伊勢,鳥取県,東伯郡琴浦町,上伊勢,,,,,,,,,,,,,,,,,1986/4/18,,,,,,,,,随身像は、神社境内の神門に置かれ、神社を警護するものとして造られた像で、弓矢等の武器を持つ姿が多い。本像は、桧材を用いた彫眼の立像で、胴部と両足部を内刳りを施さない一材で造り、それに左右両肩から先を矧ぎ付けている。首は差し込んである。左方の吽形像は像高１２５．９㎝、右方の阿形像は像高１２５．１㎝。制作年代は鎌倉時代までさかのぼると見られ、県内に知られる近世以前作の随身像の中で最も写実的な姿を表す、優れた随身像といえる。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100001740,鳥取県,木造阿弥陀如来立像,モクゾウアミダニョライリュウゾウ,,mokuzouamidanyorairyuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町別宮,鳥取県,東伯郡琴浦町,別宮,,,,,,,,,,,,,,,,,1988/3/8,,,,,,,,,カヤ材を用いた一木割矧ぎ造りで、体の前後で割り離し、像内を内刳りし、矧ぎ付けている。像高９６．２㎝。平安時代後期から鎌倉時代初期の作と推定される。彫眼で、小ぶりの螺髪は彫出、左手を垂下し、右手は肘を曲げている。面相は豊かで瑞々しく、とりわけ両肩の肉どりが厚い。また、左右に楕円状に刻まれた衣文の彫りはやや形式化しているが、浅く流麗であり、全体に量感があって気品のある姿である。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2012121900563/,
310000,TP3100001750,鳥取県,神崎神社の本殿　神崎神社の拝殿　一、向拝天井の竜　一、木端の獅子その他一切　一、扉,カンザキジンジャホンデン,,kanzakizinzyahonden,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町赤碕,鳥取県,東伯郡琴浦町,赤碕,,,,,,,,,,,,,,,,,1952/9/15,,,,,,,,,神崎神社本殿は、鳥取藩お抱えの宮大工小倉園三郎により嘉永6年（1853）に、拝殿は園三郎の孫平次郎により明治12年（1879）にそれぞれ造営された。本殿には、向拝唐破風（菊、龍、葡萄とリス）、屋根下（鳳凰、龍、象、蝶など）、木鼻（楓、菊、大根と鼠など）といった個所に過多ともいえる彫刻が施されている。また、拝殿向拝には、天井に豪快な刀法で龍が彫られているほか、木鼻の獅子にも量感がある。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100001760,鳥取県,木造阿弥陀如来坐像,モクゾウアミダニョライザソウ,,mokuzouamidanyoraizazou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31386,,鳥取県西伯郡大山町前324番地前公民館,鳥取県,西伯郡大山町,前,324番地,前公民館,,,,,,,,,,,,,,,1994/4/19,,,,,,,,,本像は、寄木造り、彫眼の像で、像高85.7cm。表面を漆で仕上げ、軽量なことから内面は丁寧に内刳りされているものと思われる。円満な相好、丸みがかった肩、整った像形などが特徴だが、衣文の彫りが浅いことや脚部の張りがやや弱いことから、平安時代後期の作と推定される。技巧や均整のとれた表現から、中央の仏師の作とみられ、平安後期の仏像として優品であり、貴重な資料である。,,,
310000,TP3100001770,鳥取県,十一面観音立像,ジュウイチメンカンノンリュウゾウ,,zyuuitimenkannonryuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31401,,鳥取県日野郡日南町上石見,鳥取県,日野郡日南町,上石見,,,,,,,,,,,,,,,,,1953/8/8,,,,,,,,,本像は、彫眼の一木造りで、像高115cm。面相はふっくらしており、肩はややいかついている。左手は深く曲げて水瓶（後補）をもち、右手は掌を正面に向けて垂下させる通有の形をとる。また、衣文は浅く大まかで、わずかに翻波式の名残をとどめている。全体に量感があるが、地方作と推定され、平安時代後期の作と考えられている。,,https://www.town.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuka/bunkazai/380.html,
310000,TP3100001780,鳥取県,鉄造白山本地仏像,テツゾウハクサンホンジブツゾウ,,tetuzo　hakusan honchi butuzo,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,,,"鳥取県西伯郡南部町法勝寺341キナルなんぶ,倉吉市西岩倉町2189吉祥院",鳥取県,"倉吉市,西伯郡南部町",,,,,,,,,,,,,,,,,,1986/4/18,,,,,,,,,　鉄造白山本地仏像は、南部町賀祥区と倉吉市吉祥院に伝わる、鉄から鋳造した鉄仏で、十一面観音立像・聖観音立像・阿弥陀如来立像３躯と光背３面からなる。　白山本地仏とは、石川県と岐阜県にまたがる白山に宿るとされた白山妙理権現・菊理媛神・大己貴命の３神に、十一面観音・聖観音・阿弥陀如来の３仏の本地（神が仏の姿をとって現れたもの）をあてたもので、白山信仰の対象として３尊を一具で祀る事例が多くみられる。　南部町賀祥区の十一面観音立像・聖観音立像２躯は、区内の白山神社と密接に関わる豊寧寺に伝来し、昭和17年（1942）には重要美術品、昭和61年（1986）には県の保護文化財の指定を受けている。光背が３面あるため、１躯が欠損していると考えられてきたが、近年の調査により、倉吉市吉祥院の阿弥陀如来立像がこれらと一具であることが分かった。　三像とも光背に密着させるため、後ろ半身は表さない。本体背面に鐶が鋳造されており、光背の穴に通して留める構造で、本来はどこかに取り付けられたものであった可能性がある。造形は平面的で、童子形を思わせる体のバランスとともに優美な印象を与える。　光背は、宝珠形の頭光と像左右側面の張り出し部が融合した特殊な形である。線描で鋳出された光背の文様は大らかで、一般的な木彫像の光背にはみられない魅力を具えている。　光背には3面とも同じ銘文が鋳出されているが、２面は鏡文字である。内容から、元応2年（1320）に藤原泰親が、鋳物師の道覚に制作を依頼したことが分かる。泰親は、伯耆国長田荘の地頭または荘官「大舎人允藤原泰頼」（『吾妻鏡』）の子孫と推測される。　鉄仏は、鎌倉時代に制作が盛んとなるが、そのほとんどが関東地方を中心とする東日本および愛知県に分布し、西日本には少ない。その中でも、この白山本地仏は、現在確認されている中では中国地方唯一の鉄仏の作例となり、大変稀少である。　像高は、十一面観音立像38.9㎝、聖観音立像35.7㎝、阿弥陀如来立像33.0㎝。,,https://goo.gl/maps/BUBYjiEWRVAu1UXk7,
310000,TP3100001790,鳥取県,聖神社本殿、幣殿及び拝殿,ヒジリジンジャホンデン,,hizirizinzya　honden、heiden oyobi haiden,県指定保護文化財,県指定の彫刻及び建造物,,31201,,鳥取県鳥取市行徳,鳥取県,鳥取市,行徳,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/4/16,,,,,,,,,聖神社の創建年代は明らかではないが、現在の本殿は、寛政年間（18世紀末）の改築と推定される。腰組、軒下とも三手先組物を用い、木鼻、肘木、尾垂木等に浮彫りを施し、腰板、側板壁等の表面も彫物で埋めつくして華やかに飾り立てている。こうした装飾は、県東部～中部地方の江戸後期の神社本殿建築に多く見られるが、その中で本社殿は、全体にまとまりのある意匠となっている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001800,鳥取県,髙田家住宅,タカタケジュウタク,,takatake　zyuutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31202,,鳥取県米子市福万,鳥取県,米子市,福万,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/3/29,,,,,,,,,髙田家は、寛政年間以降、村庄屋を代々務め、また近世後期以降は地主としても成長した豪農である。近代には農業や地主経営に加え、酒造業、林業、大山原野の開拓と商品作物の栽培など様々な事業を営み、米子を代表する企業家となった。宅地中央には茅葺の主屋が位置し、その周囲に門長屋や土蔵などの付属屋が建ち並んでおり、近世～近代の豪農の屋敷構えを良好に留めている。主屋は、棟札から寛政４年（1792年）建築と推定される九間取りの大型農家で、「煙出し」に代わる両妻の下の三角に空いた煙抜きなど、新しい技法、工法を取り入れた家構えである。付属建物は、門長屋が江戸時代末の建築、その他の蔵などは明治後期から大正にかけて建築されたと推定される。いずれの建物も付属屋ながら大工仕事のみならず、石工、左官、屋根葺きに至るまで丁寧な仕事がされており、近世から近代に至る建築技術の推移をみることができる。また、養蚕場と薬用人参製造場は、農家の屋敷に残された生業（産業）を具体的に示す希少な建築で、近代の豪農の多角的な農業経営を伝える遺構として歴史的価値が高い。,,https://www.city.yonago.lg.jp/36274.htm,
310000,TP3100001810,鳥取県,永昌寺十三重塔,エイショウジジュウサンジュウトウ,,eishouzi　zyuusanzyuutou,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市岩倉,鳥取県,倉吉市,岩倉,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,昭和5年（1930）、岩倉城跡の麓で発見された。発見時に欠いていた初重軸部、十二重目、十三重目及び相輪を補い、現在地に移築復原した。総高4.12m。笠部の勾配は緩やかで、軒反りは少ない。また、基礎には単弁反花座とともに側面2区に格狭間をつくるが、この格狭間は赤碕塔（琴浦町花見潟）のものに酷似している。これらの特徴から、鎌倉時代～室町時代初期の造立年代が推定されている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4313.htm#01,
310000,TP3100001820,鳥取県,木下家住宅,キノシタケジュウタク,,kinoshitake　zyuutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市河原町布袋,鳥取県,鳥取市,河原町布袋,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/3/29,,,,,,,,,智頭往来の街道沿いに位置し、江戸初期には、鹿野城主亀井氏の本陣を勤めたと伝えられる旧家。指定の主屋は、広間型五間取を原型とする整形六間取の表側と縁の取りついた形式に復原される。典型的な江戸時代中期の大庄屋の家構えで、式台や仏間の構成や門屋の構えにも大庄屋の風格がうかがわれる。大きな家構えのわりに架構は素直な方法で、中二階には、下男部屋、女中部屋も残っている。この主屋を中心に同時期建築の表門、江戸時代後期に建築されたと見られる厩・新蔵、明治時代に主屋南側に増築された離れ、加えて中蔵・米蔵も建てられている。表門右脇の洗い場、主屋正面に設けられた庭門・塀と合わせて江戸時代の大庄屋の建築構成を屋敷地全体に渡って非常に良好な状態で今に伝える貴重な歴史・文化資産である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001830,鳥取県,三百田氏住宅,サンビャクダシジュウタク,,sanbyakudashi　zyuutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町屋堂羅,鳥取県,八頭郡若桜町　,堂羅,,,,,,,,,,,,,,,,,1964/3/3,,,,,,,,,三百田家は、若桜町吉川にあり、藩政期には、この地方の庄屋を勤めた家柄であった。元禄7年（1694）正月付けの普請帳により、主屋は、元禄6年の大火後、再建されたことがわかる。再建当初は典型的な広間型だったと推定されるが、元禄期の家構えとしては、他に比べてはるかに進歩したものが見られる。平成5年に町により現在地に移築復原され、保存されている。附指定の一代請方合力人数帳は若桜町歴史民俗資料館に所蔵。,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100001840,鳥取県,鳥飼家住宅附家相図一枚,トリカイケジュウタク,,torikaike　zyuutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市関金町関金宿（家相図は関金町大鳥居）,鳥取県,倉吉市,関金町関金宿（家相図は関金町大鳥居）,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/3/29,,,,,,,,,藩政期にこの地方の庄屋であったと伝えられる鳥飼家の住宅は、もと倉吉市関金町大鳥居にあったが、平成3年度に、町によって現在地への移築復原が行われた。現在は主屋のみとなっているが、附指定の家相図によると、当初は裏門や隠居屋、木小屋、井戸屋、門屋、米蔵など付属屋が建っていたことがうかがわれる。主屋は当初の広間型三間取りを原型とする平面に復原されており、江戸初期を下らぬ時期の民家遺構として貴重である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4317.htm#02,
310000,TP3100001850,鳥取県,神崎神社本殿,カンザキジンジャホンデン,,kanzakizinzya　honden,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町赤碕,鳥取県,東伯郡琴浦町,赤碕,,,,,,,,,,,,,,,,,1952/9/15,,,,,,,,,神崎神社は、日本海を見下ろす高台にあり、古くから、牛馬の守護神として広く崇敬をあつめてきた。神社に残る棟札により、現在の本殿は、享保8年（1723）に建立された当初の本殿を、嘉永6年（1853）に鳥取藩お抱えの大工小倉園三郎が再建したものであることがわかる。一間社入母屋造、正面に唐破風付きの向拝をもつ本殿には、軒や屋根裏、腰組み等に小倉園三郎による入念な彫刻が施されており、本建築の特徴となっている。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100001860,鳥取県,赤碕塔,アカサキトウ,,akasaki　tou,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町赤碕鉢屋屋敷,鳥取県,東伯郡琴浦町,赤碕鉢屋屋敷,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,赤碕塔は、海岸沿いに東西約300mにわたって広がる花見潟墓地の東端近くに位置する石塔で、昭和10年（1935）にこの塔を調査した故川勝政太郎博士により「赤碕塔」と命名された。高さ約3m。宝篋印塔の形式をとっているが、塔身だけは円筒形で宝塔に近い形式になっているなどの特徴がある。全体の構成が鎌倉時代の様式をよくとどめており、鎌倉末期頃の作と推定される。,,,
310000,TP3100001870,鳥取県,吉持家住宅,ヨシモチケジュウタク,,yoshimotike　zyuutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31389,,鳥取県西伯郡南部町田住,鳥取県,西伯郡南部町,田住,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/3/29,,,,,,,,,戦国武将にその端を発する当家の家系は、近世初期に帰農し、10代にわたって大山山麓の開墾に功績を重ねてきたことで知られる。指定の主屋は、棟札などから文化年間（1804～1818）に普請されたことがわかる。桁行8.5間、梁間6間で、湯殿や台所が後補してある以外に、拡張は見られない。しかし、間取は変形で、変形5間取に板敷の落間の付いた型式に復元される。,,,
310000,TP3100001880,鳥取県,大神山神社奥宮神門,オオガミヤマジンジャオクミヤシンモン,,oogamiyamazinzya　okumiya　shinmon,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山,鳥取県,西伯郡大山町,大山,,,,,,,,,,,,,,,,,1953/8/8,,,,,,,,,この門は、西楽院（大山寺本坊）の表門だったが、大山寺号廃絶による西楽院四散の際、大神山神社に引き渡され、現在地に移転した。その際、門の向きをそのまま運んだため、表裏が逆になり、俗に違い門と称される。西楽院を偲ぶ唯一の遺構である。右柱に根雨の近藤氏が安政4年（1857）に寄進した旨の銘がある。檜皮葺、前後に唐破風をつけた四脚門。本柱の円柱、本柱の上の冠木など全体に雄大な造りである。,,,
310000,TP3100001890,鳥取県,印賀宝筺印塔,インガノホウキョウイントウ,,inga　no　houkyouintou,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31401,,鳥取県日野郡日南町印賀字塔のノ山,鳥取県,日野郡日南町,印賀字塔のノ山,,,,,,,,,,,,,,,,,1953/8/8,,,,,,,,,印賀盆地中の小丘陵上に所在する。花崗岩製で、相輪の一部を欠くが、笠部、塔身、台座、基礎、基壇が完存しており、総高2.4m。宝珠や笠、隅飾に室町時代初期の特徴を示し、全体に安定感のある優美な形状である。また、塔身正面に正平12年（1357）の南朝年号の紀年銘がある。当時、伯耆は南朝方の山名時氏に支配されており、日野郡江府町助沢に同じく正平年号の五輪塔が知られる。,,https://www.town.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuka/bunkazai/380.html,
310000,TP3100001900,鳥取県,空山２号古墳,ソラヤマニゴウコフン,,sorayamanigoukofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市香取,鳥取県,鳥取市,香取,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/11/27,,,,,,,,,鳥取市の南東、空山の標高130～150m付近には約70基の古墳群があり、因幡地域有数の古墳密集域を形成している。このうち、２号墳は横穴式石室をもつ古墳だが、墳丘が流出しており、墳形、規模は不明である。石室は全長5.5m、片袖式で南東に開口し、発掘調査で7世紀前半期の須恵器などが出土した。石室の奥壁、側壁、天井石に鳥、三角文、綾杉文などの線刻が描かれており、線刻画研究の端緒となった古墳として貴重である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001910,鳥取県,空山１０号古墳,ソラヤマジュウゴウコフン,,sorayamazyuugoukofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市広岡,鳥取県,鳥取市,広岡,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/11/27,,,,,,,,,鳥取市の南東、空山の牧場周辺には約70基の古墳群が所在している。このうち、１０号墳は、南側緩斜面の標高132m付近に位置する円墳で、径12.5m。周囲に馬蹄形の周溝が巡る。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、石室全体に直線や綾杉文が主体の線刻が認められる。特に玄室左側壁と袖石上部に積まれた石の鳥の絵と、玄室右側壁の人物2体は、写実的な表現で注目される。古墳時代後期の築造と推定される。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001920,鳥取県,空山１５号古墳,ソラヤマジュウゴゴウコフン,,sorayamazyuugogoukofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市久末,鳥取県,鳥取市,久末,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/11/27,,,,,,,,,鳥取市の南東、空山の中腹には約70基の古墳群が築造されている。このうち、１５号墳は、丘陵北東斜面の標高129m付近に位置し、１６号墳と隣接している。彬径12m、高さ3m前後の円墳と考えられる後期の古墳である。南東に開口する片袖式の横穴式石室だが、特に玄室は持ち送り式の整美な石室である。石室全体に直線や綾杉文の線刻が認められるが、玄室左側腰石などに木の葉状、星型、船形といった特徴的な線刻が集中している。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001930,鳥取県,空山１６号古墳,ソラヤマジュウロクゴウコフン,,sorayamazyuurokugoukofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市久末,鳥取県,鳥取市,久末,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/11/27,,,,,,,,,鳥取市の南東、空山の北側緩斜面には約70基の古墳群が群集している。このうち、１６号墳は、標高129m付近に位置する。円墳で直径約15m、周囲に馬蹄形の周溝が巡る。横穴式石室は東側に開口し、現存全長約6mだが、ほとんど腰石しか遺存していない。奥壁をはさむ腰石に鳥、その上の積み石に船、右側石中央の腰石に平行線、格子文など複雑な線刻が描かれている。古墳時代後期の築造と推定される。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001940,鳥取県,坊ヶ塚古墳,ボウガツカコフン,,bougatukakofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市広岡,鳥取県,鳥取市,広岡,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/11/27,,,,,,,,,広岡集落の南、標高約50mの丘陵東斜面の裾部に立地している。周辺丘陵には100基あまりの古墳が存在し、広岡古墳群を形成している。坊ヶ塚古墳は横穴式石室を埋葬施設に持つ円墳で、径約13m、高さ約3.3m。石室は、千代川右岸地域の後期の古墳に特徴的な、石室の中ほどの天井が高くなる「中高式」である。石室内の壁面には多くの線刻が見られるが、特に羨道右側壁には、弓を引く人物が写実的に描かれており、注目される。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001950,鳥取県,山ヶ鼻古墳,ヤマガハナコフン,,yamagahanakofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市古海,鳥取県,鳥取市,古海,,,,,,,,,,,,,,,,,1991/3/26,,,,,,,,,千代川下流左岸に向かって南西から延びる尾根の先端近くに立地し、尾根上の古墳群とともに古海古墳群を形成する。墳丘はほぼ失われているが、一辺11～13m前後の方墳と推定される。石室は、凝灰岩をくりぬいた玄室の手前に、巨石による羨道を設けた横穴式石室で、全長5.1m。石室の形態から、7世紀中頃の畿内の古墳との関連が考えられ、古墳時代終末期における畿内と因幡地方との関係を考察する上で貴重な古墳である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001960,鳥取県,福庭古墳,フクバコフン,,fukubakofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31203,,鳥取県倉吉市福庭,鳥取県,倉吉市,福庭,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,波波伎神社境内に所在し、切石積みの横穴式石室をもつ直径35mの円墳。古墳時代終末期の築造と推定される。石室は全長9.5m、玄室の奥行2.9m、高さ2.3m。奥壁、両側壁ともに大きな切石を置き、その上に持ち送り気味に細い一枚石をはめ、天井石を架構している。玄門近くの玄室床面には、屍床仕切石（遺体を安置する場所を区画する板石）が設けられているほか、玄室の手前に前室をもつ複室構造をとるなどの特徴がある。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4284.htm#02,
310000,TP3100001970,鳥取県,鷺山古墳,サギヤマコフン,,sagiyamakofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市国府町町屋,鳥取県,鳥取市,国府町町屋,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/11/27,,,,,,,,,直径約10m、高さ約1.5mの円墳で、横穴式石室が南に開口している。石室は、羨道全部、玄室天井石の一部を失っているが、千代川右岸地域の後期の古墳に特徴的な、玄室の中ほどの天井が高くなる「中高式」の形態をとる。壁面には多数の線刻が見られ、魚、鳥、船などが描かれている。特に、奥壁中央の魚の線刻は鮭か鱒と見られ、体長1.2mもあり、目、口、胸鰭、背鰭、尾鰭などが忠実に表現され写実的である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001980,鳥取県,阿古山２２号古墳,アコヤマ２２ゴウフン,,akoyamanizyuunigoukofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31201,,鳥取県鳥取市青谷町青谷,鳥取県,鳥取市,青谷町青谷,,,,,,,,,,,,,,,,,1981/11/27,,,,,,,,,日置川中流の右岸にのびる尾根の南東斜面に立地する。横穴式石室がほぼ露出しており、墳形、墳丘規模はわからない。玄室は、平らな安山岩の一枚岩で各壁を造り、2枚の天井石を架構している。また、右側壁に接して同じ石材による玄門が立っていた（現在亡失）。石室全長は6.1m、玄室高は3.0m。この型式の石室は、古墳時代後期、西因幡～東伯耆地域に顕著だが、この古墳は、その中でも典型的かつ大規模である点で価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100001990,鳥取県,出上岩屋古墳,イデカミイワヤコフン,,idekamiiwayakofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町出上,鳥取県,東伯郡琴浦町,出上,,,,,,,,,,,,,,,,,1991/3/26,,,,,,,,,勝田川下流の出上平野中に立地。墳丘をほとんど失い、安山岩の切石で造られた横穴式石室が露出している。石室は、玄室の手前に前室がある複室構造で、南南西に開口している。現存長6.65m、玄室高2.5m。刳り抜き玄門をもつなど、出雲地方の「石棺式石室」の影響を強く受ける一方、石室の構築方法には西伯耆地域の切石積み石室の特徴もよく示しており、古墳時代後期における当地方の政治、社会関係を考察する上で重要である。,,,
310000,TP3100002000,鳥取県,岩屋平ル古墳,イワヤナルコフン,,iwayanarukofun,県指定史跡,県指定の古墳,,31386,,鳥取県西伯郡大山町八重,鳥取県,西伯郡大山町,八重,,,,,,,,,,,,,,,,,1991/3/26,,,,,,,,,甲川中流右岸の丘陵上に所在する。直径約18mの円墳で、安山岩の切石で造られた横穴式石室をもつ。このうち、玄室は各壁を一枚の切石で構成し、前壁のほぼ中央を刳り抜いて玄門としている。玄室奥行3.3m、高さ1.9m。石室は、刳り抜き玄門などに出雲地方の石棺式石室の影響を示す一方、石室構築手法に西伯耆地方の切石積み石室の特徴もよく表しており、古墳時代後期の当地域の政治的、社会的関係を考える上で貴重である。,,,
310000,TP3100002010,鳥取県,高田２６号墳,タカタ２６ゴウフン,,takatanizyuurokugoufun,県指定史跡,県指定の古墳,,31386,,鳥取県西伯郡大山町高田,鳥取県,西伯郡大山町,高田,,,,,,,,,,,,,,,,,1991/3/26,,,,,,,,,阿弥陀川右岸の丘陵西端に立地する。墳丘はほぼ失われ、切石積みの横穴式石室が露出している。石室全長約4m、玄室奥行2.4m、玄室高1.7m。石室は、側壁への切組み積み手法の多用など、構築法に西伯耆地方の切石積み石室の特徴をよく示している。一方、切石を立てる玄門形態に、東伯耆～西因幡に分布する石室形態との共通性もうかがうことができ、古墳時代後期における当地域の政治的、社会的関係を考える上で貴重である。,,,
310000,TP3100002020,鳥取県,石塚廃寺塔跡,イシヅカハイジトウアト,,ishidukahaizitouato,県指定史跡,県指定の社寺跡,,31203,,鳥取県倉吉市石塚,鳥取県,倉吉市,石塚,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,小鴨川左岸の河岸段丘上にある奈良時代の廃寺跡。塔心礎と金堂跡と思われる基壇が残っており、伽藍配置は四天王寺式と推定される。塔心礎は直径2.2mで、中央に直径68cm、深さ13cmの柱穴がある。金堂跡とみられる基壇は、塔心礎の北約25mのところにあり、規模は東西15m、南北13m、高さ1.2mで、数個の礎石が確認されている。出土している瓦のうち、創建時の軒丸瓦は、地方色の強い特徴的なものである。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4313.htm#03,
310000,TP3100002030,鳥取県,天神山城跡,テンジンヤマジョウセキ,,tenzinyamazyouseki,県指定史跡,県指定の城跡,,31201,,鳥取県鳥取市湖山町南,鳥取県,鳥取市,湖山町南,,,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,鳥取市の湖山池東岸、通称天神山を中心とする一帯に立地する。「因幡志」等の地誌によると、文正元年（1466）に山名勝豊が城を築いたことになっているが、他説もあり、天神山城の起源は、今のところ明らかではない。天神山山頂の建物跡はきわめて良く残っており、ここに大規模な城館があったとみられる。また、この山麓に鳥取農業高校が移転した際に行った発掘作業で、城郭火災があったことが確認された。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002040,鳥取県,大日寺古墓群,ダイニチジコボグン,,dainitizikobogun,県指定史跡,県指定の墳墓,,31203,,鳥取県倉吉市桜,鳥取県,倉吉市,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,1983/4/26,,,,,,,,,倉吉市街地の西郊、桜集落に所在する石造五輪塔を主体とした古墓群。国府川に南面する丘陵斜面の３か所に点在する。これらの五輪塔は、鎌倉～室町時代のもので、多くは、火輪の軒幅が水輪幅より狭くアンバランスな印象を受ける。この特徴の五輪塔は「大日寺式」と呼ばれ、東伯耆を中心に美作まで分布するが、この小墓群のように群在するものはなく、中世の墓制を知る上で貴重な資料である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4315.htm#04,
310000,TP3100002050,鳥取県,金田瓦窯跡,カネダガヨウ,,kanedagayou,県指定史跡,県指定の窯跡,,31389,,鳥取県西伯郡南部町金田,鳥取県,西伯郡南部町,金田,,,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,窯跡は、標高55mの丘陵南斜面に立地する。伯耆町大寺廃寺の創建時の軒丸瓦が出土したため、白鳳時代（7世紀後半）の瓦窯跡と考えられる。花崗岩の斜面をくりぬいて造られているが、窯自体の保存状態は良好である。全長5.5m、高さ5.6m、煙出し穴の高さ1.7m。内部は、焚口、燃焼室、焼成室、煙道からなる。山陰では、古代の瓦窯の実態がほとんど解明されておらず、窯体そのものが現存する金田瓦窯跡は重要である。,,,
310000,TP3100002060,鳥取県,ナウマンゾウ牙萩沖日本海底産,ナウマンゾウキバハギオキニホンカイテイサン,,naumanzoukibahagiokinihonkaiteisan,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1987/4/14,,,,,,,,,この化石は、昭和60年（1985）5月、山口県萩市の沖合約150km、水深166mの海底で、鳥取市賀露港の漁船に採取された。全長169cm、最大周囲41.3cmで、ほぼ完形のナウマンゾウ左上切歯化石と同定された。先端から根部にかけてねじれと湾曲がみられ、ナウマンゾウの切歯の特徴をよく示している。なお、温泉津沖採取のものとの深度差は、最終氷期の極相期における海面低下量とナウマンゾウの生息圏との関係を考える上で重要である。,,,
310000,TP3100002070,鳥取県,矢矯神社社叢,ヤハギジンジャシャソウ,,yahagizinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市矢矯,鳥取県,鳥取市,矢矯,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/3/6,,,,,,,,,この社叢は、鳥取市街地の南西約14km、標高190m前後の山麓の北西側斜面にある。植物群落として、社殿前方斜面のタブノキ・ツバキ林、社殿後方の谷沿いのウラジロガシ・モチノキ林、社殿後方尾根寄りのスダジイ・モチノキ林に分類され、地形と植物群落との住み分けのような状態がよく表れている。北東に開く谷筋の奥に位置するためか、ツタウルシ・ツルシキミなど冷温地帯を指標とする植物を交えていることも注目される。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002080,鳥取県,意上奴神社社叢,イガミヌジンジャシャソウ,,igaminuzinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市香取,鳥取県,鳥取市,香取,,,,,,,,,,,,,,,,,1984/2/21,,,,,,,,,鳥取市の南部、JR津ノ井駅南方約1.5kmの丘陵地に位置する。標高100～110mの北～北東斜面に、面積約4haを占めて異なる林相の原生林的な照葉樹林が、大規模かつ良好に存在しており貴重である。胸高直径が2mに達する巨木が多数生育する。尾根状乾燥陽地のスダジイ・ウラジロガシを中心とする林と、低湿地のタブノキを中心とする林の2種類の異なった極相林がみられる。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002090,鳥取県,桂見の「二十世紀」ナシ親木,カツラミノニジッセイキナシオヤギ,,katuraminonizisseikinashioyagi,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市桂見,鳥取県,鳥取市,桂見,,,,,,,,,,,,,,,,,1985/2/2,,,,,,,,,「二十世紀」ナシは、明治21年（1888）に千葉県松戸市で偶然発見され、本県には、明治37年（1904）、北脇永治氏が、松戸市の原木から苗木10本をとり導入した。そのうち現存する3本を天然記念物に指定している。松戸市の原木は、すでに枯死しており、この桂見の親木3本のみが、「二十世紀」ナシの導入期と導入経路を正確に伝えている。樹齢90年を超えるこの親木は、一部に小さな空洞や枝折れもみられるが、樹勢はよい。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002100,鳥取県,粟島神社社叢,アワシマジンジャシャソウ,,awashimazinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31202,,鳥取県米子市彦名町,鳥取県,米子市,彦名町,,,,,,,,,,,,,,,,,1982/4/9,,,,,,,,,粟島は、弓浜半島のつけ根、米子市の中海東岸に位置する。かつては中海に浮かぶ小島だったが、現在は陸化して半島の一部となっている。標高約45m。社叢は、スダジイを主体とする約1.6haの原生林的自然林で、スダジイなどの高木類の樹高は、強い海風の影響か、あまり高くない。クロキ・トベラ・ツワブキなどを主要な構成種とする海浜型のスダジイ林だが、亜高木～低木層に巨大なシャンシャンボが生育するのも特異的な特徴である。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100002110,鳥取県,大日寺の大イチョウ,ダイニチジノオオイチョウ,,dainitizinoooityou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31203,,鳥取県倉吉市桜,鳥取県,倉吉市,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/3/6,,,,,,,,,この大イチョウは、倉吉市街地の西南約11km、国府川上流左岸の丘陵斜面に位置する。付近は、大日寺上院の旧寺域で、多量の瓦経が出土したことでも知られる。イチョウは雌木。本幹は、地上1.5mのところで枯損して空胴となっているが、根元からヒコバエが約20本出ており、樹高約30m、枝張りが東西約23m、南北約20mに達する大木となっている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4315.htm#09,
310000,TP3100002120,鳥取県,高岡神社社叢,タカオカジンジャシャソウ,,takaokazinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市国府町高岡,鳥取県,鳥取市,国府町高岡,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/5,,,,,,,,,この社叢は、高岡集落の北北西、標高約100mの南向きの緩斜面に位置する。林相は、社殿後方から東側にわたる高地のスダジイ林と、低地部のタブノキ・ヤブツバキ林に分かたれる。スダジイ林は、スダジイ・ウラジロガシを主体とし、他の社叢のシイ林と大差ないが、タブノキ・ヤブツバキ林中の亜高木層に、ヤブツバキの老樹が圧倒的に多いことを特徴としている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002130,鳥取県,菅野ミズゴケ湿原,スガノミズゴケシツゲン,,suganomizugokeshitugen,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市国府町菅野,鳥取県,鳥取市,国府町菅野,,,,,,,,,,,,,,,,,1967/12/12,,,,,,,,,　菅野ミズゴケ湿原は、扇ノ山山麓の標高400メートルの溶岩台地上にある湿原である。もともと沼地であったようで、水田に利用できなかった約0.9ヘクタールにミズゴケが群生している。ミズゴケは、種類が多く、日本だけでも約40種類生息するが、この湿原に生育しているミズゴケの多くは、オオミズゴケである。　オオミズゴケ以外に、サワオグルマ（4月～6月開花・黄色）、カキツバタ（5月～6月開花・紫色）、ヌマトラノオ（7月～8月開花・白色）、コバギボウシ（7月～8月開花・紫色）、サワギキョウ（9月～10月開花・紫色）、キセルアザミ（9月～10月開花・紫色）等の群落がみられ、季節ごとに訪れる人々を楽しませてくれる。  鳥取県は元来、山域に平坦地が少なく湿原も少ない上に、ミズゴケが生育する湿原は限られている。全国的に湿原が減少する中、このように広範囲にミズゴケが群生する菅野ミズゴケ湿原はきわめて貴重な存在である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002140,鳥取県,坂谷神社社叢,サカタニジンジャシャソウ,,sakatanizinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市福部町栗谷,鳥取県,鳥取市,福部町栗谷,,,,,,,,,,,,,,,,,1983/9/27,,,,,,,,,この社叢は、福部駅の東方約400m、南北に開いた標高30～100mの南向き斜面に位置する、スダジイ林を主とする大規模な照葉樹林である。特に、参道石段の両側と社殿のある岩窟をぬけた一帯に、優れたスダジイ林がある。また、石段を登った付近には、ケヤキの大木が多く、ヤブツバキにも、珍しく大形のものが混じる。なお、この社叢では、南方系のクリハラン（シダの一種）など分布上貴重な植物の自生も確認されている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002150,鳥取県,福本のオハツキイチョウ,フクモトノオハツキイチョウ,,fukumotonoohatukiityou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町福本,鳥取県,八頭郡八頭町,福本,,,,,,,,,,,,,,,,,1970/2/20,,,,,,,,,福本の集落は、郡家駅の北に位置し、その集落奥の山麓に大きなイチョウの木があるのが、列車の窓からも見ることができる。このイチョウはオハツキイチョウと呼ばれ、葉の先に雌花がつき、種子（いわゆるギンナン）が実るという珍しいイチョウである。この木は山梨県身延山上沢寺のオハツキイチョウ（国指定天然記念物）の二世といわれ、霊木として信仰を集めている。,,,
310000,TP3100002160,鳥取県,西御門の大イチョウ,ニシミカドノオオイチョウ,,nishimikadonoooityou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町西御門,鳥取県,八頭郡八頭町,西御門,,,,,,,,,,,,,,,,,1970/2/20,,,,,,,,,西御門は、国道29号線沿いの集落で、集落の奥にある高台に大イチョウの木が立っている。雌木で、毎年秋になると大量のギンナンをつける。胸高直径約2.5m、枝張りは、東西約35m、南北約29m、樹高は、約30mを測る巨樹である。また、根元の南面には疱瘡神をまつる祠があり、疱瘡（天然痘）が流行した時代の民俗資料としても興味深い。,,,
310000,TP3100002170,鳥取県,弓河内の大シダレザクラ,ユミゴウチノオオシダレザクラ,,yumigoutinoooshidarezakura,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市河原町弓河内,鳥取県,鳥取市,河原町弓河内,,,,,,,,,,,,,,,,,1955/9/6,,,,,,,,,シダレザクラの巨樹として、県内で有数のもの。胸高周囲2.7m、樹高約11m。地上5mのところから5本の太い枝に分かれ、細い枝が地面近くまで傘のようにしだれている。4月上旬～中旬の満開期になると、淡い紅色の花をつける。自然災害にともなう折損等により、一部枯れている枝があるが、満開時の姿はみごとである。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002180,鳥取県,落河内の大キリシマ,オチガコウチノオオキリシマ,,otigakoutinoookirishima,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市河原町北村,鳥取県,鳥取市,河原町北村,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/2/6,,,,,,,,,キリシマツツジは、九州南部の山岳地帯に自生する低木であるが、5月初めに赤色の美しい花をつけるので、観賞用としても全国で栽培されている。このツツジは、桜谷の旧家にあり、樹高3.6m、枝張りは、東西5.1m、南北7mに達し、直径5cm以上ある枝が20本あるなど、本県にあるキリシマツツジとしては有数の巨樹である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002190,鳥取県,長瀬の大シダレザクラ,ナガセノオオシダレザクラ,,nagasenoooshidarezakura,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市河原町長瀬,鳥取県,鳥取市,河原町長瀬,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/5,,,,,,,,,国道53号線から200mほど離れた住宅の庭に植えられたシダレザクラの巨樹。シダレザクラの巨樹として県内でも有数のものである。胸高周囲2.6m、樹高約12m。4月上旬に花期をむかえ、やや赤味の強い淡紅色の花をつける。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002200,鳥取県,落河内のカツラ,オチガコウチノカツラ,,otigakoutinokatura,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市河原町北村,鳥取県,鳥取市,河原町北村,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,落河内から広域農道を三朝町方面に約1km、渓流沿いのカーブの内側にそびえている。カツラはカツラ科の落葉高木で、樹皮は灰褐色で雌雄異株、4月～5月頃、葉よりも早く花をつける。根元付近から分岐し、大きさを比べるのが難しいが、一つの筒に見立てたときの胸高直径は、約4m、枝張りは、東西36.5m、南北35.7mをはかる。江府町洲河崎のカツラと並び、カツラとしては有数の巨樹である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002210,鳥取県,清徳寺の巨樹名木群,セイトクジノキョジュメイボクグン,,seitokuzinokyozyumeibokugun,県指定天然記念物,県指定の植物,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町清徳,鳥取県,八頭郡八頭町,清徳,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/3/6,,,,,,,,,清徳寺は、清徳集落の東方の丘陵斜面に位置する。ヒワダザクラ、カゴノキ、モチノキ、ボダイジュの巨樹がある。このうち、カゴノキは関東以西に分布する暖地の植物で、県内での分布は少ない。,,,
310000,TP3100002220,鳥取県,中江の一本スギ,ナカエノイッポンスギ,,ｎａｋａｅｎｏｉｐｐｏｎｓｕｇi,県指定天然記念物,県指定の植物,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町中原,鳥取県,八頭郡若桜町　,原,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,若桜町の三宝山近くに大通峠を越えて兵庫県へ抜ける旧道がある。この峠の手前の旧道沿いに、1本だけウラスギが直立している。胸高直径1.4m、樹高約20mの大木である。かつてこの周辺に林業やたたら製鉄を生業とした集落があったことから、集落や道路の目標となったものと考えられる。根元や付近には、墓標や五輪塔が散在している。,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100002230,鳥取県,若桜神社社叢,ワカサジンジャシャソウ,,ｗａｋａｓａｚｉｎｚｙａｓｙａｓｏ,県指定天然記念物,県指定の植物,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町若桜,鳥取県,八頭郡若桜町　,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,1982/4/9,,,,,,,,,この社叢は、若桜町と八頭町の境にある遠見山から北東にのびる尾根の先端南東斜面に位置する。標高は220～280mで、シラカシを中心とするカシ林である。シラカシには巨大なものが多く、胸高直径が90cmを超えるものもみられる。植林とみられる部分もあり、自然性は必ずしも高いとはいえないが、鳥取県下では数少ないシラカシの多い、成熟した照葉樹林として貴重である。,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100002240,鳥取県,犬山神社社叢,イヌヤマジンジャシャソウ,,ｉｎｕｙａｍａｚｉｎｚｙａｓｙａｓｏｕ,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市用瀬町宮原,鳥取県,鳥取市,用瀬町宮原,,,,,,,,,,,,,,,,,1985/2/22,,,,,,,,,この社叢は、篭山から伸びる尾根の末端（標高約120～180m）に残存している照葉樹林。北斜面は、高木層の半分をシラカシが占める。社殿域から頂上にかけてのスダジイ林では、高木層にスダジイが優占する。また、イヌブナやツクバネガシが生育するのが比較的珍しい。この社叢には、千代川の谷筋の冷涼効果により、200m以下の標高ではあまり見られない樹木が認められ、自然やその地域の気候を反映した自然林として貴重である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002250,鳥取県,田岡神社のツバキ樹林,タオカジンジャノツバキジュリン,,taokazinzyanotubakizyurin,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市佐治町津無,鳥取県,鳥取市,佐治町津無,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,この樹林は、標高300mの山地帯にあり、ヤブツバキやケヤキで構成され、ヤブツバキがその大部分を占めている。特に道路際に立つ大きなものは、胸高直径約73cm、樹高約18mもあり、樹齢300年と思われる巨木である。このほか、境内には約30本のツバキの若木が林をなしており、一斉に咲きそろう姿はみごとである。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002260,鳥取県,豊乗寺のスギ,ブジョウジノスギ,,buzyouzinosugi,県指定天然記念物,県指定の植物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町新見,鳥取県,八頭郡智頭町,新見,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,豊乗寺は、国宝普賢菩薩像で知られる古刹で、境内にスギの巨樹が3本立っている。このうち、本堂の北斜面に立つスギが最も大きく、胸高直径約2m、枝張は東西南北各20mを測る。また、本堂南方の墓地に立つスギは、胸高直径約1.5m、参道左下に立つスギは、胸高直径約1.7mを測る。なお、智頭町はスギの大産地で、このほかにも、各地にスギの名木が知られている。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100002270,鳥取県,むし井神社社叢,ムシイジンジャシャソウ,,musiizinnzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町大呂,鳥取県,八頭郡智頭町,大呂,,,,,,,,,,,,,,,,,1986/12/2,,,,,,,,,この社叢は、標高330～440mの尾根の先端斜面に位置する。南向きの斜面はウラジロガシ林で、高木層にウラジロガシ、亜高木層にヒサカキの割合が高い。ところが、隣接する南南東斜面では森林の様子が急変し、ブナ、オオモミジやクロモジなどを中心とする落葉広葉樹林を形成している。このような低標高地にブナ林があり、人里に近い割に、広大な元始生的な森林が良好に保存されていることから、学術的価値が高い。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100002280,鳥取県,相屋神社社叢,アイヤジンジャシャソウ,,aiyazinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31201,,鳥取県鳥取市青谷町青谷,鳥取県,鳥取市,青谷町青谷,,,,,,,,,,,,,,,,,1983/9/27,,,,,,,,,JR山陰本線のすぐ南側、勝部川左岸にのびる尾根の先端緩斜面（標高30～60m）に位置する、スダジイを主とする照葉樹林。林相は、県内他地域のスダジイ林と大差ないが、トキワイカリソウを多く生じている部分のあることが、特徴となっている。旧気高郡（現鳥取市青谷町・気高町・鹿野町）には、この他に、規模的にまとまりのある極相的な照葉樹林はほとんどなく、学術的価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002290,鳥取県,花倉山のヒノキ・ホンシャクナゲ群落,ハナクラヤマノヒノキ・ホンシャクナゲグンラク,,hanakurayamanohinoki・honsyakunagegunraku,県指定天然記念物,県指定の植物,,31364,,"鳥取県東伯郡三朝町笏賀,花倉谷",鳥取県,東伯郡三朝町,,,,,,,,,,,,,,,,,,1964/3/3,,,,,,,,,花倉山は、三徳山に関わる霊場として、自然林が現在までよく保存されている。ヒノキ・ホンシャクナゲ群落は、滝の周辺部など湿度の高い急崖地に極限的に発達する貴重な群落である。ホンシャクナゲはツツジ科に属し、渓谷の断崖に多い植物で、葉の裏に褐色の毛が密生するツクシシャクナゲの変種である。4月下旬から5月上旬に淡い紅色の花を開く。また、この地の環境を反映して、シシランなど多様なシダ植物が生育する。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100002300,鳥取県,福本のツバキ,フクモトノツバキ,,fukumotonotubaki,県指定天然記念物,県指定の植物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町福本,鳥取県,東伯郡三朝町,福本,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,三朝町から岡山県真庭市に抜ける国道482号沿い、倉吉市関金町に抜ける県道との分岐点近くに、ヤブツバキの大木が立っている。樹勢は旺盛で、胸高直径54cm、樹高6m、枝の広がりは、8m×7mある。このヤブツバキは昔、油を採取するために植えられたものであるが、旅人の休息場所としても利用された。峠を越すと関金温泉という位置にあり、道標となった記念木でもある。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100002310,鳥取県,関金のシイ,セキガネノシイ,,sekiganenosii,県指定天然記念物,県指定の植物,,31203,,鳥取県倉吉市関金町安歩,鳥取県,倉吉市,関金町安歩,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,スダジイはブナ科に属する常緑高木。本例は小鴨川の段丘上に立つスダジイで、胸高直径2.3m、樹高18m、枝の広がり20m×25mの巨木である。樹勢も旺盛で、遠方からも目をひく。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4317.htm#05,
310000,TP3100002320,鳥取県,転法輪寺の大イチョウ,テンポウリンジノオオイチョウ,,tenpourinzinoooityou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町別宮,鳥取県,東伯郡琴浦町,別宮,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,転法輪寺は、別宮の集落の西方上手、山麓の小高いところに位置する天台宗の古寺。本堂の右手東方約15mのところに立つ雄木の大イチョウである。胸高直径約1.6m、枝張りは東西約20m、南北約22m。樹高は約27mを測る。かつて台風で大枝を折損しているが、樹勢はよい。地元では、秋このイチョウの落葉が終ると初雪が降るので、季節を知らせる木として親しまれている。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100002330,鳥取県,琴浦町別宮の大イヌグス,コトウラチョウベツミヤノオオイヌグス,,kotouratyoubetumiyanoooinugusu,県指定天然記念物,県指定の植物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町別宮,鳥取県,東伯郡琴浦町,別宮,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/5/30,,,,,,,,,別宮集落の東方の水田中に、空也上人の墓として崇敬を集める、「上人塚」と呼ばれる小さな樹叢がある。大イヌグスは、塚に立つ五輪塔の両側にある。このうち、東方の1本は、胸高直径1.5m、高さ15m、枝張りは東西20m、南北18mを測る。西方の1本は、やや小さい。イヌグスは、クスノキ科のタブノキを指し、代表的な照葉樹である。,,,
310000,TP3100002340,鳥取県,古布庄の大スギ,コウノショウノオオスギ,,kounosyounooosugi,県指定天然記念物,県指定の植物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町中津原,鳥取県,東伯郡琴浦町,中津原,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/12/25,,,,,,,,,中津原は、裏大山の地獄谷を源流とする加勢蛇川の谷筋に位置し、かつては大山寺へ通じる要路だった。スギは、道路の南東側にある大正神社の境内に立っている。胸高直径約2.3m、枝張りは、東西、南北とも約19m、樹高約30mを測る。地元では、神木として崇敬を集めている巨木である。,,https://www.town.kotoura.tottori.jp/docs/2016030700061/,
310000,TP3100002350,鳥取県,箆津のハマヒサカキ群落,ノツノハマヒサカキグンラク,,notunohamahisakakigunraku,県指定天然記念物,県指定の植物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町箆津,鳥取県,東伯郡琴浦町,箆津,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,ハマヒサカキは、ツバキ科の常緑低木で、本州の千葉県以西から沖縄、朝鮮半島南部、台湾にまで自生する暖地生の海岸植物である。雌雄別株で、早春に花をつける。箆津海岸は、大山の裾野が大きく日本海に突出した位置に当たり、対馬海流に直接洗われるため、ハマヒサカキが自生したもので、日本海側における分布北限地である。箆津の群落は、枝が低く広がっていることを特徴とし、幹の径は35cm前後を測る。,,,
310000,TP3100002360,鳥取県,マテバシイの北限地帯［智光寺の樹叢］,マテバシイノホクゲンチタイ,,matebasiinohokugentitai,県指定天然記念物,県指定の植物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町赤碕,鳥取県,東伯郡琴浦町,赤碕,,,,,,,,,,,,,,,,,1989/4/18,,,,,,,,,マテバシイは、ブナ科の暖地生常緑広葉樹で、主に、関東以南の太平洋側の低地に分布する。この地のマテバシイは、島根県日御崎付近とともに自生の北限と考えられている。成育状況も、樹高約20mに達する数本の成木のほか、多数の幼樹、稚樹が認められるなど安定している。これは、この付近の海岸が日本海にやや突出し、対馬海流の影響で冬季も比較的暖かい地域であることによるものと考えられ、植物分布上、価値が高い。,,,
310000,TP3100002370,鳥取県,佐伯氏のクロガネモチ,サエキシノクロガネモチ,,saekisinokuroganemoti,県指定天然記念物,県指定の植物,,31389,,鳥取県西伯郡南部町福成,鳥取県,西伯郡南部町,福成,,,,,,,,,,,,,,,,,1961/2/3,,,,,,,,,クロガネモチは、暖地生の常緑広葉樹の高木で、主に中部以南の太平洋側に分布する。日本海側では、この付近が自生の北限にあたると考えられる。日野川の支流、法勝寺川の中流に位置し、民家の一隅に立っている。胸高直径約90cm、枝張りは、東西約14m、南北約16m、樹高約13mを測る。雄株で、6月頃開花するが実はできない。,,,
310000,TP3100002380,鳥取県,長田神社社叢,ナガタジンジャシャソウ,,nagatazinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31389,,鳥取県西伯郡南部町馬場,鳥取県,西伯郡南部町,馬場,,,,,,,,,,,,,,,,,1961/2/3,,,,,,,,,この社叢は、法勝寺川に面して突出する尾根を占めて位置し、面積約3.5haで県下最大級を誇る。大部分は、スダジイ林で、タブノキ、サカキ、クロキ、クロガネモチが多い。急斜面には、ウラジロガシ林が発達するが、亜高木層にサカキが優占する。巨樹も多く、その最大胸高直径は、スダジイで1.6m、ウラジロガシで1.1mに達する。,,,
310000,TP3100002390,鳥取県,金華山熊野神社社叢,キンカザンクマノジンジャシャソウ,,kinkazankumanozinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31389,,鳥取県西伯郡南部町八金,鳥取県,西伯郡南部町,八金,,,,,,,,,,,,,,,,,1982/4/9,,,,,,,,,この社叢は、古くから行場とされてきた金華山（標高354m）の山頂付近の自然林約7haである。高木層にスダジイを多くもつことを特徴とする照葉樹林であるが、岩が露出する山頂部付近には、アカマツやヒノキの天然林も多くみられる。また、山陰地方では稀少なクロバイの小林部もみられる。,,,
310000,TP3100002400,鳥取県,長寿寺・落合神社の樹叢,チョウジュジ・オチアイジンジャノジュソウ,,tyouzyuzi・otiaizinzyanosyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31389,,鳥取県西伯郡南部町落合,鳥取県,西伯郡南部町,落合,,,,,,,,,,,,,,,,,1985/6/25,,,,,,,,,この樹叢は、尾根の末端、標高50～95m付近に残っているスダジイ林である。特に、社殿北側に、この樹叢域で最大のスダジイ（樹高約20m）があるほか、尾根の東側斜面に、スダジイの多い優れた照葉樹林が広がっている。全体として、青年期から壮年期のスダジイを主とする典型的な照葉樹林として貴重である。また、社殿後方の尾根北側に、低地には珍しいアカガシの大木が3本立っている。,,,
310000,TP3100002410,鳥取県,解脱寺のモミ並木,ゲダツジノモミナミキ,,gedatuzinomominamiki,県指定天然記念物,県指定の植物,,31401,,鳥取県日野郡日南町下阿毘縁,鳥取県,日野郡日南町,下阿毘縁,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/5,,,,,,,,,解脱寺は、島根県奥出雲町に抜ける出雲街道沿いに位置する日蓮宗の古刹。参道の石段の途中に、馬場とよばれる幅約4mの平坦地が左右に延びており、この馬場の南縁に、モミの巨木の並木が立っている。約200年前の植樹の際に、一株毎に米一俵を肥料として入れたと口伝されている。指定時にはモミ14本とアスナロ１本があったが、現在では枯損などにより、モミ４本とアスナロ１本の他にスギ等７本になっている。,,https://www.town.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuka/bunkazai/380.html,
310000,TP3100002420,鳥取県,上石見のオハツキ・タイコイチョウ,カミイワミノオハツキ・タイコイチョウ,,kamiiwaminoohatuki・taikoityou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31401,,鳥取県日野郡日南町上石見,鳥取県,日野郡日南町,上石見,,,,,,,,,,,,,,,,,1970/2/20,,,,,,,,,JR上石見駅の北約200mに大石見神社があり、イチョウ、ケヤキ、カヤ、ヤブツバキなどで構成される社叢をなしている。オハツキ・タイコイチョウは、種子が、葉の上で結実し、しかも2個の実がついて太鼓形になるのでこの名がある、異形のイチョウである。神社の石段を登った両側にイチョウが植えられており、このうち右手のものが、このオハツキである。胸高直径約1.3m。幹に多数のコブ状の隆起が認められることも特徴である。,,https://www.town.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuka/bunkazai/380.html,
310000,TP3100002430,鳥取県,楽楽福神社社叢,ササフクジンジャシャソウ,,sasafukuzinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31401,,鳥取県日野郡日南町印賀,鳥取県,日野郡日南町,印賀,,,,,,,,,,,,,,,,,1985/2/22,,,,,,,,,この社叢は、日野川の支流、印賀川上流の左岸にある尾根の東南端の標高約430～460mに位置するモミ林である。高木層にコナラ、モミ、亜高木層にアオハダ、ミズナラなど、低木層にアセビ、ソヨゴなどが見られる。自然林の少ない日野郡内で、常緑広葉樹林（照葉樹林帯）から夏緑林帯（ブナ帯）へと移行する中間林帯における一典型林とみなされる貴重なモミ林である。,,https://www.town.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuka/bunkazai/380.html,
310000,TP3100002440,鳥取県,聖神社社叢,ヒジリジンジャシャソウ,,hizirizinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31402,,鳥取県日野郡日野町黒坂,鳥取県,日野郡日野町,黒坂,,,,,,,,,,,,,,,,,1982/4/9,,,,,,,,,この社叢は、黒坂駅の裏手、標高約240～270mの丘陵地にある、シラカシとウラジロガシを中心とする、内陸部を代表する自然性の高い樹叢である。このうち、社殿に向かって左側の斜面とその上部に、良好な照葉樹林が残っている。なお、社殿に登る石段横の広場にツガの大木があるが、植栽木にしても珍しい。,,,
310000,TP3100002450,鳥取県,根雨神社社叢,ネウジンジャシャソウ,,neuzinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31402,,鳥取県日野郡日野町根雨,鳥取県,日野郡日野町,根雨,,,,,,,,,,,,,,,,,1984/2/21,,,,,,,,,根雨神社は、根雨市街地東方の旧社殿域（現、高尾神社）と市街地西方の現社殿域の両方に社叢がある。両者とも天然記念物に指定されているが、このうち、旧社殿域の方は、標高約200～300mの尾根の末端に位置し、極相に達したシラカシ・ウラジロガシ林が保全されている。胸高直径が1mを超える大木が散見され、樹高は約20mに及び、樹勢もよい。亜高木には、オオモミジやヤブツバキの大木が混じっている。,,,
310000,TP3100002460,鳥取県,武庫の七色ガシ,ムコノナナイロガシ,,mukononanairogasi,県指定天然記念物,県指定の植物,,31403,,鳥取県日野郡江府町武庫,鳥取県,日野郡江府町,武庫,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,JR伯備線武庫駅の南方、明倫小学校裏の山麓に立つシラカシの大木。胸高直径65cm、枝張りは南北10m、樹高約18mを測る。ブナ科の常緑広葉樹で、季節毎に、紫（5月頃）→白（6月）→赤（7月）→緑（8月）→青（9月～翌3月）と葉の色を順次変えていくことから、七色ガシの名がつけられたが、変色の原因については、よく分かっていない。,,https://www.town-kofu.jp/p/2/1/11/5/1/3/,
310000,TP3100002470,鳥取県,下蚊屋明神のサクラ,サガリカヤノミョウジンノサクラ,,sagarikayanomyouzinnosakura,県指定天然記念物,県指定の植物,,31403,,鳥取県日野郡江府町下蚊屋,鳥取県,日野郡江府町,下蚊屋,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,岡山県との県境、標高600mに位置するエドヒガンの巨木。エドヒガンは、本州～九州の山中に野生するバラ科の大型の樹木で、長寿なため、寺院などに植えられ、老樹も多い。一重咲きで、シダレザクラは本種の栽培品種である。この巨樹は、毎年4月25日頃開花し、淡い紅色の花をつける。,,https://www.town-kofu.jp/p/2/1/11/5/1/3/,
310000,TP3100002480,鳥取県,熊野神社社叢,クマノジンジャシャソウ,,kumanozinzyasyasou,県指定天然記念物,県指定の植物,,31403,,鳥取県日野郡江府町俣野,鳥取県,日野郡江府町,俣野,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/3/30,,,,,,,,,この社叢は、日野川の支流である俣野川の下流に位置し、俣野小学校に隣接する。標高約350m。ウラジロガシ、ヤブツバキが優占し、他にイチイ、ケヤキ、アカマツなどにより構成される自然林がよく残っている。特にイチイは、胸高直径約83cm、高さ15mを越える大木が含まれている。このほか、ウラジロガシ、イチョウ、スギ、ヒノキ、ヒメコマツなどの巨木もみることができる。,,https://www.town-kofu.jp/p/2/1/11/5/1/3/,
310000,TP3100002490,鳥取県,洲河崎のカツラ,スガワザキノカツラ,,sugawazakinokatura,県指定天然記念物,県指定の植物,,31403,,鳥取県日野郡江府町洲河崎,鳥取県,日野郡江府町,洲河崎,,,,,,,,,,,,,,,,,1989/4/18,,,,,,,,,カツラは、カツラ科の落葉高木で、日本南部では、渓谷沿いなどに分布する。標高約320mの渓流沿いの西向き斜面に立ち、鉄山の守護神として祀られてきた巨樹。根元付近から分岐しており、その束を1本とみなして測定すると、胸高直径3.5m、高さ28m、枝張り30mに達する。カツラはその形状から大きさを比較することが難しいが、鳥取市河原町「落河内のカツラ」とともに、日本有数の巨樹と考えられる。,,https://www.town-kofu.jp/p/2/1/11/5/1/3/,
310000,TP3100002500,鳥取県,扇ノ山の火山弾,オウギノセンノカザンダン,,ouginosennokazandan,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1980/3/4,,,,,,,,,"扇ノ山は、標高1,310mの更新世火山で、玄武岩質溶岩台地である広留野の北端付近には、末期の火山活動でスコリアや火山弾の堆積により、火山碎屑丘を形成している。この火山弾は、八頭郡八頭町地内の扇ノ山南方約1kmで昭和46年(1971)に発見された。直径105cm、短径57cm、最長周囲172cmと大型で、可塑性に富んだ扇ノ山の溶岩が、空中に放出されて落下する際の旋回運動によって紡錐状に固まったものと考えられている。",,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100002510,鳥取県,ナウマンゾウ牙温泉津沖日本海底産,ナウマンゾウキバ,,naumanzoukiba,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1980/3/4,,,,,,,,,この化石は、昭和41年（1966）1月、島根県温泉津町の沖合い60km、水深220mの日本海海底で、岩美町田後港の漁船が採取したもの。全長230cm、最大周囲45cmで、ナウマンゾウの左上切歯化石と同定された。この種の化石としては最大級に属し、全体にねじれがあり、ゆるく湾曲しているなど、ナウマンゾウの切歯の特徴をよく示している。ナウマンゾウの生息圏や海面変動などを考える上で貴重な資料である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002520,鳥取県,荒神原のオオサンショウウオ生息地,コウジンバラノオオサンショウウオセイソクチ,,kouzinbaranooosansyouuoseisokuti,県指定天然記念物,県指定の動物,,31402,,鳥取県日野郡日野町上菅,鳥取県,日野郡日野町,上菅,,,,,,,,,,,,,,,,,1986/12/2,,,,,,,,,オオサンショウウオは、岐阜県～北九州の山間部の清流に生息する。中国大陸南部に近縁のタイリクオオサンショウウオがいる。個体は、国指定特別天然記念物。荒神原には、コナラ、クリの落葉樹林、アカマツ、コナラの混交林が広がって、年間水量が安定し、餌となるサワガニ、アカガエルなどの生息も豊富である上、川床の基盤が花崗岩で、巣穴となり得るすき間や川岸の水蝕洞が豊富なため、県下の代表的な生息地となっている。,,,
310000,TP3100002530,鳥取県,三滝溪,ミタキケイ,,mitakikei,県指定名勝,県指定の渓流,,31201,,鳥取県鳥取市河原町北村,鳥取県,鳥取市,河原町北村,,,,,,,,,,,,,,,,,1956/2/17,,,,,,,,,曳田川上流、標高220mの権現の森から三滝不動滝まで標高差600m、延長4.5kmの渓谷。主谷部は、流紋岩質凝灰岩質角礫岩や花崗岩からなり、狭く深いV字谷を形成している。落差60mの千丈滝等、滝が高く渕が浅いのが特色となっている。渓谷の下流域は、常緑、落葉広葉樹の原生林（権現の森）、中流域は、夫婦岩など渓流中の巨岩、上流域は、連続する滝、渕がそれぞれ景観の中心となっている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002540,鳥取県,弓浜絣　［保持団体：弓浜絣保存会］,ユミハマガスリ,,yumihamagasuri,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,,,"鳥取県米子市,境港市",鳥取県,"米子市,境港市",,,,,,,,,,,,,,,,,,1978/12/12,,,,,,,,,弓浜絣は鳥取県西部の弓浜半島周辺に伝えられる伝統工芸。手つむぎ糸を使用し、天然藍で染める。寛政年間（1789～1800）に、米子の車尾で「つかみ絞」という簡単な絞り染め技法をもとに始まったと伝えられ、綿織物が農家唯一の衣料だったこともあり、藩政期の終わりには、藩の保護と指導のもとに農家の副業として発展した。現在は保存会により技術の保存伝承が図られている。,,https://www.city.sakaiminato.lg.jp/index.php?view=110160,
310000,TP3100002550,鳥取県,因州佐治みつまた紙　［保持団体：因州筆切れず紙保存会］,インシュウサジミツマタシ,,insyuusazimitumatasi,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31201,,鳥取県鳥取市佐治町加瀬木,鳥取県,鳥取市,佐治町加瀬木,,,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,佐治谷での紙すきの記録は、江戸初期までさかのぼる。みつまた紙が本格的にすかれるのは明治に入ってからで、この地方が原料の栽培に適地であり、また積極的に技術改良が行われたことから、わが国有数のみつまた紙の産地となった。工程は、「水浸け」「煮釜」で皮を柔らかくし、「晒し」（漂白）の後、ほぐした繊維を溶かして流しすきをする。紙質が丈夫で、墨色が鮮明なことから、高級書道紙などに愛用されている。,,,
310000,TP3100002560,鳥取県,因州青谷こうぞ紙　［保持団体：因州青谷こうぞ紙手すき和紙保存会］,インシュウアオヤコウゾシ,,insyuuaoyakouzosi,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31201,,鳥取県鳥取市青谷町山根,鳥取県,鳥取市,青谷町山根,,,,,,,,,,,,,,,,,1976/8/3,,,,,,,,,江戸時代の和紙生産は、藩の御用紙の自給を目指して保護奨励されるとともに、藩外への移出、藩外からの移入を禁止するなど厳しく統制された。明治に入り、みつまた紙の生産に移行が進んだが、山根地区では「こうぞ」を中心とする和紙生産が現在まで続けられている。工程は、「水浸け」「煮釜」で皮を柔らかくし、「晒し」（漂白）の後、古式の手打ちか機械で皮を叩いてほぐした繊維を流しすきにする。,,,
310000,TP3100002570,鳥取県,大和佐美命神社獅子舞,オオワサミノミコトジンジャシシマイ,,oowasaminomikoto-zinzya sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,"鳥取県鳥取市上砂見,中砂見大湯棚",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/12/25,,,,,,,,,上砂見の大和佐美命神社に奉納される獅子舞。中砂見の大湯棚地区と上砂見の2か所に伝わっており、大湯棚の獅子を雄獅子、上砂見の獅子を雌獅子と呼んでいる。「正統権現流」と称し、東照権現（鳥取市の樗谿神社）の「権現流」から習ったとの伝承がある。また、大湯棚の獅子頭は江戸中期の作といわれ、麒麟獅子頭の傑作として保護文化財にも指定されている。,,,
310000,TP3100002580,鳥取県,岩坪神社獅子舞,イワツボジンジャシシマイ,,iwatubo-zinzya sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市岩坪,鳥取県,鳥取市,岩坪,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/12/25,,,,,,,,,秋の岩坪神社の祭礼に奉納される。「権現堂古流三方舞」と称し、東照権現（樗谿神社）の獅子舞に習ったと伝えられる。ただし、樗谿神社のような麒麟獅子頭ではなく、神楽獅子の頭を用いて舞う。また、2人立ちの雌雄2頭の獅子によって舞われるところにもその特色がある。この獅子舞は藩主池田家から家紋「揚羽の蝶」の木札を与えられ、その木札をもって巡回したとも伝えられている。,,,
310000,TP3100002590,鳥取県,越路雨乞踊,コエジアマゴイオドリ,,koezi amagoi-odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市越路,鳥取県,鳥取市,越路,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/12/25,,,,,,,,,雨が授かったことを神に感謝する踊りとして伝承されてきた。宝暦6年（1756）が記録に残る最古。現在では、民俗芸能としての要素もあり、随時行われるようになった。行事は、「ささら摺り」を先頭に、踊りの総指揮者である「新発意」を中心とする50人ほどが神社へ行進する。境内での本踊りは、円陣をつくり、花笠をかぶって締太鼓をたたきながら格調高く優美に踊ることを特徴としている。,,https://www.pref.tottori.lg.jp/265714.htm,
310000,TP3100002600,鳥取県,栖岸寺の双盤念仏,セイガンジノソウバンネンブツ,,seigan-zi no souban-nenbutu,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市湖山町北,鳥取県,鳥取市,湖山町北,,,,,,,,,,,,,,,,,1963/3/5,,,,,,,,,「常念仏回向」という行の結願を感謝する儀式の中で奉納されてきた伝統行事。現在は「常念仏」という行自体が行われていないので、約一千日をおいた3年毎の4月に双盤念仏のみを行っている。檀家の青年のうち、心身ともに健全な長男のみを構成員として講が組織され、行事は10名あまりの偶数の講員によって取り行われる。念仏は双盤鉦を打ち鳴らしながら唱えられ、約40分の「一流れ」を行う。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002610,鳥取県,米子盆踊,ヨナゴボンオドリ,,yonago bon-odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31202,,鳥取県米子市富士見町,鳥取県,米子市,富士見町,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,米子市富士見町に伝えられている盆踊りで、毎年8月14日に米子市公会堂前広場で踊られる。その起源には、「母思いの木蓮尊者が、地獄道をたどらねばならなかった母を、天上楽土に住みかえさせようと信仰を重ねた。その願いがかなったことのお告げを受けた夏、喜んだ木蓮は連日連夜踊りつづけた」という伝説による。踊りは輪踊りであり、豪快な大太鼓を打つことがこの踊りの特徴となっている。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100002620,鳥取県,宇倍神社獅子舞,ウベジンジャシシマイ,,ube-zinzya sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市国府町宮下,鳥取県,鳥取市,国府町宮下,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/12/25,,,,,,,,,宇倍神社の獅子舞は、因幡特有の麒麟獅子舞で、先導役の猩々と獅子の頭役、後役、各1名、囃方3名の計6名で構成され、毎年4月21日の例祭に神前に奉納される。神前に奉納される舞は、三方舞と呼ばれるものを本格とし、現在すたれてしまった鳥取東照宮（樗谿神社）獅子舞の直系をつぐものとして貴重である。因幡に伝承される各神社の麒麟獅子舞は、宇倍神社獅子舞の影響を受けているものが多いと言われる。,,,
310000,TP3100002630,鳥取県,牧谷のはねそ踊,マキダニノハネソオドリ,,makidani no haneso-odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31302,,鳥取県岩美郡岩美町牧谷,鳥取県,岩美郡岩美町,牧谷,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,鳥取県東部の各地に「はねそ踊り」と呼ばれる優雅な踊りが伝えられている。語源は「はねすそ」、即ち、裾をはね上げて踊る様子からとも言われる。「牧谷のはねそ踊」は、六尺長柄の鈴傘をもった男と、編笠をかぶった女が対になって踊るところに特色がある。もともとはお盆に仮装して踊ったというが、現在は男女とも浴衣姿で「絵本太閤記」や「仮名手本忠臣蔵」の一節に合わせて踊ることが多い。,,,
310000,TP3100002640,鳥取県,用瀬のひな送り,モチガセノヒナオクリ,,motigase no hina-okuri,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31201,,鳥取県鳥取市用瀬町,鳥取県,鳥取市,用瀬町,,,,,,,,,,,,,,,,,1985/6/25,,,,,,,,,「ひな送り」は女性の行事で、人形に穢れや災厄を移して水に流し、これを祓うことを目的としている。かつては、因幡で広く行われていたが、現在では用瀬などにわずかに残るのみとなった。用瀬では旧暦の三月節供に、「流しびな」と呼ばれる立ちびな形式の男女一対の紙びなを、内裏びななどと一緒にひな壇に飾り、三日の夕方にこれを桟俵に載せ、千代川に流す。因幡に春をよぶ風物でもある。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002650,鳥取県,細尾の獅子舞,ホソオノシシマイ,,hosoo no sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市佐治町加茂,鳥取県,鳥取市,佐治町加茂,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,鳥取市佐治町賀茂地神社の氏子細尾地区に古くから伝わる獅子舞。当地は近世に柿渋の集散地として賑わった地であり、上方との往来もさかんであったといわれ、その交流の中で伝わったものと推定されている。神楽獅子であるこの獅子舞は、その舞姿においてきわめて格調高く、用具類の作風においても高く評価されている。原則として、神社の例祭日（10月25日）に舞われることになっているが、後継者不足が伝承のための課題となっている。,,,
310000,TP3100002660,鳥取県,余戸の雨乞踊,ヨドノアマゴイオドリ,,yodo no amagoi-odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市佐治町余戸,鳥取県,鳥取市,佐治町余戸,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,踊の起源については、「余戸金山神社氏子中」と推定される女人が宮中に出仕し、12踊りのうち8踊りを村に持ち帰ったと伝えられる。行事は雨乞による慈雨に対するお礼として行われる。正式には、約100人の踊子が行列をつくって踊り場へと向かい、所要時間は8時間を要する。衣装には、元禄時代の風俗をそのまま伝えるものもあり、元禄時代に踊られた風流通りの姿を残している。後継者不足のため今後の伝承が課題である。,,,
310000,TP3100002670,鳥取県,むし井神社の花籠祭り,ムシイジンジャノハナカゴマツリ,,musii-zinzya no hanakago-maturi,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町芦津,鳥取県,八頭郡智頭町,芦津,,,,,,,,,,,,,,,,,1990/1/30,,,,,,,,,「花籠祭り」は、八頭郡内の約20カ所で行われ、氏子たちが美しい花篭を奉納する行事。むし井神社の花篭奉納は、毎年10月28日に行われるが、輪番制の頭屋制度を保持し、化粧した裸の若者が、マワシを締めて花篭を背負い、素足で奉納するなど、祭りの古態をよく残している。神官のお祓い後、花篭の飾りのついた竹ヒゴ（ヤナギという）を抜き、輪にして持ち帰り、屋根に投げ上げておくと、火災や厄病除けになるといわれている。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100002680,鳥取県,百手の神事,モモテノシンジ,,momote no sinzi,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31201,,鳥取県鳥取市気高町八束水,鳥取県,鳥取市,気高町八束水,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/12/25,,,,,,,,,八束水の姫路神社に伝わる神事。悪疫退散、五穀豊穣を祈願して、神官が一年を表す12本の矢を射る。翁の面をかぶり、神木の根元に置いたコモの的を射て吉凶を占うのであるが、矢が当たらない方がよいという。伝承によれば、光仁天皇の宝亀2年（771）、疫病流行の際に悪疫退散を祈願して始められたという。姫路神社のある姫路地区には、他にも亥子行事（市指定無形民俗文化財）が残っている。,,http://www.pref.tottori.jp/museum/homepage.htm,
310000,TP3100002690,鳥取県,酒津のトンドウ,サケノツノトンドウ,,sakenotu no tondou,重要無形民俗文化財,国指定の風俗慣習,,31201,,鳥取県鳥取市気高町酒津,鳥取県,鳥取市,気高町酒津,,,,,,,,,,,,,,,,,2007/3/7,,,,,,,,,焼き代として作られる高さ4m余りの円錐形の造りものに特色があり、これは、もと神を迎えるための忌屋であったことを示している。また、男子で構成される子供組が行事の主役で、小屋篭りをしたり、各戸を清めて回るなど神と子供との重要な関係も示唆している。正月の神送りと、一年の幸福の保証を得ようとする儀礼であったことを伝える貴重な民俗行事となっている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002700,鳥取県,城山神社祭礼行事,シロヤマジンジャサイレイギョウジ,,siroyama-zinzya sairei-gyouji,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町鹿野,鳥取県,鳥取市,鹿野町鹿野,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/12/25,,,,,,,,,鹿野城跡内の城山神社に奉納される祭礼行事。亀井茲矩が城主だった江戸初期には春と秋に行われていたが、文化10年（1813）に復活後は、春の例祭日に行われている。1年おきに行われる神幸行列は、京都の祇園祭を模した屋台が出ることで知られる。神幸行列は、屋台、武者行列、稚児行列、獅子舞、神輿とバラエティに富んでいる。この祭礼を仕切るのが、「役面」という青年組織によるところにもその特色がある。,,,
310000,TP3100002710,鳥取県,志加奴・城山神社獅子舞,シカヌシロヤマジンジャシシマイ,,sikanu siroyama zinzya sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,"鳥取県鳥取市気高町宿,鹿野町鹿野",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/12/25,,,,,,,,,鳥取市気高町宿の志加奴神社と鹿野町鹿野の城山神社の両方に奉納される2人立ちの獅子舞。起源は、亀井茲矩が鹿野城主だった江戸初期までさかのぼるとされる。城山神社へは4月15日に近い日曜日の祭礼で奉納され、神幸行列とともに行列する。志加奴神社の祭礼日は4月22日に近い日曜日に行われており、隔年の例大祭には15分ほどの本舞が奉納される。獅子頭は神楽獅子のものであるが、舞は因幡特有の麒麟獅子舞に似ている。,,,
310000,TP3100002720,鳥取県,亀井踊,カメイオドリ,,kamei-odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町鹿野,鳥取県,鳥取市,鹿野町鹿野,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,因幡各地に残る最も古い優美な踊りである「はねそ踊り」の一つ。江戸時代初期まで当地を治めた亀井氏にまつわる伝承に由来し、鹿野がはねそ踊りの発祥地であるともいわれる。もとは盆踊りで、音頭3人、太鼓1人、傘振2人、踊り手6人で構成される。音頭取りを中心に輪踊りで踊られる点及び音頭の曲調は他のはねそ踊りと共通しているが、紋付黒装束の踊子によって踊られることや、踊りの振りなどが異なっている。,,,
310000,TP3100002730,鳥取県,日置のはねそ踊,ヒオキノハネソオドリ,,hioki no haneso-odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,"鳥取県鳥取市青谷町河原,山根",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,「はねそ踊り」は江戸時代の中期から、因幡地方各地で伝承されてきた盆踊りである。手踊りの代表的なもので、この踊りの歌詞は主として浄瑠璃を台本としている。いずれも口説風のものが使われ、踊りというよりは舞に近い優雅なものである。青谷町の日置地方では、河原、山根の2地区に残っており、旧盆の8月15日や小学校の運動会を中心に踊り伝えられている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002740,鳥取県,田後神社頭屋祭「宮の飯」,タジリジンジャトウヤサイミヤノメシ,,taziri-zinzya touya-sai miya-no-mesi,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町田後,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,田後,,,,,,,,,,,,,,,,,1986/4/18,,,,,,,,,旧暦11月1日に田後神社で行われる神事。「宮の飯」とは、神に捧げる御供のことで、「神饌献上」が中心となる典型的な祭りである。この神事は、神官1人と世襲制の5人の頭人が執行することを特徴とする。頭人は臼で3杵半ついた玄米を釜で炊き、炒った大豆や大根の輪切りなどを用意する。これらをしゃもじでかき混ぜて御供をつくり、ネコヤナギの枝で作った12膳の箸と御神酒を添えて神前に供え、神様に1年の収穫を報告する。,,https://www.pref.tottori.lg.jp/265713.htm,
310000,TP3100002750,鳥取県,東郷浪人踊,トウゴウロウニンオドリ,,tougou rounin-odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,,,,,,,,,,,,,,,,,,1962/10/16,,,,,,,,,羽衣石城が落城した後、四散した浪人たちが哀しい宿命に果てた城主を慕い、うら盆の夜に供養踊りを踊り明かし、翌朝何処ともなく去っていったといい、これが浪人踊りの起りだと伝えられている。踊りは念仏踊りの形式を伝え、単調、静的な優美な踊りである。七七七五調の哀調に富む音頭に合せて、手をたたくところも音をたてないように合掌するなど静かに踊ることを特徴としている。,,,
310000,TP3100002760,鳥取県,三本杉の盆踊,サンボンスギノボンオドリ,,sanbonsugi no bonodori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町三本杉,鳥取県,東伯郡琴浦町,三本杉,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,この踊りは、三本杉を発祥の地として江戸時代中期頃から踊られていたと伝えられている。当地では金比羅大権現をまつり、縁日である毎月1日と6月10日に踊って奉納していたが、後に秋葉大権現を勧請し、その縁日の7月16日にも踊るようになったという。この踊りの特徴は、編み笠をかぶり、白足袋をはき、絣の着物を着て踊るところにあり、手足の運びにも特色があるが、踊りの伝承が課題となっている。,,https://www.pref.tottori.lg.jp/265712.htm,
310000,TP3100002770,鳥取県,馬佐良の申し上げ,バサラノモウシアゲ,,basara no mousiage,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31389,,鳥取県西伯郡南部町馬佐良,鳥取県,西伯郡南部町,馬佐良,,,,,,,,,,,,,,,,,1990/1/30,,,,,,,,,「申し上げ」は、県西部の各地で行われている行事で、馬佐良の場合は、例年12月に行われる。氏子各自が竹で12本の荒神幣を作り、全戸分を束ねる。次に男性が新稲藁で編んだ長さ約7mの藁蛇、荒神幣などを持って荒神さんまで行列する。頭屋は、新米で作った甘粥を荒神さんの玉垣内にある2つの埋め瓶に入れるが、その際に、中に残っている液体の量で新年の農作物の吉凶を占う。神饌献上、年占など、祭りの古態をよく残している。,,,
310000,TP3100002780,鳥取県,江尾のこだいぢ踊,エビノコダイヂオドリ,,ebi no kodaidi-odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31403,,鳥取県日野郡江府町江尾,鳥取県,日野郡江府町,江尾,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,この踊りを「こだいぢ」というのは、有名な新保広大寺節の口説をまねて、歌い踊られたからであろう。これが当地に伝わった経緯は不詳だが、江尾ではこれを音頭として「こだいぢ踊」と名付け、盆踊りとして踊っている。毎年8月17日の「江尾十七夜」の宵に、編み笠、浴衣姿の踊り子多数が、太鼓、音頭に合わせて優雅に踊るものである。,,https://www.town-kofu.jp/p/2/1/11/5/1/3/,
310000,TP3100002790,鳥取県,下蚊屋の荒神神楽,サガリカヤノコウジンカグラ,,sagarikaya no kouzin-kagura,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31403,,鳥取県日野郡江府町下蚊屋,鳥取県,日野郡江府町,下蚊屋,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,この神楽は、大正の末期頃、美作から農閑期に来る荒神神楽を村の若者が習い伝えたものである。前段で「剣舞」、「清目」、「散供」などの神降ろしの神事から始り、後段では大国主神の国譲りを内容とする「杵築」、八俣大蛇の出てくる「八重垣」など能風のものが、8～9人の青年により数時間にわたって演じられる。,,https://www.town-kofu.jp/p/2/1/11/5/1/3/,
310000,TP3100002800,鳥取県,福岡神社神事,フクオカジンジャシンジ,,fukuoka-zinzya sinzi,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31390,,鳥取県西伯郡伯耆町福岡,鳥取県,西伯郡伯耆町,福岡,,,,,,,,,,,,,,,,,1986/4/18,,,,,,,,,速玉男命をまつる福岡神社で、毎年10月に行われる一連の神事。氏子から選ばれた榧取りが山中の栗の木から榧（下座神に供える御飯を盛る器）などを採る「榧取祭」から始まり、「崩御祭」、「御饌献上祭」、「大注連神事」と続く。特に「蛸舞式」は、大勢の氏子が参加して神楽殿で行われる勇壮な裸祭りで、県下では例を見ない。一連の神事は、神秘的な神祭りの古風をよく伝える貴重な民俗である。,,http://www.houki-town.jp/p/new2/2/8/11/,
310000,TP3100002810,鳥取県,円通寺人形芝居,エンツウジニンギョウシバイ,,entuuzi ningyou sibai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市円通寺,鳥取県,鳥取市,円通寺,,,,,,,,,,,,,,,,,1984/2/21,,,,,,,,,人形芝居は一般に浄瑠璃を語って操るものが多いが、この人形芝居は三味線、胡弓、締太鼓の伴奏により、七七調の念力節に合せて操ることを特徴とする。また、三番叟の形式をとらず、最初に三吉デコによる円通寺節から始めることも操り人形の演出方法として例を見ない。その舞方は、文楽以前の庶民芸能の形式を伝えるものと考えられる上、楽器、衣装などにも古い伝統がうかがえ、貴重である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002820,鳥取県,佐治の板笠製作用具及び製品,サジノイタガサセイサクヨウグオヨビセイヒン,,saji no itagasa seisaku yougu oyobi seihin,国登録有形民俗文化財,国登録の生産、生業に用いられるもの,,31201,,鳥取県鳥取市佐治町福園24番地佐治歴史民俗資料館,鳥取県,鳥取市,佐治町福園,24番地,佐治歴史民俗資料館,,,,,,,,,,,,,,,2010/3/21,,,,,,,,,本件は、鳥取市佐治地区で江戸時代以来伝承されてきた、幅の狭い薄く剥いだ板のみで編む板笠製作に用いられた用具類のまとまりとして、地域的な特色がある。板笠の需要が減少し、製作技術の伝承が危うくなっている現在、当該地域における板笠製作の実態を知ることができる貴重な資料である。佐治の板笠は、現鳥取市佐治町中・栃原で、少なくとも江戸初期から昭和３０年頃まで、重要な産業として生産がなされてきた。この板笠は、編み込みをされた丸みがある六角形をしており、一般的な菅笠のように竹などの骨組みを持たない木製であるため、大変丈夫でありながら、しなやかで軽いことが特徴で、県内の因幡地方はもとより、伯耆地方、辰巳峠を越えて県外は岡山方面にまで出荷された。「佐治の板笠製作用具と製品」１０７点（製作用具９４点、製品類１３点）は、すべて佐治町内の個人から寄贈されたもので、使用年代は不明な点が多いが、昭和期のものが中心となっており、板笠製作全工程の用具を網羅する貴重なものである。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1326950983768/index.html,
310000,TP3100002830,鳥取県,因幡の傘踊,イナバノカサオドリ,,inabanokasaodori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,"鳥取県鳥取市横枕,国府町高岡,美歎,麻生",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,●鳥取市横枕天明6年（1786）の飢饉の際に、雨乞祈願のため、神楽歌に合わせて踊り、奉納されたのが原形と伝えられる。後、数人で組んで技を競う農村青年の娯楽となっていった。踊りは、長柄の傘をもって踊る素朴なもので、田植えの後、旧暦8月1日（八朔）に、神社境内で踊られた。踊りは寿三番叟に昔の面影がよく残っている。周辺の集落に伝わる傘踊りの多くは、横枕から伝授されたものと言われている。●鳥取市国府町江戸時代後期の旱魃の際に、花笠を持って踊られた雨乞祈願の踊りを原形とし、これに明治の末頃、鳥取市国府町高岡の山本徳次郎という青年が剣舞の形を取入れて長柄の大傘で踊るようになったものである。踊りは、偶数人で鶴、亀を表現し、高低2人で組み合わされている。傘には小鈴100個以上が付けられ、揃いの浴衣に手甲、脚絆、白鉢巻きに白だすきの若者が、三番叟に合わせて勇壮に踊る。,,,
310000,TP3100002840,鳥取県,江波の三番叟,エナミノサンバソウ,,enami no sanbasou,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市用瀬町江波,鳥取県,鳥取市,用瀬町江波,,,,,,,,,,,,,,,,,1994/4/19,,,,,,,,,毎年10月、江波神社例祭の当日、神社境内の回り舞台で演じられる。江戸時代中頃、大阪の商人が歌舞伎とともに教えたともいわれる。近年までは長男を中心に伝承され、村祭りの歌舞伎の前座に祝儀として舞ったほか、病気平癒、安産祈願などに願立てをして舞った。この種の芸能としては、県内唯一の保存伝承例であるとともに、歌舞伎芝居の地方への伝播過程を知る上で価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002850,鳥取県,さいとりさし,サイトリサシ,,saitorisasi,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,,,"鳥取県倉吉市関金町大鳥居,東伯郡三朝町湯谷",鳥取県,"倉吉市,東伯郡三朝町",,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/10/18,,,,,,,,,さいとりさしは、漢字で「刺鳥刺」と書き、殿様の鷹狩りの時に餌にする鳥を捕ることを意味し、これを職業とした人の職名でもある。天下御免の鑑札を持つさいとりさしが権力を笠に着ることに反発した民衆が、さいとりさしの鳥を捕る様子を身振り手振りで狂言風に踊ったのが始まりと伝えられる。やがて、鳥を捕ることから転じて、「嫁をとる」、「福をとる」などとして、祝狂言として伝承されてきた。,,,
310000,TP3100002860,鳥取県,馬場八幡人形芝居道具,ババハチマンニンギョウシバイドウグ,,babahatiman ningyou-sibai dougu,県指定有形民俗文化財,県指定の民俗資料,,31201,,鳥取県鳥取市馬場,鳥取県,鳥取市,馬場,,,,,,,,,,,,,,,,,1959/6/5,,,,,,,,,人形芝居の起源は、天保年間（1830～）以前とされる。当地区では、はじめ「三吉デコ」といわれる単純なものを使用した。明治35年（1902）になって、淡路の人形芝居を習い、一座（八幡座）を編成し、以来、昭和初期まで活躍した。約50個の人形頭をはじめ、引幕、衣装など道具一式がほぼ完全に保存されており、特に人形頭には、阿波のもののほか、地元鳥取市本高の人形師の作も相当数あり、民俗的価値は高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100002870,鳥取県,長谷寺の絵馬群,ハセデラノエマグン,,hasedera no ema-gun,県指定有形民俗文化財,県指定の民俗資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/2/6,,,,,,,,,長谷寺は、倉吉市の打吹山の山裾に位置する古刹。収蔵されている絵馬群は、63点。享禄4年（1531）から明治までの年紀があり、庶民信仰、民俗等を考察する貴重な資料である。風俗画、武者絵、歌舞伎絵、宗教画など題材もバラエティに富み、各時代の風俗や願主の願いが色鮮やかに表現されている。また、夜な夜な倉吉の城下に現れたという、絵馬から抜け出す伝説の馬の絵なども興味深い。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#14,
310000,TP3100002880,鳥取県,宇倍神社御幸祭祭具,ウベジンジャミユキマツリサイグ,,ube-zinzya miyuki-maturi saigu,県指定有形民俗文化財,県指定の民俗資料,,31201,,鳥取県鳥取市国府町宮下,鳥取県,鳥取市,国府町宮下,,,,,,,,,,,,,,,,,1964/3/3,,,,,,,,,この祭具は、毎年4月21日（明治以前は3月21日）の例大祭にあたり、御神幸及び祭礼行事として伝承されてきた大名行列に使用されるもので、2４点ある。大神輿は明治年間に新調されたものだが、獅子舞に使用される獅子頭や楽器、正徳4年（1714）の銘のある藩主池田家寄進の台矛と平矛といった樗谿神社から譲り受けた祭具や武具には、江戸時代の神社信仰を研究する上で貴重な資料が多数含まれている。,,,
310000,TP3100002890,鳥取県,銅造誕生釈迦仏立像,ドウゾウタンジョウシャカブツリュウゾウ,,douzoutanzyousyakabuturyuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,1995/4/21,,,,,,,,,釈迦の誕生を祝う花祭の本尊。像高7.3cmの銅造の誕生釈迦仏である。明治22年に倉吉市小田の山中で出土したと伝えられ、土の中にあったため肌荒れが甚だしいが、鍍金が所々に残っている。天を指す右手は、肘の辺りで折れて失われている。上半身は胴長の裸形、短い裳は裾を左右羽状に広げている。朝鮮半島三国時代の作例と類似しており、白鳳時代のものと考えられ、山陰地方での古い伝世品として貴重な誕生仏である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4284.htm#08,
310000,TP3100002900,鳥取県,銅造誕生釈迦仏立像,ドウゾウタンジョウシャカブツリュウゾウ,,douzoutanzyousyakabuturyuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳1010番地三徳山宝物殿,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,1010番地,三徳山宝物殿,,,,,,,,,,,,,,,1995/4/21,,,,,,,,,釈迦の誕生を祝う花祭の本尊。像高13.9cmの銅造の誕生釈迦仏である。江戸時代に三徳川を挟んだ三仏寺対岸の千軒原から出土したと伝えられる。天を指す右手の先は失われ、土中あるいは火中したためか、表面が荒れている。上半身は裸形で、下半身は足首に至る裳をつけて、腰紐で結ぶ。全体に偏平な造りであるが、裳の形などからして平安時代の作であり、誕生仏としては作例の少ない平安時代の貴重な資料である。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100002910,鳥取県,木造恵比寿像,モクゾウエビスゾウ,,mokuzouebisuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町園,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,園,,,,,,,,,,,,,,,,,1997/2/28,,,,,,,,,江戸時代後期の造仏遊行の聖である木喰上人によって刻まれた像高82.2cm、一木丸彫りの恵比寿像。木喰上人は、甲斐国（現在の山梨県）の人で、寛政10（1798）年、81歳の時に２度にわたって鳥取県内を歩き、優れた作品を残している。同年７月には湯梨浜町園にも滞在しており、その時に製作された可能性が高い。本像は長い立烏帽子をかぶり、狩衣、指貫姿で、大きな耳や丸い鼻、深く彫り込んだ衣文等に特色がみられる。微笑んだ口元には、「微笑仏」と称される木喰の独創的な作風が色濃くみられる。,,,
310000,TP3100002920,鳥取県,木造大黒天像,モクゾウダイコクテンゾウ,,mokuzoudaikokutenzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町園,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,園,,,,,,,,,,,,,,,,,1997/2/28,,,,,,,,,江戸時代後期の造仏遊行の聖である木喰上人によって刻まれた像高68cm、一木丸彫りの大黒天像。木喰上人は、甲斐国（現在の山梨県）の人で、寛政10（1798）年、81歳の時に２度にわたり鳥取県内を歩き、優れた作品を残している。同年７月には湯梨浜町園にも滞在しており、その時に製作された可能性が高い。頭巾をかぶり、右手に打出の小槌を持って、大きな袋を背負った大黒天は、あご髭をたくわえ、満面笑みの表情をみせる。米俵の上に乗せた大きな袋に跨ぎ乗るという大胆な表現は、自在な彫刻で知られる木喰仏の特徴をよく表している。,,,
310000,TP3100002930,鳥取県,三十六歌仙額,サンジュウロッカセンガク,,sanzyuurokkasengaku,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1998/2/20,,,,,,,,,三十六歌仙は、平安時代の初めに和歌に優れた36人を選んだもので、それぞれの画像に和歌を添えた歌仙絵は江戸時代まで流行した。本額は慶安３（1650）年に鳥取藩主池田光仲が日光東照宮を勧請して鳥取東照宮（樗谿神社）を創建した際に、拝殿を飾るために奉納した。歌仙の肖像を江戸幕府奥絵師、狩野探幽が描き、歌を京都青蓮院門主尊純法親王が書いて、縦58.7cm、横36.8cmの額に納めている。全36面の歌仙額が揃い、探幽のこなれた線描と柔らかな表情、青蓮院流の流麗な筆の組み合わせが美しい。,,,
310000,TP3100002940,鳥取県,桂見遺跡出土縄文時代遺物一括　一丸木舟、一櫂,カツラミイセキシュツドジョウモンジダイイブツイッカツイチマルキブネ、イチカイ,,katuramiisekisyutudozyoumonzidaiibutuikkatu　itimarukibune、itikai,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2001/3/23,,,,,,,,,"湖山池の南東岸に位置する桂見遺跡から約3,500年前（縄文時代後期）の丸木舟が２艘見つかっている。写真の丸木舟は全長7.24m、最大幅0.74mを測り、現存する縄文時代の丸木舟としては全国最大級である。もう一艘は全長6.41m、最大幅0.70mを測る。丸木舟の他に櫂も9本見つかっており、水上を自由に航行していた縄文人の姿を想像させてくれる。",,,
310000,TP3100002950,鳥取県,木造蔵王権現立像,モクゾウザオウゴンゲンリュウゾウ,,mokuzouzaougongenryuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2002/2/15,,,,,,,,,観照院（岩美町岩本）所蔵の「蔵王権現立像」は、三徳山三仏寺に客仏としてあった像を明治前半頃、観照院に移した仏像であると伝えられている。桧材の一木造りであるが内刳りはなく、像全体のほとんどは素地が表れているものの、随所に当時の彩色を見ることができる。小像ではあるが、なだらかな肉取りで躍動感のある形態をかろやかに彫り出している。技工・均整のとれた作風から中央の仏師による平安時代後期の作と推定される。,,,
310000,TP3100002960,鳥取県,三徳山三仏寺建造物群（不動堂、元結掛堂、観音堂、鐘楼堂、十一面観音堂、本堂）,ミトクサンサンブツジケンゾウブツグン（フドウドウ、モトユイカケドウ、カンノンドウ、ショウロウドウ、ジュウイチメンカンノンドウ、ホンドウ）,,mitokusan　sanbutuzi　kenzoubutugun（fudoudou、motoyuikakedou、kannondou、syouroudou、jyuuitimenkannondou、hondou,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,,,,,,,,,,,,,,,,,2002/12/20,,,,,,,,,鎌倉時代～江戸時代に造られた由緒ある建物群で、投入堂（奥院）をはじめとする国宝・重要文化財建造物とともに、行者道の要所に点在して三徳山三仏寺を構成している。岩窟内に建てられた観音堂・元結掛堂などをはじめ、急峻な山中にあって狭小な平地を巧みに利用して配置されている。これらの建造物は周囲の自然環境と調和しつつ、修験道や密教の思想を今日に伝えている。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100002970,鳥取県,小松谷盆踊,コマツダニボンオドリ,,komatudani bonodori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31389,,鳥取県西伯郡南部町御内谷,鳥取県,西伯郡南部町,御内谷,,,,,,,,,,,,,,,,,1995/4/21,,,,,,,,,小松谷盆踊は、西伯郡南部町の小松谷川に沿った御内谷、金田、井上、高姫、市山などに伝承されている古い形態の盆踊りで、現在は８月17日の夜に、「小松谷十七夜踊」として御内谷雲光寺脇で踊られている。その発祥については、在地の城主が領民を慰めるために城内を開放して踊り明かしたという説と、雲光寺で本尊の縁日に念仏踊りをしたのが始まりとする説がある。背筋をまっすぐに伸ばした姿勢と、足の運びに特色があり、太鼓の調子と歌につれて、しなやかで優美な振りで踊られる素朴な盆踊りである。,,,
310000,TP3100002980,鳥取県,口佐治神社の獅子舞,クチサジジンジャノシシマイ,,kutisazi-zinzya no sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市佐治町古市,鳥取県,鳥取市,佐治町古市,,,,,,,,,,,,,,,,,1997/2/28,,,,,,,,,毎年４月１５日に近い日曜日にとり行われる「口佐治神社」の例祭日に舞われるこの獅子舞は、その源流が「伊勢大神楽」にみられ、「加藤孫太夫」一座により伝授されたと伝えられる。「伊勢大神楽」とは、伊勢神宮のお使いとして悪魔退散のお祓いをしながら全国を巡業した神楽獅子である。鳥取市佐治町に伝えられたものは、本来の「伊勢大神楽」そのものではないが、「伊勢大神楽」が地方に伝播していく過程を知るうえでその価値は高い。,,,
310000,TP3100002990,鳥取県,下味野神社の麒麟獅子舞,シモアジノジンジャノキリンシシマイ,,simoazino-zinzya no kirin-ｓisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市下味野,鳥取県,鳥取市,下味野,,,,,,,,,,,,,,,,,1998/4/21,,,,,,,,,「下味野神社の麒麟獅子舞」の獅子頭は、因幡東照宮と呼ばれた樗谿神社から拝領したと伝えられる。その獅子頭には「天保十四年卯六月吉日」の刻銘があったとされるが、これからすると江戸時代末期には既に下味野神社には麒麟獅子舞があったことがうかがえる。この江戸時代より続く麒麟獅子舞は、現在でも「権現流」と称し、因幡の麒麟獅子舞の典型を示す厳粛・荘重・能舞的なものを伝え、毎年7月の最終土・日曜日にとり行われる「夏越祭り」で華麗に舞われている,,,
310000,TP3100003000,鳥取県,倉田八幡宮の麒麟獅子舞,クラタハチマングウノキリンシシマイ,,kurata-hatimanguu no kirin-ｓisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市蔵田,鳥取県,鳥取市,蔵田,,,,,,,,,,,,,,,,,1998/4/21,,,,,,,,,鳥取池田家の祈願所であった倉田八幡宮の麒麟獅子舞は、どこから伝授されたかは不明であるが、因幡東照宮と呼ばれた樗谿神社からの伝授が推測されている。猩々・獅子ともに神社を背に登場し、獅子が神として舞い始める等、古い形態を残している。また、猩々・獅子ともに赤足袋をはき、猩々の頭に白幣をつけるという他の獅子舞には見られない特徴も見られる。,,,
310000,TP3100003010,鳥取県,賀露神社の麒麟獅子舞,カロジンジャノキリンシシマイ,,karo-zinzya no kirin-sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市賀露町,鳥取県,鳥取市,賀露町,,,,,,,,,,,,,,,,,1998/4/21,,,,,,,,,鳥取県東部の港町、賀露に伝わる麒麟獅子舞は、他の獅子舞にみられない独特の舞いをする。大きな特徴は、「後かぶり」が独自に左右に大きく動きながら、蚊帳をたえず動かしていることである。港町に根付いた麒麟獅子舞の芸態は、勇壮な舞い方を伝承している。隔年でとりおこなわれる4月29日の大祭には門つけをおこない、神社に本舞が奉納される。,,,
310000,TP3100003020,鳥取県,むし井神社の麒麟獅子舞,ムシイジンジャノキリンシシマイ,,musii-zinzya no kirin-sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町芦津,鳥取県,八頭郡智頭町,芦津,,,,,,,,,,,,,,,,,1998/4/21,,,,,,,,,むし井神社の麒麟獅子舞は、その由来を大正時代に宇倍神社から習ったものと伝え、古い芸態をよく残している。獅子舞は、社殿を背にして舞い、猩々は酒に酔った千鳥足、獅子の蚊帳は緑色をしている。他社の獅子舞には見られない点が多いが、麒麟獅子舞の原型ともいえる厳粛・荘重・能舞的な芸態を伝承している。例祭は毎年10月28日にとりおこなわれる。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100003030,鳥取県,澤神社の麒麟獅子舞,サワジンジャノキリンシシマイ,,sawa-zinzya no kirin-sisimai,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町才代,鳥取県,八頭郡八頭町,才代,,,,,,,,,,,,,,,,,1998/4/21,,,,,,,,,澤神社の麒麟獅子舞は、由来に鳥取藩主池田光仲の実名を伝え、当初は光仲の寝具を蚊帳として舞ったと伝えられている。この言い伝えは池田光仲が麒麟獅子舞を始めたことを裏付ける伝承と考えられる。この蚊帳は昭和20年代に一度使用された後、処分されているが言い伝えによるとラクダ色をしていたという。現在の蚊帳には黒い背に小さな白幣をたくさん付け舞われる。古い芸態を残す貴重なものであり、毎年4月（春祭り、かつては4月9日）と10月（秋祭り、かつては10月15日）に獅子舞がとりおこなわれる。,,,
310000,TP3100003040,鳥取県,諏訪神社の柱祭り,スワジンジャノハシラマツリ,,suwa-zinzya no hasiramaturi,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭,,,,,,,,,,,,,,,,,2001/3/23,,,,,,,,,智頭町に伝わる柱祭りは、深山から切り出した四本の杉の神木をムカデと呼ぶ台座に載せて、数百名の若者が担いで町中を練り歩き、神社本殿の敷地の四隅に建てるというものである。社伝によれば、天明二年（1782）にあった智頭町の大火の際、火伏せを願って、本社である信州（長野県）諏訪大社の御柱祭りに倣って始めたと伝えられている。現在の祭りは七年ごとの寅年、申年の四月の中の酉の日、一日だけとりおこなわれる。諏訪大社の信仰を伝え、地方における数少ない大規模で、勇壮な祭りである。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100003050,鳥取県,聖神社の神幸行列,ヒジリジンジャノミユキギョウレツ,,hizirizinzya no miyuki-gyouretu,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31201,,鳥取県鳥取市行徳,鳥取県,鳥取市,行徳,,,,,,,,,,,,,,,,,2003/3/28,,,,,,,,,鳥取市行徳にある聖神社は、市内の主な通りにある商店街の大半を氏子として、盛大な神幸行列を行う。この行列は江戸時代、安永6年（1777）から始められたと伝えられる。神幸行列は隔年で開催され、「榊」、「麒麟獅子」、「神輿」、「屋台」、「大太鼓」が並ぶ。本祭り（5月第3土・日曜日）の行列は聖神社を発し、鳥取市内の氏子区域をくまなく巡り、午後には神社の北参道に戻る。聖神社の祭りの中心として行われる神幸行列は、屋台の賑やかさを氏子町民が支え、聖神社を総氏神とする町民の意気込みを今に伝える。,,,
310000,TP3100003060,鳥取県,若桜鬼ヶ城跡,ワカサオニガジョウアト,,wakasaonigazyouato,史跡,国指定の城跡,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町若桜ほか,鳥取県,八頭郡若桜町　,桜ほか,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/3/28,,,,,,,,,若桜鬼ヶ城は、八東川と三倉川に挟まれた標高452mの鶴尾山の山頂に築かれた山城。室町時代の在地領主矢部氏によって築造されたと思われるが、築城時期は不明である。戦国時代になると天正年間（1573～1592）以降に尼子氏、毛利氏らによる勢力争いの舞台となり、後に木下重賢、山崎家盛が城主となって山頂一帯に残る石垣が整備された。池田光政が因幡・伯耆2国の領主となると、ほどなく廃城となったと思われる。若桜鬼ヶ城は、中世城郭から近世城郭への変遷をうかがうことができるとともに、一国一城令による廃城に伴って破脚されたありさまを伝える貴重な城跡である。,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100003070,鳥取県,二上山城跡,フタガミヤマジョウセキ,,futaｇamiyamazyouseki,県指定史跡,県指定の城跡,,31302,,鳥取県岩美郡岩美町岩常,鳥取県,岩美郡岩美町,岩常,,,,,,,,,,,,,,,,,1998/4/21,,,,,,,,,二上山城は、標高346ｍの非常に険しい独立峰・二上山の頂上部付近に築かれた典型的な山城である。「一の平」「二の平」などからなる城郭の構造は、南北朝期の山城としての特徴を示し、文和年中（1352～1355）に因幡守護に任じられた山名時氏が築城したという伝承からも、創建時期が窺える。採集された陶磁器などから、戦国時代末期まで使用されたことも明らかで、天正８（1580）年の豊臣秀吉書状にみえる「岩経の城」はこの城のことである。二上山城跡は県内有数の大規模な山城であり、地域の中核的な城郭であったと思われる。,,,
310000,TP3100003080,鳥取県,羽衣石城跡,ウエシジョウセキ,,uesizyouseki,県指定史跡,県指定の城跡,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,羽衣石,,,,,,,,,,,,,,,,,2001/3/23,,,,,,,,,羽衣石城は中世東伯耆の国人（武士）であった南条氏の居城で、県内最大規模の山城である。貞治５（1366）年に築城されたという伝承もあるように、戦国時代の山城の特徴をよく残している。羽衣石城は戦国時代から安土桃山時代において東伯耆支配の中心となる城で、保存状態が良いだけではなく、関係資料の豊富さも県内中世城館の中では第一級である。,,,
310000,TP3100003090,鳥取県,かまこしき渓谷の侵食地形,カマコシキケイコクノシンショクチケイ,,kamakosikikeikokunosinsyokutikei,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,31403,,"鳥取県日野郡江府町助沢,俣野",鳥取県,日野郡江府町,,,,,,,,,,,,,,,,,,1999/6/29,,,,,,,,,かまこしき渓谷は、俣野川の中流域約600ｍにわたる特異な浸食地形によってできている。渓谷には、階段状の小瀑布や瀬・淵が見られ、その最下流部には、釜と甑とよばれる地形がある。釜は二段になった滝の下に広がる滝壺状の淵であり、甑はその釜の上にある特異な穴のことである。甑の径は約３ｍで、深さは７ｍ程にも及ぶと推定され、全国的にも珍しい。,,https://www.town-kofu.jp/p/2/1/11/5/1/3/,
310000,TP3100003100,鳥取県,神戸上のハンノキ沼沢林,カドノカミノハンノキショウタクリン,,kadonokaminohannokisyoutakurin,県指定天然記念物,県指定の植物,,31401,,鳥取県日野郡日南町神戸上,鳥取県,日野郡日南町,神戸上,,,,,,,,,,,,,,,,,2000/3/28,,,,,,,,,ハンノキ沼沢林は、日南町東南部の大倉山・花見山付近に長さ約700ｍ、幅30～100ｍの半円弧を描くように帯状に広がり、その面積は約4.6haにもおよぶ。ハンノキは山地の湿地に生育する植物であるが、自然湿地の少ない当県では希少な植物の一つであり、このように大規模な沼沢林は中国地方においても他に類がない。,,https://www.town.nichinan.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuka/bunkazai/380.html,
310000,TP3100003110,鳥取県,辰巳峠の植物化石産出層,タツミトウゲノショクブツカセキサンシュツソウ,,tatumitougenosyokubutukasekisansyutusou,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,31201,,鳥取県鳥取市佐治町栃原,鳥取県,鳥取市,佐治町栃原,,,,,,,,,,,,,,,,,2002/12/20,,,,,,,,,"辰巳峠付近に分布する辰巳峠層は、約1,000万年前から400万年ほど前の中新世後期から鮮新世の地層であり、湖沼等による堆積物によるものと考えられている。この辰巳峠層には保存良好な植物化石が数多く発見され、これまでに45科93属158種が確認されている。また、これらの産出化石の中には新種も発見されており、その数は37種にものぼっている。主な産出化石には、ムカシブナ・シキシマナラ・ヘイグンイヌシデなどがある。",,,
310000,TP3100003120,鳥取県,協同組合倉吉大店会（旧国立第三銀行倉吉支店）,キョウドウクミアイクラヨシダイテンカイ,,kyoudoukumiaikurayosidaitenkai,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市魚町,鳥取県,倉吉市,魚町,,,,,,,,,,,,,,,,,1996/12/26,,,,,,,,,倉吉の旧街道「倉吉往来」に面して建つ明治期の土蔵造擬洋風建築の好例。当初国立第三銀行の支店として建造され、その後いくつかの金融機関を経て、現在は事務所として使用されている。旧往来に面した角地にあって、倉吉の中心街の明治期の様子を今に伝えている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4237.htm,
310000,TP3100003130,鳥取県,日野町歴史民俗資料館（旧根雨公会堂）,ヒノチョウレキシミンゾクシリョウカン（キュウネウコウカイドウ）,,hinotyou　rekisiminzokusiryoukan,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31402,,鳥取県日野郡日野町根雨,鳥取県,日野郡日野町,根雨,,,,,,,,,,,,,,,,,1997/5/7,,,,,,,,,根雨の町並みを見下ろす山の中腹に建つ切妻造、妻入で、間口9間、奥行16間半、木造2階建ての大規模な公会堂である。根雨の近藤家が町に寄贈した建物で、外観は周囲の町並みに調和するように、庇を回して抑えた意匠となっている。妻壁を飾るマークが文化の殿堂であることを示す。,,,
310000,TP3100003140,鳥取県,旅館大橋本館他４棟　旅館大橋大広間棟他２棟  ,リョカンオオハシホンカンホカ４トウリョカンオオハシオオヒロマホカ２トウ,,ryokan　oohasi　honkan　hoka 4 tou　ryokan　oohasi　oohiroma　hoka 2 tou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三朝,鳥取県,東伯郡三朝町,三朝,,,,,,,,,,,,,,,,,1997/9/16,,,,,,,,,旅館大橋は三朝温泉郷の老舗温泉旅館の一つで、三徳川に沿って本館や離れなどが軒を連ねている。本館は、木造3階建で、1階正面左手に玄関を設け、各階に意匠を凝らした上品な客室がある。本館の左手の離れは、入母屋造3階建ての建屋と寄棟造2階建ての建屋である。客室はやや広め、各客室は本館同様に意匠を凝らした上品な造りで、優雅な和風の外観は、三朝温泉の歴史と伝統を今に伝えている。旅館大橋の大広間棟は、三徳川に沿って建ち並ぶ本館と離れの間に建つ大規模な木造2階建ての建物で、1階は厨房、2階が大広間である。左右一対の千鳥破風をつけた大屋根は、特徴的である。西離れは、本館の右手に独立して建つ和風の建物で、本館とは太鼓橋で結ばれている。1階部分は露天風呂への脱衣室、2階は管理室になっている。三徳川の下流側にあり、三角形の開口部や小庇、手摺等で外観を飾っている。２棟とも旅館建物の一つとして親しまれている。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100003150,鳥取県,智頭消防団本町分団屯所,チヅショウボウダンホンマチブンダントンショ,,tizu　syouboudan　honmati bundantonsyo,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭,,,,,,,,,,,,,,,,,2000/12/20,,,,,,,,,智頭街道に面して建つ木造、下見板張、総2階の切妻造、桟瓦葺洋館で、正面の屋根中央部を切妻破風に切り上げ、切妻造の火の見櫓をのせている。正面中央壁沿いの梯子段が切妻破風を貫通して櫓に至る特徴ある姿形は街並みのランドマークとして親しまれている。,,,
310000,TP3100003160,鳥取県,旧塩屋出店主屋他３棟,キュウシオヤデミセシュオクホカ３トウ,,kyuu sioyademise syuoku　hoka 3 tou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭,,,,,,,,,,,,,,,,,2000/12/20,,,,,,,,,主屋は、宿場町として栄えた街道沿いに建つ木造2階建、切妻造、平入の町屋で、正面2階のたちが低く古式を感じさせる。また、この出店の敷地内に見える洋館は、木造2階建、下見板張、切妻造、桟瓦葺で、窓の額縁を柱型として表すなどスティックスタイル風の意匠を凝らしている。主屋・洋館とも宿場町の名残を今に伝えている。この他、納屋・外塀も登録有形文化財である。,,,
310000,TP3100003170,鳥取県,米子専門大店,ヨナゴセンモンダイテン,,yonago　senmondaiten,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31202,,鳥取県米子市道笑町,鳥取県,米子市,道笑町,,,,,,,,,,,,,,,,,2001/9/14,,,,,,,,,市内中心部、道路の角地に建つ。鉄筋コンクリート造3階建で、縦長上げ下げ窓を街路側に配し、頂部に菱形の浮き彫りを施した付け柱をもつ石造風壁面からなる。米子銀行記章付の山型パラペットの下にデンティルを廻している。米子で最初の貸ビルで、原八十吉の設計。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100003180,鳥取県,旧米子市水源地旧ポンプ室他２棟,キュウヨナゴシスイゲンチキュウポンプシツホカ２トウ,,kyuu　yonagosi　suigenti　kyuuponpusitu　hoka　2　tou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31202,,鳥取県米子市車尾南,鳥取県,米子市,車尾南,,,,,,,,,,,,,,,,,2001/9/14,,,,,,,,,米子市上水道の旧水源地施設のひとつでＲＣ造平屋建、赤い桟瓦が葺かれている。東側に入口を兼ねた塔屋、西側にアプス状の突出部を配するなど全体に教会堂を思わせる外観で現在は水道記念館として活用されている。また、この水源地内には、導水15周年を記念した水神社がある。正統的な一間社流造で、旧水源地施設を構成する要素として貴重な遺構である。この他に若槻礼次郎をはじめ水道事業に寄与した人々を銘記された記念碑もある。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100003190,鳥取県,高田酒造（高田家住宅および醸造施設）,タカタシュゾウ（タカタケジュウタクオヨビジョウゾウシセツ）,,takatasyuzou（takatakejyuutaku oyobi jyouzousisetsu）,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市西仲町,鳥取県,倉吉市,西仲町,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/9/17,,,,,,,,,高田酒造は、倉吉の旧市街を東西に流れる玉川と本町通りに挟まれた敷地に所在し、屋号を「檜皮屋(ひわだや)」と号す。文久元年から昭和３０年頃まで醤油醸造を営む。明治８年から酒造を開始した。明治４０年には、皇太子（大正天皇）の山陰行啓に随行した憲兵将校の宿泊所となった。　当家には、主屋が天保１４年に建ったこと示す棟札と、明治１４年の家相図が伝わり、主屋の建築年代と当時の敷地構成が明らかである。主屋は湾曲した絵様腕木、通り庭境の虹梁状差鴨居、繊細な出格子や座敷の平書院など、倉吉の商家の典型例を示す。全体に改造が少なく保存状態も良いことに加え、建築年代が明確であることから県内における近世末の商家を知る上での指標となる重要な遺構である。　さらに、敷地内には醸造の過程を知る上で欠かせない一連の施設が残されており、近世から近代に至る産業施設の様相を知る上で貴重である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage38,
310000,TP3100003200,鳥取県,旧高田酒造醸造蔵一他１棟,キュウタカタシュゾウジョウゾウクラホカ１トウ,,kyuu　takatasyuzou　zyouzouｇura　hoka 1 tou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市新町,鳥取県,倉吉市,新町,,,,,,,,,,,,,,,,,2001/8/28,,,,,,,,,蔵一は、高田酒造主屋の宅地の背後に建つ醸造用の蔵で、平屋、土蔵造、屋根は石州桟瓦葺、壁は中塗仕上げ、腰部は焼板張である。蔵二は、醸造蔵一の東に続き、梁間2間半、桁行6間で、蔵一よりひとまわり小さな造りとなっている。両蔵の境には大きな開口部があり、一連に使えるようになっている。外壁を真壁とし半間毎に柱を見せ、高窓を配し、変化に富んだ外観を造る。蔵一・二とも玉川沿いの歴史景観を形成する重要な建物である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4237.htm,
310000,TP3100003210,鳥取県,下町公民館,シモマチコウミンカン,,simomati　kouminkan,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭,,,,,,,,,,,,,,,,,2002/6/25,,,,,,,,,当初は智頭町役場として建築されたが、昭和3年に現在地に移築され、町役場や電報電話局として用いられてきた。木造2階建、寄棟造、桟瓦葺、外壁下見板張で、正面に玄関ポーチを設けるが、全体に装飾はほとんど無い。地方における洋風庁舎建築として親しまれている。,,,
310000,TP3100003220,鳥取県,中町公民館,ナカマチコウミンカン,,nakamati　kouminkan,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭,,,,,,,,,,,,,,,,,2002/6/25,,,,,,,,,当初は個人病院として建てられたが、大正11年より幼稚園として用いられてきた。木造2階建て、寄棟造、桟瓦葺で、外壁は鉄板で覆われているが、内部に下見板張を残している。外観は洋風であるが、内部は和風で纏められている。,,,
310000,TP3100003230,鳥取県,大神山神社石の大鳥居,オオガミヤマジンジャイシノオオトリイ,,oogamiyamazinzya　isinoootorii,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山,鳥取県,西伯郡大山町,大山,,,,,,,,,,,,,,,,,2002/6/25,,,,,,,,,高さ8.5ｍ、柱の直径約2尺の石造明神鳥居である。柱には建立時の願主や施主及び修理世話人などの名が刻まれている。山陽方面から大山寺への参道入口にあたる「大山横手道」にあり、規模も雄大で、「石の大鳥居」として広く親しまれている。,,,
310000,TP3100003240,鳥取県,旧日野橋,キュウヒノバシ,,kyuu hinobasi,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31202,,鳥取県米子市車尾・吉岡,鳥取県,米子市,車尾・吉岡,,,,,,,,,,,,,,,,,2003/4/8,,,,,,,,,旧国道九号が日野川を跨ぐ地点に架かる曲弦式6連ワーレントラス橋。コンクリート造橋脚にスパン60ｍの垂直材付トラス構造体を載せ、橋両端には花崗岩切石積の親柱を計4基配している。各主構端に半円アーチを刳り抜いた曲線型の橋門構を設けるのが特徴である。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100003250,鳥取県,旧倉吉町水源地ポンプ室他１棟,キュウクラヨシチョウスイゲンチポンプシツホカ１トウ,,kyuukurayosicho suigenti ponpusitu hoka1tou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市余戸谷町,鳥取県,倉吉市,余戸谷町,,,,,,,,,,,,,,,,,2003/3/18,,,,,,,,,天神川の支流小鴨川に面する余戸谷町水源地内にあり、切妻造、平入で、正面及び側面には櫛形欄間窓が左右対称に見られ、腰を瘤出仕上の切石布積としている。また、正面中央のレリーフ付き三角ペディメント、平側のパラペットなど、小規模ながら洋風意匠も凝らしている。余戸谷町水源地から東方に100ｍ程離れた住宅地に位置する倉吉市創設水道の施設で、配水池から市街地に送られる上水の計量に用いられた施設で、四周に廻した軒蛇腹・パラペット、正面入口上部の扁額・レリーフなどが、豊かな街路景観形成に寄与している。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4237.htm,
310000,TP3100003260,鳥取県,遠藤家住宅主屋他４棟,エンドウケジュウタクシュオクホカ４トウ,,endouke zyuutaku syuoku hoka 4 tou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町坊領,鳥取県,西伯郡大山町,坊領,,,,,,,,,,,,,,,,,2003/3/18,,,,,,,,,主屋は、寄棟造・平入、茅葺屋根であり、食い違い四間取型の平面や構造形式などから、年代は江戸後期と推定される。広間と客間の間に設けた式台玄関などに格式の高さが窺える。表門と並んで建つ「離れ座敷」は、もと隠居部屋と思われる。木造平屋建、切妻造・桟瓦葺で、旧家屋敷構成を示す建物である。またこの他、敷地内の表門・財蔵・通用門も登録有形文化財である。,,,
310000,TP3100003270,鳥取県,子持勾玉,コモチマガタマ,,komotimagatama,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,1980/3/4,,,,,,,,,子持勾玉とは、大型の勾玉の腹背や両側面に小型の勾玉をいくつも付着させた形をしたもの。湖山池中の青島から出土したものだが、一遺跡から複数個の発見例は珍しく、古墳時代中期における祭祀文化を知る貴重な資料である。滑石製。大型の一点は、長さ9cm、高さ5cm、厚さ2.4cm。両側面や背に線刻がみられる。他の一点は、頭部を欠いているが、長さ7.8cm、高さ4.1cm、厚さ1.3cm。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100003280,鳥取県,ハマナス自生南限地帯,ハマナスジセイナンゲンチタイ,,hamanasuziseinangentitai,天然記念物,国指定の植物,,,,"鳥取県鳥取市,西伯郡大山町",鳥取県,"鳥取市,西伯郡大山町",,,,,,,,,,,,,,,,,,1922/3/8,,,,,,,,,ハマナスはバラ科の植物で、５月末～６月にバラによく似た帯紫赤色の花を咲かせる。朝鮮半島からカムチャッカ半島、ベーリング海沿岸にかけて分布する北方系の植物で、海浜上に生える。日本では北海道オホーツク海沿岸に大規模な群落があるが、日本海側では本県にある２ヶ所及び島根県大田市の群落、太平洋側では茨城県のものが、自生の南限となっている。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100003290,鳥取県,鳥取藩台場跡（由良台場跡　境台場跡　淀江台場跡　橋津台場跡　浦富台場跡　赤崎台場跡）,トットリハンダイバアトユラダイバアトサカイダイバアトヨドエダイバアトハシヅダイバアトウラドメダイバアトアカサキダイバアト,,tottorihandaibaato,史跡,国指定の政治に関する遺跡,,,,"鳥取県東伯郡北栄町,境港市,米子市淀江町,東伯郡湯梨浜町,岩美郡岩美町,東伯郡琴浦町",鳥取県,"米子市,境港市,岩美郡岩美町,東伯郡湯梨浜町,東伯郡琴浦町,東伯郡北栄町",,,,,,,,,,,,,,,,,,1988/7/27,,,,,,,,,　江戸末期、鳥取藩内に築かれた台場名所の内のひとつ。現在６ヶ所が残る。農民等が積極的に協力して築造し、西洋式の城塞プランが採用されるなど、藩築造の台場としては極めて特徴的で、幕末史の理解に欠くことのできない重要な遺構である。　由良台場跡は、高島秋帆に西洋砲術を学んだ武信潤太郎を総指揮者として、伯耆５台場のうち最も早く着手され、文久４年に完成した。平面形が正八角形を真横に二分した形で、東西125ｍ、南北80ｍ、土塁の高さ５ｍ、総面積8，000平方メートルの遺構がほぼ完全に残っている。鳥取藩史によると、台場には近くの六尾反射炉で製造された60斤砲、24斤砲、15斤砲、５寸径砲各１門が配備されたという。　境台場は、中海に通じる境水道の入口に、松波宏元の設計に基づき文久４年に完成した。高さ約６ｍ、幅約25ｍの土塁が３つの鈍角コーナーを持ちつつ、250連続している。台場には六尾反射炉で製造された18斤砲２門、６斤砲１門、５寸径砲５門の計８門が配備され、農兵隊が守備にあたった。　淀江台場は淀江湊に面し、今津村大庄屋松波宏年が土地を提供、その子宏元が設計して文久３年11月に完成した。現在残るのは、高さ約４ｍ、幅約24ｍ、長さ約67ｍの土塁である。淀江台場には六尾反射炉で製造した18斤砲、６斤砲、５寸径砲各１門が配備され、松波が率いる松波農兵隊が守備した。　橋津台場は藩倉のある重要港湾橋津湊に長瀬大庄屋戸崎久右衛門以下が取締役となって築造したもので、由良台場と同じく左右対称のプランであったが、現在は両翼の土塁の一部と後方土塁、目隠し土塁が残っている。台場には六尾反射炉で製造された18斤砲、６斤砲、３斤砲、５寸径砲各１門の大砲が備えられていた。　浦富台場跡は藩執政職にあった鵜殿長道が浦富海岸に築いた因幡に現存する唯一の台場跡。東西約100ｍで、土塁の幅は10ｍ前後、高さ３ｍ前後を測り、前方土塁の平面形は２ヶ所に稜をもつ特異なもので、西洋式の城塞プランが取り入れられている。12斤砲、６斤砲、５寸径砲等４門の大砲が備えられていた。浦富お台場公園として整備されている。　赤崎台場跡は、菊港や藩倉の防備を目的に、武信佐五右衛門が責任者となって築造された。昭和30年代に道路建設に伴って埋立てられたが、平成25・26年度に発掘調査を行ったところ、3段構造の土塁が東西約50mにわたって残っていることが分かった。平面形はほかの鳥取藩台場と異なり、半円形である。台場には六尾反射炉で製造された大砲が当初3門、後に4門設置されたようである。,,https://www.e-hokuei.net/5319.htm,
310000,TP3100003300,鳥取県,切支丹灯篭,キリシタンドウロウ,,kirisitantourou,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市気高町,鳥取県,鳥取市,気高町,,,,,,,,,,,,,,,,,1957/4/16,,,,,,,,,江戸時代、潜伏切支丹が礼拝したといわれる花崗岩製の灯篭。切支丹灯篭は、台座、棹、中台、火袋、笠、宝珠の6部で成るが、指定の灯篭は、その棹石だけを残したものと考えられる。縦長の部分に彫り込みがあり、その中に合掌する一見キリスト教の聖者を思わせる像が浮き彫りにされている。また、興禅寺と個人宅に所存するものには、上部にラテン文字の組合せとも言われる刻字がある。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100003310,鳥取県,因幡の菖蒲綱引き,イナバノショウブツナヒキ,,inaba no syoubu-tunahiki,重要無形民俗文化財,国指定の風俗慣習,,,,"鳥取県鳥取市気高町宝木,水尻,青谷町青谷,岩美郡岩美町大羽尾",鳥取県,"鳥取市,岩美郡岩美町",,,,,,,,,,,,,,,,,,1987/1/8,,,,,,,,,子供組による伝統行事で、行われるのが五月節供であること、綱の材料に多く茅が用いられること（大羽尾、水尻、青谷）、綱をもって初節供の家や村中を回って歩いたり（水尻、宝木、青谷）、綱で地面を激しく打って回る所があること（水尻、宝木）、綱に災厄を負わせて海に流すこと（宝木、青谷）などの特色がある。我が国の綱引き行事の本質、由来を考える上できわめて貴重な遺産である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100003320,鳥取県,智頭町板井原伝統的建造物群保存地区,チヅチョウイタイバラデントウテキケンゾウブツグンホゾンチク,,tizutyou　itaibara　dentoutekikenzoubutugun　hozontiku,県選定伝統的建造物群保存地区,県選定の建造物群,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町市瀬,鳥取県,八頭郡智頭町,市瀬,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/2/3,,,,,,,,,農林業を基盤とする山間部の集落。江戸時代から昭和初期にいたる各時代の生業形態に対応した 伝統的建造物が密度高く残る。周囲の自然環境と一体となってすぐれた歴史的風致を形成している。都道府県での伝統的建造物群保存地区選定は全国初。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100003330,鳥取県,橋津の藩倉　古御蔵・三十間北蔵・片山蔵,ハシヅノハンソウコオクラ・サンジュッケンキタグラ・カタヤマグラ,,hasizunohansou kookura・sanzyukkenkitagura・katayamagura,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町橋津,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,橋津,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/2/3,,,,,,,,,橋津の港は日本海海運の拠点として多くの舟が出入りし、舟番所や役宅が設けられ、御蔵から北方の浜屋敷にかけての往来には廻船問屋、米問屋、旅籠などが軒を並べにぎわっていた。そのうち現存するのが古御蔵、三十間北蔵、片山蔵の３棟であり、県内唯一の藩倉遺構である。,,,
310000,TP3100003340,鳥取県,清水川堰堤（第一、第二、第三、第五、第六号）,シミズガワエンテイ（ダイイチ、ダイニ、ダイサン、ダイゴ、ダイロク）,,simizugawa　entei（dai-ichi、dai-ni、 dai-san、 dai-go dai-roku),国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,"鳥取県倉吉市関金町堀,今西",鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/8/17,,,,,,,,,昭和９年の室戸台風による大水害を契機として実施された天神川水系の砂防事業の中でも早くに工事着手された砂防施設。良好に残る石積みの外観が周囲の深い緑と調和し、国土の歴史的景観に寄与している。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4237.htm,
310000,TP3100003350,鳥取県,小鴨川堰堤（第１号、第２号、第３号）,オガモガワエンテイ,,ogamogawaentei（dai-ichi-go、dai-ni-go、 dai-san-go),国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市関金町明高,鳥取県,倉吉市,関金町明高,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/8/17,,,,,,,,,昭和９年の室戸台風による大水害を契機として実施された天神川水系の砂防事業の中でも早くに工事着手された砂防施設。良好に残る石積みの外観が周囲の深い緑と調和し、国土の歴史的景観に寄与している。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4237.htm,
310000,TP3100003360,鳥取県,絵画土器　角田遺跡出土,カイガドキスミタイセキシュツド,,kaigadoki sumitaisekisyutudo,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31202,,鳥取県米子市淀江町福岡977-2番地上淀白鳳の丘展示館,鳥取県,米子市,淀江町福岡,977-2番地,上淀白鳳の丘展示館,,,,,,,,,,,,,,,2004/2/3,,,,,,,,,米子市淀江町稲吉の角田遺跡で、昭和５５年に出土した弥生時代中ごろの壺です。壺の頸部には、線刻によって六重の同心円（太陽か）、舟と舟を漕ぐ人物、建物２棟などが描かれています。弥生時代の生活や社会を復元する上で貴重な資料です。,,https://www.city.yonago.lg.jp/36275.htm,
310000,TP3100003370,鳥取県,倉谷のザゼンソウ湿原,クラタニノザゼンソウシツゲン,,kurataninozazensousitugen,県指定天然記念物,県指定の植物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町芦津,鳥取県,八頭郡智頭町,芦津,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/4/30,,,,,,,,,ザゼンソウはサトイモ科の植物で、主に日本海側の山地の湿地や渓流沿いに分布する。鳥取県の中部地域が分布の西限となる。ザゼンソウそのものは、県東部域を中心に、多くは沢沿いのスギ植林内などの陰湿な地に小規模、点在的に分布する植物であるが、倉谷湿原に見られるザゼンソウは、大規模にまとまって群生しており、この様な生育地は他に類を見ない。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100003380,鳥取県,鹿野地震断層の痕跡,シカノジシンダンソウノコンセキ,,sikanozisindansounokonseki,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町末用,鳥取県,鳥取市,鹿野町末用,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/11/9,,,,,,,,,鹿野地震断層は、昭和１８年９月１０日に発生した鳥取大地震の時に生じた断層である。当時、鳥取市鹿野町末用地区では鹿野断層沿いに地盤が東西に約１．５ｍ移動し、約０．５ｍ沈下している。地震による断層で屈折した水路は、この断層の様子を明瞭に確認できる県下で唯一の場所である。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100003390,鳥取県,杣小屋拱堰堤,ソマゴヤキョウエンテイ,,somagoya　kyouentei,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市河原町杣小屋,鳥取県,鳥取市,河原町杣小屋,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/11/29,,,,,,,,,千代川水系曳田川の上流に築かれた砂防堰堤。石張谷積で堤高１０ｍ。平面形が弧を描くアーチ式の形状が特徴。昭和２６年竣工。,,,
310000,TP3100003400,鳥取県,東門脇家住宅主屋他８棟,ヒガシカドワキケジュウタクシュオクホカ８トウ,,higasi　kadowakike　jyuutaku　syuoku hoka　8　tou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町所子,鳥取県,西伯郡大山町,所子,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/11/29,,,,,,,,,西にある重要文化財門脇家住宅の分家。登録されたのは主屋、旧酒蔵、旧麹室、門長屋、蔵、旧味噌蔵、西面土塀、化粧部屋、納屋。敷地のほぼ中央の主屋は、当地の江戸時代後期民家の様相をよく伝える。,,,
310000,TP3100003410,鳥取県,南門脇家住宅　旧僧侶座敷、離れ座敷、南納屋,ミナミカドワキケジュウタクキュウソウリョザシキハナレザシキミナミナヤ,,minamikadowakikejyuutaku　kyuusouryozasiki hanarezasiki minaminaya,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町所子,鳥取県,西伯郡大山町,所子,,,,,,,,,,,,,,,,,2004/11/29,,,,,,,,,県指定保護文化財南門脇家住宅の敷地に建つ建物のなかで、指定されていない旧僧侶座敷、離れ座敷、南納屋が登録文化財に登録されている。,,,
310000,TP3100003420,鳥取県,湖山池の石がま漁,コヤマイケノイシガマリョウ,,koyama-ike no isigama-ryou,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31201,,鳥取県鳥取市三津,鳥取県,鳥取市,三津,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/1/28,,,,,,,,,湖山池で江戸時代前期から行われていたとされる伝統的な漁法。石がまと呼ばれる人工漁礁を用いた漁法で、このような漁法は他に見られない。,,,
310000,TP3100003430,鳥取県,日南のかしら打ち,ニチナンノカシラウチ,,nitinan no kasira-uti,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31401,,"鳥取県日野郡日南町福塚,多里",鳥取県,日野郡日南町,,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/1/28,,,,,,,,,日南町福栄、多里に伝えられ、家内安全を祈念して神社に奉納される太鼓の囃子を中心とする芸能。中国地方山間部に同類の芸能が伝承されており、山間地域の文化交流を示している。,,http://www.town.nichinan.tottori.jp/p/1/15/11/10/,
310000,TP3100003440,鳥取県,山陰道　蒲生峠越,サンインドウガモウトウゲコエ,,sanindou gamoutougekoe,史跡,国指定の政治に関する遺跡,,31302,,鳥取県岩美郡岩美町蒲生,鳥取県,岩美郡岩美町,蒲生,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/3/2,,,,,,,,,「山陰道」とは古代における行政区分の名称でもあり、この行政区分中の国々をつなぐ官道のことを「山陰道」と呼ぶようになったものと推測されている。近世の「山陰道」は鳥取と京都を結ぶ主要街道として鳥取藩が整備し、鳥取城下から東に向かう道は「但馬往来」とも呼ばれていた。現在でも峠付近には「延命地蔵大菩薩」の台座が残り、当時の往来の様子を今に伝えている。,,,
310000,TP3100003450,鳥取県,智頭町立山形小学校,チヅチョウリツヤマガタショウガッコウ,,tizuchou ritsu yamagatashou gakkou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町郷原,鳥取県,八頭郡智頭町,郷原,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/8/2,,,,,,,,,昭和17年建築の、桁行81ｍ、梁間10ｍの長大な木造２階建ての校舎。簡素ながら、西面全長にわたり窓を連続させるなど、水平性を強調したデザインが特徴的。,,,
310000,TP3100003460,鳥取県,三朝橋,ミササバシ,,misasa　basｈi,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三朝,鳥取県,東伯郡三朝町,三朝,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/8/2,,,,,,,,,橋長69ｍのＲＣ造７連桁橋。４本の円柱と貫、肘木等から構成される橋脚。橋上には擬宝珠高欄、春日燈籠を設けるなど、木橋を意識した丁寧なデザイン。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100003470,鳥取県,米子城跡,ヨナゴジョウアト,,yonagojyouato,史跡,国指定の城跡,,31202,,鳥取県米子市久米町,鳥取県,米子市,久米町,,,,,,,,,,,,,,,,,2006/1/26,,,,,,,,,米子市街地の西側、中海に突き出す標高約90mの湊山と、標高約60mの飯山に築かれた戦国末期から近世にかけての平山城跡。湊山頂上部に総石垣の本丸を配し、北側の尾根上には内膳丸が突き出し、内膳丸の東麓には政庁が置かれた二の丸が続く。二の丸の南東下には大型の外枡形を構えている。米子城跡は西伯耆支配の拠点城郭であり、戦国末期から近世初頭の城郭の形態を良くとどめた平山城跡として、我が国の歴史を考える上でも重要である。,,https://www.city.yonago.lg.jp/4439.htm,
310000,TP3100003480,鳥取県,籠守神社本殿,コモリジンジャホンデン,,komorizinzya　honden,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町埴見,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,埴見,,,,,,,,,,,,,,,,,2006/7/18,,,,,,,,,１７世紀末期の建築と見られ、鳥取県中部地域では最も古い神社本殿建築である。県内で同様の社殿は一間社が多い中、三間社流造と比較的規模も大きなものである。,,,
310000,TP3100003490,鳥取県,石谷氏庭園,イシタニシテイエン,,isitanisiteien,国登録記念物,国登録の庭園,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町八頭郡智頭町智頭,鳥取県,八頭郡智頭町,八頭郡智頭町智頭,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/3/28,,,,,,,,,智頭宿において江戸時代に問屋家業を営み明治時代に林業経営で栄えた石谷家の庭園で、池庭、枯山水、芝生の庭、露地、坪庭などで構成される。近代の豪商における庭園の意匠及び構成の特徴をよく遺している。,,,
310000,TP3100003500,鳥取県,石谷氏庭園,イシタニシテイエン,,isitanisiteien,県指定名勝,県指定の庭園,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭町ノ内,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭町ノ内,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/5/14,,,,,,,,,智頭宿において江戸時代に問屋家業を営み明治時代に林業経営で栄えた石谷家の庭園で、池庭、枯山水、芝生の庭、露地、坪庭などで構成される。近代の豪商における庭園の意匠及び構成の特徴をよく遺している。,,,
310000,TP3100003510,鳥取県,豊乗寺大師堂及び山門,ブジョウジタイシドウオヨビサンモン,,buzyouzi　ｔaisidou　oyobi　sanmon,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町新見,鳥取県,八頭郡智頭町,新見,,,,,,,,,,,,,,,,,2007/4/27,,,,,,,,,茅葺の大師堂は天明２年（1782）に建築されたもので、正面入母屋、側面寄棟となり、中世風の本堂にならったものと思われる。造りは簡素であるが、組物等に１８世紀建築の特色が伺え、正面には池田家の家紋が挿入されるなど、鳥取藩との関わりも深かったといえる。八脚門となる山門は、延享元年（1744）に建築されたもので、組物などの絵様も大師堂より古い様式を伝えている。いずれも、建築当初の姿を留めており貴重である。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100003520,鳥取県,青谷上寺地遺跡,アオヤカミジチイセキ,,aoyakamizitiiseki,史跡,国指定の集落跡,,31201,,"鳥取県鳥取市青谷町吉川,青谷",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/3/28,,,,,,,,,鳥取市青谷町に所在する弥生時代の集落跡で、青谷平野のほぼ中央に位置する。国道及び県道の建設に伴い発見され、これまでに弥生時代の掘立柱建物や、遺跡中心部を区画する溝と大規模な護岸施設、水田跡などが検出された。青谷上寺地遺跡を特徴付けるのは、「地下の弥生博物館」と呼ばれるほど豊富かつ保存状態の良い出土品である。通常の遺跡では遺存しにくい木器・骨角器・鉄器・青銅器などが多量に出土しただけでなく、殺傷痕の残る人骨や弥生人の脳も見つかった。また、出土品の中には大陸との関係を示唆する出土品が数多くあり、他地域と海を介した交易を行っていたとみられる。,,https://www.aoya-kamijichi.info/,
310000,TP3100003530,鳥取県,若桜橋,ワカサバシ,,wakasa　basi,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町若桜,鳥取県,八頭郡若桜町　,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,2007/12/19,,,,,,,,,八東川に架かる鉄筋コンクリート造３連アーチ橋。橋長８３ｍ、幅員６．２ｍ、支間長２８ｍのアーチは開腹式。両端に袖高欄を付ける。大恐慌後、時局匡救（じきょくきょうきゅう）事業として建設された。鳥取県土木課設計、井口組施工。平成１６年度には、社団法人土木学会「選奨土木遺産」に選定。,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100003540,鳥取県,高砂屋（城下町とっとり交流館）店舗棟ほか５棟,タカサゴヤ（ジョウカマチトットリコウリュウカン）テンポトウホカ５トウ,,takasagoya(zyoukamati　tottori　kouryuukan)tenpotou　hoka5tou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市元大工町,鳥取県,鳥取市,元大工町,,,,,,,,,,,,,,,,,2007/8/13,,,,,,,,,店舗棟：木造２階建、桟瓦葺。間口一杯の鴨居や太い柱を組んで、広い土間と帳場による店空間を作っている。特に土間の松梁は長大なもので、往時の繁栄ぶりが偲ばれる。住居棟：木造２階建、桟瓦葺。店舗棟に比べ簡素な外観となるが、上下の軒裏や２階部分の正面を漆喰塗とし、正面両脇に卯建を上げるなど、耐火性に配慮した重厚な構えとなっている。蔵一：２階建、切妻造、桟瓦葺で東西２棟の土蔵を蔵前で接続している。１・２階の正面を七宝模様の海鼠壁とし、扉まわりなどに漆喰彫刻を施すなど、見応えがある。 蔵二：２階建、切妻造、桟瓦葺の土蔵。正面を海鼠壁、他の面は板張や鉄板張としている。平入形式とする点が、両脇に建つ妻入形式の土蔵と好対照を成し、屋敷景観に変化を与えている。 蔵三：２階建、切妻造、桟瓦葺の土蔵。正面を海鼠壁、他の面は板張とし、垂木を漆喰で塗るなど、防火にも配慮している。窓の庇部分に漆喰彫刻が見られる。 脇門：店舗棟の東側前寄りに附属し、前面の街道と庭を仕切っている。門口１ｍの簡素な門だが、店舗棟と同じ瓦を用いて外観の統一を図っている。,,,
310000,TP3100003550,鳥取県,倉吉市役所本庁舎,クラヨシシヤクショホンチョウシャ,,kurayosi　siyakusyo　hontyousya,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市葵町,鳥取県,倉吉市,葵町,,,,,,,,,,,,,,,,,2007/8/13,,,,,,,,,丹下健三の設計により、ＲＣ構造の特徴を活かして建てられた庁舎建築。水平線を強調した外観、ピロティや中庭など開放的な空間構成をとり、丹下健三の初期の庁舎建築の特徴をよく示している。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4237.htm,
310000,TP3100003560,鳥取県,山陰民具店舗兼主屋,サンインミングテンポケンシュオク,,saninmingu　tenpokensyuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市西岩倉町,鳥取県,倉吉市,西岩倉町,,,,,,,,,,,,,,,,,2007/10/22,,,,,,,,,道に面した表側は瓦葺２階建であるが、裏側は元の茅葺屋根を残し、鉄板仮葺とする。内部は幅の広い土間と、１列３室の居室を配する。町家が茅葺から瓦葺へと代わっていった経過を示す建物。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4237.htm,
310000,TP3100003570,鳥取県,常忍寺本堂,ジョウニンジホンドウ,,zyouninzi　hondou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市行徳,鳥取県,鳥取市,行徳,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/5/7,,,,,,,,,常忍寺は初代鳥取藩主池田光仲夫人芳心院の菩提寺の住職によって１８世紀に創建された日蓮宗の寺院。現本堂は内部正面１間通りを外陣とし、その奥４間を内陣、両脇を余間とする。内陣中央後寄りに天蓋付きの須弥壇を構え、本堂全体に大柄な桜材が用られている。典型的な日蓮宗本堂形式を示し、細部の様式に時代をよく反映している。,,,
310000,TP3100003580,鳥取県,加藤家住宅主屋,カトウケジュウタクシュオク,,katoukezyuutaku　syuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市倭文,鳥取県,鳥取市,倭文,,,,,,,,,,,,,,,,,2006/8/24,,,,,,,,,鳥取藩御殿医の旧宅。入母屋平入、元は茅葺、現在鉄板葺。道路から石垣で隔てられた敷地の中央に、東面して建つ。かつては「広間型五間取り」であったと推定される。数寄屋風の座敷や便所を持ち、式台を正面に構える。,,,
310000,TP3100003590,鳥取県,旧藤原家住宅主屋及び土蔵,キュウフジワラケジュウタクシュオクオヨビドゾウ,,kyuu　fuziwarake　zyuutaku　oyobi　dozou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町市瀬,鳥取県,八頭郡智頭町,市瀬,,,,,,,,,,,,,,,,,2006/4/12,,,,,,,,,主屋：明治末期に建築され、大正末期に増築されたと考えられる一部２階建木造で、現在は鉄板葺きであったが、当初は茅葺きであった。１階は土間を配した広間型三間取を基本とした平面。２階は産室として大正末期に増築された。土蔵：主屋に隣接して建つ。一辺４ｍの方形平面を持つ土蔵造２階建。外壁は荒壁仕上。大正期の建築とされる。,,,
310000,TP3100003600,鳥取県,板井原公民館,イタイバラコウミンカン,,itaibara　kouminkan,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町市瀬,鳥取県,八頭郡智頭町,市瀬,,,,,,,,,,,,,,,,,2006/4/12,,,,,,,,,昭和前期に小学校として建築され、昭和２９年に９０度移築された木造２階建、切妻造、鉄板葺。現在は地区の公民館として使用されている。向山神社境内の東隣に位置。下見板張であるが、軒下は漆喰壁。１階は広く間口を開放でき、舞台を兼用している。,,,
310000,TP3100003610,鳥取県,向山神社本殿、拝殿、覆殿及び籠堂,ムコウヤマジンジャホンデン、ハイデン、オオイデンオヨビコモリドウ,,"mukouyama　zinzya　honden,haiden　ooiden　oyobi komoridou",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町市瀬,鳥取県,八頭郡智頭町,市瀬,,,,,,,,,,,,,,,,,2006/4/12,,,,,,,,,板井原地区（県選定伝統的建造物群保存地区）を見渡す高台に、ほぼ南面して配置される神社。本殿は一間社流造。絵様装飾が豊かで、獅子鼻は立体的な造形。近世以来の伝統的な形式と造形を示す。拝殿は本殿前面に位置する切妻、妻入、組物や装飾を持たず簡素な形式。覆殿は側面葺放で一段高く組み、本殿を覆う。籠堂は切妻造、妻入。本殿の西側に位置。内部は天井を張らず、囲炉裏を設ける。素朴な形式であるが、神社信仰の一端を物語る施設。,,,
310000,TP3100003620,鳥取県,豊田家住宅（久米郡倉吉驛）主屋、離れ,トヨタケジュウタク（クメゴオリクラヨシエキ）シュオク、ハナレ,,"toyotake zyuutaku(kumegoori kurayosieki)syuoku,hanare",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市西町,鳥取県,倉吉市,西町,,,,,,,,,,,,,,,,,2006/4/12,,,,,,,,,主屋は明治３３年に建てられた切妻、桟瓦葺、平入の木造２階建で、倉吉の伝統的な町家形式を保持している。倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区の街路の西方に位置し、伝統的建造物群に連なる町並み景観を形成している。離れは木造２階建、切妻、桟瓦葺、平入。細長い敷地の奥にあり、前方の主奥と渡廊下で接続する。１、２階とも床、棚を備え、昭和初期の熟達した和風造形を現す。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4237.htm,
310000,TP3100003630,鳥取県,賀露神社春季祭礼行事,カロジンジャシュンキサイレイギョウジ,,karo-zinzya syunki sairei-gyouzi,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31201,,鳥取県鳥取市賀露町,鳥取県,鳥取市,賀露町,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/4/25,,,,,,,,,毎年４月２８日、２９日に、鳥取市賀露町の賀露神社を中心に行われる春季祭礼行事。神輿ほかの海上渡御を行う神幸行列が繰り出される大祭と、神社における神事と麒麟獅子舞の奉納・門付けのみを行う例祭（地祭）を一年ごとに行う。また、それらに先立ち、祭の御神燈と糯米を蒸すための種火を得る「もみ火の神事」が行われる。鳥取県下で唯一、祭礼のための聖なる火を鑽り出す「もみ火の神事」を行うこと、社伝に基づき、漁業の町らしく船で海上渡御を行うこと、神幸行列や「もみ火の神事」の担い手に年齢階梯制や通過儀礼としての位置づけが今なお色濃く見られること、神幸行列の構成が絵巻にのみ残る権現流（鳥取東照宮の祭礼行列）を今に伝えるものであることが大きな特徴といえる。,,,
310000,TP3100003640,鳥取県,絣［保持者：福井貞子］,カスリ,,kasuri,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31203,,鳥取県倉吉市福庭,鳥取県,倉吉市,福庭,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/11/29,,,,,,,,,大正から昭和初期にかけて、動力織機を用いた大量生産により衰微した「倉吉絣」の復元に努め、それぞれの伝統的な素材や技法に基づき、古くからの品格と秩序を失わず制作を行う。一方で、その高い技術による現代的な表現の方向をも見出している。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4284.htm#05,
310000,TP3100003650,鳥取県,旧美歎水源地水道施設,キュウミタニスイゲンチスイドウシセツ,,kyuu　mitani　suigenti　suidousisetu,重要文化財,国指定の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市国府町美歎,鳥取県,鳥取市,国府町美歎,,,,,,,,,,,,,,,,,2007/6/18,,,,,,,,,旧美歎水源地水道施設は、鳥取市民の飲料水の確保と公衆衛生の向上を主な目的として大正元年に起工し、大正４年９月より給水を開始した上水道施設で、昭和５３年に新たな水源地が建設されるまで供用されていた。施設は、コンクリート造の貯水池堰堤を中心として、美歎川上流量水堰、通り谷量水堰、制水井が付属した１号から５号までの南北に配された濾過池、接合井及び量水器室で構成されている。この水道施設は、山陰地方で最初に建設された近代水道施設の代表的遺構であり、貯水池のみならず、量水施設や濾過施設なども良好な状態で保存されていることから、近代水道施設の構成を知る上で、高い歴史的価値が認められる。（写真提供：鳥取市教育委員会）,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1538014836195/index.html,
310000,TP3100003660,鳥取県,絹本著色江戸風景図,ケンポンチャクショクエドフウケイズ,,kenpontyakusyokuedofuukeizu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市気高町上光,鳥取県,鳥取市,気高町上光,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/12/19,,,,,,,,,沖一峨筆。一峨は、２００年間にわたり鳥取藩御用絵師を務めた沖家の７代目である。多くの絵画技法を習得しており、その精力的な活動が高く評価されている。本図は規模の大きさ、緻密な表現などから、一峨の真景図の中でも、出色の出来映えを誇る一点である。遠近法などの新しい洋風表現を活かして、独特の視点から描かれた本図は、美術史を始めとして、さまざまな方面から関心を寄せられる貴重な作例である。,,,
310000,TP3100003670,鳥取県,心光寺庭園,シンコウジテイエン,,sinkouziteien,県指定名勝,県指定の庭園,,31202,,鳥取県米子市寺町,鳥取県,米子市,寺町,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/11/29,,,,,,,,,天保年間に作底と伝わる地泉鑑賞式庭園。「心の字」形につくられた池には鶴と亀を形象しているという岬が左右に向き合う。来待石を用いた護岸の石組は同じ米子市内にある深田氏庭園（国指定名勝）との共通性が感じられる。小規模ながら、鳥取県西部を代表する江戸時代の庭園として貴重である。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100003680,鳥取県,庄司家庭園,ショウジケテイエン,,syouziketeien,県指定名勝,県指定の庭園,,31204,,鳥取県境港市渡町,鳥取県,境港市,渡町,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/11/29,,,,,,,,,近世に作庭された枯山水庭園。書院座敷に面しており「コニワ」と呼ばれる。正面右手に力強い三尊石が組まれる。書院座敷正面には「駕籠台石」と呼ばれる平石が据えられ、飛石が立蹲踞に続く。立蹲踞は表面の模様から「雲龍石」と命名されている。白砂敷に大降りの飛石や御駕籠石が据えられる手法は出雲にみられる庭園と共通しており、境港という土地柄興味深い。,,https://www.city.sakaiminato.lg.jp/index.php?view=110158,
310000,TP3100003690,鳥取県,正善院庭園,ショウゼンインテイエン,,syouzeninteien,県指定名勝,県指定の庭園,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,,,,,,,,,,,,,,,,,2005/11/29,,,,,,,,,正善院は三徳山三仏寺の三院の１つで、近世には鳥取藩主との関わりも深い。方丈庭園と書院座敷に面した地泉式庭園がある。池には中島が浮かび、屈曲した汀線に石組がされている。書院座敷からの眺めは、池庭を前景に、中景の樹林越しに国重要文化財文殊堂を借景とする。江戸中期以降の作庭と推測される。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100003700,鳥取県,智頭往来　志戸坂峠越,チヅオウライシトサカトウゲゴエ,,tizuourai sitosakatougegoe,史跡,国指定の政治に関する遺跡,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町中原ほか,鳥取県,八頭郡智頭町,中原ほか,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/5/21,,,,,,,,,因幡国と美作国境の志戸坂峠を越える智頭往来は、平安時代から畿内と因幡を結ぶ主要な道として利用されており、近世では、鳥取池田藩が参勤交代の道として重視し整備を行っている。智頭町内には、往来の安全を願う大日如来や地蔵の他、廻国記念碑など近世の道にまつわる石造物が数多く残されており、参勤交代のみならず、人々や物が往来する主要道であったことが窺える。自然や歴史に恵まれ、昔の面影を今に伝える智頭往来は、農林業や生活道路として使用されながら、地元の貴重な歴史遺産として、地元の方々を中心に大切に守られており、わが国の交通史を考える上でも重要である。,,https://www1.town.chizu.tottori.jp/chizu/kyouiku/27/bunkazai/,
310000,TP3100003710,鳥取県,摩尼寺仁王門,マニジニオウモン,,manizi　nioumon,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市覚寺624番地,鳥取県,鳥取市,覚寺,624番地,,,,,,,,,,,,,,,,2005/11/29,,,,,,,,,県下には数少ない本格的な形式をもった三間一戸楼門で、桟瓦葺の入母屋造である。その様式上から、１８世紀後半頃に建築されたものと認められ、建築当初の姿をよく留めている上でも貴重である。,,,
310000,TP3100003720,鳥取県,長谷寺本堂及び仁王門,ハセデラホンドウオヨビニオウモン,,hasederahondou　oyobi　nioumon,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,,,,,,,,,,,,,,,,,2007/4/27,,,,,,,,,長谷寺は、打吹山の中腹にあり、本尊を十一面観音菩薩像とする天台宗寺院である。本堂は寄棟造、南にせり出した懸造で、中世仏堂の典型的な平面構造となっている。天正年間に造営された後、幾度かの改変を経て、江戸後期に現在の形になったと考えられ、県内で中世に遡ることのできる数少ない建造物であり、歴史的価値の高いものである。仁王門は延宝八年（１６８０）の造営とされ、屋根材を除き後世の大きな改造も無く、１７世紀の姿を伝える貴重な建造物である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#20,
310000,TP3100003730,鳥取県,因幡の麒麟獅子舞,イナバノキリンシシマイ,,inabanokirinsisimai,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の民俗芸能,,,,鳥取県,鳥取県,,,,,,,,,,,,,,,,,,,2009/3/11,,,,,,,,,眉間に突き出た角一本を持つ獅子頭を蚊帳と呼ばれる胴衣に入った二人が操り、猩々を加えて、太鼓・鉦・笛などの囃子に合わせて舞う獅子舞。江戸時代初期に鳥取池田家初代藩主光仲が創始されたとされる。麒麟獅子舞は因幡地方一円に伝播しており、獅子舞系統の芸能として地方的特色の著しいものである。,,,
310000,TP3100003740,鳥取県,出雲・伯耆の荒神祭,イズモ・ホウキノコウジンサイ,,izumo・houki no kouzin-sai,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の風俗慣習,,,,地域を定めず,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,2009/3/11,,,,,,,,,中国地方で多様な性格をもって祀られている荒神のうち、島根県東部の出雲地方から鳥取県西部の伯耆地方にかけて濃厚にみられる、農耕の神、牛の神としての荒神に収穫を感謝する行事であり、我が国における収穫感謝に関わる荒神信仰を考える上で貴重である。,,https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/312/00000861,
310000,TP3100003750,鳥取県,大和佐美命神社の獅子舞,オオワサミノミコトジンジャノシシマイ,,oowasaminomikoto zinzya no sisimai,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市中砂見字大湯棚,鳥取県,鳥取市,中砂見字大湯棚,,,,,,,,,,,,,,,,,1971/11/11,,,,,,,,,通称麒麟獅子とも呼ばれる二人立獅子舞の一種で、因幡地方の同類型の獅子舞のうちでも、その舞振りは比較的よく洗練されている。また、獅子頭は特に貴重で、獅子舞系統の芸能としては地方的特色の著しいものである。,,https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/312/453,
310000,TP3100003760,鳥取県,越路の雨乞踊,コエジノアマゴイオドリ,,koezi no amagoi-odori,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市越路,鳥取県,鳥取市,越路,,,,,,,,,,,,,,,,,1973/11/5,,,,,,,,,雨が授かったことを神に感謝する行列風流と踊で、ささら摺りを先頭に総勢50人余が参加する。境内で行う本踊りは、円陣をつくり、花笠をかぶって締太鼓をたたきながら格調高く優美に踊ることを特徴とし、雨乞いを本旨としながらも、極めて風流化された芸能として地方的特色の顕著なものである。,,https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/312/455,
310000,TP3100003770,鳥取県,因幡宝木のしょうぶ綱,イナバホウギノショウブツナ,,inaba hougi no syoubu-tuna,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の風俗慣習,,31201,,鳥取県鳥取市気高町宝木,鳥取県,鳥取市,気高町宝木,,,,,,,,,,,,,,,,,1984/12/20,,,,,,,,,五月節供に村落を二分する形式で綱引きをするもので、古町・新町の村組を基礎に構成されている子供集団が主体となっている。綱引きの前日には寝泊りして準備が行われ、当日は綱引きの後、海岸に出て相撲を取る。日本海沿岸地方の地域的特色ある綱引き行事の残存例として貴重である。,,https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/312/455,
310000,TP3100003780,鳥取県,円通寺人形芝居,エンツウジニンギョウシバイ,,entuuziningyousibai,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市円通寺,鳥取県,鳥取市,円通寺,,,,,,,,,,,,,,,,,1985/12/20,,,,,,,,,伝承演目の中に祝福の門付芸として演じられた「大黒舞」「三吉デコ」の演目を含むなど、人形芝居の古様な姿を示し、また、江戸時代に当地方で流行した歌謡「岩力節」に合わせて人形を操るなど地域的特色を示し、日本の人形芝居の歴史的な変遷を知るうえで重要なものである。,,https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/312/456,
310000,TP3100003790,鳥取県,山陰の大凧揚げ習俗,サンインノオオタコアゲシュウゾク,,sanin no ootako-age syuuzoku,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の風俗慣習,,,,"鳥取県,島根県","鳥取県,島根県",,,,,,,,,,,,,,,,,,,1994/12/13,,,,,,,,,凧揚げ習俗は正月の風物詩として親しまれてきたが、各地には正月以外の季節に凧揚げをする例も多い。山陰地方でも男子の出生祝いとして大凧を揚げる習俗が広くみられ、県下ではかつて西伯郡大山町を中心に二畳ないし六畳の大凧を作り、凧合戦をしたことが報告されている。,,https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/176,
310000,TP3100003800,鳥取県,三朝のジンショ,ミササノジンショ,,misasa no zinsyo,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の風俗慣習,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三朝,鳥取県,東伯郡三朝町,三朝,,,,,,,,,,,,,,,,,1999/12/13,,,,,,,,,五月節供の綱引き行事で、藤蔓を材料にした雌雄2本の大綱を結合させ、地区が東西に分かれて引き合い、その勝敗によって豊作等を占うもの。五月節供の綱引きは日本海沿岸地域に濃密に分布しているが、藤蔓のみを材料として綯われる大綱の形態は他地域にはみられない。,,https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/312/721,
310000,TP3100003810,鳥取県,上淀の八朔綱引き,カミヨドノハッサクツナヒキ,,kamiyodo no hassaku tunahiki,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の風俗慣習,,31202,,鳥取県米子市淀江町福岡,鳥取県,米子市,淀江町福岡,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/3/13,,,,,,,,,豊作や無病息災を祈願して綱引きを行う行事で、毎年月遅れの八朔に近い日曜日に行われる。八朔綱引きは、全国的にも類例が少なく、鳥取県の一部と兵庫県但馬地方に伝承されてきたことが知られているが、現在では本件が唯一の伝承例となっている。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100003820,鳥取県,三朝のジンショ,ミササノジンショ,,misasa no zinsyo,重要無形民俗文化財,国指定の風俗慣習,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三朝,鳥取県,東伯郡三朝町,三朝,,,,,,,,,,,,,,,,,2009/3/11,,,,,,,,,三朝のジンショは、山から切り出した藤カズラを使い、２本合わせて全長１５０ｍ、綱の胴周りが１．５ｍほどもある大綱をつくり、東西に分かれて大勢で引き合うという勇壮な行事。綱引きは５月４日に行われ、１ヶ月前から準備を行う。前日には地区の人々が総出で東西に分かれて綱をなう「綱からみ」が行われる。当日の夜、三朝の温泉街で東の雄綱と西の雌綱を結合させ、提灯の合図で一斉に綱引きを行う。観光客も参加する綱引きは１回勝負で、東が勝てば豊作、西が勝てば商売繁盛といわれる。 五月節供の綱引き行事は、鳥取県や兵庫県などの日本海沿岸地域に濃密に分布しているが、藤蔓のみを材料としてなわれる大綱の形態は他地域にはみられず、貴重な事例といえる。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100003830,鳥取県,旧江尾発電所本館,キュウエビハツデンショホンカン,,kyuuebihatudensyohonkan,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31403,,鳥取県日野郡江府町久連,鳥取県,日野郡江府町,久連,,,,,,,,,,,,,,,,,2009/8/25,,,,,,,,,日野川に面して経つ、石造の旧水力発電所施設。大正８年に山陰電気株式会社によって建てられ、昭和５２年まで稼働していた。県内では珍しい石造建築で、２階建の北館と平屋建の南館で構成されている。当初の屋根は瓦葺きだったが、平成１２年の鳥取西部地震後、金属板に葺き替えられた。軒にはコーニスと呼ばれる段状の装飾が施されるほか、窓の上部のデザインに数種類のアーチ型を使い分けるなど、西洋建築の様式が取り入れられている。内部には、発電機室や配電盤室の他、畳敷きの休憩室も残されている。また、屋根を支える構造には、中央に束を立てて、斜材を入れるキングポストトラスと呼ばれる近代以降に用いられる構造を見ることができる。 　構造、デザインともに近代らしさを持ち、意匠的にも美しい。地域のランドマークとなっており、国土の歴史的景観に寄与するものとして評価された。 なお、平成１９年度には、土木学会選奨土木遺産に認定された。 ,,https://www.town-kofu.jp/2/1/11/5/1/e577/,
310000,TP3100003840,鳥取県,木造狛犬（阿形）,モクゾウコマイヌ（アギョウ）,,mokuzoukomainu(agyou),県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳1010番地三徳山宝物殿,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,1010番地,三徳山宝物殿,,,,,,,,,,,,,,,2009/9/29,,,,,,,,,制作年代が平安時代後期と推察される、像高７７．７㎝の木造狛犬像。特徴としては、小ぶりな頭部に細身の体躯をもっていることや、上体を起こし、後肢を前方へ伸ばして前肢の内側に接するように置くという類例のない姿勢をとっていることが挙げられる。平安時代に遡る狛犬の古例として貴重であり、華奢にして俊敏な感覚をあわせもつ繊細な作風は、高く評価されるものである。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100003850,鳥取県,若桜鉄道若桜駅本屋及びプラットホーム、転車台ほか計２３件,ワカサテツドウワカサエキホンヤオヨビプラットホ－ム、テンシャダイホカケイ２３ケン,,"wakasatetudou　wakasaeki　honya　oyoｂi　purattohomu,tensyadaihoka　kei 23ken",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31325,,"鳥取県八頭郡若桜町,八頭郡八頭町",鳥取県,八頭郡若桜町　,,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/7/23,,,,,,,,,昭和５年に全線開通した旧国鉄若桜線の若桜駅諸施設と、橋梁や沿線の駅舎など計２３件が登録された。若桜線は当初は、旅客の外、木材や貨物の輸送機能も果たしていた。終着駅である若桜駅では、木造平屋建の駅舎本屋の外、信号制御を行っていた物置及び灯室、転鐵機操作員の番所である転鐵手箱番所、保線用車両を納める諸車庫、機関車転向用の転車台、蒸気機関車へ給水を行うための給水塔、駅構内の雪を流す流雪溝といった、一連の施設が残されており、昭和初期の終着駅の様子を良く伝える。 若桜駅以外の丹比駅、八東駅、安部駅、隼駅、因幡船岡駅はいずれも似た木造平屋建、切妻造で主に事務室及び待合室からなる駅舎で、外装は下見板張。いずれの駅も石積みのプラットホームを持ち、八東駅、安部駅ではガラスを多用した開放的な待合室を持つ。 橋梁はいずれもプレートガーダーである。規模の大きい第一、第二、第三八東川橋梁は新規に建設されたが、小規模な若桜川橋梁、細見川橋梁、岩淵川橋梁は旧材が転用されている。 その他、山からの落石、落雪から線路を守るコンクリート製の落石覆、雪覆も併せて登録された。,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100003860,鳥取県,大井家住宅主屋,オオイケジュウタクシュオク,,ooike　jyuutaku　syuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市気高町,鳥取県,鳥取市,気高町,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/7/23,,,,,,,,,江戸末期に建築され、明治38年・平成13年の２回にわたって移築された。六間取りの平面を持ち、ショインと呼ばれる部屋には杉の面皮材を多用するなど江戸末期から明治初期の時代相を見せる。,,,
310000,TP3100003870,鳥取県,上淀廃寺跡出土壁画・塑像 附瓦・土器類,カミヨドハイジシュツドヘキガソゾウ・ツケタリカワラドキルイ,,kamiyodohaizishutudohekigasozoutuketarikawaradokirui,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31202,,鳥取県米子市淀江町福岡,鳥取県,米子市,淀江町福岡,,,,,,,,,,,,,,,,,2009/9/29,,,,,,,,,"上淀廃寺は、飛鳥時代（白鳳期）に創建された古代寺院であり、平安時代の中頃に火事で焼失したと考えられています。平成３年からの発掘により、塔や金堂跡が確認されました。平成８年には国の史跡に指定されています。金堂跡からは、約4,300点の壁土が出土、うち約1,300点には彩色があります。それらは神将像の上半身や甲冑、菩薩の頭部、山や木などの風景を含んでおり、浄土を描いた「変装図」、釈迦説法の様子を描いた「説法図」を表現して金堂の内部空間を荘厳していたと考えられます。壁土に混じって、塑像の破片約1,900点、も出土しました。如来像の螺髪（らほつ）、天部像の顔面部や、菩薩像の衣文や足指など、多様な塑像片が見つかっています。その他、単弁12葉蓮華文軒丸瓦 などの瓦類、土器類も出しています。これらの出土品は古代寺院における堂内荘厳を発掘資料により復原できる極めて稀な資料であり、山陰地方における仏教文化の導入と定着を示すその学術性は非常に高いと言えます。",,https://www.city.yonago.lg.jp/36331.htm,
310000,TP3100003880,鳥取県,坂口家住宅主屋、離れ及び渡廊下、土間倉、土蔵、門及び塀,サカグチケジュウタクシュオク、ハナレオヨビワタリロウカ、ドマグラ、ドゾウモンオヨビヘイ,,sakagutike zyuutakusyuoku、hanare　oyobi　watarirouka domagura、dozou、mon　oyobihei,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31202,,鳥取県米子市尾高町,鳥取県,米子市,尾高町,,,,,,,,,,,,,,,,,2009/5/14,,,,,,,,,町家に典型的な奥行の長い短冊型の敷地を持ち、敷地の周囲に建物を建てて、中央に庭を配したつくりとなっている。明治に坂口本家から分家した。複雑な構造の屋根を持つ主屋は町家の外観を呈しているが、屋内に通り土間ではなく畳廊下を持つなど、伝統的な町家にはみられない間取をみせる。 大正に増築された離れ、主屋と連続して設けられた門及び塀、地下室を持つ土間倉のほか、背面を流れる旧加茂川沿いに配置された土蔵があわせて登録される。,,https://www.city.yonago.lg.jp/8420.htm,
310000,TP3100003890,鳥取県,美甘家住宅主屋、宝蔵、新蔵、旧厩、倉庫、表門、中門及び土塀,ミカモケジュウタクシュオク、タカラグラ、シングラ、キュウウマヤ、ソウコ、オモテモン、ナカモンオヨビドベイ,,mikamoke　zyutaku　syuoku、takaragura、shingurakyuumaya、souko、omotemonnakamon　oyobi　dobei,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町所子,鳥取県,西伯郡大山町,所子,,,,,,,,,,,,,,,,,2009/5/14,,,,,,,,,木造平屋建、桟瓦葺の主屋は、北に土間、南に２列の部屋を配し、前列に座敷、仏間を設ける。棟には来待石をのせ、当地方の特色を示す。主屋の他、逆向きの左桟瓦を葺く表門、マヤをコの字型に配し、中２階を設けてまぐさを貯蔵した旧厩や、南面に軒を深く葺き降ろした倉庫のほか、新蔵、宝蔵、中門及び土塀など、広大な敷地に配された付属屋６棟もあわせて登録される。なお、美甘家住宅の所在する所子集落は、重要文化財門脇家住宅など歴史的建造物が多く残る地区で、平成２０年度から、大山町による町並み調査が行われている。,,,
310000,TP3100003900,鳥取県,井手挾３号墳出土埴輪一括,イデバサミサンゴウシュツドハニワイッカツ,,idebasamisangousyutudohaniwaikkatsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31202,,"鳥取県米子市淀江町福岡977-2上淀白鳳の丘展示館,米子市福市281米子市埋蔵文化財センター",鳥取県,米子市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/9/17,,,,,,,,,まとまった形象埴輪の出土例が少ない山陰地方において、５世紀後半の古墳における埴輪祭祀の様相を知ることのできる貴重な資料である。盾持人埴輪を多く伴うこと、人物埴輪と動物埴輪に大小の表現がみられること、埴輪の生産体制の手掛かりとなるヘラ記号を持つなどの特徴があり、古墳における埴輪祭祀の意味や、当該地域の古墳文化の特色を探るうえで、極めて高い学術的価値をもつものである。,,https://www.city.yonago.lg.jp/36332.htm,
310000,TP3100003910,鳥取県,紙本金地著色竹梅図・紙本著色草虫図　衝立,シホンキンジチャクショクチクバイズ・シホンチャクショクソウチュウズツイタテ,,shihontyakusyokutikubaizushihontyakusyokusoutyuzutuitate,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2011/3/22,,,,,,,,,鳥取藩の御用絵師沖一峨（1796～1861）の作品。表裏に竹梅図と草虫図とを描き分けた衝立である。梅の幹や、紫陽花の葉には、たらしこみという琳派の技法が駆使されている。表面の竹梅図では、下地を胡粉で盛り上げて網代垣を表現した総金地とするのに対して、裏面の草虫図は大きさに変化をつけた金の切箔を散らすなど、金箔の使い方に変化をつけている。色彩の用い方も、表裏で変化をつけており、裏の草虫図では、土筆やナズナ、タンポポといった春の可憐な草花から牡丹や紫陽花などの大ぶりの花が咲き競い、色彩豊かな画面になっているのに対して、表の竹梅図では、色彩の使用を梅の花と、幹にはりつく緑色の苔だけに絞っている。たらしこみという技法ばかりでなく、モチーフの選択や図様構成にも酒井抱一の影響を強く感じさせ、一峨の琳派学習の成果のひとつとみなせる。多作な沖一峨の作品の中でも画面の規模が大きく、質的にも優れる代表作品である。,,,
310000,TP3100003920,鳥取県,桜寬苑（旧金田家住宅）主屋、土蔵,オウカンエン（キュウカネダケジュウタク）シュオク、ドゾウ,,oukanen(kyuu　kanedake　zyuutaku)syuokudozou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市東町,鳥取県,鳥取市,東町,,,,,,,,,,,,,,,,,2008/7/23,,,,,,,,,和風住宅に洋風意匠を取り入れる他、近代の特徴である中廊下式を採用するなど、昭和初期の和風住宅の好例。同時期に建てられた土蔵も併せて登録される。,,,
310000,TP3100003930,鳥取県,桑田氏庭園,クワタシテイエン,,kuwatashiteien,県指定名勝,県指定の庭園,,31203,,鳥取県倉吉市東仲町,鳥取県,倉吉市,東仲町,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/9/17,,,,,,,,,桑田氏庭園は、明治以降現在に至るまで醸造業を営む町屋に伴う庭園であり、建造物と一体となって今日まで良好に保存されている。庭園は、茶室の露地も兼ねる坪庭と、中庭から成る。中庭は中央の客人用の厠へ至る渡り廊下によって東西2つに区画されており、東側は日常生活空間である居間に面し、西側は客間に面している。いずれも座敷側の景石や植栽を低く抑え、庭の奥に築山を築き高木を配置するなど、平庭ながら立体感を創出した庭である。中でも西側の庭は灯籠を多く配置し、巧みな景石の配置を行うなど、客人を迎えるにふさわしい主庭である。鳥取県中部における近代庭園の特徴を伝える事例として貴重である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage37,
310000,TP3100003940,鳥取県,高田氏庭園,タカタシテイエン,,takaｔashiteien,県指定名勝,県指定の庭園,,31203,,鳥取県倉吉市西仲町,鳥取県,倉吉市,西仲町,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/9/17,,,,,,,,,高田氏庭園は、天保年間より醤油業を営み、明治以降は代々酒造業を営む町屋に伴う庭園である。 庭園は敷地の中央部、母屋と蔵の間にあり、北側は明治期に増設された茶室を中心とする内露地で、待合は蔵の板壁を利用した付庇の簡素なものである。 南側は母屋座敷に面した庭園で、座敷からみて正面奥にはやや低い築山と立石（宇野石）が配されている。庭園の南側は母屋建築時に同時に営まれたものと思われるが、茶室の新設に伴って外露地として改修された可能性も考えられる。座敷に近い近景は石灯籠・縁先手水鉢・飛石が主たる景観構成となっており、京都の町家の座敷庭と共通する意匠を見せている。園路には、やや小振りな丸石と大振りな自然石の踏み分け石、伽藍石など変化に富んだ飛石が用いられている。 高田氏庭園は、近世町屋の庭園と主屋のあり方を窺える点において希少であるとともに、これを継承して茶室と露地庭を新たに付加した近代庭園としても貴重である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage39,
310000,TP3100003950,鳥取県,小川氏庭園,オガワシテイエン,,ogawashiteien,国登録記念物,国登録の庭園,,31203,,鳥取県倉吉市河原町,鳥取県,倉吉市,河原町,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/8/5,,,,,,,,,庭園は、主屋に付随する「前庭」及び「中庭」と、別区画の「環翠園」で構成される。 環翠園は、昭和5年ごろ神戸の庭師である巽武之助により作庭された池泉回遊式の和風庭園である。池沿いに複数の茶室・腰掛が配され、高低差のある中を園路が複雑にめぐり、石塔や小鴨川橋の欄干・大坂の道標等の歴史資料が随所に組み入れられており、また藤棚をはじめ花木の種類が多く、大木を周囲に配しつつ四季を彩る豊かな植栽となっている。またレンガ造りの煙突を庭の景物に取り入れる等、近代庭園らしい要素も兼ね備える。このように小川氏庭園は、鳥取県中部の作庭技術・茶道等に与えた影響は大きく、貴重な存在である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage13,
310000,TP3100003960,鳥取県,南門脇家住宅,ミナミカドワキケジュウタク,,minami kadowakike zyuutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町所子,鳥取県,西伯郡大山町,所子,,,,,,,,,,,,,,,,,2011/11/25,,,,,,,,,南門脇家住宅は、大山北麓の所子集落の南西端に位置し、門脇家（本門脇・重要文化財）から安永１０（１７８１）年頃に分家した。 当家住宅は当地方における江戸時代後期の上層農家の住宅形式をよく伝える主屋に加え、明治末期と大正期に増築された奧座敷・裏座敷の意匠が各時代の好みをよく示しており、当家に伝わる家相図、普請帳とあわせて、歴史的価値が高い。また江戸後期の主屋を中心に明治から大正にかけて整えられた屋敷構えも良好に保存され、本門脇家住宅、東門脇家住宅（登録文化財）とともに、所子集落の景観上において重要な役割を果たしている。本指定１２棟主屋、奧座敷、裏座敷（二階内装を除く）、茶室、夜具蔵、新蔵、米蔵、味噌蔵、所帯蔵、北座敷、門長屋、庭門 附指定　大工小屋、北納屋、南塀、西塀、隅納屋　５棟　家相図　３枚（江戸後期、安政７年、明治３９年）、普請帳１冊（明治３６年）土地　２，１００㎡　　　中門、中塀、井戸、洗い場、石橋含む,,,
310000,TP3100003970,鳥取県,河本家住宅,カワモトケジュウタク,,kawamotokezyuutaku,重要文化財,国指定の建造物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町箆津,鳥取県,東伯郡琴浦町,箆津,,,,,,,,,,,,,,,,,1974/3/29,,,,,,,,,河本家は尼子氏の家臣を祖とすると伝わり、代々大庄屋などの要職を務めた。当家住宅は茅葺の主屋を中心に付属屋が多く残され、近世の大庄屋の屋敷構えを良く伝える。　　　 主屋は、大きな土間と四室を中心に構成された居室部に、ヒカエノマを介して接続する客間部から成る。客間部の座敷は面皮材を多用し、透彫の欄間を入れるなど洗練された数寄屋風意匠をもつ。また、主体部の寄棟の屋根や、棟石を載せる点は、当地方の特徴を良く示している。 この主屋からは貞享５年（１６８８）の棟札が確認されており、建築年代の明らかな民家としては山陰地方最古の例として、高い価値が認められる。 ,,https://kawamotoke.com/,
310000,TP3100003980,鳥取県,石谷家住宅,イシタニケジュウタク,,ishitanike zyuutaku,重要文化財,国指定の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町大字智頭396番地,鳥取県,八頭郡智頭町,大字智頭,396番地,,,,,,,,,,,,,,,,2009/12/8,,,,,,,,,石谷家住宅は、姫路と鳥取を結ぶ智頭往来智頭宿に位置する。当家は元禄年間（１６８８～１７０４）に鳥取から智頭宿に移り住んだと伝えられ、明治以降には山林を経営し、インフラ整備などにも尽力した。 当家住宅は、大正８年から昭和４年にかけて建てられた建物群で、地元の大工、田中力蔵が設計監督を務めた。 当地方特産の杉材をはじめとして様々な樹種を用いて建てられ、主屋土間にみられる大きな松の梁組は豪壮である。また座敷の細部意匠も洗練されており、優れた近代和風住宅として価値が高い。附属屋や庭を含む屋敷構えも良好に残されていることから、宅地と建物あわせて指定される。 ,,,
310000,TP3100003990,鳥取県,木造阿弥陀如来立像,モクゾウアミダニョライリュウゾウ,,mokuzouamidanyorairyuuzou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三徳1010番地三徳山宝物殿,鳥取県,東伯郡三朝町,三徳,1010番地,三徳山宝物殿,,,,,,,,,,,,,,,2011/3/22,,,,,,,,,三仏寺本堂の本尊として、堂内に秘仏として安置されてきたもので、平成16年に修理がおこなわれた。像高147.5㎝で、一木造・内刳・彫眼。本像の特徴は、頭部はやや大きめで極端ななで肩、体奥が浅く、正面下半身の衣文線はいわゆるＹ字型に整えられて形式化し、彫りは浅く、典型的な平安時代末期の作風を示している。当寺に多く伝来する木造蔵王権現像の制作年代と比較すると、それらよりやや遅れた平安時代後期（12世紀）の造像と考えられる。さらに、右肩や背面上方には鑿痕が遺っており、いわゆる霊木から出現しつつある仏（「霊木(れいぼく)化現仏(けげんぶつ)」）の特色を示し、そのことからも当初は素木仕上げであったと考えられる。 太古からの山岳信仰の拠点である三仏寺本堂の本尊として、その文化的、歴史的価値は極めて高い。,,http://www.town.misasa.tottori.jp/~misasa01/youran2010/culture/cultural.html,
310000,TP3100004000,鳥取県,新井三嶋谷墳丘墓,ニイミシマダニフンキュウボ,,niimishimadanifunkyuubo,県指定史跡,県指定の墳墓,,31302,,鳥取県岩美郡岩美町大字新井,鳥取県,岩美郡岩美町,大字新井,,,,,,,,,,,,,,,,,2011/11/25,,,,,,,,,鳥取県の東部、岩美郡岩美町に所在する弥生時代後期初頭に築かれた方形貼石墳丘墓。１号墳丘墓（南北約２６ｍ、東西約１８ｍ、高さ最大約３ｍ）では墳頂部に３基の埋葬施設、２号墳丘墓（推定復元、一辺約１１ｍ）では２基の埋葬施設を確認している。１号墳丘墓の埋葬施設は調査されていないが、２号墳丘墓の埋葬施設は組合式の木棺が納められていた。１号墳丘墓は弥生時代後期初頭に築かれた墳丘墓としては国内最大級の規模を誇り、墓上で土器を砕いて祭祀を行った跡を確認している。１号墳丘墓に先行して築かれた２号墳丘墓をあわせ、鳥取県東部地域の弥生時代の墓制や社会構造などを探る上で極めて高い学術的価値をもつものである。,,,
310000,TP3100004010,鳥取県,和奈見と塩上の枕状溶岩,ワナミトシオノウエノマクラジョウヨウガン,,wanamitoshionouenomakurazyouyougan,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,,,"鳥取県鳥取市河原町,八頭郡八頭町",鳥取県,"鳥取市,八頭郡八頭町",,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/5/24,,,,,,,,,　枕状溶岩は溶岩が水中を流れる際に形成されたもの。中国地方から北九州へと続く岩盤に見られ、約２～３億年前に形成されたものと考えられる。 　中国地方において、地上で明瞭に観察できる場所は鳥取市河原町和奈見と八頭町塩上のほかは知られておらず、極めて希少価値が高い。また、当時の環境や地質を知る上でも学術的な価値が高い。,,https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1559697932871/index.html,
310000,TP3100004020,鳥取県,絹本著色東下り・耕作・草花図,ケンポンチャクショクアズマクダリ・コウサク・クサバナズ,,kenpontyakusyoku azumakudari kousaku kusabanazu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町,鳥取県,鳥取市,東町,,,,,,,,,,,,,,,,,2012/2/24,,,,,,,,,鳥取藩の御用絵師であった沖一峨の作品。「伊勢物語」第九段「東下り」を中幅とし、脇に田植えと収穫を描く春秋の耕作図双幅と草花図双幅を揃える五幅対として伝来した。狩野派の図様と筆法に従って手堅くまとめられた「東下り図」、洋風画から学んだと思われる自然な遠近表現を巧みに用いた「耕作図」、酒井抱一に学んだ江戸琳派風の「草花図」など、五幅対という規模の大きさとともに、様々な流派の技法が披露されている点も興味深く、高く評価される作例である。,,,
310000,TP3100004030,鳥取県,相見家文書,アイミケモンジョ,,aimikemonzyo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町,鳥取県,鳥取市,東町,,,,,,,,,,,,,,,,,2012/2/24,,,,,,,,,米子市八幡の相見家に伝来した南北朝期の中世文書。後醍醐天皇綸旨(りんじ)を含む８通からなり、巨勢氏（相見氏）への恩賞、あるいは相見氏が神主をつとめる八幡宮への土地の寄進等に関する内容となっている。特に元弘３（１３３３）年の後醍醐天皇綸旨は、隠岐を脱出した後醍醐天皇が船上山から発給したもので、左近中将（千種忠顕）の名前で書かれているが、筆跡等から天皇の自筆であることがわかる珍しいものである。後醍醐天皇の動向や相見氏の南北朝期から室町期にかけての動向をうかがわせるものであり、また伯耆守護研究にとっても重要な内容を含んでいることから、鳥取県の中世史研究上、極めて貴重な資料といえる。,,https://www.city.yonago.lg.jp/36333.htm,
310000,TP3100004040,鳥取県,白磁［保持者：前田昭博］,ハクジマエタアキヒロ,,hakuji maeta akihiro,重要無形文化財,国指定の工芸技術,,31201,,鳥取県鳥取市河原町本鹿282番地やなせ窯,鳥取県,鳥取市,河原町本鹿,282番地,やなせ窯,,,,,,,,,,,,,,,2013/9/26,,,,,,,,,　「白磁」（平成７年５月３１日指定）は、陶石や磁土を主原料として成形し、その上に長石・石灰等を調合した釉薬をかけて焼成する陶芸技法で、我が国では１７世紀初頭に有田で磁器の焼成が始まって以来、格調の高い白磁が各地で焼成され、その伝統技法が現代に伝えられている。　前田氏は、鳥取県八頭郡河原町（現・鳥取市）に生まれ、大阪芸術大学工芸学科で陶芸を専攻し、卒業後郷里に築窯し、独立して作陶に専念した。以来、白磁の制作技法や表現について独自に研究を続け、活発な創作活動を展開しながら技を錬磨し、高度に体得して今日に至る。　同氏の制作技法は、天草産の陶石を原料とし、轆轤で造形した後、土が乾燥する前に器の表面から手指によって圧力を加え、面取りや捻れ状の動きのある凹凸を器面に施し、さらに光沢を抑えた半透明の釉薬を施して焼成し、白磁の白一色に深みのある陰翳を与えて完成させるものである。この作風は、伝統的な技法を踏まえつつ豊かな芸術性を備え、かつ現代感覚に溢れており、白磁の世界に新たな展開を示すものとして高い評価を受けている。　同氏は、平成１２年の第４７回日本伝統工芸展において朝日新聞社賞（優秀賞）を受賞、同１５年の第５０回同展において第５０回展記念賞（優秀賞）を受賞した。同じく同１５年に第２０回記念田部美術館大賞「茶の湯の造形展」田部美術館大賞を受賞し、同１６年に日本陶磁協会賞、同１７年に第６０回新匠工芸会展新匠工芸会６０回記念大賞を受賞するなど、多方面から高い評価を得ている。また、平成１９年には紫綬褒章を受章した。このほか、海外にも積極的に作品を発表し、高く評価されている。　このほか、平成１８年第５３回日本伝統工芸展で鑑査委員（以後４回歴任）を務めるなど、後進の指導・育成にも尽力している。,,http://yanasegama.com/,
310000,TP3100004050,鳥取県,大山のもひとり神事,ダイセンノモヒトリシンジ,,daisen no mohitori-shinzi,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山,鳥取県,西伯郡大山町,大山,,,,,,,,,,,,,,,,,2012/2/24,,,,,,,,,毎年７月１４日１５日に大山で行われる神事。１４日に大神山神社奥宮で夕祭が行われた後、１５日深夜１時半の派遣祭を経て大山山頂へ向かい、頂上付近の石室で神祭執行後、霊水と薬草を採取する。江戸時代は、大山寺により写経と経筒埋納を伴う弥山禅定として行われていたが、廃仏毀釈を受けて現在の大神山神社奥宮を主体とする形に変わった。 大山山頂で霊水と薬草を採取することから大山の原初信仰を残している点、また、廃仏毀釈という大きな変化を受けながらも行事が続けられている点で、貴重な無形民俗文化財といえる。,,http://www.pref.tottori.jp/museum/homepage.htm,
310000,TP3100004060,鳥取県,弓浜半島のトンド,キュウヒンハントウノトンド,,kyuuhin-hantou no tondo,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,県選択の風俗慣習,,,,"鳥取県米子市,境港市,⻄伯郡南部町,⻄伯郡伯耆町",鳥取県,"米子市,境港市,⻄伯郡南部町,⻄伯郡伯耆町",,,,,,,,,,,,,,,,,,2011/11/25,,,,,,,,,弓浜半島を中心に、境港市、米子市、西伯郡の一部に広く分布するこの小正月の火祭り行事は、地域ごとにあるトンド講を主体とし、１年交代のトウヤが祭礼の執行にあたること、歳徳神を神輿や屋台に乗せ、あるいはトウヤが奉持して地域内を練り歩くことが大きな特色である。近代の国家神道関与以前の日本の古い祭祀形態を示し、また歳徳神信仰のあり方を考える上でも興味深く、記録作成等の措置を講ずべき貴重な無形民俗文化財である。,,,
310000,TP3100004070,鳥取県,旧日ノ丸自動車法勝寺鉄道車両　附関連資料一括,キュウヒノマルジドウシャホッショウジテツドウシャリョウ,,kyuuhinomaruzidousyahossyouzitetudousyaryou,県指定保護文化財,県指定の歴史資料,,,,"鳥取県西伯郡南部町法勝寺336南部町立西伯小学校,西伯郡南部町大字下中谷1008祐生出会いの館,米子市道笑町1丁目2-4",鳥取県,"米子市,⻄伯郡南部町",,,,,,,,,,,,,,,,,,2011/3/22,,,,,,,,,旧日ノ丸自動車法勝寺鉄道は、大正13(1924)年に営業が開始され、米子市と南部町間の路線12.4km（支線を除く）を運行していた地方鉄道。デハ201形203号電動客車は、大正11(1922)年5月に製造された国産４輪ボギー式木製電動客車である。池上電気鉄道を経て、昭和6(1931)年伯陽電鉄（昭和28年日ノ丸自動車に合併）に譲渡された。最大長さ11620mm、自重13.72t、定員65人で、50PS主電動機が前後の台車に一台ずつ搭載されている。フ50形フ50号附随客車は、明治20(1887)年のイギリス・バーミンガム工場製で、日本国内に現存する最古の４輪木製三等客車である。明治時代の最も一般的な４輪木製客車で、多くの人々が利用した三等車。この客車の原形は、座席が進行方向に直交する「区分席型」で、現在はロングシート化するため車体改造が施されたが、当初の外観を良く留めている。室内には屋根のアーチ桁がそのまま残り、車体構造面からも貴重である。最大長さ8001mm、自重7.54t、定員は50人。法勝寺鉄道の関連資料としては、車両の運転関連資料、線路の保守・点検関連資料に加えて、通票式閉塞装置や駅長印等の運行関連資料があり、これらがシステムとしての鉄道を構成する貴重な産業遺産群をなしている。,,https://www.city.yonago.lg.jp/16686.htm,
310000,TP3100004080,鳥取県,鳥取民藝美術館,トットリミンゲイビジュツカン,,tottori　mingei　bijyutukan,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市,鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2012/8/13,,,,,,,,,当美術館は、民藝の紹介・流通を目的として、民藝運動の重要な一翼を担った吉田璋也（よしだしょうや）が設計し、昭和３２年に建築、昭和３６年に増築されて現在の形となった。日用品の中に「用の美」が宿るとした「民藝」の美を建築に取り入れており、意匠が優れていることから国の文化財登録基準「造形の規範となるもの」として価値が認められた。　建物は、切妻造、鉄筋コンクリート造１階建、鉄骨造２階建で建築面積は８１㎡。昭和３２年の建築当初は、大地震や大火等の災害の経験を踏まえて床の高い鉄筋コンクリート造１階建として建築されたが、昭和３６年に鉄骨で２階が増築された。　外観は、モルタル塗りに漆喰仕上げの土蔵造風とし、内部の窓には卍崩し（まんじくずし）や麻葉紋（あさのはもん）の組子（くみこ）障子をはめる。手摺りやスイッチカバーなどの細部まで、吉田璋也自身による民藝のデザインが施されている。,,https://www.tottori-mingei.jp/,
310000,TP3100004090,鳥取県,花籠祭,ハナカゴマツリ,,hanakagomaturi,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,県選択の風俗慣習,,,,"鳥取県鳥取市,八頭町,智頭町",鳥取県,"鳥取市,八頭郡八頭町,八頭郡智頭町",,,,,,,,,,,,,,,,,,2012/11/6,,,,,,,,,鳥取市河原町・用瀬町・佐治町、八頭郡八頭町・智頭町にかけて広く分布する、花籠をつくって神社に奉納する祭礼。花籠とは竹を細く割ったひごに五色の色紙を巻き付けた造花（ヤナギ）を、竹で編んだ目籠に挿したもの。ヤナギは祭礼の後、人家の屋根に投げ上げ、疫病や火難除けのまじないとする。県東部の山間地域に広く見られる特徴的な行事であるとともに、数村にまたがる郷社祭礼がみられること、花籠の奉納者に通過儀礼の要素がみられることから、記録作成等の措置を講ずべき貴重な無形の民俗文化財である。,,,
310000,TP3100004100,鳥取県,石造大日如来坐像,セキゾウダイニチニョライザゾウ,,sekizoudainitinyoraizazou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市桜,鳥取県,倉吉市,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,2012/11/6,,,,,,,,,現在、大日寺本堂脇壇に安置されている胎蔵大日如来坐像。平安時代後期（１１～１２世紀）の作風を示している。頭部は、ふくよかな両頬、伏し目がちな両眼が配されており、欠損が多いものの、大分県・臼杵石仏の大日如来像（平安時代後期）頭部に共通する感覚が示されている。腰を絞り、膝幅をゆったりととっており、衣文(えもん)の彫りは浅く、ほぼ等間隔に彫られている。木造、石造の古仏の集まる大日寺に伝わった、全国的にも珍しい平安時代の石造大日如来像としてその価値は高い。,,,
310000,TP3100004110,鳥取県,奥田家住宅,オクダケジュウタク,,okudakezyuutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市猪子,鳥取県,鳥取市,猪子,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/3/8,,,,,,,,,奥田家は、近世に大庄屋を務めた家柄である。当家の住宅は山裾に石垣を築いて広大な敷地を構え、塀や土蔵で囲まれた中に、主屋(しゅおく)や新座敷、蔵が建つ。江戸時代末期に建てられた主屋は、間取や座敷のつくりに上層農家の住宅形式をよく伝えており、もとは茅葺であったが明治期に瓦葺に改められた。また新座敷は、当主自らが職人をつれて県外へ視察に出向いて集めた全国の銘木や、集落内で発見された神代(じんだい)杉(すぎ)をふんだんに用い、約７年をかけて大正８年（１９１９）頃に建てられた。技術の高さを示すとともに、上質の材料を良く吟味(ぎんみ)し、意匠(いしょう)的にも優れた鳥取県内を代表する近代和風建築である。そのほか敷地内には、明治から大正にかけて整えられた屋敷構えが良好に保存されており、その変遷を示す家相図と併せて歴史的価値が高い。　　　,,,
310000,TP3100004120,鳥取県,菊慈童・花鳥図,キクジドウカチョウズ,,kikuzidoukatyouzu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町,鳥取県,八頭郡智頭町,,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/3/8,,,,,,,,,鳥取ゆかりの絵師として江戸時代後期に活躍した、片山楊谷（1760～1801）の三幅対(さんぷくつい)の作品。菊慈童を中幅に、両脇に菊と小鳥を描いた花鳥図をそえる。菊慈童は、不老長寿のシンボルとして人気のある画題である。髪の毛や顔、そして衣服の文様にいたるまで精緻(せいち)な描写が徹底されており、本図は楊谷作の菊慈童図のなかでも傑作(けっさく)である。左右の花鳥図は、菊の花弁の表現の細やかさや、花の形、角度の多様性が魅力的である。小鳥の身体には細い毛描きが、その足には微細な盛り上げ細工が施されている。,,,
310000,TP3100004130,鳥取県,竹虎図屏風,チッコズビョウブ,,tikkozubyoubu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市鳥取市,鳥取県,鳥取市,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/3/8,,,,,,,,,江戸時代後期に鳥取ゆかりの絵師として活躍した、片山楊谷（1760～1801）の作品。勢いよくはねる虎の体毛表現は、驚嘆(きょうたん)に値する。鋭い線で描かれた一本、一本の毛が非常に長いのが特徴であり、その剛毛の集積で虎の体躯(たいく)が見事に形作られている。右隻(うせき)では竹が、左隻(させき)では虎の尾が、画面の外に一度出て、ふたたび戻っており、スケールの大きさと躍動感(やくどうかん)が感じられる。楊谷はたくさんの虎の絵を描いたが、そのなかに本図に匹敵するような剛毛に包まれた猛々(たけだけ)しい虎の作例は、未だ見い出されていない。そればかりでなく、江戸時代後期の画壇(がだん)を見渡しても、類例のないユニークな虎の絵として注目される。,,,
310000,TP3100004140,鳥取県,龍虎図屏風,リュウコズビョウブ,,ryuukozubyoubu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31202,,鳥取県米子市,鳥取県,米子市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/3/8,,,,,,,,,鳥取ゆかりの絵師として江戸時代後期に活躍した、片山楊谷（1760～1801）の作品。楊谷の作例のなかでは珍しい、銀箔を全面に押した総銀地(そうぎんじ)屏風(びょうぶ)であり、銀箔の上に薄く墨を掃いた大画面に、墨を用いて雲龍と竹虎を描いている。楊谷は多くの虎を描いているが、この虎は、毛描きが墨の濃淡だけで行なわれているのが特徴である。白い筋のようにみえる部分は、淡墨で引かれた線と線の間のわずかな隙間であり、その隙間を計算にいれて、筆がおろされていることがわかる。しなやかな虎の身体の動きが、左隻(させき)の渦巻く雲烟(うんえん)のなかの龍と呼応する、楊谷晩年の傑作(けっさく)である。,,,
310000,TP3100004150,鳥取県,桑田家住宅及び醤油醸造施設,クワタケジュウタクオヨビショウユジョウゾウシセツ,,kuwatakejyuutaku oyobi syouyujyouzousisetsu,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市東仲町,鳥取県,倉吉市,東仲町,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/9/17,,,,,,,,,桑田家住宅は、伝統的建造物群保存地区打吹玉川地区にとって欠くことのできない存在であると同時に、鳥取県の近代和風住宅を理解する上で重要である。また作業場をはじめとする醸造施設は、敷地全体を使った近代の醸造施設の形態を良くとどめており貴重である。,,,
310000,TP3100004160,鳥取県,有隣荘,ユウリンソウ,,yuurinsou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市国安,鳥取県,鳥取市,国安,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/3/29,,,,,,,,,江戸時代には代々大庄屋を勤めた西尾家の旧宅。広大な屋敷地の中央には、主屋と、茶室のある離れを斜めに重ねて、その前に池泉回遊式庭園（ちせんかいゆうしきていえん）を配する（注）。　主屋は当地方に伝統的な間取りを伝え、庭に面した座敷には、落ち着いた上質な座敷飾りを備える。茶室付きの離れは池田家から拝領したと伝わり、ツガの良材を用いた「栂（つが）の間」では火灯窓（かとうまど）をあしらい、華やかな意匠をみせる。　敷地前面には、仕切門及び塀で庭園を区切り、八坂山を借景とした豊かな庭園空間を演出する。敷地背面には海鼠壁（なまこかべ）と赤瓦の屋根が特徴の土蔵が連続して並ぶ。　敷地の正面には石垣と長屋門を配し、風格ある旧家の屋敷構えを引き立てている。　このように、有隣荘は質の高い住宅建築だけでなく屋敷構えが良好に残されており、国の文化財登録基準「国土の景観に寄与するもの」として価値が認められた。,,https://yurinsou.com/,
310000,TP3100004170,鳥取県,松に猿嵌木丸額,マツニサルハメギマルガク,,matsu ni saru hamegi marugaku,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市覚寺55番地渡辺美術館,鳥取県,鳥取市,覚寺,55番地,渡辺美術館,,,,,,,,,,,,,,,2010/9/17,,,,,,,,,松に猿嵌木丸額は、鳥取県出身の木工芸家である西村荘一郎氏によって制作された木象嵌作品。象嵌の細密な描写、濃淡の表現など、迫力のある絵画的な文様を大規模に展開した大作である。西村の代表作というばかりでなく、明治工芸の代表作品としても位置づけられ、鳥取県の工芸史上、貴重な作品と評価される。,,https://watart.jp/,
310000,TP3100004180,鳥取県,蔵見３号墳出土鴟尾付陶棺　附出土遺物一括,クラミサンゴウフンシュツドシビツキトウカンツケタリシュツドイブツイッカツ,,kurami 3gouhun syutudo shibituki toukan tuketari syutudo ibutsu ikkatsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市湯所町1丁目148-2番地鳥取市出土品収蔵庫,鳥取県,鳥取市,湯所町1丁目,148-2番地,鳥取市出土品収蔵庫,,,,,,,,,,,,,,,2011/3/22,,,,,,,,,本例は、鴟尾付陶棺として全体像がわかる形に復元できた全国で唯一の例であり、遺体埋納施設である陶棺と寺院建築の表象としての鴟尾という仏教的要素が結合したもので、終末期の古墳文化における仏教思想の導入をうかがわせる貴重な資料である。,,,
310000,TP3100004190,鳥取県,五臓圓ビル,ゴゾウエンビル,,gozouen biru,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市鳥取市二階町,鳥取県,鳥取市,鳥取市二階町,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/2/3,,,,,,,,, 昭和６年に建てられた五臓圓ビルは、智頭街道と通称二階町通りの交差点に位置し、市内に現存する最古の鉄筋コンクリート造建築である。 昭和４年に着工した旧県立図書館に影響され、市内で４番目の鉄筋コンクリート造建築として建てられた。施工は旧県立図書館と同じ大阪の新〈アタラシ〉工務所であるが、設計者は不詳である。　当建築は３階建てで、地下室は倉庫、１、２階は店舗及び住居とする。３階は従業員宿舎として設計されたが、竣工後約半年で増築し、喫茶店およびレストランとして、営業を開始した。昭和１８年の鳥取大震災では建物に影響を受けなかったが、昭和２７年の鳥取大火では内部を全焼した。その後補強を行い、２，３階の用途を変えて利用していたが、近年は利用されていなかった。　建物の北角を１／４円弧とし、外壁の仕上げには当時流行したスクラッチタイルを張る。当初は１階と屋上に水平の蛇腹を施していたが、近年、劣化に伴い急遽外装の修理を行った際に、上部の蛇腹は失われた。　当建築は、市内現存最古の鉄筋コンクリート造建築であるだけでなく、鳥取大火で焼け落ちた町に残る五臓圓ビルの姿は市民の記憶に深く残っており、国土の歴史的景観に寄与しているとして、評価された。,,/,
310000,TP3100004200,鳥取県,尾﨑家住宅,オサキケジュウタク,,osakike　zyuutaku,重要文化財,国指定の建造物,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宇野1518番地,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,大字宇野,1518番地,,,,,,,,,,,,,,,,2013/8/7,,,,,,,,,尾﨑家は守護大名大内氏の子孫で、船地主であったと伝わる。近世以降は宗門改め等を行う宗旨庄屋や大庄屋を務めた。五代清右衛門の代（1745－1772）に、それまでの屋敷が手狭になったため、現在の敷地に移り、本宅、御仏間、数棟の蔵、門長屋などを新築した。敷地内には主屋座敷に面して江戸中期、明和（1764―1772）頃の作庭とされる尾崎氏庭園「松甫園」があり、借景となる後背の林および水田とあわせて国指定名勝に指定されている。（昭和１２年指定、平成１６年追加指定） 主屋では土間に入側柱を残し、主座敷に一間ごとに柱を立てるなど古式を伝えながらも、座敷には面皮材を多用して瀟洒な数寄屋風とする。 土間を広くとり、接客空間と日常空間を明確に分ける点など江戸時代中期18世紀中頃の当地方における上層農家の住宅形式をよく伝える。さらに主屋と一連で作庭された松甫園や、門長屋、蔵などの付属建物など豪農の屋敷構えが一体となって保存されており、歴史的価値が高い。この度、主屋のほかにも、ブツマ、土蔵、新蔵、質蔵、南蔵、米蔵、味噌蔵、板蔵、ワラ置場、旧味噌蔵・薪小屋、門長屋及び塀が残り、これらも併せて保護を図る。,,,
310000,TP3100004210,鳥取県,赤松の荒神祭,アカマツノコウジンサイ,,akamatsu no kojin-sai,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31386,,鳥取県西伯郡大山町赤松,鳥取県,西伯郡大山町,赤松,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/9/20,,,,,,,,,　赤松の荒神祭は、閏年の３月第１日曜（かつては閏年の２月２日）に、　藁で作った大蛇を荒神に納する神事。起源は、承応３年（１６５４）、大干ばつに見舞われた赤松集落が氏神様のご神託を受けたところ、五穀豊穣と村の繁栄を祈って大蛇を奉納せよとのお告げがあったこととされる。　大蛇は全長約２５メートルの巨大なもので、頭上には、集落内各戸の繁栄を祈願する御幣を戸数分立てる。当日は、大蛇を前に神事を執り行った後、住民総出で大蛇を担いで集落を練り歩き、氏神日吉神社境内の荒神の玉垣内に奉納する。また、大蛇の男根部分は閏年から閏年の間に入り婿した男性が、子孫繁栄と将来の幸福のために担ぐことになっている。　赤松の荒神祭は、県西部に広く分布する荒神祭の特徴をよく示すと共に、独自の重要な要素を備えていることから、貴重な無形民俗文化財であるといえる。,,,
310000,TP3100004220,鳥取県,赤波川渓谷のおう穴群,アガナミガワケイコクノオウケツグン,,aganamigawakeikoku no ouketsugun,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,31201,,鳥取県鳥取市用瀬町赤波,鳥取県,鳥取市,用瀬町赤波,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/9/20,,,,,,,,,"　赤波川は鳥取市用瀬町鷹狩で千代川に注ぐ流域15.3kmの小河川で、この中流部が赤波川渓谷と呼ばれている。赤波川渓谷では、約1,200mにわたって、河床の花こう岩岩盤上に穿たれた浸食溝やおう穴など様々な花こう岩の浸食地形が見られる。　おう穴でもっとも典型的な形態は「甌穴型」で、水流とともに流れる礫が、岩盤の窪み等に引っ掛かり、そこでの回転運動による集中的研磨で穴をあけたものである。いったん形成されたおう穴の縦半分が浸食されると、「釜孔型」というおう穴の縦断形が残される。これは徳利のように口がせまく内部はより広いというおう穴特有の形態が直接観察でき、あまり例がなく貴重な浸食地形といえる。　赤波川渓谷のおう穴群は比較的短い距離の間に集中して形成されており、その形態も様々で、花こう岩の浸食状況や浸食過程を知るうえで貴重な自然であり、県指定の文化財（天然記念物）に相応しいものである。",,,
310000,TP3100004230,鳥取県,興禅寺本堂,コウゼンジホンドウ,,kouzenzihondou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市栗谷町栗谷町,鳥取県,鳥取市,栗谷町栗谷町,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/12/24,,,,,,,,,興禅寺は久松山の山裾に位置する黄檗宗の寺院で、鳥取藩主池田家の菩提寺であった。現在は、もとの御霊屋（おたまや）を改造して本堂とし、文化１１年に建てられた入母屋造平入の本堂主体部の前面に、明治・大正期に増築された御拝ノ間・拝殿と向拝が取り付き、複雑な屋根形式となっている。　本堂主体部は手前より次ノ間、高間、霊壇とする。室内は角材で構成され、長押（なげし）をめぐらせた住宅風の意匠とし、随所に池田家の揚羽紋を配う。また、高間と霊壇は格の高い格天井（ごうてんじょう）とし、藩絵師根本幽蛾（ねもとゆうが）などにより描かれた花鳥画を貼るなど、文化文政期の華やかさを持ちつつも、大名の御霊屋としての拡張ある空間と、由緒を伝えている。　　　,,,
310000,TP3100004240,鳥取県,大山町所子伝統的建造物群保存地区,ダイセンチョウトコロゴデントウテキケンゾウブツグンホゾンチク,,daisenchoutokorogodentoutekikenzoubutugunhozontiku,重要伝統的建造物群保存地区,国選定の建造物群,,31386,,"鳥取県西伯郡大山町所子字大神祇,字北垣,字下前田,字前田,字山之神,字神田,字三反田,字片吹,字場正免,字垣ノ内の全域,字甲原,字更田,字宮側,字道ノ下,字向田,字観音堂,字徳田,字掛田,字樋之口,字下河原,字新宮の各一部",鳥取県,西伯郡大山町,,,,,,,,,,,,,,,,,,2013/12/27,,,,,,,,,所子（ところご）は中世には京都の賀茂御祖神社（下鴨神社）の社領であったと伝え、近世に鳥取藩となる。集落の中心には大山への参詣道である坊領道（ぼうりょうみち）が通り、主に、南東のカミ、北西のシモと呼ばれる２つの家屋群からなる。集落内の住宅は基本的に坊領道に沿って敷地を構え、主屋の棟は道に並行し、門や厩舎などを敷地前面に建てて入り口とする特徴のある景観を形成する。主屋の多くは切妻造で平屋、または建ちの低いつし二階建とする。屋根には赤茶色の石州瓦又は近隣で生産されていた黒色の真子瓦（しんじがわら）が用いられ、棟には石棟を置く。いずれの主屋も、道に面した大山側（南側）に接客空間を配置するのが特徴である。そのほか、地区内には大山から日本海へ流れる阿弥陀川から引いた水路が流れ、集落の端には六地蔵やカミ、シモの墓地のほか、家屋群の周辺には圃場整備がされていない水田が広がる。　　当地区は重要文化財門脇家住宅をはじめとして近世から昭和初期にかけて建築された伯耆地方の伝統的な建築様式を良く残す大規模な主屋や附属屋等からなる農家が群として残っている。また、集落内を流れる水路や田畑などと一体となって伝統的な農村景観を形成し、歴史的風致を良く残している点で我が国にとって価値が高い。なお、今回選定された地区は、大山町が地区決定（平成２５年７月５日告示）した「大山町所子伝統的建造物群保存地区」の全域、約２５．８ヘクタールである。,,,
310000,TP3100004250,鳥取県,矢田貝家住宅,ヤタガイケジュウタク,,yatagaikezyuutaku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31390,,鳥取県西伯郡伯耆町,鳥取県,西伯郡伯耆町,,,,,,,,,,,,,,,,,,2011/7/25,,,,,,,,,地主経営や醸造業を営んだ矢田貝家の住宅で、日野川右岸に位置する。昭和初期に宅地を拡大して庭園や付属屋を建設し、現在の屋敷構えが作られた。近年は主屋を蕎麦屋として活用している。（平成２６年１月時点、休止中）　　東面して立つ主屋はつし２階建（背の低い２階建）で、内部を土間と床上部に分け、二列六室とする。棟札から建築年代が明らかで、当地方の伝統的な民家形式をよく伝える。　主屋の南に接続する離れは、中廊下を挟んで座敷と茶室の二室からなり、前面に土庇をかける。茶室は解放的で、瀟洒な接客空間をつくる。　観楓庵（かんぷうあん）と称される茶室は、昭和初期に建てられた。水屋を中心に設け、両側に茶室を２室並べる。床飾りに皮付材を用いるなど独特の意匠をもつ。　腰掛待合は離れと待合を結ぶ露地に建ち、丸太を多用し、数寄屋風の意匠をみせる。　中門は腰掛待合の正面に建ち、主庭と露地空間を区画する。丸太垂木や扉には網代を張り、数寄屋風の意匠とする。　土蔵は敷地背面に建ち、二面に庇を設けて室内化する。腰高に下見板を張り、軒まで漆喰で塗り込めとする大型土蔵である。　　長屋門は主屋正面に建ち、敷地正面に格式ある構えを見せる。昭和初期に敷地内から現在地に移築した。　庭門は、左右に下見板張りの塀をのばし、主庭と前庭とを分ける。　以上のように、近世末期の当地方の伝統的な主屋を中心としながら、昭和初期に建築された一連の付属屋が残り、近代の風情豊かな屋敷構えを伝えている。主屋:嘉永７年（1854）/昭和前期改修・増築・昭和５９年・昭和６３年改修離れ:昭和前期茶室:昭和前期/昭和６３年改修腰掛待合:昭和前期中門:昭和前期土蔵:明治中期/昭和６３年、平成３年改修長屋門:明治中期/昭和前期移築、平成６年改修庭門:明治中期　　,,,
310000,TP3100004260,鳥取県,飛龍閣,ヒリュウカク,,hiryuukaku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市,鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2011/7/25,,,,,,,,,明治に行われた皇太子行啓（後の大正天皇）の宿泊所として、地元大工山田市平によって建てられた。　屋内には、御座所（ござしょ）のほか、寝殿、浴室、化粧室などが設けられた。現在は一部改修し、市有の集会所として使用されている。　同目的で建てられた仁風閣（重要文化財・鳥取市）が洋風であるのに対し、飛龍閣は和風建築で、洗練された意匠をもつ。　　,,,
310000,TP3100004270,鳥取県,転法輪寺本堂,テンポウリンジホンドウ,,tenpourinzihondou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町大字別宮,鳥取県,東伯郡琴浦町,大字別宮,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/9/10,,,,,,,,,転法輪寺は寺伝によれば承和年間（８３４～８４８）に慈覚大師を開祖として創建された天台宗寺院で、天禄２年（９７１）に空也上人がこの地に立ち寄り、翌年入滅したと伝わる。　当本堂は延享３年（1746）に建築され、文政５年（１８２２）、明治４年、昭和２９年に改修されたことが棟札でわかる。建物は間口三間、奥行き五間の入母屋造で、三方に軒支柱を立てて、縁をまわす。以前は茅葺きであったものを、昭和に瓦に葺き替えた。内部は大きな段差を設けて内陣と外陣境を明確にわける。現在は床を全て畳敷きとするが、当初は低い板敷きで外陣の壁を吹き放しとしたと思われる。　これらから、当本堂は当初空也上人をまつる堂であったものを、後に転法輪寺の本堂としたと考えられ、村落に所在する近世仏堂の好例である。,,,
310000,TP3100004280,鳥取県,絹本著色阿弥陀三尊来迎図,ケンポンチャクショクアミダサンゾンライゴウズ,,kenpontyakusyokuamidasanzonraigouzu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市　,鳥取県,鳥取市,　,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/4/15,,,,,,,,,本図は、画面の中央に立ち姿の阿弥陀如来、左側に合掌する勢至菩薩（せいしぼさつ）、右側に往生者を乗せるための蓮台を掲げた観音菩薩（かんのんぼさつ）の三尊のみを描く。現在の絹本は縦８９㎝、横３９㎝である。　三尊はそれぞれ来迎雲（らいごううん）の上に緑色の踏み割り蓮台にのって、斜めを向く。　三尊の体は金泥（きんでい）で塗られ、衣には卍つなぎや麻葉文などの文様が金泥で繊細に描き加えられている。また、三尊の頭光や阿弥陀から発する光明などには、細く切った金箔が貼り付けられ、頭光の輪郭をかたどる細い線状の金箔（截金）には、朱線を沿わせ、その内側を雲母でぼかして、淡い輝きを表現する。ほかに来迎雲は白色であり、銀泥の使用は目視では確認できない。雲の尾が二股に分かれて揺曳する。　顎の張りが弱い細面の顔の形や、二菩薩のかぶる冠の繊細な装飾、長く尾をひく来迎雲の表現などには硬さがなく、形式的になりきっていない点が注目され、制作時期は14世紀後半（南北朝時代）に遡ると推測する。　鳥取市内の旧家の所蔵品であり、同家に代々伝来し盆の期間にだけ懸用されてきたものである。明治20年代に、画面の損傷の激しい部分を切り詰めるなどの修理が行われたと想定されるが、修理後の表装の状態は安定しており、そのときに作られたと思われる箱や鑑定書も、本作例の歴史を伝える資料として貴重である。　以上、本図は、鳥取県下にはまれな、14世紀後半にさかのぼる作例である。そして、県下の旧家で守り伝えられてきたことがわかる点でも、鳥取県の指定文化財とするにふさわしい一点と考える。　　,,,
310000,TP3100004290,鳥取県,常福寺経蔵及び山門,ジョウフクジキョウゾウオヨビサンモン,,zyoufukuzikyouzou oyobi sanmon,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31401,,鳥取県日野郡日南町多里,鳥取県,日野郡日南町,多里,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/4/15,,,,,,,,,常福寺は日野郡日南町の西部、多里宿の南端に位置する曹洞宗寺院で、山号を中宝山と号する。永禄２年（１５５９）、備後国徳雲寺の５世木中圭抱（？～永禄１２・１５６９）を開山として亀尾山城主・宮盛佑が創建し、その後火災にあったが、１７世紀後半に宮氏の家臣である增原家が再興したという。近世を通じて、郡西部における曹洞宗の中心的役割を果たした。多里は伯耆国と備後・備中・出雲の各国を結んだ分岐点にあたり、１７世紀中頃から宿場町として栄え、市も開かれていた。多里の集落は南北に流れる日野川と並行した街道に沿って展開し、常福寺の境内はその街道筋の南端に位置する低い山裾に広がる。　このたび答申された２件のうち経蔵には「貫花蔵（かんけぞう）」の扁額（へんがく）が掲げられ、棟札により常福寺１０世台翁和尚が、日野郡の大庄屋・古都源八の外護を得て、郡内や出雲横田等周辺地域から浄財を募り、元文元年（１７３６）に宇治萬福寺から購入した鉄眼版一切経（てつげんばんいっさいきょう）を納めるため、寛保３年（１７４３）備前大工・戸川半兵衛によって建てられたことがわかる。　この経蔵は、花崗岩の切石二段積みの基礎上に建てた約５．２メートル四方の土蔵造で、白漆喰塗の壁に、腰に六角形の平瓦を張った海鼠壁とする。屋根は頂部に露盤、宝珠を据えた宝形造唐破風向拝付で、元々はこけら葺きであったものが、昭和４８年の修理の際に銅板で仮葺きされた。内部は間仕切りのない畳敷きの一室とし、上部に彩色を施した須弥壇の両側には、元文元年、寛保３年の棟札をかける。天井は格天井とし、数千点にわたる鉄眼版一切経が納められた引出棚が両側面に造り付けられている。　境内入口となる石段の上に建つ山門は、勅使門であったと伝わるものである。正面には山号「中寶山」の扁額が掲げられる。建築年代は不明であるが、彫刻の様式から１８世紀前期の建築であると考えられる。　常福寺経蔵は由緒も明らかで、経蔵内に残る一切経とともに当初の形態を良く伝えており、県内に経蔵の類例が少ないことからも貴重である。また、山門は経蔵とあわせて境内の景観を形成する上で重要である。　,,,
310000,TP3100004300,鳥取県,岩田家住宅主屋、茶室、離れ,イワタケジュウタクシュオク、チャシツ、ハナレ,,iwata-ke jutaku syuoku tyashitsu hanare,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市立川町,鳥取県,鳥取市,立川町,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/4/25,,,,,,,,,当家は鳥取城下の南寄りに位置し、かつては油商を営んだと伝わる。　主屋は江戸時代末期に建築され、明治中期に、正面を塗り込めるなど防火対策がとられたと考えられる。一階正面を出格子（でごうし）、二階には虫籠窓（むしこまど）を穿つ。当初は北側に土間をとる２列６部屋であった。　茶室は主屋の南東隅に接続し、庭に面する側を開放的な構成とする。　茶室の東に渡り廊下を介して建つ離れは、六畳の主室を庭に向けて、茶室とともに開放的なつくりとする。通りに面する南側は、土塗大壁とする。　　当家は鳥取市街地に残る、数少ない江戸期の町家として貴重である。,,,
310000,TP3100004310,鳥取県,面谷家住宅店舗兼主屋、新座敷（旧精米所）、道具蔵、旧砂糖蔵,オモタニケジュウタクテンポケンシュオク、シンザシキ（キュウセイマイショ）、ドウググラ、キュウサトウグラ,,omotani-ke jutaku tenpo ken syuoku shinzasiki(kyuuseimaisyo) dougugura kyuusatougura,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31204,,鳥取県境港市花町,鳥取県,境港市,花町,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/4/25,,,,,,,,,当家は､幕末に藩の御廻米所や台場がおかれた花町に位置し、酒や醤油などの醸造業を営んだ商家である。境水道の南側の通りに面する。　店舗兼主屋はつし二階建で二階を塗屋造（ぬりやづくり）とする。南側を通り土間とし、床上は３列６室の間取りとする。正面二箇所に式台を設ける。　店舗兼主屋の北東に建つ新座敷（旧精米所）は、元は精米所であったものを座敷に改築したもので、四畳半茶室を組み込むなど、茶道文化を積極的に取り入れている。床柱には松江城の古材が用いられると伝わる。　　道具蔵、旧砂糖蔵は店舗兼主屋の広い間口とあわせて正面の構えを構成しており、境港に残る数少ない近代の醸造家の屋敷構えを伝えている。　境港市で初の登録有形文化財（建造物）となる。　　　,,,
310000,TP3100004320,鳥取県,木島家住宅主屋,キシマケジュウタクシュオク,,kishimakezyuutakushuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町　,鳥取県,八頭郡若桜町　,,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/10/7,,,,,,,,,若桜の町並みは、かつて宿場町であった若桜宿が明治１８年の大火によって街道沿いの大部分が失われた後、宿全体の復興計画として作成された「宿議決書」に沿って整備された。当家住宅はその復興計画の一環として、山林業を営んでいた木島七治郎によって明治２０年頃に建てられた。　　街道の東側に建てられた主屋は切妻平入りの２階建ての町家で、正面に庇を出して隣家と連続した通路とする”カリヤ”を持つ。　内部は南側を土間とし、床上は二列六室とする。土間寄りの中の部屋は土間と一連の吹き抜けとし、１階の北側と２階の北側に座敷をしつらえる。　平成２４年に復原・改修工事を終えて現在は休憩・交流処「かりや」として活用されている。　カリヤの残る若桜の町並みを形成する町家として、貴重である。　　,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100004330,鳥取県,新興寺文書,シンゴウジモンジョ,,shingoujimonjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町,鳥取県,鳥取市,東町,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/10/3,,,,,,,,,新興寺は和銅年間（７０８～７１５年）に始まったとされ、平安時代には因幡における密教信仰の拠点となっていた。　ここに新興寺に関連する中世文書が１０通ある（現在は県立博物館に寄託）が、この内、承久の乱（１２２１年）後、新補(しんぽ)地頭(じとう)として隣接する安井保(やすいほ)に着任した青木実俊が寺領を侵犯したため寺と争ったという記事は、因幡の地頭について具体な人物が確認できる唯一の事例である。また、因幡守護となった名和長年が新興寺の寺領を安堵した書状は、全国的にも数例しかない長年の書状としても貴重である。　県内に残る中世文書が少ない中で、数量的にまとまっているだけでなく、南北朝動乱期における寺および周辺地域の様相を知ることができる点で非常に重要な資料である。,,,
310000,TP3100004340,鳥取県,伯耆国八橋郡上伊勢村方見神社神職池本家資料,ホウキノクニヤバセグンカミイセムラカタミジンジャシンショクイケモトケシリョウ,,houkinokuniyabasegunkamiisemurasinshokuikemotokesiryou,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町,鳥取県,鳥取市,東町,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/10/3,,,,,,,,,　方見神社は、伯耆国中央部を流れる加勢蛇川の左岸に位置し、かつては上伊勢御宮などとも称され、古くから伊勢神宮の拠点の一つであったと考えられる。　本資料は、方見神社神主であった池本家に伝来した文書（現在は県立博物館に寄贈）である。そのうち、中世文書（およびそれに準じる近世初期の文書）は８通伝来している。戦国時代にこの地域にも勢力をおよぼした尼子勝久や吉川元春の関係史料としても貴重であるが、特に、加勢蛇川や津波並 （北栄町妻波）に架かる橋の修造工事に対し、現地の住民たち（「地下中」）が動員され、地域社会が作業を担って行われたことがわかる点は、重要である。　県内に残された中世文書は少なく、まとまって伝来していること、および地域社会の様子をうかがわせる希有な資料として、大変貴重である。,,,
310000,TP3100004350,鳥取県,古郡家1号墳出土遺物一括,ココオゲイチゴウフンシュツドイブツイッカツ,,kokoogeichigouhunshutsudoibutsuikkatsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町,鳥取県,鳥取市,東町,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/10/3,,,,,,,,,鳥取市古郡家字上ノ山に所在する古郡家１号墳から出土した考古資料である。　古郡家１号墳は、標高４８ｍの上ノ山丘陵部に立地する全長９２．５ｍを測る因幡地方で最大級の前方後円墳で、後円部墳頂部にて３基の埋葬施設（中央棺、南棺、北棺）が確認されている。埋葬施設からは、鉄製武器、短甲、青銅鏡、玉類等が出土している。このうち中央棺から出土した八ツ手葉形銅製品は、奈良県新沢５００号墳（国史跡新沢千塚古墳群）内からの同型品が知られるのみであり、北棺から出土した短甲は長方板革綴短甲の類例中最古に位置付けられるなど、畿内との強いつながりを示唆する貴重な資料が含まれている。　また、墳丘からは家形埴輪、円筒埴輪、朝顔形埴輪の破片が多数採集され、これらは、山陰における埴輪祭祀導入の実態を知るうえで貴重な資料である。　以上のように、本古墳出土資料は山陰地方における古墳時代史を考える上で、重要な一括資料として学術的価値が極めて高い。,,,
310000,TP3100004360,鳥取県,大高野官衙遺跡,オオタカノカンガイセキ,,ootakanokangaiseki,史跡,国指定の郡衙跡,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町槻下,鳥取県,東伯郡琴浦町,槻下,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/10/3,,,,,,,,,鳥取県の中部、古代においては伯耆国の中央部に位置する八橋郡に所在する。遺跡の西方約350ｍには、白鳳期の寺院跡で、特別史跡斎尾廃寺跡（昭和27年3月29日指定）がある。　調査は、昭和56年まで遡り、礎石が列をなしていることが明らかとなり、炭化米が確認されたことから、八橋郡の正倉あるいは郷倉と推測された。その後の調査の結果、南北105ｍ、東西130ｍ以上の範囲を、北・東・南を溝で区画され、西側は自然地形によって区画された長方形に近い敷地内に規格性をもって整然と並ぶ総柱礎石建物11棟、総柱掘立柱建物5棟、側柱掘立柱建物7棟と掘立柱塀3条を検出した。礎石の中には被熱痕を残すものも認められ、須恵器、土師器などから、Ⅰ期は7世紀末～8世紀中葉、Ⅱ期が8世紀後葉～9世紀前半、Ⅲ期が9世紀後半の変遷をたどったことが知られる。この遺跡は、倉庫令に記されている防湿に適した台地上に立地し、総柱の高床倉庫が建て替えによって踏襲されながらも整然と並んでおり、稲穀収蔵施設である正倉の姿を具体的に示すものである。また、礎石に火災と考えられる焼米の存在は、八橋郡郡衙（郡家）の正倉の可能性が高く、古代国家の地方支配の実態を具体的に知る上でも重要である。,,,
310000,TP3100004370,鳥取県,倉吉の千歯扱き及び関連資料,クラヨシノセンバコキオヨビカンレンシリョウ,,kurayoshi no senbakoki oyobi kanrensiryo,国登録有形民俗文化財,国登録の生産、生業に用いられるもの,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,2015/3/2,,,,,,,,,本件は、江戸中期から製造されはじめ、全国的に流通した倉吉の千歯扱きとその関連資料の収集である。生産地の特色をよく示しているとともに、千歯扱きとその製造の実態を理解するうえで貴重である。また、製作年が明らかなものが多く、千歯扱きの形態的な推移を知ることができ、脱穀用具の発達や稲作技術の変遷を考える上で注目される。,,,
310000,TP3100004380,鳥取県,鳥取の二十世紀梨栽培用具,トットリノニジッセイキナシサイバイヨウグ,,tottori no nijisseikinashi saibai yogu,国登録有形民俗文化財,国登録の生産、生業に用いられるもの,,31203,,鳥取県倉吉市駄経寺町198-4番地鳥取二十世紀梨記念館,鳥取県,倉吉市,駄経寺町,198-4番地,鳥取二十世紀梨記念館,,,,,,,,,,,,,,,2015/3/2,,,,,,,,, 本件は、鳥取県において明治後期から栽培されてきた二十世紀梨の栽培用具の収集である。栽培に用いた各種用具が揃っており、当地の産業として重要な役割を果たしてきた梨栽培の実態を理解するうえで貴重である。また、養蚕業からの移行を示す資料を一部含んでおり、生業の変遷をうかがうことができるとともに、梨栽培にとって重要な病菌害防除のための用具もあって、近現代における果樹栽培技術の発達の様相を示すものとして注目される。,,,
310000,TP3100004390,鳥取県,植田家住宅主屋、離れ,ウエダケジュウタクシュオク、ハナレ,,ueda-ke jutaku syuoku hanare,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31204,,鳥取県境港市末広町,鳥取県,境港市,末広町,,,,,,,,,,,,,,,,,2015/3/26,,,,,,,,,写真家植田正治の生家。　主屋は明治中期頃に建築された元履物屋の建物で、通りに東面して建つ町屋建築。木造二階建、切妻造赤色桟瓦葺きで、正面には下屋根を設ける。現在は北側に土間を通し、一階は二列四間取りを基本とするが、かつては中央で分けて２軒として使われていた可能性もある。幾度かの改築を受けているが、現在見られる格子や、いろりのある応接間などは、植田正治自身の好みによるものである。　主屋から渡り廊下で接続された木造平屋建、入母屋造赤色桟瓦葺きの離れは大正前期の建築で、いずれも天井の高い１０畳と８畳の二間からなる。細工の細かい透彫欄間（すかしぼりらんま）や木目を活かした素木（しらき）の材料使いなど、大正期の好みを良く反映している。,,,
310000,TP3100004400,鳥取県,大山寺文書,ダイセンジモンジョ,,daisen-ji monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山,鳥取県,西伯郡大山町,大山,,,,,,,,,,,,,,,,,2015/4/7,,,,,,,,,　大山寺は、少なくとも奈良時代から修験道の聖地として発展した山岳信仰の拠点であり、平安時代には天台宗と結び付き、広く崇敬を集めた一山寺院である。　大山寺文書は、伯耆国及びその周辺の広い地域の歴史に大きな影響を与えた大規模寺院に伝来した文書である。大山寺は度重なる火災のため数多くの寺宝・古文書が焼失し、往時の隆盛をうかがわせる史料はきわめて限られている。こうした中にあって例外的に焼失をまぬがれたものであるにも関わらず、県内の一ヶ所に伝来した中世文書としては点数も多い。　山陰地域を代表する大寺院の伝来文書として重要であるのみならず、まとまりをもって県内に伝来した鳥取県関係の中世文書としても貴重であり、本県の歴史上において重要と認められる。,,,
310000,TP3100004410,鳥取県,小川家住宅,オガワケジュウタク,,ogawa-ke jutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市河原町,鳥取県,倉吉市,河原町,,,,,,,,,,,,,,,,,2015/4/7,,,,,,,,,　小川家住宅は、鳥取県中部を流れる天神川の支流・小鴨川の右岸沿いの河原町に位置する。これは打吹山麓に東西に広がる町の西端にあたり、東端は重要伝統的建造物群保存地区倉吉市打吹玉川地区である。　小川家住宅の主屋は、湾曲した絵様腕木、虹梁状の差鴨居など鳥取県中部における近代の商家建築の特徴を良く示している。増築された洋館、新座敷、茶室「清和軒」や蔵など、一連の近代実業家としての屋敷構えからは、各時代の好みを含めた建築に関する時代変遷の動向をうかがうことができる。また、鉢屋川及び本通り周辺に広がる伝統的建造物が多く残る当地区において核となる貴重な建造物である。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4296.htm#h2impage12,
310000,TP3100004420,鳥取県,小川氏庭園,オガワシテイエン,,ogawashi teien,県指定名勝,県指定の庭園,,31203,,"鳥取県倉吉市河原町,余戸谷町",鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2015/4/7,,,,,,,,,　昭和前期に作庭された小川氏庭園は、巽武之助の代表作であり、個人の近代庭園として山陰屈指のものである。倉吉の商家の近代庭園の原点として当地方の作庭技術・茶道等に与えた影響は大きく、芸術文化向上にも寄与した重要な庭園である。保存および活用のための措置が必要であり、この文化財的価値を後世に伝えていくべきと考える。,,,
310000,TP3100004430,鳥取県,瑞仙寺文書,ズイセンジモンジョ,,zuisenji monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31202,,鳥取県米子市日下,鳥取県,米子市,日下,,,,,,,,,,,,,,,,,2015/9/11,,,,,,,,,瑞仙寺文書は、久坂山瑞仙寺（米子市日下）の伝来文書である。瑞仙寺は、伯耆国会見郡久坂村に所在し、室町時代に竺翁仲仙を総持寺から招聘し、現在地に建立された曹洞宗寺院である。伯耆国守護家であった伯耆山名氏の崇敬が篤く、同氏歴代の安堵状・寄進状・禁制が数多く伝来している。 このたび保護文化財指定候補として諮問する古文書は、瑞仙寺伝来文書のうちの中世文書31点である。伯耆山名氏歴代・尼子晴久・尼子勝久・杉原盛重など伯耆国における領域支配を担った（あるいは担おうとした）人物からの安堵状・寄進状・禁制をはじめ、これらの文書群は中世伯耆国の歴史を知るための基本史料として古くから知られており、すでに米子市の有形文化財にも指定されている。まとまりをもって県内に伝来した鳥取県関係の中世文書としては最も点数が多く、貴重である。 ,,https://www.city.yonago.lg.jp/33155.htm,
310000,TP3100004440,鳥取県,鉄燭台　天文十九年銘、同二十二年銘,テツショクダイテンブンジュウクネンメイ、ドウニジュウニネンメイ,,tetsusyokudai tenbun19nenmei dou22nennmei,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山,鳥取県,西伯郡大山町,大山,,,,,,,,,,,,,,,,,2015/9/11,,,,,,,,,　天台宗角磐山大山寺（西伯郡大山町）は、古くから修験道の聖地として発展した山岳信仰の拠点であり、平安時代には天台宗と結び付き、広く崇敬を集めた一山寺院である。中世以降には、西明院・南光院・中門院の三院谷が成立し、無数の諸院・堂社が軒を連ねた。　この鉄製燭台は、いずれも度重なる火災をまぬがれて奇跡的に伝来したものであるが、軸部にはそれぞれ天文１９年（１５５０年）、同２２年（１５５３年）の銘などが彫られ、年代が把握できる金工品が少ないなかで、特に重要である。高さは、天文１９年銘が８６．５㎝、天文２２年銘が86.7㎝である。,,,
310000,TP3100004450,鳥取県,豊成叶林遺跡出土旧石器時代遺物一括,トヨシゲカノウバヤシイセキシュツドキュウセッキジダイイブツイッカツ,,toyoshigekanoubayashiiseki syutsudo kyuussekijidai ibutsu ikkatsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市国府町宮下1260番地鳥取県埋蔵文化財センター,鳥取県,鳥取市,国府町宮下,1260番地,鳥取県埋蔵文化財センター,,,,,,,,,,,,,,,2015/9/11,,,,,,,,,西伯郡大山町豊成に所在する豊成叶林遺跡は大山北麓の丘陵上に立地する、約３万年前の後期旧石器時代の遺跡である。鳥取県で初めて大規模な発掘調査によって詳細が明らかにされた旧石器時代の遺跡として、非常に重要である。遺跡内で石器づくりの跡が見つかっており、ナイフ形石器や石器づくりの過程で生じた石くず類がまとまって見つかっている。これらの資料からは、ナイフ形石器の製作手順を具体的にたどることができ、当時の石器づくりの様子を明らかにする上で重要な資料である。,,http://www.pref.tottori.lg.jp/maibun/,
310000,TP3100004460,鳥取県,氷ノ山のキャラボク群落,ヒョウノセンノキャラボクグンラク,,hyonosen no kyaraboku gunraku,県指定天然記念物,県指定の植物,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町つく米氷ノ山国有林22番地林班イ小班,鳥取県,八頭郡若桜町　,つく米氷ノ山国有林,22番地,林班イ小班,,,,,,,,,,,,,,,2015/1/23,,,,,,,,,"　鳥取県若桜町と兵庫県養父市、宍粟市にまたがる氷ノ山(1,510m)では風衝や積雪の影響で、標高1400m以上の場所はブナ、リョウブ、ナナカマドなどの低木林やササ草原となっている。キャラボクは登山道沿いでは標高1300mより上部に点在するが、特に氷ノ山山頂の南西側緩斜面(鳥取県側)のササ草原内にまとまった群落を形成している。　氷ノ山のキャラボク群落は中国山地では大山に次ぐ規模をもつ。著名な図鑑類(原色日本植物図鑑など)で大山とともにキャラボクの生育地として言及されるなど日本全体の自然分布からみてもその価値は高い。最大の群落である大山から約90km離れた氷ノ山のキャラボクは、種の存続とその遺伝的多様性確保の点から、一定の個体数を持つ群落として貴重である。",,,
310000,TP3100004470,鳥取県,宮本家住宅主屋、土蔵,ミヤモトケジュウタクシュオク、ドゾウ,,"miyaomtokejyuutaku syuoku, dozou",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31401,,鳥取県日野郡日南町菅沢729番地,鳥取県,日野郡日南町,菅沢,729番地,,,,,,,,,,,,,,,,2009/1/22,,,,,,,,,木造二階建・瓦葺・越屋根付の主屋は、大正２年に建てられた。当初は薄くそいだ杉の板で葺くそぎ葺きであったが、その後に瓦葺きとなった。伝統的な江戸時代の間取りを基本としながらも土間に一室張り出し、背の高い２階を持ち、近代の特徴が取り入れられている。伝統を受け継ぎながらも独自性のある意匠でまとめられ、軒廻りには社寺建築に用いられる彫刻をみせるなど、様々な要素が組み合わされており、施主や大工の創意工夫が感じられる。現在は農業体験に参加する人のための体験施設、「かつみや」として活用されている。　土蔵は、切妻造、土蔵造で、明治８年に建築され、その後改修された。主屋と同様に、当初はそぎ葺きであった。外側に腰板張、漆喰壁に赤瓦を載せる。,,https://katsumiya-iinaa.jimdofree.com/,
310000,TP3100004480,鳥取県,石賀本店土蔵,イシガホンテンドゾウ,,ishigahonten dozou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31202,,鳥取県米子市法勝寺町22番地,鳥取県,米子市,法勝寺町,22番地,,,,,,,,,,,,,,,,2009/5/14,,,,,,,,,米子城の旧外堀（昭和４０年に埋め立て）に面して、明治２４年に建てられた土蔵造２階建の土蔵。北面に庇を通し、赤瓦を葺く。内部は４室に分かれており、東寄りに、石段付きの通路を設けており、旧外堀沿いの面影をとどめている。内部は飲食店や物販店「善五郎蔵」として活用されている。,,https://zengoro.wixsite.com/zengoro,
310000,TP3100004490,鳥取県,大社湯（第三鶴の湯）浴場及び主屋,タイシャユ（ダイサンツルノユ）ヨクジョウオヨビシュオク,,taisyayu(daissanturunoyu)yokujyou oyobi syuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市,鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2010/5/20,,,,,,,,,重要伝統的建造物群保存地区倉吉市打吹玉川地区から続く本町通りの西に位置する、倉吉市内で営業する唯一の銭湯。１階を浴室と脱衣場、２階を住宅とする。外観は住宅風で、周囲の景観とよく調和する。浴場は煉瓦の腰壁煉瓦積や内部のタイルなど、明治後期の公衆浴場の形態をよく保持している。明治後期建築/大正期増築・昭和中期改修,,,
310000,TP3100004500,鳥取県,木屋旅館,キヤリョカン,,kiyaryokan,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三朝895番地,鳥取県,東伯郡三朝町,三朝,895番地,,,,,,,,,,,,,,,,2010/5/20,,,,,,,,,三朝温泉街の中心に位置し、木造２階建一部３階建で、地階に浴場を設ける。温泉街の発展とともに増改築を行い、複雑な構成となっている。客室毎に異なった意匠を凝らす。明治期建築/大正８年・昭和２９年・昭和３３年増築,,https://www.misasa.co.jp/,
310000,TP3100004510,鳥取県,南菀寺本堂、隠寮、庫裏、山門,ナンエンジホンドウ、インリョウ、クリ、サンモン,,"nannennji honndou, innryou, kuri, sannmon",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三朝895番地,鳥取県,東伯郡三朝町,三朝,895番地,,,,,,,,,,,,,,,,2010/5/20,,,,,,,,,京都相国寺派管長であった橋本独山が、昭和２年にこの地に南菀寺を開いた。三朝川沿いの温泉温泉街を見下ろす山腹に境内を構え、東から隠寮、本堂、庫裏、石段の途中に、山門と並べる。　本堂は山腹に三室を東西に並べる数寄屋造。　隠寮は、数寄屋風の建物で、明取窓を丸窓にするなど、趣向を凝らした意匠を持ち、一部懸造(かけづくり)とする。　庫裏は正面に屋根の妻飾りを見せ、２階には花頭窓(かとうまど)を並べて高欄(こうらん)をつけるなど、温泉街からの眺めを意識した特徴的な外観を持つ。　石段の途中に建つ山門は、竜宮造とも言われる漆喰塗りの楼門で、下層は漆喰を厚く塗り、アーチ状の通路とする。 山際に展開される境内の重要なアクセントとなっている。,,,
310000,TP3100004520,鳥取県,摩尼寺本堂、鐘楼、山門,マニジホンドウ、ショウロウ、サンモン,,"manijihonndou,syourou,sannmon",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市覚寺624番地,鳥取県,鳥取市,覚寺,624番地,,,,,,,,,,,,,,,,2014/12/19,,,,,,,,,摩尼寺は喜見山（きけんざん）と号し、平安時代、慈覚大師圓仁（じかくだいしえんにん）の開基と伝わる天台宗の古刹である。本堂は桁行（けたゆき）三間、梁間（はりま）四間で、入母屋造桟瓦葺で正面に千鳥破風（ちどりはふ）を飾り、軒唐破風（のきからはふ）付きの一間向拝を付ける。このたび棟札が発見され、万延元年の建築であることが明らかとなった。内部は正面一間を外陣（げじん）とし、堂内後ろ寄りに仏壇を据えて内陣（ないじん）を広くとる。向拝や内外陣境、仏壇廻りは龍や鳥獣、雲や波形の彫刻で高密度に飾り、時代的特徴を良く示す。鐘楼は山門の東に建ち、方一間の吹き放ち形式とする。中央に梁を渡し、梵鐘を吊る。山門とともに、表構えを構成する。山門は石段の上、本堂の正面に建つ一間一戸薬医門（やくいもん）形式の門。棟の両端には鯱（しゃち）を載せ、軒廻りに立体的な彫刻を施し、境内の表構えを飾る。本堂：万延元年（１８６０）建築鐘楼：明治２５年建築山門：明治中期建築,,,
310000,TP3100004530,鳥取県,米原家住宅主屋、土蔵、上門及び塀、下門及び塀,ヨネハラケジュウタクシュオク、ドゾウ、カミノモンオヨビヘイ、シモノモンオヨビヘイ,,"yoneharakejyuutakusyuoku,dozou,kaminomonoyobihei,shimonomonoyobihei",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭,,,,,,,,,,,,,,,,,2014/12/19,,,,,,,,,屋号を「木綿屋」と号す当家は、近世には大庄屋國米家（こくまいけ）の番頭を務め、近代には県政財界の重鎮となった。この度登録される当家の屋敷地は､智頭往来と備前往来の交差する角地に立地し、元は國米家の屋敷であったものを、明治３８年以降に米原家の所有となったものである。主屋は桁行十二間、梁間七間の大規模な二階建てで、屋根は入母屋造（いりもやづくり）桟瓦葺（さんがわらぶき）とする。近年の修理で屋根から下ろされた鬼瓦に、明治３９年の銘が残ることから、この頃の建築と考えられる。外壁は黒漆喰塗とし、腰部分はモルタル洗出（あらいだし）で目地を切り、出格子（でごうし）を連続させる。良材を駆使して様々な趣きの座敷を多数有す、良質な近代和風建築である。　土蔵は土蔵造２階建で敷地に南奥に建つ。一階は二室、二階は一室とする。もとは、敷地内の別の場所に建っていたものを、昭和３０年頃に現在地に移築した。建築年度は、戸の金物に國米家の「剣片喰（けんかたばみ）」の家紋があることから、当屋敷地が米原家所有となる以前の建物で、明治中期頃の建築と推定される。　上門は主屋の東、智頭往来に面してとりつく、三間一戸薬医門で、表側に控え柱を立て、そこから両脇へ塀を伸ばす。棟の輪違い積みに十文字をあしらう。天井には幅の広い隠岐スギを用いた豪壮な門である。大正前期の建築とかんがえられる。　下門は備前往来に面して開く脇門で、一間棟門の形式とする。釉薬の鬼瓦には米原家の家紋「菱木瓜（ひしもっこう）」を入れる。主屋と同様に明治３９年頃の建築と考えられる。　これら一連の建物からなる屋敷構えは、智頭宿の町並みの景観に大きく寄与している。,,,
310000,TP3100004540,鳥取県,立川稲荷神社本殿、拝殿及び幣殿、中門,タチカワイナリジンジャホンデン、ハイデンオヨビヘイデン、チュウモン,,"tachikawainari jinnjya honnden,haidennoyobiheiden,chyumon",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市立川町4丁目68番地,鳥取県,鳥取市,立川町4丁目,68番地,,,,,,,,,,,,,,,,2014/12/19,,,,,,,,,当社は、立川村の産土神（うぶすながみ）であった稲荷神社と近隣の北野神社が大正期に合祀され、かつての北野神社の境内地を広げて現在の敷地に造営された。本殿は合祀の際に新築された切妻造平入（きりつまづくりひらいり）金属板葺で、四周に高欄（こうらん）を巡らし、正面の向拝（こうはい）に浜床（はまゆか）を設ける。装飾を押さえた簡明な意匠をもつ本殿。拝殿及び幣殿は、元の北野神社の社殿を改修・増築したものである。拝殿の奥に幣殿を張り出して内部を一室とするが、幣殿の床を上げ、格天井（ごうてんじょう）を張り、拝殿と幣殿の内部空間を分けている。正面に取り付く唐破風（からはふ）の向拝に彫刻を施すなど、正面構えに装飾を施す。中門は、本殿と幣殿の間の石段上に建つ。一間四方の切妻造妻入（きりつまづくりつまいり）で、屋根に緩く起り（むくり）をつける。近代に多数建てられた神社中門の特徴を示す。本殿：大正１０年建築/昭和８年、平成２５年改修拝殿及び幣殿：寛保元年（１７４１）建築/大正７年改修中門：大正１０年建築/昭和８年、平成２５年改修,,,
310000,TP3100004550,鳥取県,矢城家住宅主屋,ヤギケジュウタクシュオク,,yagi-ke jyuutaku syuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市横田,鳥取県,倉吉市,横田,,,,,,,,,,,,,,,,,2015/11/17,,,,,,,,,矢城家は明治前期に集落の戸長を務めた。当家に残る棟札（むなふだ）から、主屋が大正２年に同集落の大工によって建てられた事がわかっている。当家住宅主屋は、木造２階建、入母屋造（いりもやづくり）赤色桟瓦葺（せきしょくさんがわらぶき）で、小屋組は西洋の影響を受けて斜め方向に木材を用いるトラス構造を用いている。間取りは元は北側に土間を通した典型的な六間取であったが、現在は一部を改修している。主屋の中央には廻り階段が設けられ、東南の庭園に面した座敷の床の間まわりには栃材（とちざい）が多く用いられる。また、座敷まわりでは、縁側から離して軒支柱（のきしちゅう）を立て、座敷と庭を解放的に繋ぐ。当家住宅主屋はトラス構造や銘木の多用など近代的特徴を多く取り入れた、質の高い住宅である。,,,
310000,TP3100004560,鳥取県,塩谷定好写真記念館,シオタニテイコウシャシンキネンカン,,shiotaniteikou syashin kinennkann,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町赤碕1568番地,鳥取県,東伯郡琴浦町,赤碕,1568番地,,,,,,,,,,,,,,,,2015/11/17,,,,,,,,,塩谷家は幕末から明治にかけて菊港を母港とする廻船問屋を営んだ家で、５代目当主は赤碕町長などの公職を務めた。当館は、昭和初期に「芸術写真」の分野で活躍した塩谷定好の生家でもあり、平成２６年から、写真記念館として公開されている。主屋は明治３９年に街道に面して建築された、木造２階建、切妻造妻入（きりつまづくりつまいり）の大型の町屋。多数の座敷をもち、各部屋ごとに銘木や螺鈿細工などを使い分け、趣の異なった、質の高い意匠をみせる。ギャラリー棟は主屋の東に隣接して建つ、土蔵造２階建、切妻造妻入の建物で、明治７年に建てられた。元は土蔵であったものを、定好氏が戦後に店舗兼写真スタジオとして改修した。外観は土蔵造の面影を残しており、主屋とともに、街道沿いの町並みの景観に寄与している。米蔵は明治５年建築で、一部に設けた二階の床、鉄板を張った内壁等、米蔵らしさを残す。質蔵は明治１２年、新蔵は明治３５年建築で、一部に設けた二階の床、鉄板を張った米蔵とともに、敷地後方の景観を形成する。,,https://teiko.jp/,
310000,TP3100004570,鳥取県,五百羅漢図,ゴヒャクラカンズ,,gohyaku rakan zu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31203,,鳥取県倉吉市和田,鳥取県,倉吉市,和田,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/4/26,,,,,,,,,倉吉市出身の吉田保水(よしだほすい)（1719～92年）とその門弟によって描かれた五百羅漢図で、倉吉市定光寺(じょうこうじ)に100幅が完存している。本資料のように100幅が残っているものとしては全国でももっとも古い資料と考えられる。また、多くの人々がこの絵画制作に資金援助をして完成させており、この地域における熱心な宗教活動の一端を知るうえでも、大変貴重な資料である。,,,
310000,TP3100004580,鳥取県,光徳寺文書,コウトクジモンジョ,,koutoku-ji monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町公文,鳥取県,東伯郡琴浦町,公文,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/4/26,,,,,,,,,　光徳寺文書は、曹洞宗亀福山(きふくざん)光徳寺（琴浦町）の伝来する中世文書１０点である。　光徳寺は、洗川(あらいがわ)右岸丘陵に位置し、永享元年（１４２９）に退休寺(たいきゅうじ)（大山町）三世無余空円(むよくうえん)が、既存の天台宗寺院を現在地に移転し、曹洞宗に改宗したと伝えられている。出雲尼子氏との結びつきの深さを物語る伝承が残されている点に、大きな特徴がある。　光徳寺には、良質な出雲尼子氏関係史料が残されている。なかでも永禄１２年(１５６９)１１月１３日尼子勝久安堵状は、雁皮を用いた大判の料紙であり、右筆の手も優れている。県内の一ヶ所に伝来した中世文書としては点数も多く、とりわけ戦国時代の伯耆国にさまざまな影響をおよぼした出雲尼子氏関係の史料群としても貴重である。,,,
310000,TP3100004590,鳥取県,不入岡遺跡古墳時代竪穴住居出土遺物一括,フニオカイセキコフンジダイタテアナジュウキョシュツドイブツイッカツ,,funioka-iseki kofunjidai tateanajukyo syutsudoibutsu ikkatsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31203,,鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8番地倉吉博物館,鳥取県,倉吉市,仲ノ町,3445-8番地,倉吉博物館,,,,,,,,,,,,,,,2016/4/26,,,,,,,,,不入岡遺跡（倉吉市不入岡）は、伯耆国庁跡から北東約１㎞の丘陵上に位置し、後期古墳や古代の官衙(かんが)関連遺構が存在している。その中で、古墳時代中期の竪穴住居が１棟発見された。この住居からは、在地の土器とともに朝鮮半島からの渡来系の要素をもつ土器が出土しており、住居内には朝鮮半島由来のオンドル状遺構（Ｌ字形カマド）が残っていた。渡来系遺物からは古墳時代中期の渡来人の移動について推測でき、古墳時代の地域社会を語る上で歴史的、学術的に重要な資料である。※不入岡遺跡は、平成１２（2000）年に国史跡伯耆国府跡に追加指定された。古墳時代の竪穴住居などの遺構は地中に保存されている。,,https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4308.htm#14,
310000,TP3100004600,鳥取県,西方寺庭園,サイホウジテイエン,,saiho-ji teien,県指定名勝,県指定の庭園,,31325,,鳥取県八頭郡若桜町若桜,鳥取県,八頭郡若桜町　,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/4/26,,,,,,,,,　西方寺は、浄土宗西山派の禅林寺の末寺であり、若桜を代表する古刹である。明治７年（1874）、明治18年（1885）の二度にわたる若桜宿大火で類焼。明治20年（1887）には章空運文上人が「不遠山西方精舎表裏眺望真景之図」（以下、真景図）を描かせ、大火前の様子を偲んでいる。　明治33年（1900）、本堂が「真景図」に対応するように再建され、鐘撞堂、庫裏（書院）、山門なども整備されて今日に至っている。庭園は、「真景図」と比較すると若干の違いが認められるが、園池の形状や護岸石の配置など現在もほぼ踏襲されているとみられる。,,,
310000,TP3100004610,鳥取県,革工芸（保持者：本池秀夫）,カワコウゲイホジシャモトイケヒデオ,,kawakogei hojisya motoike-hideo,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31202,,鳥取県米子市大篠津,鳥取県,米子市,大篠津,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/4/26,,,,,,,,,本池秀夫氏の技術は歴史的には、牛革を型になじませ成形するという漆皮の技法をベースにし、それに独自に技法や制作道具に工夫を凝らしたものと位置づけられる。革という素材の質感や造形の可能性を大きく広げ、細部にまでこだわり独創のリアリズムを追求する。高い技術による人形などの作品は、芸術上も非常に価値が高く、本池氏は鳥取県ひいては日本を代表する革工芸作家である。,,https://www.motostyle.jp/pages/museum,
310000,TP3100004620,鳥取県,竹内町のオコニャ,タケノウチチョウノオコニャ,,takenouchi-cho no okonya,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,県選択の風俗慣習,,31204,,鳥取県境港市,鳥取県,境港市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/4/26,,,,,,,,,　オコナイとは、密教寺院の修正会の影響を受けた民間行事で、新春に地域と家々の安全と五穀豊穣、大漁満足を祈るもので、西日本に広く分布している。鳥取県内では境港市内で数か所行われていたが、現在では同竹内町のみにオコナイ行事が伝承されている。　竹内町では、この行事をオコニャと呼んでいる。毎年１月初旬に同町内の大同寺に１５軒の草分け（本家）を中心とするモット（同族組織）がそれぞれ講中をつくり、輪番で大餅を作って奉納し、次の講中に引き渡す行事である。　同町は、全国的にみても色濃くオコナイ行事が分布する出雲地方東部から連続した範域にある。出雲地方あるいは湖北地方との関連が推測され、オコナイ行事の分布やあり方を考える上で興味深い。また、竹内町のオコニャは、モットと呼ばれる同族組織が行事の担い手となり、現在まで続けている希有な事例である。一方、時代の変化により、行事の伝承に課題がみられるようになっており、廃絶した行事や隣県との比較を含め、早急に記録作成等の措置を講ずべきである。,,,
310000,TP3100004630,鳥取県,七宝（保持者：橋詰　峯子）,シッポウホジシャハシヅメミネコ,,shippou hojisya hashidume-mineko,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31201,,鳥取県鳥取市,鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/10/25,,,,,,,,,　橋詰氏は、蓋物を中心とした立体的な有線七宝の作品づくりを現在まで続けている。　そのデザインは植物の図柄を中心とした絵画性の強い作品を主体とし、花弁が器面全面を覆い尽くすものや、近年では、幾何学的な模様や窓のような矩形のなかに写実的な植物などの図柄を組み合わせる作品をつくっている。透明性の高い釉薬は、下地に貼った銀箔の効果を引き出すものであり、繊細に貼られた銀線から生み出される写実的なデザインとともに高い芸術性を有する。　橋詰氏の作品は1997年の第30回日本七宝作家協会記念展協会賞受賞を皮切りに、各展覧会において受賞・入選をし、2009年には日本工芸会正会員に認定された。とくに近年は、第25回伝統工芸諸工芸部会展（2015年）で文部科学大臣賞、第54回（2011年）および第59回日本伝統工芸中国支部展（2016年）で鳥取県知事賞を受賞するなど高く評価されており、鳥取県を代表する七宝作家といえる。,,,
310000,TP3100004640,鳥取県,木工芸（保持者：福田豊）,モッコウゲイホジシャフクダユタカ,,mokkougei hojisya fukuda-yutaka,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31203,,鳥取県倉吉市,鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/10/25,,,,,,,,,先代福田祥氏が虎尾政次に師事し、吉田璋也に指導を受け、木工制作の道を歩んだ。祥氏は吉田璋也が作り出した家具や調度品などの木工品デザインを、様々な技術的工夫をこなして制作し、独特の吉田様式木工を作り出した。豊氏はそれを見事に継承し、さらに一層の技術的工夫を加え、吉田様式木工を現在に伝承している。　「削りも磨きも、形を整えながら根気よくするのが仕事」といい、吉田璋也のデザインによる製品をつくるための専用の道具や、電気スタンドの各部材の形を決めるため、10数種類の型をつくるなど、技術と工夫を凝らす。　高度な刳物、指物技術とともに、現在では、吉田様式木工を受け継ぐ唯一の制作者であり、鳥取を代表する木工芸制作者といえる。,,,
310000,TP3100004650,鳥取県,木造菩薩形立像,モクゾウボサツギョウリュウゾウ,,mokuzo bosatsugyo ryuzo ,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31203,,鳥取県倉吉市桜,鳥取県,倉吉市,桜,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/4/11,,,,,,,,,　本像は大日寺(だいにちじ・倉吉市)の本堂内、向かって右の脇間に安置される。同寺は、鳥取県を代表する霊域である大山山麓に位置し、古くから天台宗が根を降ろした寺院として知られ、既に文化財指定された遺品も多い。　本像は、平安時代、１０世紀にさかのぼる等身大の菩薩形立像である。像高１５９．３㎝様式的には、和様化が進むとされる１０世紀的な要素を持ちながら、奈良時代から平安時代初期に造立された仏像にみられる要素が各所に認められる点が特徴である。　また、図像的な面に注目すると、当初は、定形化する前の多面観音として造立された可能性が高い。さらに、節を残置するなど日本古来の霊木信仰に由来すると考えられる造形も興味深い。　本像は大日寺を含む周辺地域の歴史を考える上でも、また平安時代における彫刻の様式、多面観音の展開を考える上でも貴重な作例であり、鳥取県指定文化財として相応しい尊像である。,,,
310000,TP3100004660,鳥取県,大安寺文書,ダイアンジモンジョ,,daian-ji monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31389,,鳥取県西伯郡南部町天萬,鳥取県,西伯郡南部町,天萬,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/4/11,,,,,,,,,　大安寺文書は、曹洞宗壺嶽山（こがくさん）大安寺（西伯郡南部町天萬）の伝来文書である。　寺伝によれば開山は珍目（ちんもく）とされているので、１５世紀に既存の他宗寺院を曹洞宗に改宗して成立した寺院を、起源とするものと推測される。また、開基は杉原盛重（すぎはらもりしげ）であると伝えられており、現在の本堂裏の墓地には盛重の供養塔とされる宝篋印塔（ほうきょういんとう・南部町指定文化財）がある。　文書は２点あり、ひとつは杉原元盛（もともり・盛重の子息）の家臣と推測される５名が連署して、相見郡天満郷の大安寺に対し、３５筆の田・畠・屋敷の面積・分米（ぶんまい）・請人名（うけにんめい）を列挙して新寄進したもの、もうひとつは吉川（きっかわ）氏家臣の香川春継（かがわはるつぐ）・粟屋就光（あわやなりみつ）が、大安寺に宛てて、寺領３０石を安堵したものである。　大安寺文書は、戦国期伯耆国における杉原氏・吉川氏など諸勢力の興亡や、中世の激しい動乱を生き抜いた伯耆国内寺院の実態を示す、良質な同時代史料である。また、江戸中期の火災を免れて今に伝えられたものである点も貴重であり、本県の歴史上において重要である。,,,
310000,TP3100004670,鳥取県,銅鰐口　伯州瀧山寺銘 ,ドウワニグチハクシュウタキサンジメイ,,do-waniguchi hakusyu takisan-ji mei,県指定保護文化財,県指定の工芸品,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2017/4/11,,,,,,,,,　鳥取県立博物館が所有する銅製鰐口で、第１面の銘帯右に「伯州瀧山寺金口願主僧慶意敬白」、左に「正平十二年丁酉八月日願主沙弥西信」と陰刻する（正平１２年は西暦１３５７年、「正平」は室町時代の南朝元号）。　「瀧山寺」の寺名を有する寺院は現存しない。しかし、その銘を刻す資料がすでに県指定保護文化財となっている擬宝珠にあり、それは関金町関金宿字天神原地内の道路工事中に発見された。所蔵する地蔵院は大滝山の山号を有し、建久３(１１９２)年に造立されたとされる丈六の木造地蔵菩薩半跏像（はんかぞう）（重要文化財）が安置されている。「瀧山寺」と地蔵院を直接結びつける史料は確認されていないが、地蔵像などの仏像や擬宝珠の存在、断片的な記録などから「瀧山寺」は中世に隆盛した山林寺院であり、地蔵院の前身寺院と考えられる。　「瀧山寺鰐口」は現在のところ、これまで知られている県内の鰐口のなかで最も古く、最大の面径を有する。さらに、鋳上がりもよく、仕上げの加工も丁寧であり、かなり高い鋳造技術で製作された優品である。そして、紀年銘が刻まれており、鰐口研究の基準的な資料と言える。さらに、大山や三徳山をはじめとする県内の山林寺院研究や中世史の研究を進める上で、重要な１次資料として高い価値を有している。 ,,,
310000,TP3100004680,鳥取県,福本７０号墳出土遺物,フクモトナナジュウゴウフンシュツドイブツ,,fukumoto 70gofun syutsudo ibutsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町宮谷80番地八頭中央公民館,鳥取県,八頭郡八頭町,宮谷,80番地,八頭中央公民館,,,,,,,,,,,,,,,2017/4/11,,,,,,,,,　福本７０号墳は、墳丘規模東西最大約１５ｍ、南北最大約１３ｍ、高さ約５ｍを測る。墳丘裾部等で確認された列石の状況から、多段築成された変形八角形と考えられる多角形墳で、出土土器の年代観から７世紀前半から中葉頃の古墳とされる。　平成６年に実施された発掘調査により、玄室床面や墳丘流失土内から副葬品を中心とする遺物が出土した。玄室内出土遺物には、銅製匙（どうせいさじ）、双龍環頭大刀（そうりゅうかんとうたち）、鍔付鉄剣（つばつきてっけん）、馬具（ばぐ）、鉄鏃（てつぞく）、鉄製工具、ガラス玉類、耳環（じかん）、鉄釘、土器等があり、良好な状態で遺存していた。　それら出土遺物からは、木棺使用に見る埋葬方法や葬送の場の変化、銅製匙や渦巻文（うずまきもん）杏葉（ぎょうよう）などに見る中国、もしくは朝鮮半島との交流といった政治動向を窺い知ることができる。また、福本７０号墳の近隣には、７世紀後半以降に八上郡衙（やかみぐんが）（八頭町万代寺（まんたいじ）遺跡）の設置や土師百井（はじももい）廃寺が建立されるが、本墳の追葬に伴ったと考えられる遺物にも、金銅装馬具のほか、双龍環頭大刀といった優品が引き続き見られることから、古墳時代から律令時代への過渡期における地域社会の変化や有力者の動向を知ることができる資料として重要である。,,,
310000,TP3100004690,鳥取県,霞の要害跡出土梵鐘鋳造関連遺物,カスミノヨウガイアトシュツドボンショウチュウゾウカンレンイブツ,,kasumi no yogaiato syutsudo bonsyo chuzo kanren ibutsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31401,,鳥取県日野郡日南町中石見800番地日南町郷土資料館,鳥取県,日野郡日南町,中石見,800番地,日南町郷土資料館,,,,,,,,,,,,,,,2017/4/11,,,,,,,,,　霞の要害跡は、日野川に面した丘陵中腹に立地する遺跡である。平成１１・１２年度に実施された道路建設に伴う発掘調査によって、１５世紀前半から１６世紀中葉までの土器・陶磁器類とともに、土塁や建物跡、土坑（どこう）などが見つかった。このうち、一辺約２ｍの隅丸方形の土坑内から梵鐘鋳造（ぼんしょうちゅうぞう）に使用された鋳型（いがた）破片や青銅片等が出土した。　梵鐘の鋳造に関わる遺構は、県内では他に江戸時代の鐘鋳谷（かねいだに）遺跡（鳥取市大杙（おおくい））が知られるのみで、全国でも６０例程度しか見つかっていない貴重なものである。　鋳造関連遺物は鋳型、炉壁、銅滓（どうさい）など、小片も含めると総数３２４１点に上る。指定品は形状が把握できる鋳型片３９点と銅滓１点の合計４０点とする。その内訳は竜頭（りゅうず）２、撞座（つきざ）７、乳（にゅう）６、縦横帯（じゅうおうたい）７、コマツメ２、外型（そとがた）５、不明８の鋳型と溶解炉炉壁片２、銅滓１である。　霞の要害跡から出土した鋳型は、竜頭及び撞座の特徴から、島根県安来市の清水寺（きよみずでら）所蔵の梵鐘と共通する原型を使って鋳型がつくられたと考えられる。また清水寺梵鐘銘に応永２８（１４２１）年に「和州大工友光（わしゅうだいくともみつ）」によってつくられたことが刻まれていることから、本資料も近い時期に同じ工人集団によって残されたものと推定できる。現存する梵鐘と同型の鋳型の出土例は全国的にも極めて珍しく、中世の鋳物生産の様相を知る上で、第一級の資料である。,,,
310000,TP3100004700,鳥取県,鳥取県の絣関係資料,トットリケンノカスリカンケイシリョウ,,tottoriken no kasuri kankei shiryo,県指定有形民俗文化財,県指定の民俗資料,,31203,,鳥取県倉吉市,鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/4/11,,,,,,,,,　鳥取県無形文化財「染織」保持者、かつ絣研究者でもある福井貞子氏の収集資料である。　本資料は、綿栽培から絣完成に至る全工程が網羅されていることから、鳥取県において重要な産業であった絣の生産過程を俯瞰することができる。また、資料点数と種類が豊富であり、文様や形状の標本となっているばかりでなく、資料１点ずつに旧蔵者や来歴などの情報が付されていることも特筆される。　とりわけ、着物や布団などに仕立てられた絵絣は、嫁入り道具のひとつでもあったことから旧蔵者の思い入れも深く、明治生まれの女性たちの記憶が福井氏の聞き取り調査により掘り起こされ、資料価値を高めている。単に形として残されているだけでなく、当時の社会背景や女性のくらしの変遷など、文字化されにくい生活の歴史を物語る貴重な資料群となっている。　福井氏の研究成果や聞き取り調査の一部は、複数の著作としてまとめられている。また、資料の保存状態はきわめて良好であり、福井氏や保存会をはじめとする同志グループによる絣技術の継承活動をとおして適正な保存管理が継続的になされている。　価値の高さだけではなく、活用が図られるなど、鳥取県の絣文化を知るうえで重要な資料群である。,,,
310000,TP3100004710,鳥取県,摩尼山,マニサン,,mani-san,国登録記念物,国登録の名勝,,31201,,鳥取県鳥取市鳥取市覚寺字一本松624番ほか,鳥取県,鳥取市,覚寺字一本松,624番ほか,,,,,,,,,,,,,,,,2016/10/3,,,,,,,,,鳥取市覚寺（かくじ）に位置する喜見山（きけんざん）摩尼寺（まにじ）の境内を成す摩尼山（まにさん）（標高357ｍ）は、大山・三徳山と並ぶ天台宗の拠点的霊山として信仰を集めてきた。旧参道と歴代住職等墓所、山腹の境内地に建立された堂宇群、自然環境などから成る風致景観が良好に保全されており、巨巌・岩窟等から成る奥の院の奇景に優れている。山内に点在する多くの石仏群も独特の風致を添え、日本海・鳥取砂丘等を一望する鷲が峰（立岩（たていわ））はこの地域を代表する展望地点として親しまれてきており、自然の名勝地として意義深い事例である。,,,
310000,TP3100004720,鳥取県,大山寺旧境内,ダイセンジキュウケイダイ,,daisen-ji kyukeidai,史跡,国指定の社寺跡,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山,鳥取県,西伯郡大山町,大山,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/10/3,,,,,,,,,大山寺は山号を角盤山(かくばんさん)といい、中国地方の最高峰大山の中腹に所在する天台宗の山林寺院である。大山は「出雲国風土記」にも記されており、古くから信仰の対象とされた山である。「選集抄」（1250年頃成立）は、８世紀後半の称徳天皇の頃、出雲国造俊方が地蔵菩薩を大智明権現(だいちみょうごんげん)として祀ったと伝える。平安時代後期には、天台密教、浄土信仰、神道及び修験道の影響のもと、大智明権現を信仰の核に、釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の信仰をそれぞれ中心とする、南光院(なんこういん)、西明院(さいみょういん)、中門院(ちゅうもんいん)の三院が成立する。それらの附属の堂社僧坊群が形成されていき、史料や発掘調査成果からは、中世に最大規模となったことが判明している。近世には、幕府から寺領三千石を安堵され、西楽院(さいらくいん)を本坊として、三院とその僧坊を支配する一山三院四十二坊の体制が確立した。そして、牛馬の守護神や祖霊神の信仰と結びついて発展し、近世後期には大山信仰圏は中・四国地方に拡大して隆盛を誇った。明治維新で寺領を失った大山寺は、明治８年（1875）に寺号廃絶のうえ大智明権現社が大神山神社奥宮に定められた。寺号復活が認められたのは明治36年（1903）のことである。旧境内には、国指定重要文化財の大山寺阿弥陀堂、大神山神社奥宮、末社下山神社などの近世以前の建物が残り、廃絶した子院（僧坊）跡にも、石垣、土塁、参道なども良好に残っており、日本を代表する山林寺院の一つと言える。,,,
310000,TP3100004730,鳥取県,熊谷家住宅主屋,クマガイケジュウタクシュオク,,kumagai-ke jutaku syuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町鹿野,鳥取県,鳥取市,鹿野町鹿野,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/11/29,,,,,,,,,熊谷家の祖先は尼子（あまご）氏の家臣であったと伝えられ、江戸時代には大庄屋も務めた。学者を輩出し、私塾を開設するなど、庶民教育の先覚者でもあった。当家主屋は、北側に土間、南側に南北２列各３室の部屋を並べる。梁などに残る材料の加工方法や二階の高さが低い事から江戸時代末期までには建築されたと考えられる。その後幾度かの改築を経て、鳥取大地震の被害後に、現在の形に改築された。正面の外観には千本格子を備え、鹿野の街並みを特長づけている。江戸末建築/昭和１８年、昭和３２年改修,,,
310000,TP3100004740,鳥取県,原田家住宅主屋,ハラダケジュウタクシュオク,,harada-ke jutaku syuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町鹿野,鳥取県,鳥取市,鹿野町鹿野,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/11/29,,,,,,,,,原田家住宅は鹿野旧城下の中央に位置し、右に土間、東西２列に部屋を並べる。土間と部屋の境には「大角（だいかく）」「横角（よこかく）」と呼ぶ太い梁と桁を入れる。明治から大正期の鹿野では、それらの太さで家の興隆を示す傾向があったと考えられ、当家主屋は鹿野の歴史的景観を特長づける建物である。また、正面外観は二階を漆喰で塗りこめて下半をなまこ壁とし、一階は一面に格子を設けるが、格子の奥行きを変えることでリズミカルな印象を与えている。欅を多く用いて、随所に彫刻を施す。　　明治３３年頃建築,,,
310000,TP3100004750,鳥取県,安楽寺本堂、経蔵、鐘楼、山門及び塀,アンラクジホンドウキョウゾウショウロウサンモンオヨビヘイ,,anraku-ji hondo kyozo syoro sanmon oyobi hei,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町宇野876番地,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,宇野,876番地,,,,,,,,,,,,,,,,2016/11/29,,,,,,,,,安楽寺は浄土真宗大谷派の寺院で、敷地の向いには重要文化財尾﨑（おさき）家住宅が建つ。当寺は尾﨑家と深くかかわりがあり、現在の主要堂宇（どうう）は尾﨑家の７代当主が建てたとされる。本堂は典型的な真宗寺院本堂の形式で、正面にのみ鳥取県内には数少ない左桟瓦（ひだりさんがわら）を葺く。内部には異形の組物を置いたり、海老虹梁（えびこうりょう）と呼ばれる部材に海老を彫刻するなど、高い大工技術で独創的な意匠をみせる。経蔵は石積み基壇の上に立つ、宝形造の建物で厚い漆喰塗りの壁により土蔵風にみせる。壁の下部にはモルタル洗い出し仕上げに目地を入れて石張風とするなど、近代的な手法を用いつつ、近世以来の境内の景観との調和をはかっている。鐘楼は石積み基壇の上に立つ。内側に傾斜した円柱の頭部をつなぐ頭貫（かしらぬき）には地紋彫を施し、随所に独特な彫刻を施すなど、大工の造形感覚を示す。両脇に塀が続く山門は、本堂とよく似た異形の組物や彫刻をもち、伝統にとらわれない造形をみせる。本堂：文化２年（1805）建築経蔵：昭和４年建築鐘楼：文化１４年（1817）建築山門及び塀：安政７年（1860）建築,,,
310000,TP3100004760,鳥取県,ＪＲ山陰本線御来屋駅本屋及び旅客上屋,ジェイア－ルサンインホンセンミクリヤエキホンヤオヨビリョカクウワヤ,,jr sanin-honsen mikuriya-eki honya oyobi ryokaku-uwaya,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町西坪,鳥取県,西伯郡大山町,西坪,,,,,,,,,,,,,,,,,2016/11/29,,,,,,,,,明治３５年に山陰地方で初めて境港－御来屋間に鉄道が敷設された際に建てられた山陰線現役最古の駅舎。本屋とプラットホームからなる。本屋正面にはポーチを突き出し、屋根の東西面は半切妻として外観上のアクセントをなす。内部を従来の木造としながら、外観を洋風に近づけようとする、地方ならではの鉄道を通じた近代化を示す建築である。内部には発券所や貨物取扱所など良好な保存状態で残されている。現在は駅舎の東側部分を物産販売所として活用している。　　明治３５年建築/平成１４年改修,,,
310000,TP3100004770,鳥取県,齋尾家住宅,サイオケジュウタク,,saio-ke jutaku,指定,重要文化財,,31372,,鳥取県東伯郡北栄町国坂,鳥取県,東伯郡北栄町,国坂,,,,,,,,,,,,,,,,,2026/1/15,,,,,,,,,齋尾家は江戸時代には大庄屋を務めた家柄で、当家は茶臼山の北東に敷地を構える。敷地内には主屋のほか、長屋門や土蔵など敷地全体にわたって明治から昭和初期に建築された建物が保存状態良く残されている。また同家には普請帳（ふしんちょう:建物等を建てた時の記録）が残されており、建築の年代や大工名等を知ることができる。「主屋」は大工、原田丈吉（はらだじょうきち）によって建てられた、豪壮な木造二階建ての建築。内部は、それまで一般的であった農作業重視でつくられた広い土間ではなく、狭い土間の玄関とし、上客用の玄関である式台玄関（しきだいげんかん）を並べる。また、客用の空間と家族用の空間を中廊下で隔てて各部屋の独立性を高めており、江戸時代からの伝統的な農家の住宅の間取りを継承しながらも、近代住宅の要素を取り入れている県内では初期の事例といえる。一階の主座敷では、構造に工夫を凝らして縁側の柱を極力排して開放感を高めている。二階には、木目の特徴的な素木（しらき）を用いたシロキノマ、一部樹皮を残して加工した面皮杉（めんかわすぎ）の黒色を基調としたクロキノマと呼ばれる２種類の座敷をもつなど、意匠的にも大変上質である。「南蔵」、「土蔵」は、主屋の西及び西南に建ち、敷地背面の景観を形作っている。土蔵は南北に長い蔵で、北器蔵、新蔵、その２棟の間を室内化した中の蔵の３つの部分からなり、工夫を凝らして収蔵施設としている。「醤油蔵」、「炭小屋及び味噌蔵」は主屋の北側に連続して建つ。味噌等を多く必要とする大規模農家の生活形態を知ることができる。「浴室」は主屋から渡り廊下で接続し、建具なども建築当初のものが残り、昭和初期の生活様式を伝える。「長屋門及び塀」は南北へ続く塀とともに、当家の大規模な屋敷構えの正面にふさわしい、豪壮な外観を見せる。「露地門及び塀」は、玄関前の空間と、庭園空間を仕切り、主屋一階座敷から望む景観の一部としての要素ももつ。以上のように、齋尾家住宅は①主屋のほか長屋門や土蔵など敷地全体にわたって明治から昭和初期に建てられた建物や、大規模農家における生活に必要な建物群が保存状態良く残されている。②特に主屋は、江戸時代から続く伝統的な農家の住宅から近代への転換が見られる県内では初期の事例である。また豪壮な外観とともに、繊細な内部意匠は極めて上質である。③また同家に伝わる資料から、年代等建築の経緯がわかる点でも貴重な事例である。,,,
310000,TP3100004780,鳥取県,鳥取民藝美術館別館湖山池阿弥陀堂,トットリミンゲイビジュツカンベッカンコヤマイケアミダドウ,,tottori minngeibijyutsukan bekkan koyamaike amidadou,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市鳥取市三津字小狭間戸888番地,鳥取県,鳥取市,鳥取市三津字小狭間戸,888番地,,,,,,,,,,,,,,,,2017/6/28,,,,,,,,,阿弥陀堂は、昭和初期から鳥取で新作民藝運動を推進した吉田璋也により、鳥取民藝美術館別館として湖山池の北岸に建てられた。内部の展望台から正面にみえる津生島を中心に、青島、団子島と併せて阿弥陀三尊と見立てたことから阿弥陀堂と名付けたという。展望室のほか、２部屋の茶室、水屋からなる。建築には鳥取民藝協団の職人が多く参加し、クリ、ケヤキ、ラワン等が多く用いられた特徴的な建築となっている。外観も、湖山池周辺の景色と調和するように建てられている。　　昭和３９年建築／昭和４１年増築、昭和４０年代改修,,,
310000,TP3100004790,鳥取県,太田家住宅主屋、新建、門長屋,オオタケジュウタクシュオク、シンダテ、モンナガヤ,,"ootakejyuutaku syuoku,sinndate,monnagaya",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町八頭郡八頭町富枝,鳥取県,八頭郡八頭町,八頭郡八頭町富枝,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/6/28,,,,,,,,,太田家は明治から昭和にかけて三代にわたり村長を、大正期には敷地内に丹比郵便局を開設して初代郵便局長を務めた。県道の北側に屋敷を構える屋敷地には、門長屋を道に面して構え、主屋、新建のほか、数棟の土蔵が立つ。主屋は木造二階建、瓦葺で、明治３０年の建築。東側に土間をもち、西側は６室の部屋からなる。座敷周辺には、拭漆で仕上げた良質な材料が多く用いられた上質なつくり。新建は主屋に廊下で接続する離れ座敷。木造平屋建、瓦葺で昭和８年に曹洞宗管長を迎えるために建てられた。３室から成り、主屋と対照的に素木の良材を多用しており、質の高い建築。門長屋は、門と長屋部分からなり、明治３０年頃に建てられたものの南東部分は大正４年の郵便局開局にあわせて一部改造された。太田家の敷地の隅を画し、景観をひきしめる。主屋：明治３０年建築新建：昭和８年建築門長屋：明治３０年頃建築／大正４年改築,,,
310000,TP3100004800,鳥取県,山王日吉神社本殿,サンノウヒエジンジャホンデン,,sannou hiejinjya honndenn,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市鳥取市布勢字村土居1番地,鳥取県,鳥取市,鳥取市布勢字村土居,1番地,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/27,,,,,,,,,山王日吉神社は１６世紀前半に天神山城の鎮護神として、比叡山坂本の日吉大社から文霊を勧進したのが始まりとされる。天正８年（1580）に羽柴秀吉の鳥取城攻めの際には兵火にかかり建物が焼失した。亀井茲矩が神社建物を再建した後は、藩主池田家の祈祷所ともされ信仰を集めた。現在は「山王さん」として地元に親しまれている。現在の本殿建物は、棟札から嘉永３年に棟梁木原傳兵衛によって建てられたことがわかる。屋根は元こけら葺きの一軒社流造で、昭和５５年に銅板葺きに改められた。正面の扉や装飾部分に、池田家と同じ揚羽の家紋と、徳川家の三つ葉葵の家紋が施される。,,,
310000,TP3100004810,鳥取県,田中家住宅主屋,タナカケジュウタクシュオク,,tanaka-ke jyuutaku syuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町鍛治町,鳥取県,鳥取市,鹿野町鍛治町,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/27,,,,,,,,,文久年間（1861‐1864）の建築と伝わる木造平屋建、瓦葺きの建築。二階は一階よりも壁の位置を後退させ、庇を支える腕木に彫刻を施すなど、江戸末期から近代にかけてみられる鹿野地区の町屋の特徴を示す。内部は片側に土間を設け、部屋を三室設ける一列三間取の形式。二階は部屋によって天井の高さを変える。この天井は元板葺きの屋根を瓦葺きに変更した際に整備されたと考えられる。鹿野の中心通りに面し、景観を形作る上で重要な建物の一つ。,,,
310000,TP3100004820,鳥取県,東光園本館,トウコウエンホンカン,,toukou-en honkan,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31202,,鳥取県米子市米子市皆生温泉3丁目2155番地,鳥取県,米子市,米子市皆生温泉3丁目,2155番地,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/27,,,,,,,,,菊竹清訓（きくたけきよのり）設計。皆生温泉に位置する、鉄骨鉄筋コンクリート造地下一階地上七階建のホテル。一、二階を吹き抜けとし、七階部分までを六本の主柱が支えて七階から五・六階を吊るなど、特殊な構造を数種類組み合わせている。階段や柱の随所に、特徴的な構造をみせるデザインとなっている。山陰を代表するモダニズム建築であり、1960年代に強力であった、都市や建築を変化の過程ととらえる“メタボリズム”の建築理念を表した事例である。,,,
310000,TP3100004830,鳥取県,丸井家住宅主屋、離れ、土蔵、茶室、待合及び塀・袖垣、塀,マルイケジュウタクシュオク、ハナレ、ドゾウ、チャシツ、マチアイオヨビヘイ・ソデガキ、ヘイ,,"marui-ke jyuutaku syuoku,hanare,dozou,tyasitu,matiaioyobihei/dodegaki,hei",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市倉吉市越中町,鳥取県,倉吉市,倉吉市越中町,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/27,,,,,,,,,当家は倉吉の町並み保存地区の西方に位置する。丸井家は大正初期に現在の敷地に居を構え、料理屋などの組合の運営を行っていた。大正から昭和初期には本格的な茶会も開催され、倉吉の茶道の中心をなしていた家の一つ。　南北に長い敷地に、道に面して主屋と塀を建て、玉川に面する敷地背面には離れと土蔵を並べる。　　主屋は切妻造二階建、瓦葺きの建物。外観は棟の位置をずらして２棟のようにも見えるが、内部は倉吉の典型的な町家の間取りである一列三間取りに、座敷２部屋を加えた一体の間取りとして建てられている。赤く、菱形の窓を開けたつくりが特徴の塀とともに、正面の景観を形作る。,,,
310000,TP3100004840,鳥取県,大山寺本堂、鐘楼,ダイセンジホンドウ、ショウロウ,,"daisennji honndou,syourou",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山町大山字中門院谷9番地,鳥取県,西伯郡大山町,大山町大山字中門院谷,9番地,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/27,,,,,,,,,本堂は、天台宗の古刹、大山寺の中心的な建物。　本堂は、間口６間、奥行５間、木造宝形造銅板葺きで、昭和３年に前身の建物が焼失した後に大工栗林禎松によって昭和２６年に建てられた。内部を外陣、脇陣、内陣、後陣と須弥壇にわける中世寺院の構成を元にしながら、彫刻には近代的な意匠を用いた近代和風建築寺院の好例。　鐘楼は本堂と一連で建てられたもので、本堂と同様に中世の様式を基に、近代の要素を取り込んでいる。,,,
310000,TP3100004850,鳥取県,佐々木家住宅主屋、新座敷、穀蔵、新蔵,ササキケジュウタクシュオク、シンザシキ、コクグラ、シングラ,,"sasaki-kejyuutau syuoku,sinnzasiki,kokugura,shingura",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31402,,鳥取県日野郡日野町日野町舟場,鳥取県,日野郡日野町,日野町舟場,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/27,,,,,,,,,佐々木家は江戸時代には庄屋を務めた時期もある旧家で、昭和初期には村長も輩出した。出雲街道に面して敷地を構える。主屋は切妻造つし二階建（背の低い二階）、瓦葺き。内部は東には広い土間、西には食違いの四間取りとする。床の間などに江戸後期の特徴を残す古式な近世民家である。新座敷は切妻造平屋建、桟瓦葺きとし、主屋から渡廊下を介して続く。風呂や便所も付属する２部屋からなり、部屋境の欄間は、米子の鳳翔閣を建てた大工、富次精斎（とみつぐせいさい）の作。穀蔵、新蔵ともに切妻造二階建、桟瓦葺きの土蔵造の建築。穀蔵は一階を二室とするが、出入り口の意匠に変化をつける。新蔵は柱を密に建てた堅牢なつくり。敷地景観を良好に形作る。,,,
310000,TP3100004860,鳥取県,池田恒興像（狩野尚信筆）,イケダツネオキゾウ（カノウナオノブフデ）,,ikeda tsuneoki zo (kano naonobu fude),県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/10,,,,,,,,,像主は池田恒興（1536～84）。鳥取藩初代藩主・池田光仲の曾祖父で犬山城主などをつとめた戦国大名で、織田・徳川連合軍と豊臣の対戦であった小牧・長久手の戦いで豊臣方につき戦死した。　光仲の従兄弟で岡山藩初代藩主・光政の弟である恒元が、林原美術館所蔵の二幅（「池田輝政像」「池田利隆像」）とともに三幅対の池田家歴代像として制作したうちの中幅である。三幅対は当初、恒興菩提寺として輝政が建立した妙心寺護国院に奉納されたが、脇二幅は1724年までには岡山池田家の所蔵となった。その後、本図は時期は不明だが鳥取池田家に伝わり1972年に「鳥取藩政資料」中の一点として県立博物館の所蔵となった。　肖像画は狩野尚信（1607～50）筆。尚信は徳川幕府御用絵師で、奥絵師・木挽町（竹川町）狩野家の祖である。壮年で没しているため確認されている作品は限られており、現在肖像画の遺品は他に知られていない。賛は妙心寺153世、雲居希膺（1582～1659）筆。 鳥取池田家との関わりが認められ、後続の多くの恒興像の祖本となったこと、県内所在の肖像画として比較的古い例であること、近世初期の狩野派中枢の画家尚信の筆であること、その尚信による肖像画の希有な例であることから、きわめて重要である。また、池田家の歴史、鳥取・岡山両藩の関係においても意義深い史料である。 よって、鳥取県指定文化財に指定し保護するに相応しい価値を有するものと判断される。,,,
310000,TP3100004870,鳥取県,上田家文書,ウエタケモンジョ,,ueｔa ke monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,"鳥取県鳥取市西町,上町88鳥取市歴史博物館",鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/10,,,,,,,,,上田家文書は、江戸時代に八上郡大庄屋や八上郡袋河原村（鳥取市河原町）庄屋などを務めた上田家の所蔵にかかる文書群で、中世文書３点がある。　このうち２点は中世後期に出雲国飯石郡赤穴荘（島根県飯南町）の瀬戸山城（赤穴城・衣掛城）を本拠とする国人領主であった赤穴氏が受給したものである。赤穴氏は、三善姓の石見国佐波氏の支流であり、京極氏・尼子氏に従った後、毛利氏に属した。家伝によれば、上田家は、因幡国の真宗寺・教蓮寺・心了寺という浄土真宗３ヶ寺に深い関わりを持つ家で、これら寺院はいずれも赤穴氏一族が建立等に関わっている。こうした関係から上田家に来歴した文書であると推測される。　また羽柴秀吉掟書は、天正９年（1581）11月４日に、鳥取城を攻略した織田方の部将羽柴秀吉が、新たな城主として配置した宮部継潤に対して、因幡国支配体制の構築を命じた掟書である。凄惨な兵粮攻めにより、毛利方の鳥取城主吉川経家が自刃した10月25日からわずか８日後にあたり、以後20年近くに及ぶ宮部氏による因幡国支配の起点を示すものとして、注目に値する。　赤穴氏関係の２通は、因幡国における浄土真宗寺院の来歴とも関連して近世以前から県内において伝えられてきた良質な中世文書であり、また天正９年の羽柴秀吉掟書は、豊臣政権下の因幡国支配体制の方針を示す貴重な史料である。したがって、いずれも本県の歴史上において重要と認められる。　よって、上田家文書は鳥取県指定文化財に指定し保護するに相応しい価値を有するものと判断される。,,,
310000,TP3100004880,鳥取県,理性院等相承血脈次第（紙背後亀山上皇院宣案）,リショウイントウソウショウケツミャクシダイ（シハイゴカメヤマジョウコウインゼンアン）,,risyointo sousyo ketsumyaku shidai (shihai gokameyama-joko inzenan,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市上町88番地鳥取市歴史博物館,鳥取県,鳥取市,上町,88番地,鳥取市歴史博物館,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/10,,,,,,,,,全５紙からなる軸装巻子で、巻子の表側に理性院等相承血脈次第、その裏側には計６通の後亀山上皇院宣案が記されている。　後亀山上皇は、後醍醐天皇の孫にあたる南朝４代目の天皇であり、明徳３年（1392）の南北朝合一により譲位し、明徳５年に太上天皇（上皇）の尊号を贈られた。いわゆる南北朝合一とは、すでに北朝（持明院統）の天皇であった後小松天皇への譲位という形をとり、両統迭立の復活と、諸国国衙領の支配を南朝（大覚寺統）に認めるものであり、むしろ北朝を局外に置きながら足利義満が南朝との交渉により断行したものである可能性が指摘されている。　６通の院宣案は、南北朝合一直後において、大覚寺統が実際に諸国国衙領を支配しうる立場にあったことを裏づけるものである。これらは、ほとんど実態のわかっていない南北朝合一直後の政治体制をうかがわせるものとして、いわゆる後南朝に関する稀有な史料と言わなければならない。しかもそのうちの３通が因幡国に関するものであり、14世紀末における国衙領の所在を示すとともに、おそらく一時的なものとは言え大覚寺統による支配を裏づけており、中世因幡国の関係史料として大変貴重である。　また表側の理性院等相承血脈次第は真言宗諸流の法脈を記したものであり、真言宗関係史料として全国的にみて貴重である。よって、理性院等相承血脈次第（紙背後亀山上皇院宣案）は鳥取県指定文化財に指定し保護するに相応しい価値を有するものと判断される。,,,
310000,TP3100004890,鳥取県,興禅寺庭園,コウゼンジテイエン,,kouzen-ji teien,県指定名勝,県指定の庭園,,31201,,鳥取県鳥取市栗谷町,鳥取県,鳥取市,栗谷町,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/10,,,,,,,,,　鳥取市栗谷町に位置する龍峰山興禅寺は、鳥取藩池田家の菩提寺として高い寺格を持ち、陸奥伊達家の大年寺、長門毛利家の東光寺とともに黄檗三叢林と称された。　興禅寺の伽藍は中国黄檗山に倣った壮大なものであったというが、享保５年（1720）以後三度の火災によって文書や寺宝は失われ、さらに明治維新後その伽藍の大部分を失い、現在残される江戸期の建造物は旧藩主御霊屋（位牌堂）を改造した本堂のみである。　庭園は庫裏の背後（北側）に位置し、庫裏（書院）から観賞する池庭である。主要庭園部の面積は約1，300㎡で、江戸時代初期頃、池田光政により菩提寺として建立された国清寺の庭園を継承するものと推定されている。　庭園は、久松山系の山裾の谷地形を活かして構成され、樹林を背景として中央に富士山形の高い築山を配し、その下部には湧水を導いて東西に細い園池を設けている。築山には芝が張られ、刈り込み仕立てのサツキツツジやヒラドツツジなどの低木が彩りを添えているが、注目すべきは力強い石組である。立石を主として構成された枯滝石組は、鶴を象った鶴石組であるとみられ、また園池の出島が亀島に見立てられている。このことから本庭園は、鶴亀石組によって蓬莱山を表現した庭園であると解釈されている。　かつての鳥取藩主家菩提寺の庭園であるという歴史的価値、ならびに久松山系の地形や植生・石材を巧みに活用した意匠構成は優れており、芸術的・歴史的価値を有していることから、鳥取県名勝に指定するものである。,,,
310000,TP3100004900,鳥取県,多里層ノジュール列,タリソウノジュ－ルレツ,,tari-so nojuru-retsu,県指定天然記念物,県指定の地質鉱物,,31401,,鳥取県日野郡日南町新屋,鳥取県,日野郡日南町,新屋,,,,,,,,,,,,,,,,,2017/10/10,,,,,,,,,"日南町に分布する多里層は、中期中新世初頭（1,600〜1,500万年前）の「西黒沢海進」によって日本列島が広く海におおわれた時期に堆積した地層である。ここに含まれる多里層ノジュール列は、長径50〜70cmの楕円形をしたノジュールが60〜95cm間隔で配列する。産出化石とともに、日南町多里地区がこの時期に海に覆われたことを証拠づける貴重な古地理・古環境指標といえる。　また、多里層ノジュール列を含むN5層は浅海域［-5〜-20m］に堆積していたが、現在の海抜高度は480mとなっていることから、地殻変動によって約500m隆起したことを示す。これらは、中国地方各地に分布する海進期堆積物とともに、中国山地の形成史を解明するための貴重な高度データを提供するものである。　さらに、石灰質ノジュールの成因として、炭酸カルシウムの拡散および濃集モデルが知られているが、多里層のノジュール列を特徴づける「等間隔配列」・「二重構造」や広域的分布は、ノジュール成因論に新しい素材をあたえるものとして期待される。　このようにノジュールの成因や中国山地の形成史を解明する上で学術的価値も高く、県指定文化財（天然記念物）にふさわしい。",,,
310000,TP3100004910,鳥取県,平家物語　宇治川先陣・弓流図屏風,ヘイケモノガタリウジガワセンジン・ユミナガシズビョウブ,,heike monogatari uzigawa senjin yuminagashizu byobu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市覚寺55番地渡辺美術館,鳥取県,鳥取市,覚寺,55番地,渡辺美術館,,,,,,,,,,,,,,,2018/4/27,,,,,,,,,　作者の根本幽峨（１８２４～１８６７）は、鳥取城下の商家・砂田屋の長子として生まれたとされ、１６歳で江戸に出て鳥取藩絵師・沖一峨の弟子となり、３５才で画技を認められて鳥取藩絵師に召し抱えられたのは、若くから旺盛に活動したためだろう。44才で没したにもかかわらず遺された作品には屏風も多く、掛け軸、画帖、巻物などもかなりの数にのぼる。扱う画題は本作のような武者絵を含む日本の歴史人物、中国故事人物、山水が目立つが、当世風俗図、真景図などもこなして幅広く、様式的には狩野派の伝統的な手法である漢画、やまと絵、そして各派を折衷したものまで画題に応じて使い分けて巧みである。 　鎌倉時代（13世紀）の成立とされる軍記物語「平家物語」を絵画化したいわゆる「平家絵」は、近世初期以降、屏風をはじめ絵巻、画帖等に展開され数多く制作された。屏風としては、一つに画面全体を合戦場（主に一の谷、屋島、壇ノ浦）とし、合戦にまつわる複数の逸話を埋め込む合戦図屏風とするもの、二つに特定の逸話を各隻に大きく描くものに大別される。本作は後者の例であり、近世の狩野派で選定、継承されてきた逸話とその図像を踏まえている。　本作品は、署名の書体から藩絵師となる前の20代半ばの作品と考えられ、若さゆえの覇気ある筆致と熟達した柔軟な技があいまった丁寧かつ力強い描写、工夫があり洗練された構図、良質な顔料や金箔など画材の活用といった抜群の出来映えから、根本幽峨の代表作とみなせる。藩の御用に応じた作品である可能性が高い。しかも、伝統的平家絵の図像の使用とそこに加えられた工夫がともに認められ、幽峨の狩野派の画家としてのありようと優れた技量が窺えるものとして、また、近世の武者絵屏風、平家物語図屏風の優品としても特筆すべき作品といえる。,,,
310000,TP3100004920,鳥取県,北川家文書,キタガワケモンジョ,,kitagawake monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市,鳥取県,鳥取市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/4/27,,,,,,,,,　北川家文書７点は、江戸時代に因幡国邑美郡吉成村（鳥取市吉成）の庄屋や邑美郡大庄屋を務めた北川家に伝来したものである。現在は、太巻きの軸装１巻に仕立てられ、桐の箱、さらには「北川家」と金字で記された黒漆塗りの箱に納められており、保存状態は良好である。　北川家文書は、因幡守護であった山名豊時、豊重、豊頼からその配下である在地領主家の北川家へ宛てた文書であり、中世因幡国における北川氏の動向を示すだけでなく、因幡国守護の沿革や、その配下の領主たちとの関係、さらには15世紀末～16世紀初頭における因幡国内の政治情勢を示す史料群である。　鳥取県域においては、このような中世在地領主家の文書が現在に至るまで受け継がれてきたこと自体、希有な価値を有するのみならず、本県の歴史上において重要な内容を持つものである。また、貞享5年（1688）に『因幡民談記』を著した小泉友賢とその息子俊益による調査・修復を重要な契機の一つとしながら、まとまった形で連綿と受け継がれてきたことも、本文書の学術的価値を高める上において大きな役割を果たしたと言える。＜内訳＞１．長享3年（1489）9月14日　山名豊時感状（小切紙）２．永正元年（1504）閏3月23日　山名豊重感状（小切紙）３．永正10年（1513）4月23日　山名豊頼宛行状（小切紙）４．永正10年（1513）4月12日　山名豊頼感状（小切紙）５．永正10年（1513）5月26日　山名豊頼感状（小切紙）６．永正10年（1513）6月10日　山名豊頼宛行状（小切紙）７．永正11年（1514）5月15日　山名豊頼宛行状（小切紙）　※読み下し文は『新鳥取県史 資料編 古代中世１古文書編 上』（鳥取県、2015年）11・12頁を参照のこと,,,
310000,TP3100004930,鳥取県,智頭枕田遺跡出土先史時代遺物,チヅマクラダイセキシュツドセンシジダイイブツ,,chidu makurada iseki syutsudo senshijidai ibutsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町埴師54番地,鳥取県,八頭郡智頭町,埴師,54番地,,,,,,,,,,,,,,,,2018/4/27,,,,,,,,,　智頭枕田遺跡は、千代川支流の土師川と新見川に挟まれた段丘上に立地する、縄文時代から平安時代にかけて形成された大規模な遺跡である。平成１４・１５年度に智頭町教育委員会が実施した発掘調査によって、縄文時代中期末～後期初頭（約4400～4000年前）の大規模な集落跡や、縄文時代全時期にわたる遺構や大量の遺物が発見された。　なかでも、１１棟の竪穴住居跡からなる中期末～後期初頭の集落跡は、その規模と継続性、出土遺物の豊かさにおいて中国地方では他に例を見ないものであり、各住居跡から一括資料として出土した土器・石器などの遺物の学術的価値は非常に高い。特に大量に出土した縄文土器は多様性に富んでおり、土器の時期的な変遷や、他地域との交流関係を研究する上で重要な資料である。　また、縄文時代晩期から弥生時代前期にかけて（約3000～2200年前）の土器・石器などの遺物は、縄文時代から弥生時代への変遷を連続的に追うことができる点や、土器の出土量やバラエティーが非常に豊富な点で学術的価値が高い。あわせて、東日本をはじめとした他地域の土器など、遠隔地との交流や人の移動を示す遺物も含まれており、縄文時代から弥生時代への変革期における広範な地域間交流や、そのなかでの鳥取県東部地域社会の位置づけを明らかにしうる資料として極めて重要である。,,,
310000,TP3100004940,鳥取県,泊の漁業関係資料,トマリノギョギョウカンケイシリョウ,,tomari no gyogyo kankei shiryo,県指定有形民俗文化財,県指定の民俗資料,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町泊1204-1番地湯梨浜町泊歴史民俗資料館,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,泊,1204-1番地,湯梨浜町泊歴史民俗資料館,,,,,,,,,,,,,,,2018/4/27,,,,,,,,,　本資料は、湯梨浜町泊歴史民俗資料館に所蔵されている漁撈用具497点、関連史料10点で、当該地域の漁業に関連する資料群である。　同資料館は、昭和40年代に泊の医師・故吉田道孝氏の呼びかけにより村内各地から収集された民具を収蔵する施設として発足した。収集された民具の種類は生活全般に及ぶが、その中心を本資料群がなしている。その内容は昭和30～40年代に使用された漁獲のための用具を中心に、用具の製作・修理、漁獲物の運搬・保存・加工、船上での衣食、大漁への祈願や祝祭など、漁撈生活全般に及んでいる。漁業は移動性が高い生業であり、漁具や漁法も伝播や改良などにより随時変化するため、概して形あるモノとして残りにくい。泊の漁師は、戦前から小規模な各種沿岸漁を組み合わせて生計をたててきたが、それらが衰退に向かう時期に積極的な収集がなされたことにより、当時の泊における漁業を具体的に示す資料群となっている。　これらは、鳥取県の一地区で行われてきた江戸時代から現代までの各種沿岸漁とその変遷を体系的に示す唯一無二の資料群であり、また、古老からの聞き取りにより、使用法・使用した漁場・対象魚種・漁期・漁法の伝播や普及の経緯など、有形民俗資料に不足しがちな用具に関する情報が豊富であること、さらには幕末から明治にかけての漁場図や古文書などの文献資料が現存することも特筆される。　こうした一漁村における漁撈民俗誌的な資料群は、山陰地方でも他に類例がない。日本の沿岸漁は近年とくに衰退が著しく、わが国の漁業の変遷を実態的に理解するうえでも貴重な資料群であるといえる。,,,
310000,TP3100004950,鳥取県,宮内の嫐打ち神事,ミヤウチノウワナリウチシンジ,,miyauchi no uwanari uchi shinji,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,31386,,鳥取県西伯郡大山町宮内,鳥取県,西伯郡大山町,宮内,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/4/27,,,,,,,,,　大山町宮内の嫐打ち神事は、同地に鎮座する高杉神社に伝承される行事で、閏年の旧暦９月１５日から１６日にかけての深夜に行われる。社伝では、雄略天皇丙辰の年（476年）に郷の人々に不幸が続いたため託宣してもらったところ、官女松媛命と千代媛命が妃となった細姫に嫉妬の念を燃やして祟っていると出たため、女神の社殿（本殿・仲殿・末殿）を創建して同神事を行うようになったと伝えられている。嫐打ちとは、前妻が後妻を襲撃し、後妻も応じて双方打ち合いを行い、仲介人が折りを見て引き揚げさせる習俗である。　神事は、氏子中から輪番で選出した「打ち神」３人が主役を務め、「下神主（〆曳）」が神事の補佐を行う。夜１１時頃に神社に参集して神事が始まる。打ち神はお祓いを受け、神前に供えた御供を食べさせると、神霊が憑依するといわれる。その後、水垢離を行い、神幸行列に護られながら神事場に向かい、「投げ杯」「打杖渡し」の行事を行った後、最後の打ち合い式が行われる。「今宵の神事潔ぎ良し」の言葉と同時に三方から進み出て打ち合わせ、「本殿の勝ち」の宣告で終了となる。その後、御供を参拝者に配布する。これをいただくと無病息災になると言われている。　深夜に提灯と月明かりを頼りに神事が進められること、潮垢離・水垢離が行われること、神と人との共食儀礼が行われること、神霊が憑依するという伝承があることが注目される。これらは古い時代の祭礼要素であり、また神霊憑依については県内唯一の伝承例であることから、貴重な無形民俗文化財である。,,,
310000,TP3100004960,鳥取県,弓浜半島及び近隣地域のトンド,キュウヒンハントウオヨビキンリンチイキノトンド,,kyuhin-hanto oyobi kinrin chiiki no tondo,県指定無形民俗文化財,県指定の風俗慣習,,,,"鳥取県米子市,境港市,⻄伯郡南部町,⻄伯郡伯耆町",鳥取県,"米子市,境港市,⻄伯郡南部町,⻄伯郡伯耆町",,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/4/27,,,,,,,,,　正月１４日の晩あるいは１５日の早朝に（休日の関係から、現在では正月第２日曜、あるいは成人の日）、正月に飾った松や注連縄などを燃やして、正月にお迎えした神（歳徳神）を送る行事が各地で行われている。弓浜半島を中心とした米子市、境港市、南部町や伯耆町の一部を含む広い地域では、このトンドの時に歳徳神の神輿が地域を練り歩くという、全国的にみてもきわめて珍しい貴重な慣習を伝えている。　この地域のトンド行事は、基本的に、地域ごとにあるトンド講を主体とし、１年交代の頭屋が祭礼の執行にあたる。トンド講は地理的な近隣関係が基本で、近年は自治会の行事として行うようになったところも多い。頭屋は神を迎えて神事を行う宿のことで、くじで選ばれるのが慣例である。行事は、①頭屋を交代する儀礼である「頭渡し」、②芯となる竹を立て、その周りに正月飾りや注連縄を飾り、いわゆるトンドを作る「トンド立て」、③歳徳神を載せた神輿や屋台と囃子、獅子などが地域内を練り歩く「神幸行列」、④トンドに火入れする「火渡し」で構成されている。また、子どもたちが夜に籠もって番をしたり、ホトホトといって、家々をまわって餅をもらったりする行事もあった。　以上、地域ごとのトンド講を主体とすること、１年交代の頭屋が祭礼の執行にあたること、歳徳神を神輿や屋台に載せ、あるいは頭屋が奉持して地域内を練り歩くこと、子どもが重要な役割を果たしていたこと等が特徴として挙げられ、そこからは、歳徳神が氏神の要素を持つこと、神送りとともに神を迎えて各家や集落の無病息災を祈る要素を持つことがわかる。日本の古い祭祀形態を示し、また歳徳神信仰のあり方を考える上でも興味深く、貴重な無形民俗文化財である。,,,
310000,TP3100004970,鳥取県,逢束盆踊り,オオツカボンオドリ,,otsuka bon odori,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗芸能,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町逢束,鳥取県,東伯郡琴浦町,逢束,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/4/27,,,,,,,,,　琴浦町逢束は、江戸時代、鳥取と米子をつなぐ街道沿いの宿場であり、藩倉も置かれた港町として栄えた。古くからの踊りに、海路を通じて各地からもたらされた新しい踊りが加わって種類を増やし、それらが影響し合って土地独自の踊りとなったと言われている。現在、８月１４日に行われる地区の盆踊り大会、８月２３日に行われる林泉寺観音祭に５種類の踊りが踊られている。　踊りは、京都の伏見から伝わった「大文字茶屋踊り」、隠岐の島の西郷から伝えられた「西郷踊り」、伊勢参りに行った人たちが持ち帰った「伊勢音頭」、仇討ち物を仕組んだ「志賀団七踊り」、水夫たちの間で流行っていたサイコロ賭博の振りを取り入れた「丁半踊り」の５種で、かつては「ぼたもち踊り」「振り出し踊り」を加えた７種であった。いずれも県下では珍しい踊りで、踊りの伝播を示す明確な伝承があり、また歌詞からもそれを裏付けることができる。太鼓は両面を使い、回し打ちをするのが特徴で、踊りにより３つの叩き方がある。　踊りの伝播を示し、他地域との文化交流が盛んに行われた地域的特色を顕著に示す、貴重な無形民俗文化財といえる。,,,
310000,TP3100004980,鳥取県,智頭の林業景観,チヅノリンギョウケイカン,,chidu no ringyo keikan,国選定重要文化的景観,国選定の用材林・防災林などの森林の利用に関する景勝地,,31328,,"鳥取県八頭郡智頭町大字智頭,大字篠坂,毛谷,郷原,西野,大呂,大字芦津,一級河川千代川水系北股川の各一部",鳥取県,八頭郡智頭町,,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/2/13,,,,,,,,,中国山地を背景とした山間地において、江戸時代から続く人工林とその森林に囲まれた山村集落、旧街道から成る林業景観である。樹齢約３５０年と伝わる慶長スギと名付けられた大木が現在も残っている。江戸時代に山林の減少が原因とされる大洪水や飢饉などの被害が相次いだため、鳥取藩の管理のもと災害対策と産業振興としてスギの植林が盛んに進められた。智頭の林業にとって最も重要であったのが、積雪地帯であるこの地に生息していた天然スギを利用して明治期において育苗技術が確立されたことであった。この技術確立により、明治期に植林された１００年を超えるスギ人工林が豊富に残っており、その後の大正時代から戦後の造林期の植林も多い。また、林業を生業として暮らしてきた芦津集落は茅葺民家や土蔵などが多く現存し、集落を取り囲む森林は、林業集落ならではの景観を形成し、森林資源で財を得た石谷家住宅を中心とした宿場町も当時から現在に至る往来の面影を残す歴史的景観を形成している。さらに木材の運搬手段とした千代川、森林鉄道、旧街道も往時の生業の姿を垣間見ることができる。このように林業という中心的産業を通じて、森林・山村集落・宿場町・流通往来景観など多様性に富んだ景観が形成され、我が国における中山間地における造林の典型的な林業景観として重要である。,,,
310000,TP3100004990,鳥取県,津和野藩主亀井家墓所附亀井茲矩墓,ツワノハンシュカメイケボショツケタリカメイコレノリノハカ,,tsuwano hansyu kameike bosyo tuketari kamei korenori no haka,史跡,国指定の墳墓,,31201,,鳥取県鳥取市気高町山宮字武蔵山650番,鳥取県,鳥取市,気高町山宮字武蔵山,650番,,,,,,,,,,,,,,,,2018/2/13,,,,,,,,,　亀井茲矩は、出雲の尼子氏の家臣の家に生まれ、尼子氏滅亡後、尼子勝久、山中幸盛（鹿之介）らと尼子再興のために織田・羽柴軍に加わり、毛利氏と戦った。茲矩は天正９年（１５８１年）の鳥取城攻めで戦功を挙げ鹿野城主となる。関ヶ原の戦いでは東軍に加わり、慶長５年（１６００年）、鹿野藩３万８千石の近世大名となった。藩主として、農業　開発などに治績を残したほか、朱印船貿易を行ったことで知られる。茲矩は慶長１７年（１６１２年）に鹿野城で病没し、鹿野藩領内に葬られた。２代藩主亀井政矩は元和３年（１６１７年）に石見津和野藩に移封され、鹿野藩は鳥取藩に吸収された。　茲矩の墓は、鳥取市気高町と鳥取市鹿野町の旧町境をなす丘陵上にある。墓所には、丘陵のふもとから山頂にかけて参道が造られており、山頂に墳墓が築かれている。墳墓は、鹿野の町を望むように造られており、石垣を巡らした基壇及び台座の上に、高さ３０８ｃｍの大型の墓碑が立てられている。墓碑はオベリスク形をしており、大名の墓碑としては極めて珍しい形状である。墓碑の四面には、梵字が刻まれ、さらに東面には没年月日と「中山道月大居士(ちゅうざんどうげつだいこじ)」の戒名が刻まれている。　なお、津和野藩主亀井家墓所は津和野町の乙雄山(おとおやま)に所在し、初代政矩(まさのり）以降の歴代藩主墓など７１基の墓石が残っている。,,,
310000,TP3100005000,鳥取県,林田家住宅　主屋、米蔵,ハヤシダケジュウタクシュオクコメグラ,,hayashidakejuutaku shuoku komegura,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市国府町岡益,鳥取県,鳥取市,国府町岡益,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/5/10,,,,,,,,,敷地中央に主屋、前方に米蔵が建つ。主屋は大正９年の建築で、木造平屋建て一部二階建て、入母屋造で赤色桟瓦葺きである。一階は広間型七間取(ひろまがたななまどり)を基本とした規模の大きい住宅である。４か所ある座敷では上質な材料が用いられ、それぞれ洗練された意匠でしつらえられるなど伝統的な民家建築の近代的展開を示す一例である。米蔵は大正５年の建築で、正面の庇と土蔵をつなぐ梁をアーチ状にしたり、円形の柱の足元を八角形の礎石とするなど、洋風意匠を取り入れた軽妙な雰囲気の土蔵である。,,,
310000,TP3100005010,鳥取県,旧興国寺書院障壁画,キュウコウコクジショインショウヘキガ,,kyukokokuji syoin syohekiga,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2018/10/9,,,,,,,,,　鳥取画壇の祖とも称される土方稲嶺の代表作である。和歌山県日高郡由良町所在の興国寺（臨済宗妙心寺派）書院の障壁画であったが、2016年に鳥取県へ寄贈された。　稲嶺の作風は濃彩細密な南蘋派風のもの、四条派や狩野派の学習を反映した南蘋派を和様化したような水墨基調のものに大きく分けられるが、本作は後者を代表する大作であり、山水、人物、花鳥という諸画題を網羅しており、５６才の円熟期ならではの高い大画面構成力と個々のモチーフを、実感をもって描き出す筆技が存分に発揮されている。　本作は稲嶺が藩絵師となる以前である寛政８年（1796）４月の制作であり、県内の寺院のための制作でもないが、多岐にわたる画題を網羅する、禅宗寺院の書院四室分の障壁画がまとまっていること、制作年が明かなことにおいて、きわめて意義深い。また、土方稲嶺をはじめ藩政時代の他の画家たちが描いた障壁画は、現在のところ県内に一件も確認されておらず、稲嶺および近世の藩絵師の障壁画作品として県内で唯一の例として貴重である。,,,
310000,TP3100005020,鳥取県,小鴨元清家臣連署起請文木札,オガモモトキヨカシンレンショキショウモンキフダ,,ogamo motokiyo kashin rensyo kisyomon kihuda,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31203,,鳥取県倉吉市倉吉市大宮33番地小鴨神社,鳥取県,倉吉市,倉吉市大宮,33番地,小鴨神社,,,,,,,,,,,,,,,2018/10/9,,,,,,,,,　伯耆国久米郡の小鴨神社に中世以来伝存してきたものである。　この起請文の書かれた天正１０年（１５８２）５月５日は、織田・毛利戦争の主戦場が伯耆から備前・備中へ移ったため、小鴨氏が織田方から十分な援護が得られないなか、毛利方の攻撃を凌いでいた時期であり、戦国時代末期における因幡・伯耆両国の軍事情勢をうかがわせる史料である。　また、本県では中世以前の史料が希少であり、小鴨氏のような有力な領主家であっても、その家臣団の実像を知ることは容易でないことから、１２名の家臣の名前が記されたこの木札は、その実像を知ることのできる基礎資料として貴重である。　また、小鴨神社の木札は、宛名がなく、１２名の家臣の名前のあと、「右の衆中、虎口表において申し合わす儀、相違あるまじく候、何ほどの儀候とも、互いに見捨て申すまじく候、この旨偽るにおいては、大明神殿の御罰を罷り蒙るべきものなり」と記されており、小鴨元清家臣たちによる相互の盟約であると考えられ、中世において一揆を取り結ぶ際に作成された、いわゆる「一揆契状」の典型事例といえる。　さらに、木札に記される起請文の類例は全国的に見て少ないが、「読まれるため」のものである木札に記された本史料は、一揆外部の第三者に読ませることを強く意識して作成される起請文が持つ本質的な特徴を裏付ける資料として学術的に貴重である。,,,
310000,TP3100005030,鳥取県,倭文６号墳出土遺物,シトリ６ゴウフンシュツドイブツ,,shitori 6gofun syutsudo ibutsu,県指定保護文化財,県指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市湯所町1丁目148-2番地鳥取市埋蔵文化財センター,鳥取県,鳥取市,湯所町1丁目,148-2番地,鳥取市埋蔵文化財センター,,,,,,,,,,,,,,,2018/10/9,,,,,,,,,　鳥取市倭文に所在した倭文６号墳から出土した古墳時代中期末の資料群。　倭文６号墳は標高約75ｍの丘陵尾根上に立地する径13.0ｍの円墳で、墳頂部の埋葬施設から古墳群中突出した内容を誇る副葬品が出土した。武器、武具では、鉄刀・鉄矛(ほこ)・鉄鏃(ぞく)の他、小札錣(こざねしころ)と小札(こざね)頬当(ほほあて)を伴う横矧板(よこはぎいた)鋲留(びようどめ)衝角付(しようかくつき)冑(かぶと)、三角板鋲留短甲(たんこう)がある。馬具では、f字形鏡板付轡(くつわ)、辻金具、鞍(くら)、鐙(あぶみ)、剣菱形(けんびしがた)杏葉(ぎようよう)があり、本来の１セット分の馬装を復元できる点において貴重である。また、墓壙上からは須恵器・土師器、墳丘からは円筒埴輪・形象埴輪片が出土している。　豊富な内容を誇る倭文６号墳出土遺物の歴史的意義として、いずれも遺存状態が良好であり、製作技法や副葬時の取扱いを詳細に観察できることに加え、武器、武具、馬具の良好なセットが、時間軸上の細かな目盛りとなり得る土師器、須恵器、埴輪と共に出土したことにより、副葬品による古墳編年の第一級の基準資料となり得る点があげられる。また、被葬者の活動時期や活動内容を明らかにし、その武人的性格をよく物語る資料であり、地域史を明らかにする上で極めて重要である。,,,
310000,TP3100005040,鳥取県,近藤家住宅,コンドウケジュウタク,,kondo-ke jutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31402,,鳥取県日野郡日野町根雨,鳥取県,日野郡日野町,根雨,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/10/9,,,,,,,,,　近藤家住宅は、松江藩が参勤交代で用いる出雲街道の宿場町根雨宿（日野町）のほぼ中央に位置する。近藤家は近世から近代にかけてたたら製鉄で栄え、製鉄業の後は林業を行ったほか、地元の文化や産業発展に寄与した根雨を代表する旧家である。　近藤家住宅には、元治元年（１８６４）建築の主屋をはじめとして、江戸時代後期から明治期に建築された複数の土蔵や離れが残存しており、鳥取県西部の山間部における、屋敷構えが良好に保存された大規模民家として重要である。街道に面した主屋は建ちの高い二階建ての町家建物で、鳥取県内における二階座敷を持つ町家の最古例であるとともに、全国的にみても早い段階の二階建て町家として学術的に重要である。　また、棟札や家相図を含め、多くの史料により屋敷地の変遷をたどることができ、家業である製鉄業の繁栄とともに増改築を繰り返した経緯を垣間見ることができる点でも歴史的な価値が高い。,,,
310000,TP3100005050,鳥取県,河本氏庭園,カワモトシテイエン,,kawamotoshi teien,県指定名勝,県指定の庭園,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町箆津,鳥取県,東伯郡琴浦町,箆津,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/10/9,,,,,,,,, 琴浦町（旧赤碕町）箆津に所在する河本家の庭園。同家は、江戸時代初期から明治時代初期にかけて、代々大庄屋・宗旨庄屋などの八橋郡役人を勤めた家柄である。明治時代以降にも、近代的地主として財政基盤を拡大し、大正期には110町歩を超える田畑を所有する山陰地方有数の大地主に成長した。　庭園は、長屋門から主屋正面にかけての「前庭」、「表（おもて）」と呼ばれる空間であった主屋客間部を挟んで南と北に面する「表の庭（南）」、「表の庭（北）」、離れの北に面する「離れの庭」、新離れの東に面する「新離れの庭」の５つがある。  ５つの庭のうち、「表の庭（南・北）」は、嘉永７年（1854）の家相図に詳細に描かれる幕末頃の様子が、現在まで良く遺存しており、本地域屈指の豪農の近世庭園の一つとして学術的価値が高い。また、客間を介して南北に庭園を設える空間構成は類を見ず、限られた敷地において水路をうまく活用した池の構成も巧みで芸術的価値も高い。一方、「離れの庭」、「新離れの庭」は、家相図には描かれないものの、飛石を主体とする構成や、雪見灯籠の配置の点で類似し、同様の構成・意匠が、「表の庭（北・南）」にも部分的にみられる。これらは、大正期の古写真に確認できることから、近代的地主として成功を収めた明治初期以降、遅くとも大正期までの間の造営・改修であると考えられ、近世から近代の長きに渡って地域の文化的中心であった河本家の変遷を知る上で重要である。,,,
310000,TP3100005060,鳥取県,長田神社　本殿、幣拝殿、中門、透塀、神饌所（仮殿）、神門、祈祷殿、手水舎,ナガタジンジャホンデン、ヘイハイデン、スキベイ、シンセンショ（カリデン）、シンモン、キトウデン、テミズシャ,,nagata-jinja,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市東町1丁目,鳥取県,鳥取市,東町1丁目,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/11/2,,,,,,,,,　本殿と幣拝殿は江戸後期の建築、神饌所（仮殿）は大正４年建築で、ともに大正13年に現在地に移築された。中門は大正13年、透塀は昭和７年、神門は昭和10年、祈祷殿は昭和34年、手水舎は昭和４年の建築である。　鳥取城跡に隣接して立地する鳥取藩主池田家の氏神を祭った神社。本殿は正面に千鳥唐破風（ちどりからはふ）をつけた入母屋造(いりもやづくり)で、正面の軒まわりの造形を優美に仕上げている。本殿正面には幣拝殿を配して中門で接続するほか、本殿の周囲を透塀で囲むなど、本殿周辺を格調高く整えている。そのほか、神門など建物を複数配すことで、境内の森厳な景観が整えられている。,,,
310000,TP3100005070,鳥取県,高田家住宅主屋,タカタケジュウタクシュオク,,takatake-jutaaku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町鹿野,鳥取県,鳥取市,鹿野町鹿野,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/11/2,,,,,,,,,酒造販売を営んだ町屋。旧鹿野往来に面して主屋を配し、背面に離れを接続する。主屋は江戸時代末期の建築で明治25年に改築され、昭和前期に離れが増築されている。正面に広い下屋や格子を並べる特徴的な表構えをもち、伝統的な鹿野の街道景観を形成している。,,,
310000,TP3100005080,鳥取県,旧小倉家住宅　主屋、土蔵,キュウオグラケジュウタクシュオク、ドゾウ,,"kyu-ogurake-jutaku shuoku, dozou",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市河原町,鳥取県,倉吉市,河原町,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/11/2,,,,,,,,,旧八橋往来（きゅうやばせおうらい）に面して建つ乾物販売を営んだ商家。主屋は昭和11年の建築で、切妻造(きりつまづく)りの総二階建てである。たちの高いつくりや正面二階の大きな掃出し窓、手摺の意匠などに昭和前期の特徴が現れている。通りと川が交差する角地にあって、主屋背面に建つ大正５年頃建築の土蔵とともに倉吉の商家町の歴史的景観を形成している。,,,
310000,TP3100005090,鳥取県,金平家住宅主屋,カネヒラケジュウタクシュオク,,kanehirake-jutaku shuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31371,,鳥取県東伯郡琴浦町太一垣,鳥取県,東伯郡琴浦町,太一垣,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/11/2,,,,,,,,,大山北麓の田園地帯にある農家主屋。明治18年の建築である。屋根は寄棟造(よせむねづく)り茅葺(かやぶ)きで、内部に二列計五室を設け、上手表に座敷を配する。伯耆地方の平野部における伝統的な農家建築である。,,,
310000,TP3100005100,鳥取県,蚊屋島神社　本殿、幣殿及び拝殿、神饌所及び渡廊、神楽殿、宝庫（仮殿）、豊受社、天神社、随神門,カヤシマジンジャホンデン、ヘイデンオヨビハイデン、シンセンジョオヨビワタロウ、カグラデン、ホウコ（オカリデン）、トヨウケシャ、テンジンシャ、ズイシンモン,,kayashima-jinja,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31384,,鳥取県西伯郡日吉津村日吉津,鳥取県,西伯郡日吉津村,日吉津,,,,,,,,,,,,,,,,,2018/11/2,,,,,,,,,　本殿は明治元年の建築。幣殿及び拝殿は天保４（1833）年建築で、明治元年・明治33年に改修。神饌所及び渡廊、神楽殿、宝庫（仮殿）、髄神門は明治33年建築、昭和51年改修。豊受社、天神社は明治元年に建築され、昭和51年に改修されている。　蚊屋島神社は、箕蚊屋（みのかや）平野の中央部に所在する地域の産土神（うぶすながみ）を祭る神社である。本殿は切妻造(きりつまづく)り妻入りで、出雲地方にみられる大社造(たいしゃづく)り風の大型社殿である。本殿の正面に接続する幣殿及び拝殿は、入母屋造(いりもやづく)り平入りの拝殿と両下げ造りの幣殿からなり、拝殿の正面の軒まわりは豊かな彫刻によって華やかに飾られている。そのほか、境内には多くの建物が整然と配されており、明治期に機能的に整備された近代的な境内空間が創出されている。,,,
310000,TP3100005110,鳥取県,絹本著色五大明王像,ケンポンチャクショクゴダイミョウオウゾウ,,kenpon tyakusyoku godai myoozo,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/15,,,,,,,,,　不動明王二童子像を中幅とし、降三世明王像（東方）、大威徳明王像（西方）、軍荼利明王像（南方）、金剛夜叉明王像（北方）の５幅からなる五大明王像一具である。中央と四方に割り振られたこの構成は一般的なものであるが、不動明王二童子像の大きさが144.0×70.0 ㎝、残りが108.0×54.0㎝と不動明王二童子像のみ大きい点は珍しい。　五大明王は、密教の代表的な忿怒尊（ふんぬそん）セットで、五尊一具で用いる場合は息災・増益（そうやく）を祈る五壇法の本尊として祀られることが多かった。本作品は中規模な五幅セットで、仏画の伝統的な描写法にのっとり、彩色を中心として動的な姿態と力強い火炎光背を的確に表現している。着衣の文様には截金（きりがね）を用いず、彩色と金泥の２種類で描かれている。尊像表現には形式化の傾向が見受けられるが、忿怒尊の威風を充分に表出できており、金泥文様には鎌倉時代後半の流行を反映した描写もうかがえる。五幅とも素材となる絵絹は同質で、鎌倉時代後半の特色を示している。描写の表現や絵絹の状況から、制作年代は鎌倉時代後半（13世紀後半）と考えられる。,,,
310000,TP3100005120,鳥取県,絹本著色愛染明王像,ケンポンチャクショクアイゼンミョウオウゾウ,,kenpon tyakusyoku aizen myoozo,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/15,,,,,,,,,　愛染明王は平安時代後半から信仰が高まった密教の忿怒尊であり、一面六臂（いちめんろっぴ）の愛染明王は金剛智訳『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経（こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう）』に基づくものである。種々の目的で行われる愛染法の本尊だが、左第三手の持物はその目的に応じて変化し、画像の場合は行者の心中に想い浮かべることになっている。　縦長画面に宝甁（ほうびょう）上の蓮華座に坐す一面三目六臂の愛染明王を表している。肉身は朱色で、濃淡によるぼかしを加え、開口した忿怒（ふんぬ）相は小振りながら迫力がある。髪は怒髪（どはつ）で獅子冠をいただき、波状光入りの頭光（ずこう）、身光（しんこう）、および火炎入りの挙身光（きょしんこう）を負っている。彩色を中心とする作風だが、持物の弓の弦や、蓮弁には截金線を用いていて、こまやかな装飾感覚がうかがえる。持物・装身具それに宝甁は、現在暗い色を呈しているが、もとは裏箔（うらはく）（絹裏から金箔を押す）であったと推測される。　仏画の伝統的な描写法に則った作品であり、新奇な表現こそないものの、ていねいな賦彩（ふさい）や裏箔といった抑制された金色の併用などにより、奥深い画面を作り上げている。絵絹の状態とも考えあわせると、鎌倉時代後半（13世紀）の制作と思われる。,,,
310000,TP3100005130,鳥取県,絹本著色三宝荒神像,ケンポンチャクショクサンポウコウジンゾウ,,kenpon tyakusyoku sanpo kouzinzo,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/15,,,,,,,,,　荒神は仏典には説かれておらず、修験道あるいは神仏習合を背景とした個性的な尊格である。俗には火の神ないし竈の神ともされる。古い絵画の作例はなく、中世になってから描かれるようになった。　縦長画面に、岩座上に坐す八面八臂の三宝荒神を表し、その周囲に八体の眷属を描く。三宝荒神の肉身は朱色で、墨線で描き起こす。八面は、大五面・小三面の二段からなり、すべて三目に表される。いずれも忿怒相（ふんぬそう）だが、開口、閉口の別があるほか、真面（しんめん）は赤茶、脇面は緑・白・青・朱などに色分けされる。筆線は平安後期仏画を踏襲した穏やかなもので、条帛（じょうはく）や裳（も）にはていねいな斜格子の截金（きりかね）文様が施されている。暗緑色の岩座には、起伏を表す岩皴（がんしゅん）の描写もみられるが、やや粗雑でさほどの険しさは感じられない。八体の眷属はいずれも立像で、肉身の色と持物が異なる。　本作品は伝統的な作風で、穏やかな線描や截金文様を用いた装飾感覚など、平安仏画の画調を残している点に特色がある。本作品の素材は通常の絵絹（えぎぬ）ではなくいわゆる平織（ひらおり）の絹を用いており、注文者の特異な意図が反映されたものと想定されるが、詳細は明らかではない。,,,
310000,TP3100005140,鳥取県,木造不動明王坐像,モクゾウフドウミョウオウザゾウ,,mokuzo hudomyoo zazo,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31386,,鳥取県西伯郡大山町大山9番地宝物館霊宝閣,鳥取県,西伯郡大山町,大山,9番地,宝物館霊宝閣,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/15,,,,,,,,,　左手に羂索、右手に剣を手にし、軽く左を見込む姿で彫られた半丈六の不動明王坐像であり、像高が127.5㎝ある。目の内側や両頬、鼻先、顎先が彫り直されていることから、作成当初は現在に比べて立体的で迫力のある姿をしていたと思われる。頭髪に特徴的があり、総髪と巻髪を組み合わせて表現されているほか、通常、巻髪は生え際から立ち上がるよう彫られるが、下に向けて彫られており珍しい。　構造については、針葉樹（ヒノキか。）の大木を使用し、頭部から胴部にかけての頭体幹部を１材でつくり、そこに膝前を取り付け、両腰脇に三角材を補うといった単純なつくりである。この頭体幹部については、両耳後方から体側半ばを通るように割矧いでおり、内刳りがなされ内側は空洞となっている。　この内面の背中にあたる部分には銘文が残されており、梵字で胎蔵界大日如来の真言である「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」が記されているほか、弘安８年（1285）に佛師泉國住人智月房禅慶によって建立されたという内容が書かれている。この他、本像の台座にも銘文が残されており、弘安10年（1287）に繪佛師観蓮が彩色を行ったという内容が認められる。　制作年代については、その作風から判断すると10世紀末から11世紀初頭であるが、銘文には弘安８年とあり、作風と紀年銘において開きがあるが、鎌倉時代以前の作例であることは間違いない。鎌倉時代以前にさかのぼる半丈六以上の不動明王像は全国的に見て稀であり、本像はその一例となるほか、本体や台座に弘安年間の銘を残している点で貴重である。,,,
310000,TP3100005150,鳥取県,宮本家文書,ミヤモトケモンジョ,,miyamotoke monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/15,,,,,,,,,　江戸期に伯耆国米子の商家であった宮本家に伝来した文書である。平成29年（2017）6月22日、系図類を除く、中世から現代までの206点の史料が鳥取県立博物館に所蔵されることとなり、現在に至っている。これらの文書は、伯耆国の在地領主が中近世移行期の複雑な情勢を生き抜いた過程や、江戸期の鳥取藩領内における有力商家の成り立ち、さらにはその後の変遷を示す貴重な史料群といえる。　指定された文書は、宮本家に伝来した文書のうち、16世紀に大内氏や山名氏、毛利氏から発給された原文書14点であり、伯耆国淀江の領主であったと推測される村上氏や、伯耆・出雲両国内の領主として複数確認される福頼氏へ宛てられたものである。　宮本家文書は、中世伯耆国において在地領主に関する史料がほとんど残されておらず、実態がわかっていない中で、村上氏や福頼氏の具体的な動向を示す希有な史料であるほか、中世伯耆国内の領主層と山名氏や大内氏、毛利氏などとの結びつきがあることを確認できる貴重な史料である。　１　（年未詳）3月3日　大内義隆書状（おおうちよしたかしょじょう）（切紙）２　（年未詳）3月19日　大内氏奉行人連署副状（おおうちしぶぎょうじんれんしょそえじょう）（切紙）３　（年未詳）8月10日　陶晴賢（すえはるかた）副状（切紙）４　（年未詳）6月27日　山名棟豊（やまなむねとよ）書状（切紙）５　（年未詳）7月2日　山名東揚（やまなとうよう）書状（切紙）６　（永禄7年〈1564〉）2月10日　平佐就之（ひらさなりゆき）書状７　（年未詳）5月17日　小早川隆景（こばやかわたかかげ）書状（切紙）８　（天正13年〈1585〉）7月23日　吉川元春（きっかわもとはる）書状（折紙）９　（天正16年〈1588〉）8月晦日　毛利輝元（もうりてるもと）書状（折紙）10　（天正16年〈1588〉）9月20日　毛利輝元書状（折紙）11　（年未詳）8月14日　二宮就辰（にのみやなりとき）書状（折紙）12　（年未詳）8月15日　毛利輝元書状（折紙）13　（慶長3年〈1598〉）正月7日　安国寺恵瓊（あんこくじえけい）・福原広俊（ふくばらひろとし）連署書状（折紙）14　（慶長3年〈1598〉）5月14日　榎本元吉（えのもともとよし）書状（折紙）,,,
310000,TP3100005160,鳥取県,染織（保持者：山下健）,センショクホジシャヤマシタタケシ,,senshoku hojisha yamasita-takesi,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31201,,鳥取県鳥取市青谷町,鳥取県,鳥取市,青谷町,,,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/15,,,,,,,,,　絣織と板締染による織によって、あくまでも伝統的な絣織模様を基盤にしながら、例えば立涌模様を斜行させるアレンジを施したり、文様の繰り返しをより多く重層させたり、個性的な作家独自の模様世界を作り出している。そしてそれを明色と淡色・暗色、寒色と暖色を駆使して展開し、非常に幅広い豊かな作風を作り出す点に特徴がある。　　「同じものができなければ、本物ではない」という柳悦孝・悦博両氏の教えを受け継ぎ、糸作りから染め、そして織りとすべての工程をこなし作品づくりを進める山下氏は、活動の拠点である国画会において重要な位置を占めるだけでなく、県内染織界並に現代日本染織界においても第一人者と評価することができる。,,,
310000,TP3100005170,鳥取県,紙布（保持者：山下健）,シフホジシャヤマシタタケシ,,sifu hojisha yamasita-takesi,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31201,,鳥取県鳥取市青谷町,鳥取県,鳥取市,青谷町,,,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/15,,,,,,,,,　染織家としての経験と技術の上に立ち、和紙の吟味による適切な素材選択、高度な紙の糸づくりを総合して、繊細で暖かな風合いを持つ紙布を制作してきた。紙の糸ならではのさらっとした質感と絹などの通常の糸を融合した独特の異質な質感の布である。これまで制作してきた通常の織物の模様スタイルと軌を一にした絣模様を基本とし、伝統的な模様をより力動的にアレンジしたり、幾何学的な構築的要素を強調したり、通常の織物とは少し違うより個性的で現代的な模様世界を作り出している。 　柳宗悦が取材して以来、民芸的環境では紙布を高く評価してきたが、それを甥の悦孝が桜井貞子氏（茨城県）や山下健氏に伝えてきた。それを独力でマスターし、山下氏ならではのスタイルを持った紙布表現を作り上げた。現代を代表する紙布作家ということができる。,,,
310000,TP3100005180,鳥取県,智頭の林業関係資料,チヅノリンギョウカンケイシリョウ,,chizu no ringyou kankei siryou,県指定有形民俗文化財,県指定の民俗資料,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町郷原238番地旧山形小学校,鳥取県,八頭郡智頭町,郷原,238番地,旧山形小学校,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/15,,,,,,,,,　智頭の林業は、江戸時代に鳥取藩の管理のもと、災害対策と産業振興として杉の植林が盛んに進められたことに始まり、明治・大正時代から戦後にかけて造林が続けられ、当地の主要産業として重要な役割を果たしてきた。　智頭の林業関係資料は、この地域における近現代の林業の変遷とその作業工程を体系的に示す資料群２１３点で、旧山形小学校校舎を活用した智頭林業資料展示室等でまとまって保管されている。　資料は、林業用具と林業と並行して行われてきた自然栽培（黄連栽培）の用具から成る。前者の林業用具１７３点は、成長した樹木を伐る主伐、造材した樹木の集材・搬出、植林・育林に関する地ごしらえ・植え付け・下刈り・除伐・間伐・枝打ち、板等への加工をする製材等に分けられる。それぞれの作業工程に用いた各種用具がよくそろって林業の実態がよく分かるとともに、木材の運搬手段としたイカダや森林鉄道関係資料など、近現代における林業形態の変遷も示している。後者の黄連栽培道具４０点は、育成中の杉林の地面を使った黄連栽培の採集から運搬、調整、出荷等に用いた用具群で、木を伐る･育てるだけではない複合的な生産活動の実態や歴史を知る資料として価値が高い。　以上、智頭という地域で営まれてきた林業の歴史的・時代的・地域的特色を良く示す、重要な資料群である。,,,
310000,TP3100005190,鳥取県,石尾家住宅 主屋、土蔵、門及び塀,イシオケジュウタクシュオク、ドゾウ。モンオヨビヘイ,,"Ishio ke juutaku  shuoku,dozou,mon oyobi hei",国登録有形文化財,国登録の建造物,,31201,,鳥取県鳥取市鹿野町鹿野,鳥取県,鳥取市,鹿野町鹿野,,,,,,,,,,,,,,,,,2019/3/29,,,,,,,,,鹿野の旧城下町中心部に位置し、旧鹿野往来（しかのおうらい）に面して建つ商家。主屋は切妻造（きりつまづくり）桟瓦葺(さんがわらぶき)のつし二階建で、往来に面して店があり、その西側には前庭を囲んで別棟で奥の間と新座敷が連なっている。正面は繊細な格子や絵様（えよう）付の腕木（うでぎ）で景観が整えられている。主屋西側の往来沿いには塀と土蔵が建ち、腕木門（うでぎもん）が設けられている。鹿野の町並み景観の核となる大型町屋である。,,,
310000,TP3100005200,鳥取県,鳥取県青谷上寺地遺跡出土品,トットリケンアオヤカミジチイセキシュツドヒン,,tottorikenaoyakamijichiisekisyutsudohin,重要文化財,国指定の考古資料,,31201,,鳥取県鳥取市青谷町青谷667番地青谷かみじち史跡公園調査研究事務所,鳥取県,鳥取市,青谷町青谷,667番地,青谷かみじち史跡公園調査研究事務所,,,,,,,,,,,,,,,2019/7/23,,,,,,,,,"「地下の弥生博物館」史跡青谷上寺地遺跡の出土品一括。総点数は1,353点で、内訳は木器・木製品435点、骨角牙貝製品339点、繊維製品4点、金属製品145点、ガラス製品54点、石器・石製品231点、土器・土製品145点である。日本海を通じて行われた国内外との交易の実態を示す精巧な木製品、玉類やその製作関連資料、中国大陸や朝鮮半島由来の銅鏡や銭貨、鋳造鉄製品を代表として、生業を示す木製・石製農工具や骨角製の漁撈具、戦いに用いた武器・武具、儀礼に用いた卜骨や楽器、建築部材や様々な絵画資料などきわめて多彩かつ豊富な資料で構成される。弥生時代における社会的分業の存在を示す交易関連資料に加え、生業や精神文化など弥生集落の具体像を知るうえで、欠かすことのできない内容を持つ。",,,
310000,TP3100005210,鳥取県,賀茂神社本殿,カモジンジャホンデン,,kamo jinja honden,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31203,,鳥取県倉吉市葵町,鳥取県,倉吉市,葵町,,,,,,,,,,,,,,,,,2019/12/5,,,,,,,,,賀茂神社は、倉吉市街地南方の丘陵上に鎮座する、葵町など近隣22町の産土社（うぶすなしゃ）である。江戸末期建築の本殿は、正面一間、背面二間、側面二間、入母屋（いりもや）造り妻入り、銅板葺きで、虹梁（こうりょう）上部の龍をはじめ、正面を中心に各所を精緻な彫刻で華やかに飾った優美な社殿である。,,,
310000,TP3100005220,鳥取県,旧富士市橋家住宅主屋,キュウフジイチハシケジュウタクシュオク,,kyuuhujiichihashike jutaku syuoku,国登録有形文化財,国登録の建造物,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町小鹿谷,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,小鹿谷,,,,,,,,,,,,,,,,,2019/12/5,,,,,,,,,湯梨浜町中部の農村地帯に位置する元地主の住宅。元所有者の市橋家は鳥取県中部を代表する大地主であった市橋家（本市橋家）の分家で、屋号を富士屋と称した。主屋は木造平屋建て・入母屋（いりもや）造り・赤色桟瓦葺（さんがわらぶ）きの住宅である。仏間や客間は吟味された木材を用いた上質な造りである。狭い土間からは農作業中心ではない生活様式への変化を読み取ることができ、農家住宅の近代的な発展過程を示している。,,,
310000,TP3100005230,鳥取県,浅津文書,アソヅモンジョ,,asodu monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2019/10/23,,,,,,,,,南条元続（なんじょうもとつぐ）から浅津源三左衛門尉（あそづけんざざえもんのじょう）に宛てられた感状３点である。南条元継は、伯耆国東三郡（河村郡・久米郡・八橋郡）などを治めた有力領主であり、羽衣石（うえし）城（東伯郡湯梨浜町）を本拠としていた。浅津氏は東郷池の西岸に位置する浅津を拠点とする地域領主であり、東郷池水運にも関わりがあったと考えられている。浅津文書は、天正３年（1575）から天正９年（1581）に発給された文書であり、毛利氏・尼子氏・織田氏が因幡・伯耆両国を戦乱に巻き込んでいった天正年間（1573～1592）前半における南条氏や浅津氏の動向を示す史料であり、貴重である。１．９月12日 南条元続感状（折紙）　　私部(きさいち)城（八頭郡八頭町市場）をめぐる戦いにおける浅津源三左衛門尉の戦功を賞した感状。２．天正８年12月11日 南条元続感状（折紙）　　籠城の忠儀を賞し、褒賞を与えることをを約束した感状。３．天正９年２月10日 南条元続感状（モト折紙）　　毛利方の城を攻略した際の戦功を賞し、俸禄の加増を約束した感状。,,,
310000,TP3100005240,鳥取県,庄司家住宅,ショウジケジュウタク,,syoji-ke jutaku,県指定保護文化財,県指定の建造物,,31204,,鳥取県境港市渡町,鳥取県,境港市,渡町,,,,,,,,,,,,,,,,,2019/10/23,,,,,,,,,庄司家は、近世には木綿や鉄の取引、近代以降は蚕繭（さんけん）の取引を行うなど、弓ヶ浜半島をはじめとする鳥取県西部の主要生産物を取り扱う商家として栄えた。庄司家住宅には、農村の大商家の住宅として貴重な天保４年（1833）建築の主屋や、鳥取藩主や松江藩主にゆかりのある元治元年（1864）建築の茶座敷のほか、近世後期から近代にかけて建築された後ろ座敷・蔵・前蔵・西蔵・ウマヤ門などの建物が多数残されている。弓ヶ浜半島部において数少ない屋敷構えが良好に保存された大規模民家として重要である。,,https://www.city.sakaiminato.lg.jp/index.php?view=110158,
310000,TP3100005250,鳥取県,都合山たたら跡,ツゴウヤマタタラアト,,tsugoyama tatara ato,県指定史跡,県指定の生産施設,,31402,,鳥取県日野郡日野町中菅字都合谷原,鳥取県,日野郡日野町,中菅字都合谷原,,,,,,,,,,,,,,,,,2019/10/23,,,,,,,,,古来より製鉄が盛んな奥日野地方に所在する都合山たたら跡は、日野郡の大鉄山師近藤家が明治22年（1889）から明治32年（1899）まで営んだ代表的なたたら跡である。明治31年（1898）に行われた東京帝国大学の俵国一（たわらくにいち）による現地調査により、創業当時の具体的な状況が記録されている。　平成20年に実施された発掘調査及び文献調査によって、近藤家文書に記された大鍛冶場（おおかじば）2棟を検出する等、俵の記録にはない知見が明らかになるとともに、高殿（たかどの）・砂鉄洗場（さてつあらいば）・鉄池（かないけ）・銅小屋・大鍛冶場が効率邸に配置されていること、10年程度で移転する操業体制であったこと等が確認された。これらにより、都合山たたら跡は明治中期以降に機械動力が導入される以前の伝統的な「たたら吹き製鉄法」本来の姿を留めていることが証明された。このように都合山たたら跡は、近世・近代のたたら製鉄の実態を良好な状態で保存していることに加え、記録と遺構の両面により復元検討が可能なことから、学術的にも非常に貴重なたたら遺跡と評価することができる。,,,
310000,TP3100005260,鳥取県,絹本著色不動明王二童子像,ケンポンチャクショクフドウミョウオウニドウジゾウ,,kenpon tyakusyoku hudomyoo nidojizo,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2020/5/22,,,,,,,,,　縦長画面に不動明王と矜羯羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の二童子像を描いた密教仏画である。三体とも岩座に立つ姿で、岩周辺には海波が描写されている。　伝統的な手法にのっとり、彩色を中心としながら、的確な線描で三尊の形を描き出している。着衣には金泥文様と彩色文様を施しているが、截金文様は用いない。ただ、三尊の体軀のバランスは、下半身がやや脆弱で、鎌倉時代もさほど早い時期には遡らない。14世紀に入ってからの制作と思われる。　鳥取県内の不動明王画像の遺品としては、かなり古い作例のひとつとして貴重である。,,,
310000,TP3100005270,鳥取県,絹本著色愛染明王像,ケンポンチャクショクアイゼンミョウオウゾウ,,kenpon tyakusyoku aizenmyoozo,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2020/5/22,,,,,,,,,　縦長の画面に、宝甁上の大円輪を表し、円輪内の蓮華座に坐す一面三目六臂の愛染明王が描かれている。全体に彩色中心の伝統的作風で、しかも着衣の装飾に截金文様を多用するなど、こまやかな造形感覚を示している。持物・装身具それに宝甁は、もとは絹裏から金箔を押す裏箔(うらはく)であったと思われ、落ち着いた輝きを放っていたと推測される。　鎌倉時代後半（13～14世紀）の制作と位置づけられ、県内では大安興寺本につぐ古例と思われ、貴重である。,,,
310000,TP3100005280,鳥取県,上原家文書,ウエハラケモンジョ,,ueharake monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町埴師54番地智頭町埋蔵文化財センター,鳥取県,八頭郡智頭町,埴師,54番地,智頭町埋蔵文化財センター,,,,,,,,,,,,,,,2020/5/22,,,,,,,,,　上原家文書は、因幡国の上原氏一族の子孫が中世以来、連綿と引き継いできた伝来文書である。　上原氏は在地社会に深く根を下ろした小規模な領主であり、因幡国智頭郡・美作国東北条郡をはじめとした広大な領域を支配下に収めた草刈氏の配下に属していた。文書は、この上原氏当主家の上原九郎左衛門尉が隠家分所領（上原家当主家の知行とは別の隠居分所領）を、上原家庶流である上原小兵衛に譲与した際の証文２点である。１は永禄10年8月27日に、上原九郎左衛門尉が小兵衛に「田畠山林」と「屋敷」を譲与した際の譲状であり、２は１の譲与物件の内訳を示したものである。文書に記された譲与物件の場所については、「八頭郡那岐村大字奥本全図」（明治29年以降に成立、智頭町所蔵複写版）によると、智頭町内の奥本川流域と宇丹谷にまとまっており、この周辺に上原家の当主家・庶流家の権益が多数存在していたと想定される。　因幡国内の在地社会に深く根を下ろした小規模な領主の存在形態をうかがわせる希有な中世文書として重要と認められる。　１．永禄10年（1567）8月27日 上原九郎左衛門尉譲状（うえはらくろうさえもんのじょうゆずりじょう）２．永禄10年（1567）8月27日 上原九郎左衛門尉譲状,,,
310000,TP3100005290,鳥取県,染織（保持者：吉田公之介）  ,センショク（ホジシャヨシダコウノスケ）,,sensyoku hojisya yoshida konosuke,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31203,,鳥取県倉吉市,鳥取県,倉吉市,,,,,,,,,,,,,,,,,,2020/5/22,,,,,,,,,　染織とは、布等の繊維製品を生産する技術および工芸である。染織には古来よりさまざまな技法があるが、大きくは色彩や文様をあらわすための「染め」、布に細かい皺をつくったり柄をかすらせる「織り」、刺繍や摺箔などの「装飾」に分けることができる。　保持者として、倉吉市の吉田公之介氏が挙げられる。吉田氏は、染織家である父・吉田たすくが研究復元した「風通織(ふうつうおり)」の技法を受け継ぎ、かつて倉吉で行われていた複雑で高度な織り方を体現することができ、鳥取県の工芸史上特に重要な地位を占めるものといえる。　そして、風通織を含めた複数の織り方、様々な糸素材、多彩な色を組み合わせて、常に新しい表現を模索して積み重ねている。特に次第に色が変わっていくグラデーションを得意とし、綿密な計算に基づいた織り方に加え、糸の染め方や配列を工夫し、美しく存在感のあるデザインを織り出している。２０１７年に第７２回新匠工芸会展富本賞受賞に示されるように、総じて芸術上特に価値の高いものといえる。　加えて、３０年にわたり、鳥取短期大学絣研究室において、数多くの後進を育てており、絣を基本とした織物技術の普及や伝承にも大きく貢献している。,,,
310000,TP3100005300,鳥取県,ため池における魚伏籠（ウグイ）漁,タメイケニオケルウオブセカゴ（ウグイ）リョウ,,tameikeniokeru uobusekago(ugui)ryo,県指定無形民俗文化財,県指定の民俗技術,,,,"鳥取県鳥取市気高町睦逢大堤池,西伯郡南部町浅井青木池",鳥取県,"鳥取市,西伯郡南部町",,,,,,,,,,,,,,,,,,2020/5/22,,,,,,,,,　「ウグイ」とはいわゆる魚伏籠のことである。魚伏籠は底のない筒状の籠で、これで水田や浅瀬の泥を突きながら魚を探し、籠に入った魚を上の口から手でつかみ捕らえる。東南アジア等では現在も行われており、かつては日本各地に見られたが、今日、組織として漁はほとんど途絶えており、大変貴重な技術である。　鳥取県内ではこの魚伏籠が、鳥取市気高町睦逢(むつお)、西伯郡南部町浅井の2カ所で続けられている。ともにため池で行われ「ウグイ突き」「魚取り」と呼ばれる。　この魚伏籠漁は、因幡において室町時代まで遡ることができる。それは天文12年（1543）年の山名氏から溝口村（鳥取市湖山北一丁目）に出された因幡守護山名氏奉行人連署奉書という文書（鳥取県　1973　743頁） に「籠伏」というものが見られる。これによると溝口村は山名氏から合戦の褒美の一つとして「籠伏」の権利が認められている。この「籠伏」とは魚伏籠漁のことと考えられる。　これは稲の収穫後の秋に水田の用水管理の一環として行われ、ウグイで池の底に沈殿する泥を攪拌して流すことが主な目的であり、漁業、農業、娯楽を兼ねた地域の複合的生産活動の特徴を示す慣行である。またコイは刺身、味噌汁、フナは鱠(なます)（なます）、雑魚は煮つけなどの特色ある食文化にもつながる大変貴重な慣行である。,,,
310000,TP3100005310,鳥取県,日南町神福のサクラソウ群落,ニチナンチョウカミフクノサクラソウグンラク,,nichinanchokamifuku no sakurasou gunraku,県指定天然記念物,県指定の植物,,31401,,鳥取県日野郡日南町神福,鳥取県,日野郡日南町,神福,,,,,,,,,,,,,,,,,2020/5/22,,,,,,,,,　サクラソウは、サクラソウ科サクラソウ属の多年草であり、北海道南部から九州にかけて高原や原野のやや湿潤な草原に分布する。地下茎によりしばしば群落を形成し、四月から五月にかけてピンク色や白色の花の群落が美しい。　サクラソウは、遺伝的な変異により、花の形や色の濃淡に違いがみられるため、江戸時代から園芸栽培され、乱獲を招いてきた。現在では、近代化に伴う里山管理の変化とともに自生地は減少し、全国で100地点程度が点状に残っているのみである。  中国山地では、鳥取県西部から岡山、広島両県にかけて小規模なサクラソウ自生地がいくつか知られている。日南町内では以前は約二キロメートルにわたって生育していたとの記録もあったが、個体群は大幅に衰退し、鳥取県内におけるサクラソウの確実な自生地は現在、江府町、日野町、日南町内二か所の計四か所のみである。　サクラソウは種内の遺伝的変異が大きいため、各地域で遺伝的な系統が分かれており、当地で育まれた遺伝的変異を持つ群落を保全していくことが重要である。特に日南町神福のサクラソウ群落は規模及び生育状況の点から最も良好であり、絶滅に瀕した植物の自生地として貴重である。,,,
310000,TP3100005320,鳥取県,因幡・但馬の麒麟獅子舞,イナバ・タジマノキリンシシマイ,,inaba tajima no kirinshishimai,重要無形民俗文化財,国指定の民俗芸能,,,,"鳥取県鳥取市,岩美郡岩美町,八頭郡八頭町,八頭郡若桜町,八頭郡智頭町,東伯郡湯梨浜町,兵庫県美方郡新温泉町,美方郡香美町","鳥取県,兵庫県",,,,,,,,,,,,,,,,,,,2020/3/16,,,,,,,,,　麒麟獅子舞は、鳥取市を中心とした鳥取県東部から兵庫県北西部にかけて分布する獅子舞で、多くは各地域の春夏秋の神社祭礼で行われるが、初午や正月に行うところもある。　本件は、中国の想像上の霊獣麒麟を想起させる頭を用い、頭に付いたカヤ（蚊帳）と呼ぶ胴幕に二人が入って舞う二人立ちの獅子舞である。頭は、前後に細長く頭頂に一本の角がある形状をしている。獅子には、赤い仮面を着け、腰から瓢箪を下げ、「棒」「朱の棒」などと言う棒を持った猩々（しょうじょう）と呼ぶ役が付く。　神社祭礼においては、獅子は神幸に加わり、あるいは単独で、神社境内や御旅所(おたびしょ)などの所定の場所で「本舞」「本練り」などという本式の舞を舞い、加えて氏子の家々を巡って「門舞」「門練り」などと呼ぶ短い舞を舞う。「キザミ」「スネオリ」「クネリ」などの名前が付いた動作があり、これらの動作を組み合わせた動作の型の繰り返しから獅子舞は構成されている。囃子は太鼓、笛、鉦で構成されることが多く、獅子は囃子にあわせ、地を這うようにゆっくり頭を回したり、ひねったり、伸びあがるように頭を上げたりして舞う。　他地域にはみられない麒麟を想起させる獅子頭を用い、猩々を伴う点、重厚な舞ぶりなどに地域的特色がよく示されている。また、特定地域内に濃密な分布をみせ、獅子舞の変遷の過程を考えるうえでも重要である。,,,
310000,TP3100005330,鳥取県,用瀬の流しびな,モチガセノナガシビナ,,motigase no　nagashibina,記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財,国選択の民俗芸能,,31201,,鳥取県鳥取市用瀬町,鳥取県,鳥取市,用瀬町,,,,,,,,,,,,,,,,,2021/3/11,,,,,,,,,（１）文化財の特色　雛人形に心身の穢れや災厄を移して水辺に送る行事は，「流し雛」や「雛流し」などと呼ばれ，雛祭りの源流となる古くからの習俗と考えられている。その伝承は，各地に散見されるが，本件は，呪具としての人形(ひとがた)に人間の形代(かたしろ)の役目を負わせ，送るという信仰をよく伝えており，同種の行事の典型例と考えられる。また，流しびなは鳥取県では因幡地方で広く行われていたが，伝承が途絶えた地域が多く，現在では当地に残るのみとなっており，我が国の民間信仰や節供行事の変遷を考える上で貴重である。（２）文化財の説明本件は ，鳥取県鳥取市用瀬町に伝承される女児の三月節供の行事 で，晴着で着飾った女の子たちが雛人形に災厄を託して川 に流し， 無病息災や無事な成長を祈願する。かつては ，旧暦 ３月３日の夕方頃から家ごとに行われていたが ，現在は，同日の午後地区を流れる 千代川(せんだいがわ)の水辺で時間を定めて行っている。雛人形は，男女一対の小さな紙雛で，藁製の丸い桟俵の上にのせ，桃の小枝や 季節の 花，菓子などを添えて，川の緩やかな瀬を選んで下流へと送る。また，この日には，「ひな荒らし」と称して，近所の子供たちを自宅に呼んで雛祭りの 御馳走を振舞う習わしもあり，各家では，新旧 の 雛人形を座敷 や玄関口などに飾り，一般に披露する。,,,
310000,TP3100005340,鳥取県,神像,シンゾウ,,shinzo,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31201,,鳥取県鳥取市上町88番地鳥取市歴史博物館,鳥取県,鳥取市,上町,88番地,鳥取市歴史博物館,,,,,,,,,,,,,,,2021/11/19,,,,,,,,,　天部形像一体と、官人形像三体の計四体が伝存する。それぞれ針葉樹の一材からなり、内刳りをほどこさない。　そのうち腹前で拱手する三体は、像の規模や姿形から三体一組であり、天部形像が主神、武官姿の二体はその随神とみられる。柔和な表情の天部形像（像高３９．８㎝）は、天冠台つきの宝冠、大袖衣、鰭袖のがい襠衣を着し、腰帯をしめる。闕腋の袍を着す随神像（ともに像高３２．５㎝）は、どちらも目を見開いて憤怒の相を示し、うち一体はさらに上歯列と左右の牙をむき出しにする点で大変特異である。強装束化が認められるが、衣文は闊達で形式化していないため、制作は１３世紀半ばごろを中心とする鎌倉時代と推定できる。　一方の、把笏像は一般的な姿の男神像で、彫りが浅く簡略化された表現から、推定制作年代は１２世紀頃にさかのぼるとみられる。主神に対する配祀神、あるいは鎮守神であった可能性がある。　平安時代後期から鎌倉時代にかけての、県内を代表する神像群の一つである。全国的にも稀な表現の像を含んでおり、美術史・宗教史研究に資するところが大きい。,,,
310000,TP3100005350,鳥取県,神像　附神像3躯,シンゾウツケタリシンゾウサンク,,shinzo tsuketari　shinzosanku,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31202,,鳥取県米子市東八幡276番地八幡神社,鳥取県,米子市,東八幡,276番地,八幡神社,,,,,,,,,,,,,,,2021/11/19,,,,,,,,,　日野川右岸に位置し大山を見晴らす八幡神社は、養老４年（720）創建と伝えられる古社です。中世には「相見庄八幡宮」等と称され、近世には西伯耆一帯の幣頭に任じられました。　神社には、平安時代後期から江戸時代に至る神像、仏像やその残欠、狛犬などの木彫品が伝わります。そのうち、明らかに神の像として制作されたと分類できる11躯と附３躯は、県内に稀少な神像群です。すべて一木造りで、附の三躯を除き彩色の痕があります。　　なかでも注目されるのは、〔その１〕女神坐像（像高51.9㎝、10世紀末～11世紀初頭頃）、〔その２〕僧形神坐像（像高60.0㎝、11世紀初頭頃）、〔その３〕女神坐像（像高50.4㎝、11世紀初頭頃）です。3躯はいずれもムクノキ材製と思われ、様式的に近い時代に制作されたと判断できます。僧形神と二女神の組み合わせは、しばしば八幡三神像ととらえられることから、いずれかの時期に三躯を一具として祀ったことも考えられます。しかし、〔その２〕と〔その３〕の男女神像は像底の木目の様子に連続性があり、同材から木取りされたとみられる一方で、〔その１〕像の太造りで彫りが深い点、薄塗の彩色、手首先を丸雇枘とする構造などはやや異質で、〔その２〕、〔その３〕の両像よりわずかに制作年代が遡ると思われます。　その他の像の法量と制作年代は備考の通りです。　八幡神社は明治時代に周辺の数社を統合しており、これらの神像の伝来を明確にすることは容易ではありません。それでも、同一地域の神像がこれほどまとまって伝存したことにはきわめて高い学術性が認められます。,,https://www.city.yonago.lg.jp/33153.htm,
310000,TP3100005360,鳥取県,永田家文書,ナガタケモンジョ,,nagatake　monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2021/11/19,,,,,,,,,　永田家は、伯耆国八橋郡向原村（現在の東伯郡琴浦町八幡向原）に、少なくとも天正１７年（１５８９）以前より住した長田氏一族の一流である。この永田家が残した文書は、天文２０年（１５５１）から幕末にかけての全２０６点におよび、そのうち慶長５年（１６００）以前の年記を持つ２０点を指定する。　永田家文書は、田畑・屋敷の売買証文が大半を占める。文書を伝えた長田氏同族の人物が売主となるものも多いが、その他にも向原村周辺の有力者と思われる、椎木・中蔵・河上・藤森・小畑・野間・大熊・種子・前原などの名字を名乗る人々も、売主・買主・口入人などとして登場する。また、売り買いされた土地は向原村内に限られ、面積は１〜３反程度が大半で、全体的に安価である。売買の形態は全て永代売りで、１点を除き米により支払われる。　限られた地域内で、在地勢力の人々の中で頻繁に小規模な土地のやり取りが繰り返され、さらにその際には良質で大きな料紙を用いた書面が交わされることは大変珍しい。　本文書は、中世末期の伯耆国八橋郡向原村周辺の在地勢力の実像や、共同体的な秩序の実相をうかがわせるものであり、中近世移行期における在地社会の実態を示す得がたい史料と評価できる。　なお、県保護文化財の山陰歴史館所蔵長田文書（米子市）２通は、その内容等から、当初永田家文書に含まれていた可能性がきわめて高いと考えられる。,,https://digital-collection.pref.tottori.lg.jp/detail/tyo36gzzrdcirfdi4lhgw,
310000,TP3100005370,鳥取県,山陰歴史館所蔵長田文書,サンインレキシカンショゾウナガタモンジョ,,saninrekishikan　shozo　nagata monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31202,,鳥取県米子市中町20番地米子市立山陰歴史館,鳥取県,米子市,中町,20番地,米子市立山陰歴史館,,,,,,,,,,,,,,,2021/11/19,,,,,,,,,　文禄4年（1595）の椎木新次郎等田地売券と慶長4年（1599）の椎木新左衛門等田地売券の２通からなる中世文書である。その内容から、伯耆国八橋郡向原村（現在の東伯郡琴浦町八幡向原）の土地を売買する証文であることが分かり、もとは県保護文化財永田家文書に含まれていたことが推測される。　椎木新次郎等田地売券は向原村近隣の下市庭村の六郎左衛門という人物に、椎木新左衛門等田地売券は、村内の有力者の一人と思われる長田五郎左衛門に土地を売り渡す際に作成された文書である。ともに、将来いかなる徳政や新儀の出来や子孫による違乱（決まりにそむくこと）があっても契約内容はゆるがないことを明記する。　本文書が山陰歴史館所蔵となった経緯ははっきりしないが、八橋郡八橋村（現在の東伯郡琴浦町八橋）出身の政治活動家・教育者で文庫を設立した藤本重郎（1849～1934）の蔵書録『金杖録』（米子市立図書館）に、同郷の長田熊吉氏から文書を寄贈された記録がみえる。そのうち「文禄年中」と「慶長年中」と記される文書は、山陰歴史館所蔵長田文書２通と年号が一致する。　米子市立山陰歴史館は、郷土史家の足立正（1865～1947）の私設の資料館がもとになっており、藤本文庫旧蔵資料の一部も保管する。２通の文書も、いずれの時期かに足立正もしくは山陰歴史館のコレクションに加えられた可能性は十分に考えられる。　山陰歴史館所蔵長田文書は、中世末期の村落社会の動向を示す点もさることながら、その伝来の経緯自体が、鳥取県における郷土史研究・文化財保護の歴史を伝えており、貴重な資料と言える。,,https://www.city.yonago.lg.jp/36457.htm,
310000,TP3100005380,鳥取県,曽我物語図屏風,ソガモノガタリズビョウブ,,soga　monogatari　zu　byobu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市覚寺55番地渡辺美術館,鳥取県,鳥取市,覚寺,55番地,渡辺美術館,,,,,,,,,,,,,,,2022/4/26,,,,,,,,,　曽我物語は曽我十郎・五郎の兄弟による仇討の物語であり、曽我物語図はこれを主題とした絵画である。　渡辺美術館所蔵の六曲一双屏風では、右隻に、源頼朝が行った《富士の巻狩》（兄弟が父の仇の工藤祐経を狙うが失敗する）の場面を表し、左隻に、同日の晩に起きた《夜討》（兄弟が祐経を討つ準備を進め、ついに仇討を果たし絶命する）の顛末を表す。　様式的に、桃山時代末期の土佐派の主要絵師である土佐光吉（1539～1613）の中期から後期の作品と推定され、制作年代の下限は1610年代と考えられる。現在する曽我物語図屛風のうち、現存最古の作例である。　人物は右隻に84名、左隻に157名のあわせて241名を数え、加えて動物は、武士が伴う馬や犬をはじめ、鹿、猪、兎等が多く描かれる。描写は総じて丁寧、繊細である。人物像の描き分けや建築モチーフ配置も巧みで、動植物や器物まで実に多彩な衣服の文様も大変魅力的である。なお、富士山を麓しか描かないことや、頼朝を右隻の中心に配置する点、残虐な描写を控える点などは他の曽我物語図と比較して特徴的である。　伝来については不明な点が多いが、美術史上評価の高い光吉の大画面の物語絵画としてきわめて貴重な作品であり、良質の絵の具を使用した優れた出来映えを示す点、土佐派では他例のない曽我物語を扱う点でも意義深い。,,https://watart.jp/collection/00/.html,
310000,TP3100005390,鳥取県,大原家文書,オオハラケモンジョ,,oharake monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31328,,鳥取県八頭郡智頭町智頭2090番地1ちえの森ちづ図書館,鳥取県,八頭郡智頭町,智頭,2090番地1,ちえの森ちづ図書館,,,,,,,,,,,,,,,2021/6/18,,,,,,,,,　智頭町大原家に伝わった戦国時代（15世紀前半から16世紀後半）を中心にした18通の中世文書である。内訳は、土地の売券14通、寄進状1通、譲状１通、指出(さしだし)（所有地の情報を大名などに報告するもの）２通である。　内容は、いずれも土地の所有に関わる文書で、文書中に見られる地名から、大原家が所有したのは智頭町智頭の千代川流域と考えられる。　文書のうち、大原家を宛先とするものは2通のみで、大部分は智頭宿の旧家宮本家を宛先とする。当時は土地の売買の際、新たに証文を作成せず、売手の所持していた売券を買手に渡すことで売買が証明されることがままあったようで、大原家が多くの宮本家宛ての文書を有するのはこのためと推定される。　記載内容の特徴として、契約が守られない場合を見越して、「我等の子々孫々中（私たちの子孫のなか）」に「違乱の者、出できそうらはば（契約をやぶって秩序を乱すものが出てきたなら）」、「堅く御成敗あるべくそうらう（厳しく処分がくだされるべきです）」などと書くものが多く見られる。　契約違反者を「御成敗」する主体として、「公方（地域の支配者）」と「地下（村落共同体）」がある。『智頭町誌』は、永正14年（1517）年以降の8通において、両者を併記するようになることを指摘し、村落が秩序維持機能を担う存在へと成長していったと解している。　武家を中心に交わされることの多いこの種の文書が、中世村落のなかでもやりとりされていたことを示す大原家文書は、当時の土地所有の在り方を示す希少な史料群である。,,,
310000,TP3100005400,鳥取県,陶芸〔保持者：河本　賢治〕,トウゲイホジシャカワモトケンジ,,togei hojisya yamamoto kosai,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31203,,鳥取県倉吉市福光,鳥取県,倉吉市,福光,,,,,,,,,,,,,,,,,2022/4/26,,,,,,,,,　陶芸とは、陶土あるいは磁土を主原料とし、窯で焼成して、いわゆる陶磁器を作る技術の総称である。主原料の配分、ロクロや手びねりなどの成形方法、焼成方法、釉薬や絵付などの加飾技法などにより、様々な種類の陶磁器が作られている。　保持者として、倉吉市の河本賢治氏が挙げ られる。河本賢治氏は、東伯郡北条町（旧中北条村、現北栄町）出身の生田和孝（1927〜1982）に見出されて、生田の内弟子となり、骨太で力強い民藝的美感を表現するこの作家のもとで10年間にわたって修業を積んだ。また蹴轆轤や面取といった成形や加飾の技法はもとより、素地土や釉薬の組成をはじめとする土味や釉調といった質感と色調の表現方法についても、民藝陶器に表象されてきた生田の作風を深く体得しており、これが同氏の日用器の形態や、籾殻灰を加えた糠釉（糠白）、飴釉、黒釉などの質朴な釉調によく表れている。一方、自己表現としての陶芸制作をめざして国展等の公募展で発表してきた陶器作品には、生田の作風とは異なる独自の造形性が看取され、同時代的感覚による洗練された民藝的美感が表現されている。,,,
310000,TP3100005410,鳥取県,岡本家文書,オカモトケモンジョ,,okamotoke　monjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町龍島497番地湯梨浜町立図書館,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,龍島,497番地,湯梨浜町立図書館,,,,,,,,,,,,,,,2023/6/13,,,,,,,,,現在の湯梨浜町門田に居住した旧家岡本家に伝存し、旧東郷町に寄贈された歴史資料のうち２８点の中世文書である。岡本家は江戸時代に宗旨庄屋を務めるなどしたこの地方で有力な家系で、赤松氏一族の有馬氏の末裔との伝承を持つが定かではない。同家に伝わった中世文書は、天文２３年（１５５４）から慶長１８年（１６１３）のおよそ６０年間に発行された。うち２２点が土地を売買する売券状であり、その全てに「永代」売りであることが記される。その他の文書も、田地注文や譲状、渡状の類であるから、いずれも土地権益に関わる文書と言える。「長江」、「門田」、「長和田（なごうた）」、「埴見（はなみ）」といった、東郷湖西南岸の土地が売買等の対象になる例が多い。文書の四分の三は、宛名を「岡田ノ三郎右衛門尉」、「岡田之彦二郎」、「かとたの三郎衛門殿おむこ」のいずれかとするものであることから、１６世紀末から１７世紀初頭において、岡本家文書は三郎右衛門尉の家系に集積されていたと推測される。また、面積に対応した価格という観念が乏しいことは、地縁、血縁関係による日常的なつながりを前提とする相互融通の痕跡とする見方もある（錦織、2008）。様々な勢力が闘争を繰り広げた動乱期ではあるが、在地社会ではそれと一線を画すように、狭い地域内で土地の売り買いがなされ、本格的な文書が交わされていた点は大変興味深い。これは、大原家文書（智頭町）、永田家文書（琴浦町）にも指摘できる鳥取県域の中世文書の大きな特徴のひとつである。,,https://www.yurihama.jp/site/manor/,
310000,TP3100005420,鳥取県,陶芸〔保持者：坂本　章〕  ,トウゲイホジシャサカモトアキラ,,togei hojisya sakamoto akira,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31201,,鳥取県鳥取市河原町鳥取市河原町中井,鳥取県,鳥取市,河原町鳥取市河原町中井,,,,,,,,,,,,,,,,,2023/6/13,,,,,,,,,　陶芸は、陶土あるいは磁土を主原料としたものを成形、焼成して、いわゆる陶磁器を作る技術の総称である。主原料の配分、ロクロや手びねりなどの成形方法、焼成方法、釉薬や絵付などの加飾技法などにより、様々な種類の陶磁器が作られている。　県内では、藩政期以来続く窯元をはじめ、昭和期に民藝運動の影響を受けた窯元、その他本県の自然と歴史に喚起された創造性豊かな個人作家らにより多様な作陶活動が展開されている。　　保持者の坂本章氏は、昭和４０年（１９６５）生まれ。中井窯２代窯元である父實男氏に師事し陶芸を始めた。中井窯（現「因州・中井窯」）は吉田璋也（１８９８～１９７２）の指導を受けた窯であり、印象的な染め分けに代表される新作民藝の器で全国的に著名である。坂本氏はその３代窯元として民藝陶器の表現と技術を深く体得しており、平成１６年（２００４）には鳥取県伝統工芸士にも認定された。　一方、近年では、高度な技術と表現性を青瓷の制作に活かし、伝統工芸の分野で高い評価を得ている。　青瓷は、鉄を着色剤とし、還元焼成により釉薬を青緑色に発色させた焼き物で、素地に陶土を用いるものを指す。　坂本氏は、「雨過天青」と詠われた北宋期の青磁を理想としながらも、素地土や釉薬の調合などに工夫をこらしながら柔らかく洗練された独自の青瓷を追求している。例えば、釉薬の薄さを微妙に調整することで実現する放射状の筋のような文様は、中井窯の掛け分けの技法から着装を得た加飾表現であり、中井窯で培った技術を青瓷に昇華させようとする試みといえる。　民藝陶器の作り手としてすでに全国的に注目された存在でありながら、新たな表現性を求めて全国規模の公募展へ精力的に出品し、後進の指導にも熱心に取り組む活動は、鳥取県の陶芸文化に大きく貢献するものと評価できる。,,,
310000,TP3100005430,鳥取県,伯州綿栽培用具,ハクシュウメンサイバイヨウグ,,Hakusyumen saibai yogu,県指定有形民俗文化財,県指定の民俗資料,,,,"鳥取県米子市福市281米子市埋蔵文化財センター,西伯郡日吉津村日吉津967-2ミライトひえづ,西伯郡日吉津村日吉津977番地1陶芸・倉庫棟",鳥取県,"米子市,西伯郡日吉津村",,,,,,,,,,,,,,,,,,2023/6/13,,,,,,,,,「伯州綿栽培用具」は32点から構成される。綿栽培用具は、栽培が盛んだった明治から、細々と自家用として綿が栽培されていた昭和30年代まで使用されてきたもので、高度経済成長後に収集された。弓浜半島を中心とした砂畑で行われた綿作に使用された農具、その綿作に使用した肥料である中海の海藻・海草採取に利用された漁具で構成される。砂畑という生産環境と中海という汽水湖の存在によって形成された特徴ある暮らしと農業を後世に伝える大変貴重な文化財である。,,,
310000,TP3100005440,鳥取県,名和神社文書,ナワジンジャモンジョ,,nawajinjamonjo,県指定保護文化財,県指定の古文書,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2024/1/19,,,,,,,,,後醍醐天皇を奉じ、建武の新政に活躍した名和長年らを祀る名和神社に伝えられる７通の中世文書である。名和氏は、１４世紀半ば、長年の孫顕興の代に九州に移住して在地領主となり、近世には柳川藩に仕えた。明治１１年（１８７８）、名和神社が別格官幣社となると名和長恭が宮司として名和の地に招かれた。７通のうち、３通は１４世紀、４通は１６世紀後半の文書で、明治期に九州柳川からもらたされたと見られる。伯耆国を本貫とし、建武の新政に活躍した名和一族の事蹟に直接関わる良質な中世文書である。概要は以下のとおり。１、後醍醐天皇綸旨（建武２年５月２８日）：１３３５年、後醍醐天皇が「伯耆大夫判官」（名和義高）に対して発給した綸旨。肥後国八代地頭分のうち鞍楠村（熊本県八代市）を熊野那智山へ寄進することを許可したもの。２、後村上天皇綸旨（興国元年６月２１日）：１３４０年、後村上天皇が「村上兵庫」（名和顕長か）に発した綸旨。出雲国利弘保（島根県安来市）の地頭職を与える内容。３、口宣案（正平９年６月１８日）：１３５４年、「修理亮源義氏」（長年の甥）を安芸権守に任じる旨の後村上天皇の指示を伝えた口宣案。４、口宣案（天文２２年５月２１日）：１５５３年、「宇土伯耆守行興」を修理大夫に任じる後奈良天皇の指示を伝えた口宣案。５、口宣案（弘治２年４月１４日）：１５５６年、「正五位下源行興」を従四位下に叙する旨の後奈良天皇の指示を伝えた口宣案。６、豊臣秀吉朱印状（天正１６年８月１２日）：１５８８年、豊臣秀吉が、投降した宇土城主「伯耆左兵衛尉」（名和顕孝）に発した朱印状。筑前国に５００町を宛行い、小早川隆景に随従することを命じる。７、小早川隆景感状（文禄３年６月７日）、１５９３年、小早川隆景が「伯耆左兵衛」（名和顕孝）にあてた感状。文禄の役における碧蹄館の戦での戦功を賞した賞状。感状としてはとりわけ鄭重な様式と筆跡で書かれる。,,https://www.daisen.jp/1/10/33/51/,
310000,TP3100005450,鳥取県,男神騎馬像　附脛当１組、鐙１掛、太刀２振、勝手権現御弓箱１箱,ダンシンキバゾウツケタリスネアテヒトクミ、アブミヒトカケ、タチフタフリ、カッテゴンゲンオンユミバコヒトハコ,,"danshinkibazo　tsuketari suneate hitokumi, abumi hitokake, tachi futafuri, Katte Gongen on-yumibako hitohako",県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三佛寺,鳥取県,東伯郡三朝町,三佛寺,,,,,,,,,,,,,,,,,2024/1/19,,,,,,,,,　三仏寺には白馬に乗った男神の像が2点残されており、銘文から制作年と作者が判明する。　すなわち、先行する像は大永3年（1523）に京仏師の定泉が制作し、後の像は天文11年（1542）に大仏師を名のる帥というやはり京仏師が制作している。　ただし、大永像は保存状態が良好ではなく、今では両前腕と両脛以下を欠損した、褌（ふんどし）を着けた上半身裸形像となっている。一方、約20年後に制作された天文像は、立烏帽子を被り、筒袖、垂領(たりくび)の衣と袴を着して、正面を向き、両手を左右脇幅で胸下の高さに上げ、手綱を執る様子をあらわす。同像が乗る馬像の胎内墨書に「勝手大明神」とあることから、蔵王権現、子守権現とともに修験道で信仰された「三所権現」の一尊、勝手権現の像と特定できる。　大永像は尊名を特定する学術的手がかりを欠く（三仏寺では子守権現と伝承）。とはいえ、口髭(くちひげ)、顎鬚(あごひげ)をあらわし閉口する面貌は、天文像によく似ている。また天文像には馬像内の銘文に「サイコウ（再興）アル者也」とあることから、何らかの理由で勝手権現像が再度制作された、つまり大永像は当初の勝手権現像であった可能性も捨てきれず、今後の研究が俟たれるところである。　2匹の馬像は、下地がかなり露出するが、もとは白馬であった。耳を正面に向け、目を見開き、鼻孔を大きく膨らませ、軽く口を開ける。さらに右前脚を上げ、残る脚を前方に踏ん張り、手綱を引かれた様子をあらわす。　これら騎馬像は、男神の整った顔立ちや特徴をよくとらえた馬など、堅実で手慣れた表現をみせ、いかにも都の仏師を作者とするにふさわしい。実は、定泉と帥は、三仏寺所蔵の神像10躯（県保護文化財）のうちの3躯の作者でもある。定泉による永正17年（1520）の子守権現坐像1躯、帥による天文10年（1541）の男神坐像2躯―これらの作例からは、16世紀前半の三仏寺が京都の特定の仏師とある程度継続的に関係を持っていたという事実が浮かび上がる。これはいまだ未解明な室町期の京仏師の地方展開をうかがわせる貴重な事例とも言える。　　附の武具・馬具類はいずれの像に奉納されたのか不明なものもあるが、太刀2振のうち片方には天文11年（1542）に勝手大明神に奉納するむねの銘があり、おそらく天文像のために制作されたものだろう。一方、脛当はその大きさから大永像のものと推定されるし、鐙も大永像とともに伝来しており、同像の附属品と考えられる。勝手権現御弓箱と墨書される木箱（天明4年＝1784）には、弓1張、矢6本、刀3振、箙1腰が納められている。後世の奉納品もあるが、神像の性格を考える上で興味深い。　以上のように、2点の騎馬像は、作者と制作年代が分かる基準作であり、修験の古刹三仏寺の信仰の歴史のみならず、我が国の美術史にとっても大変貴重な文化財である。,,,
310000,TP3100005460,鳥取県,絹本著色琴棋書画図,ケンポンチャクショクキンキショガズ,,kenponchakushoku kinkishogazu,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2024/1/19,,,,,,,,,　近世後期の鳥取藩を代表する絵師根本幽峨（1824～1866）の手がけた大型の三幅対である。中幅に琴と囲碁、右幅に書芸、左幅に茶を喫しつつ絵画鑑賞をする士大夫らを描く。細く張りつめた緊張感のある描線、人物の服装から調度、画中画といった景観描写に至るまで隅々までの入念な描きこみ、上質の顔料を用いた鮮やかな色彩と、緻密で豊かなグラデーションや陰影表現など、幽峨の現存作例の中でも出色の出来栄えを誇る。　幽峨は鳥取城下の商家に生まれ、江戸に出て藩絵師の沖一峨（1796～1855/61）に入門、狩野派をはじめとする様々な流派を旺盛に学び、極めて高い技術と洗練された画風を築いた。　教養人の嗜みとされた四種の技芸を描く本作にも本歌となる作品がある。東京国立博物館所蔵の「琴棋書画図」がそれで、元時代の宮廷画人任仁発の作という伝承を持つ（実際は明時代前期の作）。 　幽峨は背景の樹石や群像の図様、さらに細部の道具立て、衣文線の配置や顔つき、モチーフの文様や色味など全面的にこの古画に依拠しつつ、四幅対を三幅対へと再構成すべく第一幅（春・琴）と第二幅（夏・棋）の図様を合わせて中幅としたうえ、第三幅（秋・書）を右幅、第四幅（冬・画）を左幅へと組み替えを行っている。また、群像や道具立ての配列にはいくつもの加除や入れ替えがなされており、例えば中幅、琴をひく士大夫の背後の衝立の絵を中国風の山水図からめでたげな旭日松鶴図に変更する、右幅の丸椅子を無文の毛皮張りから虎皮張りにするといった微修正が全面的に加えられている。そのほか、幽峨は人物のしぐさや導線、遠近感の整理を行い、明快な構図を工夫している。さらに原画のもつ古色を帯びてくすんだ色彩は、仇英様式などを志向する明清風の明るく鮮烈な色彩感覚や西洋風の陰影に置きかえており、幽峨の中国絵画学習の別の一面も示している。　大正期の売立目録に「荒尾家旧蔵」とあることから、鳥取藩で家老職なども務めた荒尾家が所蔵していたことが推定される。制作優秀で規模が大きいうえに、中国絵画学習という近世後期の絵画制作の潮流を幽峨が高い水準で体現したことを示す本作は、幽峨の画業のみならず、近世鳥取画壇の豊熟を象徴する記念碑的作品と評価できる。,,https://www.pref.tottori.lg.jp/264550.htm,
310000,TP3100005470,鳥取県,湯梨浜町のトウテイラン群落,ユリハマチョウノトウテイラングンラク,,yurihamachou no touteiranngunnraku,県指定天然記念物,県指定の植物,,31370,,鳥取県東伯郡湯梨浜町,鳥取県,東伯郡湯梨浜町,,,,,,,,,,,,,,,,,,2022/5/2,,,,,,,,,　トウテイランは、オオバコ科クワガタソウ属の多年草で、海岸の草地や松林の下に生える。和名は「洞庭藍」で、花の色が中国の洞庭湖の水のように美しいというたとえから名付けられた。花期は8月で、茎の先に穂状の青紫色の花を付け、白色の綿毛でおおわれた葉や茎とともにその姿が美しい。　京都府、鳥取県の日本海側の海岸と島根県隠岐にのみ自然分布する日本の固有種であるが、湯梨浜町の個体群は3自生地をあわせても300-400個体程度と3府県の中で最も小さく、絶滅リスクが高い。　トウテイランは環境省絶滅危惧Ⅱ類に指定されている絶滅危惧植物ではあるものの、一方で園芸利用もすすめられている。このようなトウテイランの利用にあたっては、自生地保護に十分な配慮が必要である。また、トウテイランの数少ない自生地は互いに隔離分布しており、各自生地間には遺伝的な分化が見られることが指摘されている。自生地周辺での移植により、自生個体群が遺伝的な攪乱を受けないよう注意することも必要である。　湯梨浜町のトウテイランは絶滅のおそれが高い状況ではあるが、幸いなことに3カ所に自生地（局所個体群）が残ることから、湯梨浜町全体を保全単位とした地域個体群の保全をはかることが必要である。,,,
310000,TP3100005480,鳥取県,門脇氏庭園,カドワキシテイエン,,kadowakishi teien,県指定名勝,県指定の庭園,,31386,,鳥取県西伯郡大山町所子,鳥取県,西伯郡大山町,所子,,,,,,,,,,,,,,,,,2022/4/26,,,,,,,,,　門脇氏は、平忠盛の三男の平教盛（門脇殿）に由来し、織田信長に仕えて備中高松城攻めに従軍、その子金三郎秀康が伯耆国汗入郡に住むようになったといわれる。現在の門脇家において初代とされる三右衛門（1655-1695）と、２代嘉七（1687-1727）の時に、田畑の集積や紅花・木綿等の商売や金貸によって経済力を得た。大庄屋となったのは宝暦7年（1757）、３代本右衛門の時で、苗字帯刀を許され門脇本右衛門秀盛を名乗り、役宅を兼ねて現在の居宅の建築をおこなった。　歴代当主は文化的な趣味を持っており、特に４代元右衛門秀紀（1746-1806）は俳人で翠月と号した。また５代元右衛門秀安（1806-1842）は茶人で宗観と号し、細川家家臣の荒井一掌から三齋流の茶道を学び、茶室を建てて静寿庵と名付けた。　門脇氏庭園は、「前庭」「茶庭」「奥庭」からなり、当家が所蔵する嘉永３年の家相図から、幕末頃の配置が現在まで継承されており、とりわけ「奥庭」の池の形状・意匠が良好に遺存している点で、鳥取県西部屈指の豪農・大庄屋の近世庭園の一つとして学術的価値が高い。　さらに三列九間取りの大規模民家において、二間続きの座敷に面する庭園として、格の高いかぎの間に向けて景色が整えられていることは、書院造庭園の地方への波及を考察する上で、示唆に富むものである。　また、茶人である５代元右衛門秀安の営為が偲ばれる茶庭は、江戸時代後期の鳥取県西部における茶文化の在り様を示す点で貴重であるとともに、要素を押さえつつ情緒ある空間に仕上げられている点でも芸術的価値が高い。　加えて、本庭園は、主屋、茶室、湯殿・雪隠をはじめとする庭園に面した建物が、良好に保存されており、その空間としての一体性も高く評価できる。,,,
310000,TP3100005490,鳥取県,依山楼岩崎庭園,イザンロウイワサキテイエン,,izanrouiwasaki teien,県指定名勝,県指定の庭園,,31364,,鳥取県東伯郡三朝町三朝,鳥取県,東伯郡三朝町,三朝,,,,,,,,,,,,,,,,,2023/6/13,,,,,,,,,　三朝温泉の温泉旅館街は、三徳山の北麓を西流する三徳川の中流域に位置し、両岸に沿って旅館が立ち並ぶ町並みを形成している。　依山楼岩崎は三徳川の右岸、旅館街の中心に渡される三朝橋から東に100ｍほどの、山裾の斜面に営まれている。現在「依水苑」と呼ばれている庭園は、宿泊棟の北側、山裾および大浴場棟に囲まれた空間に展開する。東西に長い庭園の上段中央には、昭和11年頃に皇族用の離れとして建てられた木造平屋建ての「三朝閣」が、上段東部には、昭和前期に建てられた茅葺の茶室「扶桑庵」がある。　庭園は、西半部の開放的な池庭と、東半部の山懐に抱かれた露地という対照的な２つの庭園空間からなる。　「池庭」は三朝閣より西方に展開する。三朝閣のほど近くに端を発する細い流れが渓流となって、上段から下段へ２段の滝で水を落とし、西南部の山裾に広がる池に注ぐ。池中や護岸の巨石が、山から転落してきた石を庭園に取り込んだような、作為を感じさせない豪快な配置で目を引く。南から本庭園をみると、池の背後の渓流東脇に設けられた石段、その奥にそびえる石塔、そして山上の三朝閣へと自ずと視線が導かれる構成となっている。　「露地」は、庭園の東部、隣接する三朝閣のある地盤からやや下った狭隘な敷地に作られている。中央に茅葺屋根の茶室・扶桑庵を配し、その周辺に飛石を打って、蹲踞を２か所に配置する。東方から南方にかけては大浴場棟の建設に際して追加された緩やかな流れが巡り、宿泊棟の前を通って池庭の池に注ぐ。大浴場棟建設以前は茶室の北方に待合があり、その周辺にも流れが巡り、茶室の西に小池が設けられていた。現在は、三朝閣との間に宿泊棟から延びる渡り廊下により空間が分かれているが、かつては三朝閣と扶桑庵とが茶事において一体的に利用されていたものと考えられる。　本庭園は、限られた敷地の中に、池庭と露地という趣きの異なる２つの庭園空間を、その立地環境および地形の高低差を活かして巧みに配置した点で、地割構成上優れている。　また、庭園景観の中心となる三朝閣や扶桑庵は、文人墨客に愛された三朝温泉の名声にふさわしい風格を有する優れた近代和風建築であり、これらと一体的に造られ利用されてきた本庭園は、三朝温泉を語る上で欠かせない庭園といえる。それとともに、旅館という時代の変化に晒されやすい業態でありながら、このように庭園と建造物とが一体的に維持管理、継承されてきたたことは非常に貴重なことと言えよう。　さらに、本庭園は近代の鳥取中部で活躍した巽武之助による作庭のひとつであり、周辺の作例と併せて鳥取県の庭園文化の在り方の一端を明らかにしていく上でも重要である。,,,
310000,TP3100005500,鳥取県,手漉和紙〔保持者：長谷川　憲人〕 ,テスキワシ〔ホジシャ：ハセガワノリト〕,,tesukiwashi hojisya hasegawa norito,県指定無形文化財,県指定の工芸技術,,31201,,鳥取県鳥取市青谷町鳥取市青谷町,鳥取県,鳥取市,青谷町鳥取市青谷町,,,,,,,,,,,,,,,,,2024/4/16,,,,,,,,,　手漉和紙は、わが国独特の「流漉(ながしずき)」という技法で紙を製造する技術である。楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ）などから、手作業で生繊維を精製した紙料を用い、伝統的な用具を使って、一枚一枚紙を漉く。　鳥取県では、近世以来和紙製造が盛んで、昭和５１年には　「因州青谷こうぞ紙」及び「因州佐治みつまた紙」が県の無形文化財に指定されている。　保持者の長谷川憲人氏は全国的に名の知られた和紙産地である鳥取市青谷町山根で手漉和紙を作り続けてきた工房の三代目である。手漉和紙職人であった二代目の父・国義氏のもとで１９８０年から手漉和紙を始めた。楮紙を主として、三椏紙、雁皮紙等を漉く。それぞれの素材を吟味し、性質を活かし、和紙の持つ美しさや強さ、風合いを探求しながら、さまざまな使い手の感性を刺激するような和紙をめざしている。同氏が漉いた紙は、他の紙にはない腰の強さ、しなやかな張りが魅力とされ、書道や版画、和傘など国内外でさまざまな用途に使用されている。県指定無形文化財「染織」及び「紙布」の保持者である染織家の山下健氏は、長谷川氏抄造の楮紙から紙糸(かみいと)を縒(よ)って紙布(しふ)を織り上げている。また、鳥取県立博物館は平成12年から鳥取藩政資料の補修用紙に同氏抄造の楮紙を使用してきたが、近年は宝暦5年（1755）から同藩が御用紙とした「黄紙(きがみ)」の修復のため、楮紙をキハダ染めした修復紙の試作を長谷川氏に依頼している。このように長谷川氏は、自らが漉く紙の美的価値と改善点を知るために積極的に作家等と交流を図り、その知見を蓄えながら手漉和紙のあるべき姿や理想を追求している。また、国内外で和紙制作の実演、指導、作品の展示を行い、手漉和紙の普及に尽力してきた。　著名な和紙産地の一つである鳥取市青谷町でも、いまや手漉和紙の漉き手は3軒にまで減少した。このような現状にあって、長谷川氏は県指定無形文化財「因州青谷こうぞ紙」の保持団体に認定された「因州青谷こうぞ紙手すき和紙保存会」の会長を務めて、機械漉の職人や和紙製作用具等の生産者も包含した活動を展開し、和紙づくりの伝統を保存・継承するために腐心し尽力してきた。また後継者の育成についても、実子の長谷川豊(ゆたか)氏への手技等の継承をはじめ、広く手漉き以外の職人や佐治の研修生も対象に、良い和紙を漉くということへの信念を伝えながら知識と経験の教授を懇切に行っている。以上により、本県指定の無形文化財「手漉和紙」の保持者と認めるに相応しいと評価する。１９８１　(株)鈴木和紙から依頼を受け、ロサンゼルス・ディズニーランドで開催された「Japanフェスティバル」に参加し、紙漉き実演を行う２００１  経済産業省大臣指定伝統工芸品（因州和紙）を製造する伝統工芸士(総合部門)に認定される２００４　　バルセロナ・リョッチャ美術学校、カペリャーダス紙博物館で初代あおや和紙工房館長の若木剛氏らと紙漉き実演や講演を行う　　　　　　東京・世田谷　梅ヶ丘アートセンターで展示会「因州和紙に生きる」を開催する２０１０　バルセロナ・版画交流展10周年に際し招待を受け、西村信吾氏らとリョッチャ美術学校、バルセロナ大学、カペリャーダス紙博物館等で講演、和紙制作指導を行う２０１６　鳥取県立博物館企画展シリーズ鳥取の表現者File.07「コウゲイノモリへ－探求する工芸家たち」に参加、作品等を展示する２０１８　　日本橋・小津和紙で『因州和紙 伝統工芸二人展 中原剛・長谷川憲人』を開催する２０１９  河北省の河北博物院「因州和紙展」で鳥取県立博物館長らと参加しワークショップを開催する２０２０ 　インスティトゥト・セルバンテス東京で「スペイン×因州 因州和紙による現代版画交流20周年記念展」を開催する,,https://www.pref.tottori.lg.jp/30216.htm,
310000,TP3100005510,鳥取県,山陰における口承文芸の記録（童謡・民話等）,サンインニオケルコウショウブンゲイノキロク（ドウヨウ・ミンワトウ）,,saninｎiokeru　kosyobunge　no　kiroku　(doyo minwato),県指定有形民俗文化財,県指定の民俗資料,,31201,,鳥取県鳥取市東町2丁目124番地鳥取県立博物館,鳥取県,鳥取市,東町2丁目,124番地,鳥取県立博物館,,,,,,,,,,,,,,,2024/4/16,,,,,,,,,　江戸時代の伝承童謡集である『古今童謡』１冊と民俗学者酒井董美氏が収集した口承文芸の記録物（２８３６曲・話）を合わせて指定する。　　『古今童謡』（江戸時代後期）は、鳥取藩士の野間義学（1692～1732）が子どもたちの歌う童歌を収集・筆録した『筆のかす』（1732年頃）の写本である。義学は怪談や農民たちの風俗、言葉についても記録を残した民俗学者の先駆け的存在であった。原本の『筆のかす』の所在は確認さていないが、『古今童謡』によって約３００年前の童謡約５０曲の詞章が（一部は遊戯する子どもたちの挿絵つきで）おおかた判明する。『筆のかす』は、これまで世界最古の伝承童謡集とされてきた『親指トムの本』（1744年頃、大英博物館）を１０年以上さかのぼる記録であり、その写本とはいえ『古今童謡』の文化的意義は非常に大きい。　酒井董美氏収集の口承文芸の記録は、昭和３０年代から採録された鳥取県と島根県における伝承童謡の歌詞・詞章と旋律の音声データである。その中には『古今童謡』と同類と思われる歌が１０類見つかっており、元禄期頃の童謡が長期にわたり歌い継がれてきたことが証明できる。その他の童謡、童話等も山陰地域の口承文芸の地域性、時代的特徴、歴史的変遷をうかがわせるものであり大変貴重である。　『古今童謡』と酒井氏収集の大規模な音声データは、山陰地域の口承文芸の複合的検証及び伝承に資する稀有な歴史・民俗資料と評価できる。,,https://www.pref.tottori.lg.jp/264966.htm,
310000,TP3100005520,鳥取県,若桜町若桜伝統的建造物群保存地区,ワカサチョウワカサデントウテキケンゾウブツグンホゾンチク,,wakasachowakasa  dentoutekikenzoubutugun　hozontiku,重要伝統的建造物群保存地区,国選定の建造物群,,31325,,"鳥取県八頭郡若桜町新町,字上町,字中町,字浦町,字下町,字蓮教寺下モ, 字農人町上分,字農人町下分,字猿岩ノ下タ,字隈田,字坂川の各一部 ",鳥取県,八頭郡若桜町　,,,,,,,,,,,,,,,,,,2021/8/2,,,,,,,,,　若桜町若桜伝統的建造物群保存地区は、若桜鬼ヶ城の城下町を起源とし、旧若桜街道沿いの宿場町としての機能を持ちつつ近郷の物資の集積地として栄えた町である。　明治１８年の大火により町の大部分が焼失したが、住民自治組織により復興計画が立てられた。これにより、本通りの直線化や通りにそった用水や庇の設置、敷地背面に土蔵を建てるなど防火を考慮した街並みの基礎がきずかれた。　保存地区は本通り沿いの約9.5ヘクタールの範囲で、明治期から昭和中期までに建てられた商家は、主に２階建ての切妻平入り、瓦もしくは鉄板葺きとされ、正面に設けた庇は「カリヤ」と呼ばれ、雪や雨の日でも快適に通行できるアーケードの役割を果たした。また、八東川から取水した通り沿いの用水は「カワ」と呼ばれ、そこから各家に水を取り込む「イトバ」や貯水槽である「ホリ」も設けられた。　雪深い気候や防火を意識し、自然の恵をうまく取り入れて形成された街並みは歴史的風致をよく維持し、山陰地方山間部の代表的な商家町といえる。　　,,https://www.town.wakasa.tottori.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/1/5/591.html,
310000,TP3100005530,鳥取県,三十六歌仙図額,サンジュウロクカセンズガク,,sanzyurokukasenzugaku,県指定保護文化財,県指定の絵画,,31203,,鳥取県倉吉市大宮,鳥取県,倉吉市,大宮,,,,,,,,,,,,,,,,,2025/4/30,,,,,,,,,　三十六歌仙図額は、横長のヒノキ板に三十六歌仙を描いた板絵著色(の板図である。倉吉市の小鴨神社が所有し、一面に６人の歌仙の列像を表したものが４面伝来する。墨書から、室町時代の天文6年（1537）に宇野村直という人物が播州山崎八幡宮（現兵庫県宍粟市）へ奉納したことが判明する。小鴨神社へは江戸時代初期に移された。　そもそも三十六歌仙図は、平安中期の藤原公任撰『三十六人撰』に基づいて36人の歌人を描いた絵画作品を指し、大和絵の重要な画題として古来、数多く制作された。しかし近世以降の作例がほとんどであり、室町期にさかのぼる作例は10点ほどであり、全国的に大変稀少である。小鴨神社の三十六歌仙図は、上畳(あげたたみ)に坐した歌仙を各面６人ずつ、歌合形式を模して右方と左方に分け、和歌と歌人名を記した色紙形(しきしがた)を添えて描き表す。当初は、社殿の左右に板絵をかけ、右方３面、左方３面の合計６面から構成されていたはずだが、現存するのは、裏面に墨書のある左一番、左三番、右三番の３面と、歌人の並び順から右一番と推定される１面の計４面である。左右各二番の２面分が失われている。　画面は絵具の剥落が激しく、図様が観察しづらいものの、人物のプロポーションは均整がとれ、装束の文様や持物(じもつ)等も破綻なくまとめあげており、一定の画力を持った畿内の絵師により制作されたと解せる。中世の三十六歌仙図は、列像形式から歌仙一人一人を１枚の画面に描く単独形式に変遷し、また上畳を描くことが定着して近世に引き継がれる。この流れをふまえれば、小鴨神社の三十六歌仙図は列像形式と上畳という、新旧の特徴を兼ね備えた過渡期的な三十六歌仙図として我が国の美術史上意義深い。　左三番の裏面には寛永９年（1632）８月14日に小鴨神社に移された旨、さらにこの時点ですでに「四枚二欠」（２面が失われていた）であったことを記す墨書がある。播州からの移動の経緯は不明ながら、同年に行われた鳥取藩の国替に関連するとの指摘がある。　本作は、少なくとも約400年にわたり本県に伝世している稀少な中世絵画であり、図様に加え、制作年等を示す墨書も含め非常に高い資料性を有すると評価できる。,,https://tottori-jinjacho.jp/pages/217/htm,
310000,TP3100005540,鳥取県,木造聖観音菩薩坐像,モクゾウショウカンノンボサツザゾウ,,mokuzoushokannonbosatuzazou,県指定保護文化財,県指定の彫刻,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町下門尾,鳥取県,八頭郡八頭町,下門尾,,,,,,,,,,,,,,,,,2025/11/28,,,,,,,,,　八頭町青龍寺に祀られる檜の一木割矧ぎ造りの観音像である。漆箔に玉眼嵌入。像高は79.9㎝、髪際高は61.1㎝を測る。　像の形像は通例の聖観音菩薩のもので、上半身には条巾と天衣を懸け、下半身には折り返し付きの裙を着ける。両手は屈臂し、左手は腹前で未敷蓮華を執り、右手は胸前で第一・二指を捻じ、他指を軽く伸ばして蓮華に添える。脚部は、右足を上に結跏趺坐する。　本像は、目尻の切れ上がったまなざしや面長な顔立ち、腰高で抑揚があり量感豊かな体躯の表現、胸を張り上半身を起こした姿勢などに、鎌倉時代前期の慶派の造形的な特徴を看取することができる。また、天冠台には1220年代以降にあらわれる連弧形が認められる点や、頬は平板で全体に抑揚が少なく固さがみられることなどを考慮するならば、本像の制作時期は13世紀第2四半期の1230～40年代頃、作者は慶派の傍系の仏師と判断される。　本県では現存作例が少ない13世紀前半の作例であるとともに、近畿を除く西日本における比較的早期の慶派の作例としても貴重な彫刻である。,,,
310000,TP3100005550,鳥取県,大樹寺本堂、大樹寺開山堂、大樹寺僧堂、大樹寺鐘楼,ダイジュジホンドウ、ダイジュジカイザンドウ、ダイジュジソウドウ、ダイジュジショウロウ,,"daizyujihonndou,daijyujikaizanndou,daijyujisoudou,daijyujisyourou",登録,国登録有形文化財,,31329,,鳥取県八頭郡八頭町福地,鳥取県,八頭郡八頭町,福地,,,,,,,,,,,,,,,,,2024/8/15,,,,,,,,,　大樹寺は、八頭町福地にある曹洞宗の古刹である。もとは、市場城家老安藤義光の菩提寺として、城から東方の山腹に建立されたというが、天正年間、豊臣秀吉による鳥取城攻めの際に消失。その後、17世紀半ばに現在の場所へ再建された。　境内に建つ本堂、開山堂、僧堂、鐘楼の４件は、いずれも大正・昭和期に建立され、優れた技術と意匠により、歴史的景観を形成し、往時は中国地方唯一の専門僧堂であった寺の歴史を物語る。各堂宇の概要は以下のとおりである。　本堂：棟札によると大正9年（1920）に安木住造棟梁により建造された入母屋造り平入の本堂。中備、手挟等向拝の彫刻は豊かである。堂内中央の大間は折上格天井とする。　開山堂：本堂の背後にあって、渡り廊下で接続する。石積上に西面して建つ入母屋造り平入の建物。須弥壇と位牌棚を設ける。昭和26年（1951）建設。　僧堂：本堂の北東に位置する禅僧の修行道場。入母屋作り平入で、内部は土間とし、単（座禅するための縁状の設備）を東西に三段備える。昭和30年（1955）建設、平成23年（2011）改修。　鐘楼： 戦時に供出した梵鐘再鋳を記念し、昭和29年（1954）に建てられた。入母屋造り銅板葺き、伝統的な組物が見られる。,,,
